この世界への期待感
私の今世の名前がエルヴィーナ・ロンベルグ・ファイン・デ・ウルエと決まってから、数ヶ月が過ぎた。しかし、新たな訪問客も特になく、私の世界は未だ、聖母と、中年と、それと時々あの怖い父親だけ。あの怖い父親は命名以来、私の所へ来る気配はないし、それに関しての不満はない。しかし、見ての通り、赤ん坊の生活は退屈極まりないもので、正直いって飽きてしまったのだ。
最初は、転生という出来事に期待で妄想が止まらなかった。冒険や魔法や異世界満喫ライフの数々が私を待っているだろうと。しかし残念ながら、今のところ私がそれらを目にしたことはない。私の世界はまだこの小さな部屋に留まっているから、外に出ればなにか見れるかもしれないが、今のところそれは期待できなさそうだ。赤ちゃんって、何かあったらすぐにコロッと死んじゃいそうだし。…あ、でも、自分について分かったことが数点はあるか。だが、そんなこと知っても、私のこの暇さ加減に劇的な変化をもたらすわけもない。あぁ…いつまでこんな生活を送らなければならないのだろう…。私が赤ん坊に戻りたいとか口にしなければこうならなかったのだろうか…
「エルヴィーナ・ロンベルグ・ファイン・デ・ウルエ姫様。おはようございます。今日も早起きさんですね」
そんなことを天窓から見える空を眺めながら悔やんでいたところ、聖母が聖母らしい笑みを浮かべ立っていた。あ、シシリーおはよう! 私はきゃっきゃっと両足をばたつかせ、彼女の登場を喜ぶ。やはり憂いたときは美人の顔を見るに限る。
「本当に可愛らしいですねぇ」
シシリーがうっとりした顔をし、私を抱っこする。私の小さなお手手に自分の指を絡ませると、私は無意識にその指を掴む。シシリーは頬を緩ませ、ふふっと笑った。
「姫様、そのように握ってしまわれては私の指がちぎれてしまいますわ……あら!?」
え、まじで!? シシリーってそんなにか弱いの?? 私が慌てて手を離し、シシリーを見ると、彼女はイタズラっぽく微笑んでいた。
「嘘です。騙されていただけたのですか?」
くすくすと笑いながら、私を揺らすシシリー。嘘なんかい!! いや、私も普通の人が言ったら騙されなかったよ!? でもさ、シシリーみたいな美人、もしかしたら短命なのかもしれない…とか思っちゃわない?美人薄命っていう言葉があるくらいだし。
「エルヴィーナ姫様は、本当にお優しいですわね。…陛下もその優しさを分かっておられ、ウルエ様の貴名を与えられたのでしょう」
…きみょう? 何、それ? 普通と違って珍しい様のことか?
『きみょう 普通と違う? …検索中…検索中…検索結果、NO。貴名とは、先代の位が高い者の名、または先祖の名を表す』
へー。ってことは、私の名前には先祖の名前があるってことか。…あ、これがさっき言ってた私自身のことについて分かったことの1つ。これ、頭の中で『何』と聞けば、教えてくれる便利辞書みたい。これが私の魔法とかの能力に当てはまるのかは定かじゃないが、これに気づいた最初の数日はこれで異世界の知識を集めようとしていた。しかし……まぁ実際に試した方が分かりやすいか。えーっと…じゃあ…私のお母さんの居場所は何処?
『母 居場所 …検索中…検索中…検索結果、検索不能とでました』
これ、あくまでも辞書扱いみたいで、言葉の意味とか現在進行中で行われたこととかは答えてくれるみたいだけど、その他を聞くと検索不能とでる、まぁ使えそうで使えなさそうな能力。ちなみに、この世界。魔法は存在するらしいが、魔王は存在しないようだ。魔王って何?って聞いたら、検索不能って出た。…つまんないの。
「どうかされましたか? エルヴィーナ・ロンベルグ・ファイン・デ・ウルエ姫様」
シシリーが私の名前を噛まずにスラスラと言う。しかも、長年使い続けてきた自分の名前のように滑舌よく、だ。凄いなシシリー…ちゃんと練習したんだろうなぁ。私は滑舌云々の前に、ちゃんと覚えられるかが不安だぞ。そもそも、ウルエは先代の名だと分かったが、その前のデってなんだデって。これも人の名前か? 私も人のこと言えないが、デっていうのもおかしな名だなぁ。私はベッドの上でくわっと欠伸をし、ぐぅーっとひと伸び。シシリーは私の朝食のミルクを作ってくれている。……まぁ、名前なんて何回も口に出していれば覚えられるだろう。それにしても
…………
………
……
…
あぁ、暇だ。すごく暇だ。まだ一日が始まったばかりというのに、私はもう暇を持て余している。赤ん坊とは、泣くか食事をするか、寝るかしかできないのだ。何か面白いことはないだろうか…。私は何気なく窓の外を見た。
「うあー!?」
そして、驚いた。思わず声に出ちゃうくらいは驚いた。突然、窓の外に大きな影が現れたからだ。
「姫様!? 如何なさいましたか?」
慌てたようにシシリーが顔を出す。しかし、私の目線の先を見て、クスクスと可愛らしい声で笑う。いつ見ても可愛い聖母だ…と、シシリーの可愛さに和んでいた私だったが、彼女の次の言葉にぎょっとすることになる。
「怖がることはありませんよ。あれは、竜と言いまして、ここアメジスト王国では、充実した一日を過ごせるようにと朝一番に竜を飛ばすのですわ」
大きく羽ばたいた生き物が、翼をはためかせ、窓から見える教会を旋回する。朝日で赤い鱗がキラキラと光り、私は思わず息を呑む。こんなにも自由で美しい生き物を、前世でも私は見たことがなかった。
「…うー…」
この世界には竜がいるのか。ということは、他にも空想上の生き物や私の世界になかったものがあるのかもしれない。私は目を輝かせた。暇だ暇だとぶすくれていたのが全て吹っ飛んだ。なんとも面白い世界に生まれたものだ!!
「王家に女子が産まれた際には、数ヶ月は竜は飛ばさず代わりに白鳩を飛ばすしきたりとなっていまして、これも女子は竜を怖がってしまうということから……あら? …ふふっ。姫様に限りましては杞憂だったようですわね。普通は、竜を見て泣いてしまうものなのですが…。姫様は将来、大物になりますわ」
「あー!!」
と、聖母の声に応えるように私はそう声を出した。その心の中では、これからの異世界ライフについての期待で満ちていた。
「本当、姫様は大物になりますわ。もしかしたら……加護神がこの国にお与え下さったのかも…」
喜ぶ私の頭を、シシリーは優しく撫でたのだった。