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ドールマンサー伊織  作者: 直井 倖之進
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前章 『八朔に訪れし女性の名は、保純』③

 静寂に包まれる室内で、(おもむろ)に伊織が口を開いた。

「では、これより、降霊施術を開始します。先ず、渋沢様のご主人の御霊に入っていただく(うつわ)を、葵、朱音のいずれかよりお選びください。……葵、朱音。前へ」

「はい!」

「……」

 張り切っている朱音と、「煩わしい」との感を滲み出させている葵。

 対照的な二体の人形が、伊織の前へと歩み出る。

 彼女たちは、依頼主のほうへと体を向けて直立した。

 双方の顔をまじまじと見つめながら、保純が口を開いた。

「選ぶとおっしゃっても、所詮は人形なんだし、どちらでも同じでしょう?」

 伊織は、小さく首を横にふった。

「いいえ。それが、恥ずかしながら、朱音は生命を得てから日が浅いということもあり、御霊をお迎えする器が小さいのです。そこに上手く降霊するというのは、大変難しく……」

「つまり、失敗することもある、と?」

「左様で。その代わり、朱音をお選びいただければ、廉価にて承りますが」

「それって失敗してもお金は取られるんでしょう? そんな博打、打つわけがないじゃない。葵って人形にして」

 強い口調で、保純はそう言い放った。

「承知しました」

 伊織が返事をする。

 すると、彼の左前に立つ朱音が、肩を落とした様子で回れ右をした。

 そして、彼女は、

「私、また選んでいただけませんでした。……ダメダメです」

 と、憂いを含んだ自虐とも取れる笑みを浮かべた。

「仕方ありませんよ。次に期待するとしましょう」

 優しく伊織が微笑み返す。

 こくりと小さく頷くと、朱音は、すごすごと彼の隣へと引っ込んだ。

「ご指名、承知しました。器は、葵にいたします。では、次に、降霊に際しての注意を三つ申し上げます。いずれも大事なことですので、よくお聞きください。ひとつは、降霊制限についてです。私が降霊できるのは、既に亡くなった方、若しくは、一両日中に死が決定づけられている方に限ります。渋沢様のご主人は、そのどちらかに当てはまるということでよろしいですね?」

 この伊織の問いに、保純は、「夫が三か月前に他界したことは、玄関で加納さんが話したはずなのに……」と思ったが、恐らくは形式的な確認なのだろうと判断し、

「はい」

 と返事をした。

「では、二つ目です。降霊時、ご主人のお言葉は、お二人にも聞いていただくことができるのですが、こちらからは、私の声しか伝えることができません。そのため、ご主人へのお話しかけは、私を通じてお願いいたします」

「分かりました」

「それでは、最後です。個人情報の保護が叫ばれる昨今の現状を鑑み、例えば、御霊がご依頼主の不利益となる情報を私にお伝えになろうとした場合など、ご依頼主の判断により、いつでも降霊施術を中止することができるようになっております。しかしながら、それは、御霊にとっては大変不本意な交信終了という形になりますので、今後、同一人物の降霊は不可能となります。その旨、十分ご承知の上、お申し付けください」

「了解しました」

「私からは以上です。何かご質問は?」

「いいえ」

 保純が横に首をふったのを確認し、伊織は葵に告げた。

「さて、始めますよ」

「はいはい、さっさとすませましょう」

 溜め息と一緒にそう返事をすると、葵は瞳を閉じた。

 それから、深く息を吸い込み、ゆっくりとはき出す。

 時にして数秒ののち、人形特有の黒眼の大きな瞳が再び開かれた。

 だが、それを最後に、葵はぴたりとその動きを止めた。

「器の準備が整いました。渋沢様のご主人の御霊、お迎えいたします」

 瞬きも忘れて動向を注視している保純と加納にそう伝えると、伊織は、天井を見上げて両の手を高々と掲げた。

 僅かの間もなく、左右の手の間にある空間が、青く淡く、輝きを放ち始める。

「御霊が降りてこられました。これより、器へとお招きいたします」

 声とともに、伊織はゆっくりと両手を降ろし始めた。

 青い光も、一緒になって降りてきている。

 彼は、少しずつ両手を降ろし続けた。

 やがて、その手が、葵の頭上へと近づく。青い光は、住処を見つけたヤドカリのように、自らじわりじわりとその体の中へと入り始めた。

 数十秒後。青い光が完全に消える。

 すると、全てが入り終えた知らせか、葵の体が一度びくりと震えた。

「お、終わったの?」

 そう保純が問う。

「はい。渋沢様のご主人、降霊なさいま……」

 伊織が答え終わらぬ内に、葵が口を開いた。

「……誰か、誰かいるのか?」

 それは、先ほどまでの葵の声ではなく、結構な老齢の男性の声だった。

 すかさず、伊織が、葵の背中に手を当てて応答する。

「はい、おります。あの、私、伊織と申しますが、渋沢様でいらっしゃいますか?」

「あぁ、そうだ。あ、いや、そんなことより、何故、私は生者と会話ができているんだ? 伊織さんと言ったか、あんたは生きているんだろう?」

「はい。生きております。会話ができているのは、私が、渋沢様の御霊をお迎えしたからです」

 伊織は、台詞を諳んじるかのようにすらりと答えた。降霊術師によって降ろされた霊は、十中八九、この質問をしてくるからだ。

「そうか。やはり、今、私は、生者と会話をしているのか。命あった七十五年、死者と生者を繋ぐ術など信じることはなかったが、まさか、死後に自分が霊体験をするとは」

「貴重な体験でございましょう?」

「あぁ、そうだな。何だか不思議な感覚だ。……ところで、あんた、何かわけがあって私を呼んだんじゃないのか? あんたのお陰でできるようになった久方ぶりの会話だ。話したいことがあるなら何でも聞くぞ」

「そうですか。ありがとうございます。実は、現在こちらに……」

 伊織がそこまで言いかけたところで、突然、保純が叫んだ。

「私の名前は、伏せてください!」

 ご訪問、ありがとうございました。

 次回更新は、3月11日(土)を予定しています。

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