私の新しい父親は怖い人だった
夢を見た。前世の家族の夢。料理の上手い母親と兄姉たちが台所へと立ち、力が強い父親と弟妹たちが皿や鍋を運ぶ。そして、各自席へと着き、今日あった出来事を話しながらご飯を口へと運んでいくのだ。席も皿も人数分あり、皆何の違和感もなく笑い合っている。
「……そっかぁ。皆、幸せなんだ」
思わず笑みが零れる。あぁ…その幸せに私は含まれていないのか…。知りたくもなかったことを思い知らされる夢。本当にあったことか私の頭の中のことなのか…それは分からない。だが、その夢の中にいる家族達は……私がいなくても大丈夫そうだった。
「…寝ているのか?」
ふと、低い男の声が真上から聞こえ、私は思わず微笑んだ。なんだ、やはり私がいないと寂しいのか。なら、そろそろ目を開けようじゃないか…
「…片腕でも切れば、痛みで瞳を開けるか?」
腕を…切る!?私は慌てて、今起きたかのように目を開け、そしてその物騒なことを言う人物を見た。そんな冷徹非道なことを口にする奴は誰だ! 親と喧嘩した後の機嫌が悪い兄か? それとも…ついにストレスが爆発して気が狂った父親か!? この社畜野郎!! だからあれほど、そんな会社ははよ辞めろと5年くらい言い続けて……
「緑の瞳と銀髪を持つ娘か。ベイン、お前の報告と寸分違いない」
違った。物騒な言葉を口にしたのは、機嫌が悪い兄でも、とち狂った父親でもなかった。私は彼らとはもう違う世界にいるのだった。
「…私が陛下に嘘を申す訳がないでしょう。貴方様のお言葉の通り、緑色の瞳に銀色の髪を持つお子でございます」
恭しくお辞儀をするのは、私をここに連れてきた中年。確か奴は執事長と言ったな。中々の地位にいる奴がヘコヘコしているということは……この偉そうにしている男が奴の主ということになるのか。しっかし…よく似てんなぁこの男。その銀髪と緑の目は、どこかの超絶可愛い赤ちゃんを思い出すぞ?
「あれと交わってから、おおよそ10の月華が咲いた。少し早いが、計算も合う。…妊娠していたことを隠していたか」
あれとは…まぁ母親のことだろう。…何赤ん坊の前で、生々しい話をしてんだ。親のそんな話…できれば一生聞きたくない話だぞ!!
「も、…申し訳ありません。お変わりなく過ごされている様でしたので…我々も気づくのが遅れてしまい……」
その男に群がっている1人がそうボソボソと呟くように言う。え、何?もう少しハキハキと喋ってくれませんかね?全然聞こえないんですけど…そう思った私だったが、しかし、様子がおかしいのはそいつだけじゃなかったことに気づく。よくよく見れば、何人かは今にも死にそうな顔色をしているし、酷い人は泡を吹きかけている。王の近くにいるということは、お偉いさんということになるが…大丈夫か?この国。流行病とかじゃないだろうな?こっちは、風邪でもコロッと死んじゃいそうな体をしてるんですけど。
「だから、あれが逃げたのも気づけなかったと? あぁ…わざと逃がしたということもあるのか」
くくくっと、こいつ絶対に面白いと思ってないだろという笑いをする男。その男の周りには、数人の従者がおり、その中で見慣れた顔といえば中年と…それにメイド服の聖母がいた。中年のおっさんの顔色は変わらないが、聖母の顔が真っ青なので、あまり芳しくない状況なのが伺える。
「あれが逃走するのを手引きした人間は全て殺せ。その親、子…三等親まで処刑台に送れ。俺の命令に背いたらどうなるか…いい見せしめになる」
怖くて容赦がない人。この世界の新たな父親に対する、私の第一印象はそれだった。銀色の髪を持つ、綺麗な顔立ちをした男。母親とは違い、温かさも優しさも一欠片も感じられない。その代わりに、私の背中を伝ったのはヒヤッとした氷のような冷たさだった。その冷たさは、2つの緑の目が私の方に移った時、さらに冷たくなるのを感じた。
「…今回のこれは随分と大人しいな」
いつの間にか、何人か部屋の外へと出ており、部屋にいるのは聖母と中年、そして男と私のたった4人。聖母が私の隣で頷き、口を開いた。
「…は…はい。姫様は大変大人しくて…とても良い子でございます。どうか…新たにご誕生された姫君にご祝福を……」
若干震えている聖母の声に、ふむ…と頷きながら、ゆっくりとこちらへ近づいてくる男。威圧的な緑が、私の小さな体を上から下まで品定めするように動く。そ…そんな目で見ても怖くないんだからね!!私が普通の赤ん坊だったら、泣き喚くところだぞ!!男の足が止まる。私は怖いものから目が離せない、哀れな蛙と化してしまった。
「…泣かないな。見知らぬ男が目の前で殺せる距離にいるというのに、なんと警戒心のない」
視線は私から逸らさず、男はそう抑揚のない声で言った。なるほど…先程の泡を吹いたり、死人のような顔色をしていた人達の気持ちが今では分かる。これは…この威圧は…自分の子供…しかも産まれたばかりの赤ん坊に向けるようなものではない。心の底から逃げ出したくなるものだ。
「見知らぬ男だなんて…貴方様がお父上だときっと姫様は分かっておられるのです」
聖母が貼り付けたような笑顔を男に向ける。…聖母よ…それは流石に無理があると思う。案の定、男は鼻で笑った。
「なら、殺されても文句は言えないな」
…はぁ? 何言ってんだこいつ…。と、思わず純粋無垢な赤ん坊らしからぬ表情が顔に出そうになった…その瞬間…。
「陛下!?」
中年の慌てた声、聖母のハッと息を呑む音…それが私の耳に他人事のように入ってきた。男が口を開く。
「……これでも泣かないのか」
男の声が急接近し、先ほどよりも低く感じる。それもそのはず、男は私の目と鼻の先にいるのだ。しかも、その手に握られているのは…
「興味深いな。これはどの兄姉たちとも違う」
私の頬スレスレの所に、抜き身の剣が刺さっていた。柄をもっているのは、もちろん目の前の男。いつの間に剣を抜いたのか…抜いてから刺されるまで全く反応出来なかった。彼の姿が一瞬、消えたような気がした。何故だ…魔法か?
『反応不能 魔法か?…検索中…検索中……検索結果、NO。暗殺技能、無音殺が、無意識的に発動された状態。なお、鍛錬などにより極限まで磨きあげられており、ここまでの領域に達する人間はこの世界では3人だけである』
そっかぁ、私の父親めちゃめちゃ凄い人じゃん…って、いやいや、違う違う!!殺そうとした男を賞賛するな自分!! 本当に止めて!! ちびるかと思ったから!!私の精神年齢から考えれば、チビったら大変なことになるんだぞ!!
「肝が座っているのか…はたまた身の危険すら感じられぬ愚か者なのか」
男が冷たい指先で、私の頬に触れる。ひえっ…私今度こそ死ぬかも…自分の父親に殺されるとは、なんて最後だ…
「抱っこされますか?」
しかも、何を思ったのか聖母が男にそう提案し、私を抱き上げたではないか。私は思わず声を上げた。
「ほら、聞きましたか? 姫様もお父上に抱っこしてほしいと言っていますわ」
言ってない!!聖母、私はそんなこと言っていないぞ!!頼む…あんな男に渡さないでくれ!!しかし、願いも虚しく、私は聖母の手で地獄へと送られる。柔らかい腕から、堅い筋肉の腕に渡る。ぎゅっと目をつぶると、ふわっと安心する匂いが鼻を擽った。……いや、騙されるな!! イケメンはいい匂いがすると相場が決まっているのだ。では、居心地はどうだ?バキバキの筋肉はきっとゴツゴツの岩のように居心地が悪く……
「どうですか?」
……ふむ、中々悪くなかった。むしろ、安定感があっていい方だ。中年のように抱きなれた感じはせず、どこかぎこちないところがあるが、落とされるという不安は一切ない。男が自分の腕で満足そうに微笑む私を見る。
「…悪くない」
男の顔を見ると、少し笑った気がした。…もしや、この男…ツンデレか? さっきの異常行動も、私に会えて嬉しくてはしゃぎすぎたのかな?
「それは…よろしゅうございました」
聖母もようやく笑顔を見せる。あぁ…よかった。私はようやく胸を撫で下ろすことができた。聖母の笑顔により、この場が安心できる場所だと感じられるようになった。やっぱり、聖母は笑顔が一番だね。
「あ!! 姫様が笑いました!! お父様に抱かれて嬉しいんですね!! 」
いや、それも違うぞ聖母。これは安堵の笑みだ。決して、抱かれて嬉しいわけじゃない!!! だが…まぁ、この居心地のいい抱っこは、父親として認めてあげても…
「笑うとさらに不細工だな。それに思っていたより重い」
前言撤回!! こんな失礼男、父親だとは認めんぞ!!ついでに、デリカシーなし男という特性も追加だ!!
「確かに、他の兄姉たちとは違うな。こんなにブスな赤ん坊、髪や目の色が同じじゃなかったら、俺の子だと思えん。ブスすぎて、もはやブスと言われるためだけに産まれてきたと思うほどだ」
さ、3回もブスって言ったな!! こんなに超絶可愛い赤ちゃんなんて、世界中を探しても私しかいないぞ!!
「不細工だなんて。姫様は、世界中の殿方からの求婚が絶えなくなるような可愛さをお持ちですわ」
そうだそうだ!! 聖母よ、もっと言ってやれ!!私の超絶な可愛さを、このわからず屋に教えてやれ!!
「返す。腕が疲れた。あと、この不細工な面をもう少しましにしておけ」
きーー!! 何様だこいつは!! お前こそ、その美的感覚をどうにかしろ!! イケメンだからって、人に何言ってもいいなんて法律ないぞ!!!!
野次罵声をスタスタと歩く後ろ姿に、ぶちまける。しかし、私以外の人には、赤ちゃんがうーあー言っているだけに聞こえるだろう。…くっ!! 反論もできないとは…口惜しい限りだ!!!!
「………エルヴィ」
部屋から立ち去る前、男はボソッと人の名を口にした。なんだ? 愛人の名前か? 私の母親の名前は、ユリアだぞ。喧嘩売ってんのかこら。
「え?」
聖母も中年もポカンッとした顔で男を見る。いきなり出てきた名前に戸惑っている様子でもあった。
「子が産まれたら、その親は祝福を与えるものなのだろう? 祝福など与える前におっ死ぬとは思うがな」
そして、男は振り返り、私をちらりと見た。緑色の瞳が私の目と合い、キラキラと弾けるように光った。
「エルヴィーナ・ロンベルグ・ファイン・デ・ウルエ。俺の子に産まれた憐れで愚かな我が子よ。お前がいつまでその命を保てるのか、見物だな」