尻尾の先くらいなら……。
「村人が行方不明?」
「ええ、今朝がた狩りに出掛けたのですが、この時間まで戻って来ていないようでしてな……」
真昼の広場で、アーレンハイトが見守る中。
オメガがツルから汁を絞ったジュースをダークエルフやエルフ軍に振舞っていると、難しい顔をした長老がやって来てそう言った。
長老の言葉に、オメガがツルを絞るのをやめて腕を組む。
「どこに行ったんだ?」
「昨日の植物とやらが気になりましたので、狩りがてら見てくるように、とは言ったのですが」
「単に時間が掛かってるだけじゃねーの?」
「それはないな。ダークエルフは移動に長けた魔術を全員が行使出来る。単体でしか使用出来ないが、湖からこの辺りまでは半刻も掛からん」
アーレンハイトの側にいたカルミナが否定し、オメガが、へー、と呟いた。
「そうなのか?」
「ああ。本当に移動だけの魔術だが、速度は折り紙つきだ」
「あの植物が目覚めたのか?」
「どうだろうな……む?」
突然、カルミナが顔を上げて、ホーコー山を見た。
少し遅れて、アーレンハイトも気付く。
「どうした?」
オメガが首を傾げるのに、アーレンハイトは自分の血の気が引くのを感じながら言った。
「巨大な……闇の精霊の気配が……!」
「まさか、魔獣が目覚めたのか―――?」
「なんじゃと!」
カルミナが唸るように口にした言葉に長老が顔色を変えた時、山が鳴動した。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……と重たい音と共に、山の脆い表層が崩落するパキパキと軽い音も聞こえる。
ダークエルフの里にいる者たちが呆然と山を見守る中、それは突如山頂の暗雲を払って姿を現した。
ひび割れたような、あるいは血管のような筋の内側で脈動する赤黒い光を宿す胸元。
闇そのものであるかの如き、漆黒の表皮。
山を巻き込むほどに、長大な尾を波打たせ。
眼球のない、深紅の瞳で眼下を平睨したそれは、凶悪な爪を持つ足で山を踏みしめ、同様に鋭い指先を持つ両腕を広げて、空を仰ぎ。
家屋すら一呑みに出来そうな程に裂けた、牙の並ぶ口を大きく開けて咆哮した。
「あれはまさか……」
ビリビリと大気を震わせ、本能的に身をすくませる叫びを聞きながら、アーレンハイトは言葉を漏らす。
「あれが魔獣か? すげーエネルギー反応だな」
のほほんと額に手を当ててそれを眺めるオメガに、カルミナが首を横に振る。
「いや、そんな生易しいものではない……」
「まさか伝説の魔獣の正体が、かの存在であろうとは……」
「知ってんの?」
長老までもが呻くのに、オメガは問い掛けると、アーレンハイトは答えた。
「あれは、精霊です」
「精霊? ……なんか想像と違うな」
「勿論、ただの精霊ではありません。あれは世界の根源たる精霊の一柱……」
アーレンハイトの国の守護精霊である《光と創造の精霊》と対を成す、世界最強の存在。
そして、カルミナが契約によって力の一部を預けられた相手、そのものだ。
「―――《闇と破壊の精霊》ドラグォラ、です」
暗雲すらも、ただ座すだけで吹き払う強大な存在の名前を告げるアーレンハイトに、オメガは小指で耳を掻きながら改めてドラグォラを見やった。
ドラグォラは長い咆哮を終えて顔を戻すと、こちらに視線を向けている。
見られただけで足が動かなくなってしまったアーレンハイトと違い、オメガはいつもの調子だった。
「……なんか、里がやられそうだな。殺すか?」
「「なりません!」」
ドラグォラから発される威圧に竦みながらも、アーレンハイトが口にした制止と、長老のそれが重なった。
「光と、そして闇の精霊は世界の根幹たる存在ですぞ!?」
「殺せば、世界の均衡そのものが崩壊してしまいます!」
「じゃあどうすんだよ? 黙ってやられんのか?」
しかしアーレンハイト達が言い合いをしている間に、ドラグォラは不意にこちらから視線を逸らして別の方角へと姿を消した。
「あれ、どっか行ったな」
「ドラグォラ様は……どうやら湖へ向かわれたようだ」
「あのドラグォラとかいうのの行き先が分かるのか?」
「貴様は本当に敬意をどこかに置き忘れてきたようだな! 相手は神、それも私の信奉する闇と破壊の精霊だぞ!? 貴様も呼ぶ時は尊称を付けろ!」
「嫌だよ」
「く、貴様と言い合いをしている暇はない! ドラグォラ様を追うぞ!」
「え? おい!」
「カルミナ!?」
一人先駆けするカルミナに、アーレンハイトはオメガと顔を見合わせた。
「追っかけてどーすんだ、あいつ」
「分かりません。でも、ドラグォラ様が突然、山から動き出したのには何か理由があるのではないかと思いますが……」
「相手は根源の精霊……その暴威に巻き込まれれば、カルミナに抗する術はありませぬな」
「ま、とりあえず俺サマたちも追いかけるか」
「はい」
オメガの言葉に頷いて、アーレンハイトは長老を含めた三人でカルミナの後を追った。
「なー、アーレンハイト。ドラグォラの長い尻尾の先くらいなら斬って食ってもいいか?」
「ダメです」