貴重な笑顔には
『ヴィ! ねぇ、聞こえる!?』
ユランの必死に呼びかける声で私は目覚めた。たくさん寝てしまったようで重い頭を起こすと、安堵したような声が聞こえる。私は額に伝わる汗を拭い、顔をしかめた。部屋が異常に暑い…シシリーが温度調節を誤ってしまったのだろうか…。そう思い、シシリーの姿を探そうと周りを見渡すと赤い絨毯に、緑色のカーテン…そして大きくて豪華なベッドという見知らぬ部屋に私はいた。
『よかった…!! 僕ちゃんもうダメかと‼ もうっ!! 心配させないでよ!! ヴィのねぼすけ!!』
ユランは何故か半泣きで怒っているし、私は全身汗まみれだ。それもそのはず、大きなベッドには毛布や掛布団やらとにかくたくさんあったからだ。これは暑いはずだ。そして、私が驚いたのはそれだけではなかった。私の隣に誰かが寝ているのに気付いたからだ。…なんで私父親と寝ているの??ねぇ、ユラン…
『ヴィは日華の茎が3本腐り落ちる間、ずっと眠っていたんだよ』
えっと…確か日華は日数を表すんだよね…。つまり…私3日寝ていたってこと!?私は驚きから叫び声を上げた。そりゃあ、そんだけ寝ていたら頭が重いはずだ。
『ヴィは赤ん坊が耐えられないはずのない高熱が続いたあと、今度は死ぬ間際のように体温の低下が止まらなかったんだ』
…なるほど、このベッド上にある異様な毛布たちの数はそういう理由があったのか…。私の叫び声で父親が身じろぎをする。…それで、ここはたぶん父親の部屋だよね…なんで死にかけの私がこんなところで寝てんのさ。
『乳母たちや癒者たちでさえ、どう手をつくしてもヴィの体温は戻らなかったんだ。昨日が山場だって言われていて、ヴィを楽にさせた方が良いなんて声も上がっていたくらい容態は絶望的だったんだよ。そんな中、彼は周りの制止も聞かずにヴィを自分の部屋へと連れて行き、毛布を何枚も被ってヴィを温めてくれていたんだ』
その話は私をさらに叫ばせるのには十分だった。この父親が!?私の命を救った!?なんで?今死なれると困るの?いや、ありがたい話だけどさ…正直歓喜よりも恐怖の方が勝る。
「…おい…騒がしいぞ…」
お、ちょうどよかったと、父親が起きたと思いそちらを見るが、彼の目は閉じられたまま。私の名を父親が隣の空白を埋めるように手を動かし、そしてようやく見つけたとばかりに私の腰に手を回してくる。……愛人の誰かと間違えているのか?助けてもらってなんだが、暑苦しくてならないので今すぐ止めてほしい。
「とと!」
取り敢えずあまり状況が理解できていないので、寝ぼけまなこの父親の額を叩く。ペチッと音がしたそれは、父親を起こすには十分ではなかったようで、父親はさらに強い力で私を布団の中に引きずり込んだ。
「とと…! とと!!」
抵抗するが成人男性の力にいち赤子が適うはずもなく、全然起きようとしない父親にいら立ちが募る。一発で起きないならと三発くらい彼の顔全体を叩いた。ペチッ…ペチッ…ペチン…。…………起きないな…こんなにも寝起きが悪い成人男性は聞いたことがない。私は大きく息を吸う。
「ちちっ!!」
すると、今まで頑なに閉じられていた瞳がパッと開く。そして、その瞳が私を映すと父親は勢いよく飛び起きた。うわ、びっくりした!?
「陛下!? 一体なにごと……」
私の渾身の起きろコールに反応し、部屋に飛び込んできたのはアドラーだった。アドラーは私を見て、ポカンとし…そしてみるみる目に涙を浮かべる。え、ちょっとアドラー…?
「シ、シシリー殿ッ! 姫様が…姫様が…!!」
アドラーが部屋の前から姿を消してすぐ、勢いよく部屋に入ってきたのはシシリーと中年だった。あ、シシリー!!
「姫様っ!!」
私はいつものように抱きしめてくれるかと思ったのだが、シシリーはその場で泣き崩れてしまう。中年はシシリーの身体を慌てて支え、驚愕な顔をして私を見る。
「まさか…あの状態で回復されたのか…!?」
…ふむ。その状況がまったく記憶にない身としては、大げさな反応な気もしてしまう。シシリーだけでなくアドラーも涙腺全開のため、私はオロオロとしてしまう。
「よかっ…本当に…よかっだ…! 陛下や…シシリー殿…それに他の皆の頑張りが報われましたなぁ…」
「ええっ…本当に…よろしゅうございました。姫様が目を覚まされて…本当に…!!」
二人でそう泣きながら笑い合い、そしてまた二人して大泣きした。も、もう泣かないでぇ!?誰だよ二人を泣かせたの……私か!!もう収集がつかなくなってきそうなとき、視界の端で何かが動く。あ、そういえば父親もいたじゃん。ねぇ、ようやく起きたんだから二人を泣き止ませてよ…中年でもいいから…ってお前、いつまで驚いているんだよ…うおっ!?
「貴様…どこまで遊びに行っていた」
突然、父親が私を力強く抱きしめた。そのか細い声は聞き覚えがあるような気がし、私は首を傾げた。さて…私はどこで聞いたのだろう…?
「この俺から逃げられるとでも思ったのか? 残念だが、貴様にはまだ利用価値がある。死にそびれたな」
私は別にどこかへ遊びに行っていたわけじゃないんだけど…まぁ、父親も心配してくれたってことかな。利用価値がある間は、生かしてくれるようだ。つまり、私の寿命はそれまで保証されたようなもの。私はホッと胸を撫で下ろした。父よ、とりあえず助けてくれてありがとうね。
「とと…ありあと…」
…ん?あれ!?そういえば、私話したいことと実際に聞こえてくる言葉…一致してしているよね!?もしかして喋れてる!!
「ひ、姫様…私の勘違いでなければ…今…御父様助けていただき感謝いたしますと言いませんでしたか!?」
驚きから涙は引っ込んだようで、シシリーが興奮してその場で手を叩いた。…うん、それはシシリーの勘違いだと思う。私まだそこまでかしこまったの言えないし…。だが、せっかく笑ってくれたシシリーに茶々を入れるようなことができるだろうか、いやできないね。私はシシリーの笑顔のために、大きく頷いた。すると、シシリーが満面の笑みを零した。隣のアドラーもだ。
「姫様がお話を…!!」
こちらはまだ涙腺全開のようだ。ふと先程から沈黙している中年に視線を送ると、彼は父親をチラリと見ており…そして…この世のものでない存在を見たような顔をしていた。その顔に疑問を持ち、私も彼と同じく父親を見る。そして、思わず叫んでしまう。父親が笑っていたからだ。父親は私にその笑みを浮かべたまま、手を伸ばした。
「…俺に感謝だと? 愚かな娘だ。生を受けたばかりの貴様が多々死にそうになったのが、誰のせいかも知らずに…」
父親の大きな手が私の左の頬を撫でる。あまりの手の冷たさに思わず目を瞑ると、暗い影が私に覆い被さるとともにいい香りが鼻を擽った。そして、
ちゅっ
というリップ音とともに、額に柔らかい感触がし、私は驚きから目を見開いた。い…今…もしかして私のおでこにキスしたぁ!?
「愚かな娘へ、父からの祝いの品だ。精々俺の駒として利用尽くされて死ぬといい」
銀色の髪が陽光にあたりキラキラと輝いた。緑色の瞳が私の反応を面白そうに眺め、そして父親は中年と共に部屋を出た。その後シシリーたちが私に体の調子を確かめてくれたようだが、私は放心状態だった。こうして…恐らくレア度高めであろう父親の笑顔は、私の赤面で幕を閉じたのだった。
――――――――――
「…お待ちください陛下」
思わず前を歩く陛下を呼び止める。目の前のこの方は、暗い緑色の瞳で俺を見た。先程とは違い、感情がないように思われるその表情だが、歩みを止められたということは発言を許されたということ。俺はゆっくりと言葉を選びながら口を開く。
「…何故赤ん坊に守護魔法を付与したのです」
陛下は俺の言葉を鼻で笑い、再び歩き出す。その背を必死で追い、再度問いかける。
「彼女は生贄なのですよ。生贄に守護魔法を付与するなんて聞いたことがありません。もしこれがアレに知られでもしたら…!」
思わず歩きを止める。陛下が笑い声を上げられたからだ。いつ聞いても彼の笑い声は、背筋が凍る。長年の付き合いだが、俺は未だに陛下のことを理解することができなかった。
「構わん。どうせアレが起きるのは月華が刻むことなくすべて枯れた時だ。分からんか? 俺がヴィに守護を与えた理由」
額に汗が流れる。陛下は度々俺にこのような問い方をする。俺がご自分の考えを分かっているかどうかを聞いているのではない。…自分の臣下にふさわしい人物かを確認されているのだ。つまり、この答えを間違えれば、俺は死ぬ。
「…どうした? 答えよ、英雄ベイン」
つくづく恐ろしい人だと思った。人を寄せ付けず、長年仕えてきた自分の臣下までも信用されていない。だが、不思議と彼には人が集まってくる。それは彼が王であるからと言ってしまえば簡単なのだが、それならば10の月華を刻むことなく終わってしまっていただろう。この人を目の前にすると分かる圧倒的な力。この国が繁栄しているのは戦場で勝利を収めたからだ。ただの妾の子でしかなかった陛下がどのようにして力をつけられたのか…。前王でもここまでの力はなかったはずだ。
「…何かを御所望されているのですね。近辺の国々からの略奪では手に入らないそれを、貴方様は姫君を使って手に入れようとされている…」
ここ最近の陛下の行動…近辺の国々を手当たり次第に支配下に治め、何かを探しておられる。そして、ある国を攻略された瞬間…ピタリと諸国への攻撃を止められた。…そういえば…その国は今年の聖女の使いを選出した国だったなと、ふと思った時…ある考えが浮かんだ。まさかと思い、陛下を見て、そして俺は軽率に陛下の行動を諫めたことに後悔する。陛下は笑っていたのだ。この世の悪意を詰め込んだような表情を浮かべ、陛下は口を開いた。
「興味が出たのだ。もしアレを喰らうことができたなら、面白いことになるとは思わんか?」
この人よりも自分の欲に忠実な人間を俺は知らないし、こうなってしまっては、自分の声がこの人に届かないことくらい昔から分かっていた。だから、俺は何も言わずただ目線を下げた。
「…面白いことになるかは分かりません。陛下のお望みとあれば、我々家臣は命をかけるのみでございますので」
俺の言葉に陛下は興味のなさそうに、再び前を歩き始める。ふと、危篤だった姫君のことが頭を過った。…俺の気のせいだったのだろうか…。あの時、陛下が姫君に向けた笑みは…まさに子を心配する父の顔そのものだと思ったのだが…。