再度狙われる命と王の帰還
視線を感じる。私がそれに気付いたのは、ある朝のことだった。最初その視線は数秒で消えていたため、過激派な私のファンが癒しを求めて私を見に来たのか…とか呑気に思っていた。しかし、その日から数秒だったのが常に誰かに監視されるようになり、しかもその視線は段々何かの隙を伺っているかのようだった。ここでようやく、私はこれがただの過激なファンとかではなく、私の命を狙う刺客だと言うことに気づくのだ。危機感能力が無さすぎて、自分に平手打ちしたいレベルだ…。相手の目的も狙いも分からず、私はイライラが募る。それを聞きたいのだが、肝心の彼はあの時からへそを曲げたままウンともスンとも言わない。その根に持つ感じは、まるで前世の弟を相手するかのよう。こっちのご機嫌取りはあとにするとして、問題はこの視線だ。こう四六時中見られていては落ち着かない。こちらとらストレスを与えたらすぐ死ぬ赤ん坊だぞ!甘やかすことはあっても、わざとストレスを与えるようなことをするな!!ここ一番の苛立ちから手足をバタバタとさせる。
「…あら…最近、やけに落ち着きがないわ。どうされたのかしら?」
私のこの不機嫌っぷりはシシリーにも伝わるほどだった。そうなんだよシシリー、落ち着かないんだよ。そろそろストレスで死んじゃいそうだから、どうにかしてよぉ…。と愚図ってみるが、シシリーはひょいっと私を抱きかかえていつものようにあやすだけ。不服だ…普段の私は良い子なのに…あの視線のせいで私は良い子ではいられなくなる。
「あらあら…どうされたんですかエルヴィ姫様。もうすぐお父様が帰ってこられますよぉ」
父親が帰ろうがどうしようがこの現状が変わるとは思えない。私は不満からさらに大きな声で泣いてしまう。ごめんよシシリーが悪いわけじゃないんだ。全てはあのねっとりした視線を送るストーカーのせいだ。
「日に日に泣く回数が多くなっていらっしゃる…。普段はご機嫌な方なのに…まさか病気とか…」
顔を真っ青にしながら、泣きじゃくる私の額を触るシシリー。違うよ病気じゃないよ。ただこの視線が不快で不快で仕方がないだけだよ。あーまた感じる…もう鬱陶しい!!
「あ、また…姫様…! どこか痛いのでしょうか…原因が分からないと私の魔法も役には立ちませんし……お医者様を呼ぶべきかしら…」
慌てるシシリーが部屋の隅に行ったところで、視線は消え、同時に不快な思いも消えていく。私はようやく泣き止み、心配そうなシシリーからミルクをもらいそれを飲み干す。そして寝る、不快な視線を感じて起床、そして泣く…これを繰り返していた。
「もう我慢がならん!」
もうそろそろ睡眠不足に陥り、体調面に問題が現れそうだったため、私はその視線の正体を探ることに決めた。とは言っても、彼は相変わらずウンともスンとも言わないため、どのようにして動けばいいのか…という考えから始まる。こうしている間にも、不快な気配は近づいてくる。そうなれば、また泣きじゃくる悪循環ループの始まりだ。…どうする…どうしようか…考えても考えてもいい考えは浮かばない。…私、便利辞書がないと本当にただの話が分かるだけの赤ん坊じゃん…。とまぁ、ネガティブな考えも頭もよぎる。不快な気配も近づき、私はもう慣れそうで慣れないゾワッとした視線を受ける覚悟をした。…あぁ、こんなことなら早めに彼にご機嫌取りをしておくんだった…と多少なりとも後悔の念を感じながら…
――――――――――
「えっ!?」
何やら奇妙な感覚に思わず目を開ける。すると、私は見覚えのある構造の部屋にいた。その部屋は私の部屋よりも大きく、また豪華な装飾品で埋め尽くされていた。私がくるっと自分の体を見ると気のせいではなく浮いている。…どうやらへそを曲げていた彼だが、こちらの様子は気にかけてくれていたようだ。素直じゃない奴め…とか思うと元に戻されそうなので、思考をこの部屋に戻そう。私はあたりを見渡した。さて、このタイミングで夢渡りが発動されたということは、あの視線の正体に繋がる誰かの部屋ということだろう。しかし、この部屋のつくりにはやけに見覚えがあるな…最近訪れたような…
「…それで例の子はどうなったの?」
突然始まった会話。私は思考を止めてそちらに注目した。その声の主に近づくと、その主は従者と思われる仮面の奴に問いかけているようだった。
「…赤子にしては精神が強いようでして…身体の不調はないようです。そろそろ医者を呼ぶようなことを言っておりましたが…」
「まだ殺せていないの? あなた、一体何をしていたの!?」
赤子…その単語が出た瞬間に、私はこの人たちが自分の話をしているのだと知った。こいつらか…私の安眠と健康を邪魔する輩は…!!従者は顔が見えないため、声だけで辛うじて男だと分かる程度。ただ、もう一人の女は、初対面だというのに私は何故か見覚えがあった。派手目な化粧に紫色の瞳…そして金色の髪…なんだ…この部屋の構造と同様…どっかで見たような……?
「…それが中々勘の鋭い赤子でして…私が部屋に近づこうものなら泣き始めて、乳母を呼ぶのです。そのため中々手を出せずにいまして…」
「この役立たずが! 早くしないとあの方がご帰還になるだろう! そうなってしまえば、お前如きが天井を這うことすらできなくなる。今なのよ…あの女の赤子を殺すには…!! さっさとその毒を使いなさい!! その液を一滴でも身体に浴びれば、赤子なら即死だろう!! 運よく生き延びたとしても、お前が医者として紛れ込み、治療をしている隙に殺せばいい」
こんなに超絶可愛い赤ちゃんを殺そうとするなよ!しかし、散々な嫌われようだ。私、そんなに嫌われるようなことをしたか…そう思いながらふと小さな窓の外を見て、そして気づく。
「あっ!? ここ、もしかして終末の塔…!」
外にはあの時と同じく建物がもう一つ見えた。さらに思い出したぞこの女!どっかで見た顔だと思ったら、あの高飛車な姉と瞳の色、髪の色、派手な出で立ち…上から下まで似ているんだ。つまり、私がここに連れてこられた日に不倫がバレた王妃…それがこの女の正体だ。
「あいつが産まれたせいで…ヨセフは処刑された。緑色の瞳を持つ男児なのに…あの子が一番後継者に近かったのに……あの忌み子のせいで…!」
いや、私が産まれたからじゃなくてあんたが大臣と不倫したからだよ。処刑されたヨセフ兄は気の毒だけど、王妃の私への責任転嫁が酷すぎる。完全な逆恨みだ。
「いつでもあの部屋に転移できるように、最初から仕掛けはしてあるでしょう。赤ん坊が寝ている間にでも転移して毒を浴びせなさい…いいわね!!」
それだけ言うと王妃は強引に扉を閉めた。そして憎悪のこもった声で叫んだ。自分が閉めたドアを何度も何度も叩く。自分の拳が赤くなることなど気に留めもしないその姿に私は身震いをしてしまう。
「必ず…必ずあの赤ん坊を殺せ! 陛下と同じ両目に緑の光を灯し、夜空から祝福を受けた銀の髪色の赤ん坊を!! 殺すんだ!!」
――――――――――
目を開けた時には、全身汗まみれだった。初めて向けられた殺意を実感し、私の呼吸は荒くなっていた。人から向けられる殺意がこれほどまでに重く…そして恐ろしいものだということに気づいた瞬間だった。
「姫様…よかった…目を覚まされて…」
心配したシシリーが私の顔を覗き込み、私の頭を撫でる。シシリーの顔を見てホッとしながらも、嫌な気配が近づいてくるのが分かり、私は悟った。何かしらの行動をしなければ…私は今日中にでも殺される…と。
「姫様…やはりお医者様を呼んで参りましょう。どこか悪くないにしても一度診てもらわなければ…」
シシリーの言葉に私は早速慌てた。医者はダメだ…あの仮面男が来る!!じゃあ、どうするか…。私は意を決し、体中に力を込めた。ダメ元でもやってみるしかない…!!
「…え…ひ、姫様!?」
シシリーが急に体が浮いた私に驚いた声を挙げ、慌てて私を掴もうとする。が、その前に私がシシリーの身長より高く浮かんだため、その腕は宙を切る。
「姫様に魔法の才が…! まさか最近落ち着きがなかったのはこれだったのですか!?」
シシリーが良いように勘違いをしてくれたので、ここで私はゆっくりと下に落ちていく。シシリーが慌てた様子で私の元へ行き、上手にキャッチ。…あー…疲れた…なんで夢渡りではあんなに自由に浮けるのに現実だとこうも疲れるのか…。ウトウトと閉じそうになる瞼を必死で開けていると、不意に頭の中で声が響く。
『特典である浮遊の限界突破を確認。よって、新たに魔法のスキルを開放』
おっ…本当に魔法の才能が開花したぞ!!魔法スキルということはとうとう私も魔法が使えるようになったんだと喜びに溢れる。すると、そんな私をシシリーが笑顔で見つめているのに気付いた。
「やはり姫様は神々がお与えになった御子なのですね。そんな御子様の乳母となれたこと…心より嬉しく思います」
よせやい照れちゃうぜ。シシリーの言う通り、本当に神々が与えた御子なのかは知る由がないことだが、褒められるのが元来好きな私はすごく調子に乗ってしまった。だが、そんな調子者の私でも忘れてはいない。魔法スキルを得たからと言って、脅威が去ったわけでないのだ。だが、私は運がいい。なにせ、このスキルを得たおかげで、私はこの部屋に仕掛けられた罠に気づくことができたからだ。
「あらあら。すっかり元気を取り戻されましたわね」
シシリーは私がニコッと笑うと、すんなりと私を絨毯の上に降ろしてくれる。嫌な視線は感じたが、私は泣き出すことなく、とある場所へ一直線に向かった。
「姫様? そのような汚いところ…」
私が向かったところは自分が先程まで寝ていたベッドの真下だった。嫌な感覚がここに集中していたため、覗き込むと……何かベッドに張り付けられている。…何これ? それに手を伸ばして取ると、案外それは簡単に剥がせた。それは何やら印がついた札のようなものだった。星の図形のような形に見えるが、先が消えており歪な形をしている。私が手にしたものを見てシシリーが声を上げる。
「……それは…!」
これが転移の仕掛けだろうか?よりにもよって、私が寝るところに仕掛けて…!!ここ最近のストレスがその札に込められているような気がし、私はそれを勢いよく破った。札は一瞬光ったように見えたが、ひらひらと床に落ちていく。あーすっきりした。
「ひ、姫様…」
シシリーが私の顔とその札を交互に見て、目を見開いた。え…これ破っちゃいけなかった?? シシリーか私の両手を調べて、バッとドアの方を振り向く。
「アドラー様!」
シシリーがいきなり見知らぬ男の名前を口にすると、ドアからいきなり男が入ってきた。私は驚いて悲鳴を上げる。誰この男……ってこの間の騒動でシシリーを守ってくれた人じゃん。びっくりさせないでよ…こっちは小さな心臓を持っているんだから。
「シシリー殿、姫様に何か? ……これは…!?」
どうやら姿を見ないと思っていた男は、私の部屋の警備をしてくれていたようだ。いやぁ、ありがとね。と呑気に感謝を唱えていた私の足元に散らばった札を見て血相を変えるアドラー。あ、やっぱり危ないものなのねこれ。
「直ちに部屋を移動させましょう!」
その後の2人の動きは早かった。私がポカンとしている間に、アドラーはまとめてあった荷物を持ち、シシリーは私を抱きかかえた。
「姫様…申し訳ありません。少し眠っていてくださいね」
そして、シシリーの額にキスを受けた私は、ウトウトと眠くなったかと思うと自然と瞼が閉じてしまったのだった。
――――――――――
「暗殺に失敗した!?」
さぁ、本日二度目の夢渡り。王妃の罵る声を聞きながら、私は目を開いた。渡った場所も同じ場所で、叫んでいる人も報告している人も同じだった。私は上手く事が運んだことに安堵しつつ、彼らの近くに腰を下ろす。しっかし、母親とは違い物がいっぱいあるなぁ。
「一体何をしているの! 暗殺が得意だから雇ったのに、役に立たないじゃない!!」
ヒステリックに手当たり次第に物を投げつける王妃。仮面の男はそれを避けようともせず、投げつけられた花瓶が額に直撃し仮面が地面に落ちる。私は思わず声を上げた。仮面に隠されたその顔には見覚えがあったからだ。その顔は敵兵に受けた傷と毒で死の境を彷徨ったものの、シシリーのおかげで数日で回復を遂げたはずの兵士…
「アドラーの弟だ!?」
私を殺そうとしていたのはこいつだったのか…と思うとともに、アドラーの顔も過る。まさかアドラーも…。嫌な考えが頭を過っていると、弟の額から血が垂れて床に落ちる。それがあの時の血の水たまりと重なり、私は顔をしかめた。そして、王妃と共に私も彼に野次を飛ばす。
「お前の兄の命を救ったのは私だぞこら!」
恩を仇で返すとはまさにこのことだ。しかし、王妃の怒りは私の怒りを超えていた。花瓶が当たったと分かると、次々に固い物を投げ始めたからだ。
「私の子供が死んでいて、あの女の子供が生きているなんてありますか!! あの忌み子が死んだら今度は他の子供だっていうのに…! 役立たずっ!」
もうアドラーの弟は王妃にされるがまま。…いや、もうここまで手が付けられないなら避けるなり逃げるなりすればいいのに…。弟は眉一つ動かさずに、王妃の癇癪を受け止めていた。まるで何でもないというようなその姿に私は恐怖すら覚えるほどだった。
「…もういいわ! 出ていきなさい!」
とうとう王妃の方が根負けをし、弟を部屋から追い出す。さて、ここからこの王妃が私の暗殺にどう動くのかが問題だ…王妃のその後の動きを伺おうとしたところで、私は体引っ張られるのを感じた。
「……え…まさかそっちと繋がっていたの??」
どうやら今回の夢渡りはアドラーの弟と繋がっていたようで、私は塔の階段を弟と下り始めた。王妃の部屋を後ろ髪を引かれる思いで振り返るが、まぁ仕方がないか…この弟も気になるし!!
「ラーミア様…お怪我を…!」
弟はラーミアというらしい。彼の部下らしき男が現れ、ラーミアの顔見て慌てたようにハンカチを差し出す。しかし、ラーミアはそれを手で制し、部下に視線を送った。
「……それで報告は?」
「はっ…例の赤子は依然乳母の元に。その部屋をアドラー様が警護されているようでして…隙が全くありません」
ラーミアが私の暗殺に加担していることはこれではっきりとした。部下と共に顔と名前はしっかりと覚えたぞ。ラーミアの少し後ろを歩く部下は大きくため息を零した。
「…しかし、あの方様にも困ったものです。あの方は第一王子陣営の中枢を担われる予定だった方なのに…突如それを辞任され…しかも例の赤子側に付かれるだなんて…」
お…つまりアドラーは私側ということでいいのか。これは誰を信用するかによって私の寿命は変わるな…。とりあえず、今のところ信用できるのは、シシリーとアドラーということになる。
「…あまりの実直さゆえに昇任に興味のない方だが、その腕は確かだ。一度警戒心を持たれたならば、もう例の子に手を出すことは叶わんだろう。まったく…兄上を味方につけるとは運のいい赤子だ」
暗殺を失敗したというのに、何故か全然残念そうではないラーミア。というか、どちらかというと興味がなさそうだ。私の暗殺はあくまでも王妃からのビジネスだったという事だろうか…?そんなラーミアの様子に部下は尋ねた。
「…彼女は諦めるでしょうか?」
「さぁな。だが、仕掛けを施した部屋に誘導するために、娘を使う女だ。あれはどのような方法を使ってでも赤子を殺すだろうな」
その言葉に、突如部屋を訪れた姉…アイリアの姿を思い浮かべる。あれも王妃の仕掛けた罠だったということか。しかし、本当にドロドロとしたところだとつくづく思う。母親が嘆き悲しむのもよくわかる。今後ここで生きねばならないのかと思うと、気持ちが沈んでしまうな。しかし、私は意地でも生きてやろうと拳を握りしめた。こんなに可愛い赤ん坊が死んでしまうなんて、世界の損失だからね。
「…誰だ」
ラーミアの低く静かな声に、私はビクッと体を震わせた。顔を上げるとラーミアの視線と合い、私は顔を強張らせた。え…なに私が見えてんの…?ラーミアが私に手を伸ばす。部下の男は状況がつかめていないようで、動揺したように視線を動かした。
「…いつからそこにいた? 誰の手先だ答えろ…」
嫌な気配がラーミアの伸ばした手の中に集まる…攻撃されると私は肌で感じ取り、思わず顔を手で覆った。攻撃の光が私を包む前、久しぶりの彼の声が聞こえた気がした。
『攻撃されてるぞ! 気を付けろ!!』
いや、今まさに攻撃されている最中なんだって!!
――――――――――
ハッと目を開ける。夢渡り後に体中汗まみれになったのはこれで何回目だろうか…私は大きく息を吐いた。あの白い光は攻撃魔法だったのだろうが、体は痛くも何ともない。攻撃を受ける前に戻って来れたらしく、再度大きく息を吐く。命拾いした…そう胸を撫で下ろそうとしたときだ…
『避けろ!!』
その声が聞こえ、私はその声がした方向に体をよじった。え?なに…
「…本当に勘のいい子のようね…」
意識外から声が聞こえたかと思うと、私がいた部分が紫色に焦げているのが分かった。恐る恐るその声の主を見ると…先程夢渡りのとき見たばかりの王妃ではないか。嘘!?さっきのさっきでもう殺しに来るの!?
「でも、もう逃げ場はないわよ。さようなら」
今度は私が逃げないようにもう片方の手で私を掴み、再度私に小瓶の中身をかけようとする王妃。赤ちゃんの体で大人の腕を振り払うことができるはずもなく…大きな悲鳴が自分の口から零れる。シシリー!アドラー!毒が瓶の淵から離れて私へと落ちてくる。もうダメだ…もう誰でもいいから助けてぇ!!!
「……な、何故……」
しかしいつまでたっても毒の痛みが来ず、私はうっすらと目を開けた。私の目の前には大きな掌があった。
「…何故? それはこちらが聞くことだ。貴様が塔から出ることを許可した覚えはないのだが、何故貴様はここにいる?」
体中の毛が逆立つような冷たい声。私は顔を少し動かした…すると、私を助けてくれたのは意外な人物だと知る。部屋の扉からはシシリーを始め、中年やアドラーたちも急いで入ってきた。
「姫様!!」
シシリーが涙いっぱいの瞳で私の元へ駆けつける。そして、私に怪我一つないことを確かめると抱きしめ、王妃から距離を置くように離れた。離れるとき、父親の手の甲にできた火傷のようになっている紫色の傷が目に入った。
「…へ、陛下……私は……」
「もうよい。貴様の送り先は決まっている。息子や大臣のようにその首を飛ばされぬこと、幸運に思うがいい」
父親はよほど怖い顔をしていたのだろう、王妃は恐怖で口も利けず、ガタガタと体を震わせた。そして、兵士たちによって部屋の外へと連れ出された。その間、私はというと…
「姫様…もう怖いことはありませんよ」
今までにないくらい大声で泣いていた。もうシシリーの声もろくに聞こえないくらいの大泣き。もうこうなってしまったらコントロール不可能だ。死ぬ寸前だったんだから泣かせてくれ…と思うが、私の脅威はまだ完全に去ったわけではない。この父親だ。何の気まぐれで私を助けたのか知らないが、泣き止まない私を煩わしいと思うに違いない。悪ければすぐにでも、その腰に刺さった剣で切り捨てられるかもしれない…。だが、泣き止もうと思っても、その父親に対する不安が増大してさらに泣いてしまう始末。なんとなくこれは長丁場になりそうだと感じる。…こういう時はなにか気を引くような音の出る玩具があるといいのだが…
カランッ
ん?突然目の前で鳴らされた音に、私の泣く声が止まった。涙でぼやける視界をはっきりさせようと瞬きすると、それはでんでん太鼓だった。私が知っているものよりも簡素な作りで、色もとくに付けられていないのだが、それをくるくると回すと軽い音が耳に入ってくる。しばらくその音に夢中になっていた私だったが、それを持っている人物が誰か気づき心底驚きの声を上げた。
「…本当にこれで泣き止むのだな」
それを鳴らしていたのは父親だった。何故このようなもので泣き止むのか分からないようで、不思議そうな顔をして玩具を見ていた。その玩具を持つ姿の似合わないこと。…え、何?何しているの?
「ええ。赤ちゃんというものは新しいものに興味津々なのですよ」
シシリーが父親にそう言うと、そんなものかと呟く父親。そして、私を見た。
「俺の娘だというのに安い女だ」
おっと、急に父性が産まれたのかと思えば、悪口か?そろそろ寛容な私も怒っちゃうからね。だが、私は父親が音を鳴らせば夢中になる赤ちゃん。何度も鳴る玩具に笑い声を上げる。すると…
「こんなもので嬉しいのか?」
フッと笑みが零れたではないか。え、怖いんだけど…まさか本当に5度目の正直で父性が生まれたの…?
「陛下! お傷が…治療をせねば跡が残ります」
そういえば、父親の手の甲には私から庇った時にできた傷があるのを思い出す。え、しかもそれ毒じゃない?大丈夫?
「よい。跡など残しておけ」
だが、父親は気にする様子もなく、シシリーから私を受け取ると頬をそっと撫でた。
「今は貴様のための時間だからな。多忙な王の時を使ってやるのだから光栄に思うがいい」
わ…私の父親の顔が良すぎる。私はあまりの眩しさに目を細めた。え、何この溺愛っぷり…私なんかしたっけ??態度変わり過ぎじゃない?すると、呆れたようなため息が聞こえ、声が教えてくれる。
『したんだよ。今まで幼子に笑顔を向けられるどころか、愛情すら向けられなかった人だからね。他の兄弟には名前すら与えなかった男だ。君に名前を与えた時点で特別ってことだよ』
あっ!久しぶり!もう口を利いてもらえないかと思ったよ。さっきは教えてくれてありがとね。おかげ様で生き延びることができたよ。声がないと本当に不便だった数日を思い浮かべ、私がそう早口に伝えると、
『僕ちゃんがいない君は本当にハラハラするから、仕方なくだよ』
と答える声。私はその通りだなと苦笑しながら、目の前で鳴らされるでんでん太鼓を見る。父親はここ最近の私の目まぐるしい発達を聞いて、何かを考えているようだ。私は彼の服を引っ張った。そろそろ眠くなってきたのだ。
「どうした」
私はわざとらしく大きな欠伸をして眠いことをアピールする。そして、あのベッドではなく、安全なところへ私を下ろしてくれほしいと思いながら口を開いた。
「と…と…」
ピタッとその場にいた人たちの動きが止まる。…え…何よ…?