私の最初の異世界ライフ
こうして私の暗殺未遂騒動は収束に向かっていった。あの騒動後、私の命は特に脅かされることなく日々は過ぎて行った。そして、父親はすぐに戦へと赴き、私の世界は再びシシリーと…たまにアドラーを見る程度となった。
「姫様、ご覧になってください。姫様の髪色のような景色ですよ」
シシリーが窓の外を指さしながら私に微笑む。季節は変わり、大きな窓の外を見れば灰色の空から雪が降っているではないか。これは寒いはずだと私は身震いする。そういえば…私がこの城に来てから早くも1年が過ぎようとしていた。
『これは沢山積もったなぁ。実体さえあれば自由に遊べるのになぁ』
そうそう、この声の主である彼の名前なんだけど…凄く悩んでユランと名付けた。この世界の言葉で示し手というらしい。最初は便利辞書からとってベンにしようと思ったんだけど、安易すぎかと思い、3日くらい費やして命名した。
『まぁ、僕ちゃんとしては名前なんて何でもいいんだけどね。それよりも早く実体が欲しいなぁ』
私はもう何度目かの催促に、はいはい…と流し、大きくため息をつく。現状に満足していたはずの彼だったが、どうやら刺激のない日々にご不満のようだ。あの日以来、私の能力は何も変わっておらず、どれだけ努力しようと魔法スキルも解放されただけ。そして、関係あるかは分からないが、私の発達もまだあの時のままだった。
『何かしらの出来事がないと能力は解放されないからなぁ。それも小さな出来事じゃあまり変わらないからね。何か起きないかな…それこそ暗殺みたいな』
止めてくれ…と私は彼の言葉にげんなりとした。もう命を狙われるのはこりごりだ…あんな思いするくらいなら、私はこのまま魔法も使えず平穏無事な生活を望む。
『それは無理だね。ヴィは王様のお気に入りだから、城中君の噂で持ち切りだよ。この国最初の女王候補とも言う人がいるほどだよ。王妃たちは君の存在を鬱陶しく思っているはず』
…止めてくれ…もうこれ以上私の命を狙おうとする誰かを刺激しないでほしい…。
『あーあ…誰でもいいから早くヴィを殺しにこないかなぁ…』
ユランはそんな物騒なことを言いながら、今日も暇を持て余すのだ。私はそんな彼に苦笑いを零しながら、大きく背伸びをした。なにも暇をしているのは君だけではないんだぞ。
「エルヴィ姫様。本日はどんなお遊びをしましょうか? …あ、もう浮いたり、本棚の上に乗るのはいけませんからね」
シシリーが少し怖い顔をして、私の頭に軽く手を置いた。それは数日前…あまりにも暇すぎた私はやりすぎてシシリーを困らせてしまったことがある。彼女が目を離したすきに浮遊で本棚の上に登り、そこで高速ハイハイを極めていたのだ。シシリーの慌てる姿を見てあれはもう二度とやらないと誓ったが…あれはいい暇つぶしだった。本棚から落ちるか落ちないかのぎりぎりのラインでの高速ハイハイ…あれ以上の暇つぶしを新たに考えないといけないのは億劫でもある。
『だから、部屋から出てみればいいんだよ。というか、出よ、ね? 僕ちゃんもう暇すぎて暇すぎて…死んじゃう!!』
いや、暇で死ぬことはないから!と言っても、私も暇すぎて嫌気がさしてきた頃であり、最初はシシリーが心配すると猛反対していた私でもその提案に揺らいでしまう。
『行こうよ! 気づかれたらすぐに戻ればいいって!! 乳母は無理でも、あの兵士だったら隙だらけだよ。それに…』
そんな悪魔の囁き声に、私はそれでも…と首を振ろうとしたが、最後の一言でこの話し合いは終息した。
『今の時間、兵士が訓練しているから沢山魔法とか見れるよ』
よし、行こう!!せっかくの異世界ライフだというのに、魔法を中々見れる機会がないのは不満だったところだ。興奮から、私の両足は大きく動いた。
『しかも、乳母は用があるみたいだから、当分の間あの兵士に任せるはず…動くなら今しかない! 作戦開始だ!』
ユランの言われるがまま、私はシシリーに向かって手を伸ばした。
「いー!」
すると、シシリーは私がどうやって遊ぶか決めたと思ったようで、私に頷いた。
「はい、お呼びでしょうか?」
私はアドラーがいるであろうドアの方向を指さした。私の反応に首を傾げるシシリーだったが、私の意図に気づいたように笑い声を上げる。
「アドラー様と遊びたいのですね?」
「う!」
私がニコッと笑うと、シシリーはドアを開けてアドラーを部屋へと招き入れた。最初は不思議そうな顔をしていたアドラーだったが、事情を知ると顔を緩ませた。そして、
「エルヴィ様。本日は私めがお相手をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
と私の前で膝をついた。私は彼の膝にぺちっと手を置くと、にこっと笑う。アドラーが私を抱きかかえる。
「では、姫様は私が見ておきましょう。その間、シシリー殿は用を済ませて来られるといい」
本当にシシリーは用があったようで、申し訳なさそうな顔をしながら深々とお辞儀をした。そして、私を見ながら最後に心配そうにアドラーに伝えた。
「最近の姫様は元気盛りでございますので…特に目を離されないようお願いいたします」
…す、鋭い…!見事いい当てたシシリーの言葉に私はつい動揺してしまう。しかし、アドラーはそんな私の様子に全く気付いていない様子で豪快な笑い声をあげた。
「元気でよろしいではないですか! 心配せずとも、姫様のことはしっかりと見ておきますとも」
私をひょいっと抱き上げ、シシリーに笑いかけるアドラー。そして、私を見ると、
「ほら姫様。シシリー殿は今から怪我人の治療をされるのです。お見送りをいたしましょう」
なるほど。用とは何かと思えば、またシシリーの手を借りないといけない場面が起こっているらしい。シシリーが後ろ髪を引かれるような顔をして、私に手を振った。
「いー!」
私も彼女にバイバイと手を振ると、ニコッと笑い扉を静かに閉めるシシリー。…怪我人の治療ってまた前回みたいな重症者なのかな…?
『今回は怪我の程度はそうでもないけど、その人数が多いみたいだよ。だから外に出るには十分時間ある。さ、早く行こうよ!!』
なるほど…シシリー確実に業務外の仕事をさせられているな。誰だ、あの聖母を使いっ走りみたいにさせている奴は!
『上の偉い人。前回…アドラー弟のラーミアの負傷以後、この国の大臣たちはお金がかからないいい方法としたみたい』
なんだとぉ!?ただでさえ赤ん坊の世話は大変だというのに、シシリーを都合のいい道具みたいに扱いやがって!!そんな奴ら私が喋れるようになった暁には即刻首にしてやる…!!
『はいはい。それよりも先に外に出るんでしょ。もう…本当にヴィはあの乳母が好きなんだから』
私が怒りから体を捩らせると、私の頭が思いっきりアドラーの顎にヒット。赤ん坊の頭蓋骨でも中々の固さらしく、いてて…と顎を押さえるアドラー。ごめんよ…
「シシリー殿の言う通り、姫様はたいそうお元気のようですな」
おっと、いけないいけない。私はアドラーの言葉に大きく欠伸をした。そして、目を擦りながらお昼寝スペースを指さした。すると、アドラーは首を傾げた。
「眠い…のでしょうか? お昼寝の時間にはまだ早いと思うのですが…」
少し迷った素振りのアドラー。私は最後の手段を使うことにした。いくぞ…くらえ私の演技力っ!!
「おっと!?」
ガクンッと意識が落ちたように手を下に勢いよく振り落とし、頭もぐらぐらとさせる…限界アピール。私の体を支えながら、アドラーは慌てて私をお昼寝スペースに移動させる。
「昨夜は寝られなかったのですかな?」
前のように柵がないお昼寝スペースに、ゴロンっとアドラーも横になる。これまた肌心地のいい毛布を私にかけ、アドラーはトントンと私のお腹を叩く。私は目を閉じながらにんまりとした。もう計画のほとんどは成功したようなものだった。昨夜、私の警護で寝れていないのはアドラーの方じゃん…なんて思いながら。
『寝た! 兵士寝たよ!!』
しばらくして、ユランの声が聞こえ、私は目を開けた。すると、目の前にはアドラーがいびきかいている姿がある。…寝てるよね…
「…あー?」
声をかけてもアドラーのいびきは変わらず、剃り残しの髭を触っても特に反応は見られない。……寝てる!!私はガッツポーズをした。あやうく計画が台無しになることだった。
『仕事熱心なのもいいけど、昼夜ともヴィの警護しててよく体壊さないよね』
熟睡しているアドラーは、あの騒動後ずっと私の警護をしてくれている。別にアドラーのせいじゃないのにね。いつもありがとう、お疲れ様。私はアドラーに毛布をかけると、浮遊でドアまで行く。
『探検の始まりだ! ドアに鍵はかかってないみたいだよ』
外の世界に興奮が隠し切れないユラン。そんなユランにつれられて、私も高揚しながらドアから外の様子を窺うと…
『いないね…今がチャンスだ』
ユランの言う通り、部屋の外の廊下には人の気配がなかった。これならば安心して探索できるかと思われたが、廊下は冷たく部屋の中の暖気が湯気となって外へと出ていく。私は身震いをした。これは冷えるな…
『あれ? ヴィって魔力耐性なかったっけ?』
ユランが不思議そうに私に問う。魔力耐性という言葉に私は首を傾げる。魔法スキルを解放されたっきりだが…
『そうそれ。魔法スキルは魔法を使えるようになるとともに、魔力に耐性もつくんだよ。だから、ヴィが言ってたストーカーの視線ってやつも、そのスキルを会得してから泣かなくなったでしょ?』
ユランの言葉に私はなるほど…と頷いた。あのねっとりとした視線も魔法によるものなのか…。
『そっ。この雪は魔法で形成されたものだから、ヴィにとっては寒くないはずだよ。ヴィは感受性が豊かだから寒いって思っているだけでさ』
ふーん、この雪魔法だったのか。と、あまり開けていてはアドラーが風邪を引いてしまいそうだったのでそっとドアを閉める。
『どう? 寒い?』
ユランの言葉に私は分からないと答えた。言われてみればそこまで寒くないような気もするし、寒いような気もする。私の答えに呆れたようにユランは笑った。
『ヴィは鈍感だなぁ』
うるさいやい!ま、外に出れたのにいつまでもここに居続けるのもあれなので、私は取り合えず左へ行くことにした。
『ヴィは兵士の訓練を見に行きたいんでしょ? それなら右から行く方が近いよ』
すぐにユランから方向転換を言われ、私はくるっと右の通路を行く。しかし、私がいたところはやけに閉鎖的だなと思う。私の部屋まで一本道で、廊下は窓もなく石のような素材で上部に作られていた。
『ヴィの命は灯寸前だったからね。ダミーの部屋まであるくらいだから、ただの王族の赤ん坊にここまでしないよ』
王族に産まれた時点で普通ではないでしょ。だがユランの含みのある言い方が気になり、私は尋ねた。私はただの王族の赤ん坊ではないのか、と。
『他の兄弟の時はここまでしなかったよ。でもヴィは特別。なんででしょっ?』
もったいつけたようにここで言葉を切るユラン。なんだ…?私が転生者だからか…と頭を捻ると、ふとここに連れて来られた時の中年の言葉が頭を浮かんだ。確か…最後の生贄…と言っていた気がする。すると、ユランが正解と言った。
『そうそう、それだよ。最後の生贄…といっても最初で最後の生贄って言う方が正しいかな。それがヴィなんだよ』
意地悪そうに笑うユランだったが、意外にも私は落ち着いていた。ふーん、私生贄にされるために生かされているのか…と特になんの感情も出てこなかった。対照的に慌てたのはユランだった。
『え、それだけ? ヴィ、生贄にされるんだよ。生贄ってわかる?? 人身御供のこと。ヴィには難しい言葉だったかな…つまり、ヴィの嫌がってた殺されちゃうってことだよ。これは国で決められたことだから、あの乳母も兵士も何もできない。というか、もしかしたら率先して君を殺しに来るかもしれない。それでもそんなに落ち着いてられるの?』
生贄の意味くらい分かるよ…その発言でユランが私を馬鹿にしているのはよく分かったぞ。しかし、ユランは私がなぜこんなに落ち着いているのか分からないようだった。私はふんっと鼻を鳴らした。簡単な話、生贄にされる前にどうにかすればいいのだ。幸いにも私は魔法が使えるし、それにユランも助けてくれるからね。
『……最初から僕ちゃんをあてにしないでよ。はいはい、降参降参。ヴィは本当僕ちゃんがいないとすぐ死んじゃうんだから』
何故か不服そうにため息をつくユラン。私はハハッと笑っておいた。ここ最近のユランは、こうやって私を脅かすような言い方をする。それは決まって、シシリーやアドラーのことを気遣った時に必ず言ってくるのだ。まるで、執着心が芽生えた子供のよう。だが、何故その矛先が私に向かうのかが分からない…元々ユランは便利辞書が自我を持ったものだし、私が親みたいなものなのか…?
『でも、僕ちゃん嘘は言ってないからね。あの乳母も兵士も心の底では君を鬱陶しがっているかもしれないでしょ』
しかし、彼の言うことももっともなのだ。シシリーもアドラーも自らの業務を全うしているだけで、実際に父親の名のもとに私を処刑する…となった場合、すんなりと私を差し出すこともあるのだ。ふと、その光景が頭を過り、チクリと胸が痛んだ。
『……嘘だよ』
すると、ユランが小さな声で私にそう言った。もごもごと聞きづらい声だが、彼は言葉を続けた。
『あの乳母も兵士も…ヴィのこと好いているよ。だからそんな顔しないでヴィ…ごめんなさい…』
彼には私の顔が見えているのかという疑問が過ったが、私はいいよ許したと返した。弱気になったユランは、なんだか少し歳の離れた弟と重なった。それでもしゅんっとなったユランの気を逸らすために私は少しスピードを上げた。廊下の終わりが見えてきて、その先にあったのは…
「あっ!! 見てユラン。外に出たよ!!」
そこは景色が一望できる場所だった。さらにここから先に進むと、手すりなどのない少し危うい渡り廊下で、そしてその廊下は綺麗な装飾が施されている建物へと続いている。つまり、私がいるところは離れということだ。
『ほんとだ…外ってこんなに広いんだね。知識としてはあるけど見たのは初めてだよ』
建物の位置を確認していた私とは違い、ユランは外の景色を堪能していたようだ。ユランの言葉に私は景色へと視線を戻した。石造りのこの建物の近くには森があり、今が寒くなかったらこの景色は一面緑で覆いつくされていることだろう。だが今は、白く銀色に染まった世界だ。緑色の葉が白のカーテンから見え隠れしており、その自らを主張できない様子に思わず笑みが零れる。まるで赤子の体で自由が取れない私のようだと感傷的になる。
「ん?」
ひらひらと舞う雪が顔にかかり、今更ながら私は全く寒さを感じていないことに気づく。どうやらユランの言う魔力耐性のおかげのようだ。次に私は渡り廊下を見た。渡るのは簡単なのだろうが…こんな開けたところで赤ん坊が浮遊していて、騒ぎにならないだろうか?
『この周辺は誰も通りたがらないし、本邸からここは見えないようになっているから心配ないよ』
景色を堪能しきったユランがそう私に教える。どうやら復活したようだ。私は安心して、ふわふわと浮きながら、本邸へと続く道を進んだのだ。さぁ!私の異世界ライフの一歩目が今始まろうとしている!!