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言えなかった本音

――――――――――


「与えることができるのは持つ者だけだ。そんなことも忘れてしまったのかい、ジファ」


もう何度見たか分からない悪夢。この声が聞こえた瞬間、私はまたこの夢かとため息を吐きながら目を開けた。今回も変わらず私は王の庭園にそびえ立つ大樹の下におり、庭園の椅子に体を預ける兄を見ていた。兄は再度口を開いた。


「乞食にパンを強請っても手に入らないし、平和を体感しなかった者に平和を説いても理解ができない。そうだろう?」


優しげに…俺にそう言い聞かせる兄。彼は細長い指を組み、俺の反応を見てからさらに口を開けた。兄の言葉にクスクスと笑う声が聞こえ、俺は俯いた。私とは違い、次期後継者であった兄の周りには絶えず人がいた。兄はその声には構わず言葉を続ける。


「愛情だってそうだ。何故与えられなかった者が、人に与えることができるのか。そもそも君は愛情がどんなものかも知らないだろう?」


至極当然な話さ…そう兄は笑い、足元に転がった生き物を蹴った。ピクリともしなかった生き物が、一瞬その体を跳ねさせたような気がした。


「だから、この哀れな命に君は言葉ひとつかけてあげられないのさ」


兄の笑いに他の兄弟たちも俺に言葉を投げかけた。俺はそれらを遮断したい思いを押さえつけて、ぐっと拳を握りしめた。


「君が愛情を知る日はいつ来るのだろう」


兄の言葉が重くのしかかる。そもそも自分には彼に言い返せるような言葉を持ち合わせてはいなかった。彼の口は真実を語っていたし、愛情というものがなんなのか理解し難いのも事実。そんな俺を兄は憐れむように眉を下げた。


「君の器が今まで満たされたことがあっただろうか。ジファ…君はいつまでも空っぽのままだ。空っぽの生で、どうして生きていられるのだろう?」


そんなこと…言われずとも私自身が分かっていたことだった。神童だと言われた兄と比べ、何もかも平凡な自分…同じ両親から生まれたとは到底思えない…そう周りから揶揄されてきた。父親からは見放され、母親からは産んでしまったことを謝られ…。何もかも手の中で思うがままの貴方とは違うんだ…そう言おうと顔を上げるが、そこに兄の姿はなかった。その代わり、あの少女がいた。大樹の葉と同じ色の瞳を私に向け、彼女は尋ねた。いつの間にか、彼女の腕の中にはあの憐れな生き物がいた。


「言い返さないの?」


その子は白い輝きでその生き物を治そうとしていたが、それは無駄なことだと私は知っていたため、顔を逸らした。震える唇で言い訳を吐く。


「…本当の事だから。兄上は私を疎ましく思われているからそのようなことをおっしゃられるのだ」


「ふーん。オルウェのあの性格は昔からなんだ…ほんと、こじれてる」


少女の口から兄の名が出たことに驚き彼女を見る。すると、彼女と視線が合う前に、腕の中の哀れな生き物と視線が重なった。生き物は翼を翻し、大樹を通り抜け空へと舞い上がった。その光景を口を開けて眺めていた。確かにあの生物は私の中で冷たくなっていたはずだと、記憶を辿る。そして、これが夢だということを思い出し、私は恥ずかしくなった。夢と現実の区別もできない年頃はとうに過ぎているというのに…。


「さて、あの子も自由になったことだし…今度は貴方の番だね」


満足そうに微笑んだ彼女が私を見る。あまりにも真っ直ぐな瞳に、思わずたじろいでしまうが、少女は私に近づくと再度私に尋ねた。


「貴方は何も言い返さないの?」


言葉が詰まる。兄に言いたかったことは…もちろんある。だが、あの頃と何の変わりもない私がそれを言うのは…


「言っちゃいなよ。人にはどうこう言うくせに、自分は性格が捻じ曲がってるお兄さんに、びしっと言ってやれ!」


笑いながらそういう少女は私の手を握った。挿絵の天使と見間違えるような容姿をしているくせに、大きな口を隠そうともしないで太鼓のような笑い声をあげる少女。地上ではその行為は下品だと言われ、目に入れば即折檻を受けることになる。地上のルールも知らない少女に教えてあげなければならないのだが、私はその笑顔に心を奪われてしまった。彼女は口も開こうとしない私に呆れたようで、私の手を離すと近くに降り立った小さき生き物と戯れ始めた。離された手の熱が風により段々冷えていくのを感じた。


「私を殺そうとしたくせに、意気地がないなぁ。思い切って言っちゃえばいいんだよ。」


私を殺そうとしたくせに…その言葉が胸に突き刺さる。ハッと顔を上げると、少し寂しそうに笑う彼女と、自分の名を呼ぶ赤ん坊が重なった気がした。その顔につられ、私はまた震える唇で言い訳を吐こうとする。違う、私は君を殺そうとしたわけじゃ…あれはあの王妃がしたことで…。だが、言いかけた言葉が彼女に届くことはなかった。彼女の姿が消え始めたからだ。私は言い訳することも忘れて慌てて彼女に近寄ったが、彼女は自分の消えかけた手を見て、ありゃもう時間切れかと軽い調子で言うだけだった。そして、その手で私の頭を乱暴に撫でた。まるで小さな子にするような行動に面を喰らっている私に、彼女は告げた。


「オルウェは死んでも貴方のことを心配していた。だから、早くこんな夢終わらせて、お兄さんとの良い夢を見なよ。そうしたら、ちゃんとオルウェとの良い思い出の記憶が見れるってさ」


そう彼女は言い残し、光の粒となって私の手を通り過ぎた。…オルウェ兄様が私を気に留める?何故それを彼女が言い切ることができるのだろう?それに、やけに物知りな少女の言葉も気になった。だが…思い出したことがある。乱雑となってしまった髪にそっと手を触れ、私は記憶を辿るように目を閉じた。実際にはあの憐れな生き物が再びこの空を舞うことは叶わなかったが、あの冷たい亡骸は兄と二人で、土で汚れることも構わずにこの大樹の下に返してあげたのだっけ。


 「ジファ。可哀そうな君が愛を知ることはない」


私に言葉を吐く兄の亡霊と向き合い、なんて自分は愚かなのだろうと首を振った。自分だけ生き残ったことに対しての罪悪感から、オルウェを悪者に仕立て上げていたとは…。目の前の影が口を開く。


「両親は僕だけを愛した。君には愛情の欠片も与えなかった。僕には才があり、君にはそれがなかったからだ。当然の結果さ」


「…いいや。オルウェは…私の兄は…そのような戯言は言ったことはなかった」


せめて生前に言ってくれていれば、私は罪悪感を抱くこともなく安眠できていただろうに。本当に、兄弟揃って不器用なものだ。


「才に恵まれ、神童と呼ばれた兄。それに比べ、私は平凡で弱い弟だった」


だから忘れていたのだろう。あの人が最も評価されていたのは、驕ることなく努力を続けた勤勉さと、表面だけでは分からぬ彼の人柄だったということを。長子として腹違いの兄弟たちの見本となり、兄としても人としてても尊敬されていた。私も彼のようになりたくて、毎日鍛錬を積んでいただろうに…それすらも忘れていたとは…なんとも情けない。


「オルウェに言いたいことなんて、数えきれないくらい多くある。顔を合わせれば嫌味ばかり口にし、人の言葉を揚げ足ばかり取り、不快にさせ…! 何が子供の遊びだ。今の私でも貴様には遠く及ばないが、その努力を否定される言われはない! 誰もが貴様みたいに魔力量が多いわけでも、上級魔法をいくらでも使える器量を持ち合わせているわけではないのだ…何でも自分を基準にして物を言うな!!」


ここまで大きな声を上げたのはいつぶりだろうか。最後にオルウェに言葉をぶつけた時は、父親から折檻を受けたのだったか…その時のオルウェはどのような顔をしていたのか…記憶を辿るように、目の前の影へと視線を向け、そして思い出す。目の前の影は、記憶の中のオルウェ同様…笑っていたのだ。


「…そうか。君はそう思っていたのか。その場で言い返せば良いものを…私が死んだ後に言うあたり、君も中々良い性格していると思うけどね」


「…貴様には負ける。大体その場で言い返そうものなら、周りの告げ口で父上から折檻を受けていた。もしや、あれは貴様が告げ口したのではないだろうな?」


私の言葉をオルウェは鼻で笑うと、彼の肩に降り立った小さな生き物を撫でた。


「…そうか。君も彼女が気に入ったか」


クルル…そう喉を鳴らすと、小さな生き物は私の方へと向いた。小さな瞳が揺れ、私は思わず頷いた。…まるで私の元へ来ていいか許可を取っているように思えた。


「行きたいのかい? 本来ならば僕らはここにいてはいけないのだが…仕方がないな」


オルウェはため息を吐きながら、困ったように笑った。その少しだけ寂しそうに見える表情に、思わず手を伸ばすと、彼は戸惑いつつ手を握った。


「君と彼女くらいなものだよ。僕の手を躊躇なく握る愚か者はさ。死を免れている二人が、こんなに馬鹿だなんて…さぞ世は苦労しているだろうね」


という減らず口を叩くのも忘れてはいなかったが…。憎まれ口がないと会話もできないのか…と呆れた表情を見せたが、そのひんやりと冷たい手に特に不快に思うことはなく、思わず笑みが零れる。…今なら言えるだろうか…。私はずっと貴方に言いたいことがあった…そう切り出してみようか?きっと、まだ言い足りないのかい?と彼はまた私を小馬鹿にするだろうが…その後きっと驚いた顔をするのだろう。そう思うと、自然と口角が上がっていく。


「…なんだい? そのように気持ちの悪い笑みを浮かべて…余程僕に会えて嬉しかったと見える」


ニヤニヤと私を煽るこの人に、私は口を開いた。そんなに言って欲しければ言ってやろう…あの血の匂いが絶えなかった王宮で、私の生を期待してくれていたのは他でもない貴方だけだったということを。最後にせめて…感謝くらい言ってやってもいいのだろう。



――――――――――



 朝日が目に差し込み、思わず声が漏れる。こっちは疲れているんだから、まだ寝かせてくれよぉ…そう思いながら寝返りをすると、


「うぐっ!?」


寝返った先には鈍器のような物があり、思いっきり鼻をぶつけてしまう。鈍い痛みを放つ鼻を触って確かめると、鼻血は出ていないようだが恐らく赤みを帯びていることだろう。私は痛みで涙目になりながら、その鈍器を見る。誰だよ!ここに鈍器を置いたのは!?


『…もう、ヴィ…朝から大声上げないでよね。本当にうるさい』


ユランからそう叱られ、私は意味もなく口を押さえてしまう。心の中でごめんごめんと謝ると、目の前の寝息を立てる鈍器を睨む。お前、なんで私の横で寝ているんだ!!でかい図体が邪魔でしょうがないし、実際に鈍器のように固い拳しやがって!!!鈍器は鈍器らしく、自分の住処へ帰れっ!!!!


『住処って…彼の住処は王宮(ここ)じゃん。それに鈍器じゃなくて、ラーミア…君の叔父だし』


ふわぁっと大きな欠伸を零し、ユランは私の間違いを正そうとする。だが、私はこれは鈍器だと首を振った。鼻の鈍い痛みに顔が歪み、その痛みを目の前で気持ちよさそうに寝ている鈍器にぶつけたい欲が沸き上がってきたためだ。だが、ここでもユランから指摘が入る。


『まだ朝日が昇ったばかりだよ、止めておいたら? 八つ当たりも甚だしいし、それに彼を起こすと乳母や彼の兄までも起こすことになるしね』


ユランの言葉に辺りを見渡すと…なるほど。椅子にはシシリーが寝落ちしており、入り口近くにはアドラーがいた。アドラーはいつでも戦闘態勢を取れるように、腰には武器が見え隠れしていたため、私がひとつ声を上げれば起き上がるだろう。…シシリー、アドラーはまだ分かる。だが、何故私はラーミアと添い寝しているのか。それに、昨日の無理矢理歩かされたお披露目会も私は良く分かっていなかった。さらには何故シシリーがあんなに鬼になって、私の歩く練習に付き合ってくれたのかも。


『乳母が鬼になってでも君を歩かせたかったのは、修道院から君を守るためだよ。昨日のお披露目会は、君が修道院行きになるかどうかの分かれ道だったからね』


さらっと答えるユランに私は驚きの声を上げそうになり、慌てて口を押さえる。…幸いにもアドラーは身じろぎをするだけで眠りを妨げてはいないようだった。ほっとし、私は今度はユランが何もしなくていいと言った理由について尋ねた。


『…なんで僕ちゃんがヴィに何もしなくていいって言ったのか、それはこの国から出るいい機会だと思ったからだよ。王は君が修道院行きになった場合、君と共に密偵を入れて修道院を内から壊す計画だった。あの時の僕ちゃんの判断としては、ヴィには何もせずに修道院へ行ってもらい、そしてそのまま乳母と共に消息を絶ってほしかった』


ヴィの願いは異世界ライフだからね、それを最短で叶える導きがこれだったってわけ…そうユランは言うが、私はあの時の少し歯切れの悪い言い方だったユランを思い浮かべていた。なんか、それだけが理由じゃなさそうだが…まぁ、ユランがそう言うならそうなのだろう。私はそっかぁと頷くだけにした。それがいけなかった。


『そっかぁじゃないよ! せっかく僕ちゃんが色々考えてあげたのに…ヴィはこの男を選んだんだからさ! ヴィってば男の見る目ないよね!!』


死にたきゃ勝手にすれば!そう言い放つ拗ね拗ねモードのユランに、私はごめんよぉとひたすら謝った。だってさ、私この人に借りがあるわけじゃん?私だってユランを選びたかったけど、借りがあるんだもん、仕方がないじゃん?しかも私の何倍も歳食ってる大人が捨てられた飼い主のような顔をしてたんだよ、もう応じてあげる他ないじゃん、ね?早口でそう弁明を述べるが、ふんっと鼻を鳴らされて終わってしまう。あー…こうなってしまうと長いのだ。私は必死でない頭で考えていると、ふと鳥の鳴く声が耳に入ってきた。視線を下げると、なんと目を瞑ったままの鈍器が唇を弧にして笑っているではないか。私の中でさきほどの八つ当たりも甚だしいと言われた欲が再度芽生える。幸せそうな夢を見て良い事ですねぇ…ぐっと握り締めた拳を緩め、腕を伸ばす。せめて頬を引っ張ってやらないと気が済まない…そう思い鈍器の頬に指が触れる、が、


「…ありがとう…兄様」


確かに彼の口からその言葉が出るのを聞く。だが、そう嬉しそうに呟きながら笑っているくせに、ラーミアの閉じられた瞼からポロっと何かが零れ、それが私の指に触れる。温かなそれが長年ラーミアが溜め込んでいた本音だと分かるのに、そう時間はかからなかった。ヤレヤレ…親の心子知らずならぬ、兄の心弟知らずってところか。この世界って、兄弟仲すら複雑になってしまうのだろうか?ふと前世の下の子たちを思い出し、思わず笑みが零れる。唐揚げで喜んだかと思えば、次はどっちが先に遊んでもらうかで喧嘩して、うちの兄弟たちは大層単純な可愛い子たちだった。できればあの素直さを、月華の祝いで見た今世の兄弟たちにも見習ってもらいたいものだ。王位とか国とかそんなもの無しにして…笑い合って過ごせる日が彼らにも訪れたらいいのだが…。だが、そんなことをユランに言えば、またお節介だといわれてしまうが。


『知らないもんね! どうせ、僕ちゃんが導いてもヴィは聞いちゃくれやしないんだから!!』


頭の中で不機嫌な声がキャンキャンと鳴き、私は再度彼の機嫌を窺うことに時間を使った。だがやはり呑気な私は気づいていないのだ。自分が選んだ目先の選択がどれだけ愚かだったのかを。今この時点の私は知る由もないことだが、この選択で私は…自身の母親との別れを確実なものにしてしまっていたのだった。


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