この清涼感は、グレープフルーツ!
「なんだこりゃ?」
エルフ軍が川の跡を進んでいくと、前を歩いていたオメガが声を上げた。
アーレンハイトにも、前に、太く巨大な蔓が絡まりあって高く聳えているのが見えて目を丸くする。
ツルはまるで、壁のようにそびえていた。
オメガが、剣でそのツルを斬っている。
どすんと重い音を立てて落ちたそれを拾い上げて、オメガは首を傾げる。
「これ肉か? 見た目植物っぽいのにな」
そして躊躇いなく噛みついてもぐもぐと口を動かした。
「なんだろ、酸っぱくて苦い中にも清涼感のあるこの感じは……グレープフルーツか」
ごくんと呑んで満足げにうなずいたオメガは、ぽーんと跳躍してツル壁の上に上がった。
「水がある。どーもこいつに塞き止められてたみたいだな。しかもありゃ……」
オメガはアーレンハイトからは見えないツルの向こう側を見て一つ頷くと、次にこちらに顔を向けて笑みを見せた。
「中々面白れーもんがあるぜ! ツル、切っちまうからどけよ!」
オメガは川縁と思われる辺りまでエルフ軍が移動するのを待って、光の刃でそのツルを細切れに切り裂いてオメガ空間に収納すると、ツルの向こうに溜まっていた川の水が一斉に流れ出した。
「ッ馬鹿者! 一気にやり過ぎだ!」
カルミナが慌ててエルフ軍に術式展開を指示し、自分も魔術を行使する。
「大地よ! 隆起せよ!」
川縁が盛り上がって、洪水のように広がろうとする水の流れを遮断した。
鉄砲水のごとき勢いで流れていく川の弾けた水しぶきが掛かり、アーレンハイトは顔を両手で庇った。
「悪い悪い。無事か?」
呑気なオメガが戻ってくると、睨み付けながらカルミナが噛み付く。
「貴様はもう少しものを考えろ!」
「別に大丈夫だったんだから良いだろ。それより見ろよ」
オメガは変身を解除して、親指でツルの向こう側を指差した。
アーレンハイトはそちらを見て、思わず声を漏らす。
「あれは……?」
川が堰き止められていたからか元々なのか、そこには湖があった。
その湖の中央に、ベヒーモス並みに巨大なツルの塊が聳えている。
ツルの塊の表面にはびっしりと葉のような鱗のようなものが生えており、他にも根のように伸びたツルが湖の中にうねうねと広がっていた。
ツルの塊の最上部には花の蕾のようなものが首を垂れているのが見える。
異様な植物を目にして、カルミナが眉をひそめた。
「あんなものは見たことがない。闇の精霊力を感じるが……」
「悪いもんか?」
「そんな感じはしないな。強い力を秘めているが、休眠状態にあるようだ」
「ふーん。始末しとくか?」
「どうされます? 」
オメガとカルミナの問いかけに、アーレンハイトは首を横に振った。
「邪悪なものであればやぶさかではありませんが、ただ眠っているものを魔物らしいからと手を出すのは……」
「そうですね。下手に刺激して起こしてしまっても藪蛇ですし」
「お前らがそれで良いんならいーよ。人間に害がないなら、ツルは貰ったしな」
「だが、再び川を堰き止められても困る。……アーレンハイト様。水の精霊に働きかけて湖の地下から川の流れが湧き出るような形にする事は出来ますか?」
「多分、大丈夫ですよ」
アーレンハイトは流れが復活して喜ぶ水の精霊と湖の周囲を支える土の精霊に働きかけて、上を流れる川の他にもう一つ、地下から川へと繋がる流れを作って貰った。
「便利な力だよな」
「アーレンハイト様は世界の始まりである光の精霊に愛された方であらせられる。普通は得意とする一つの精霊以外は、あまり言うことを聞いてはくれん」
「でも、カルミナも凄いんですよ。光と対を成す闇の精霊と契約しています。数十年に一人の逸材です」
「血筋もあるでしょう。私はダークエルフですから……」
カルミナの表情が陰るのを、アーレンハイトは心配になって見つめた。
「カルミナ?」
「失礼を。先に進みましょう。ここまで来れば、ダークエルフの里はすぐそこです」
笑みを見せるカルミナがうながし、エルフ軍はツルを放置したまま先に進み始めた。
※※※
「行ったか……」
川を堰き止めていたツルの崩壊から、そちらを眺めていた一人の男がいた。
ダークエルフだ。
貧相な体にローブを纏っており、目ばかりがぎょろりと大きい。
「もう少しで完成だったというのに、邪魔されずに済んで僥倖だな。フフフ、開花は今夜だ。バイオリアが誕生すれば、里のダークエルフどもなど……」
邪悪に笑い、男はツルの塊を見つめた。
「バイオリア……我が子よ。私の悲願を達成する為に、さらに力を蓄えるのだ……フフフ」
男はそのまま、住処へと戻って行った。
※※※
「満腹だ……」
ダークエルフの里で振る舞われた料理に満足したのか、オメガがお腹をさすりながら板敷の床に倒れ込んだ。
「礼儀がなってないぞ」
「よい、カルミナよ。シャルダークを倒してくれた恩人に口うるさい真似をしようとは思わぬ」
「は……」
外見だけは若々しい長老の言葉に、カルミナは不承不承、という様子で口を閉ざした。
「シャルダーク? ああ、魔王の名前だっけ」
「そうです」
寝転んだまま頬杖をついたオメガに、アーレンハイトが答え、長老がうなずいた。
「奴はこの里の出でしてな。虚無の力と契約して魔王と化した奴を倒すのは、本来なら我らの責務でした」
「ん? って事はカルミナってアイツの知り合い?」
「……幼馴染みだ」
肯定したカルミナは、厳しく表情を引き締めていた。
「その為にアーレンハイト様の元に参じ、奴を討伐するために軍に加えていただいた。非力の身には余る地位まで賜ってな」
「将軍になったのは、カルミナの実力です」
自嘲するカルミナに、アーレンハイトは首を横に振って伝える。
実際、討伐軍の精鋭ですらカルミナには敵わないのだ。
「シャルダークとカルミナは、共に武に長けておったのですよ。里の中では甲乙つけがたいほどに拮抗した実力の持ち主達でした。奴が虚無の力に魅入られなければ、今でも共に里の自慢であったことでしょう」
長老の呟きに、カルミナは唇を噛み締めた。
「シャルダークは、愚か者です」
「力はあるに越した事はねーが、人に害を為すような真似をしちまったら、俺サマとしちゃ倒さざるを
得ねーしなぁ」
「分かっている。出来れば私の手で始末したかったが、奴の力は強大すぎた」
「勇者殿も奴の手に掛かってしまわれた……詫びの言葉もない」
暗い長老とカルミナの二人に、オメガは起き上がって顎を掻いた。
「勇者も人間だし、死体は回収したけどな。流石に生き返らせる方法は知らねーなぁ。……あ、そんでよ」
オメガは話題を変えたかったのか、縁側から見える山を指差した。
「なんかえらくエネルギーがデカいのがあの山にいるみてーだけど、何なんだ?」
昼夜を問わず雷鳴を放つ暗雲の垂れ込む、峻険な山だ。
カルミナがオメガの疑問に答える。
「あれはホーコー山だ。近づくなよ。あそこには凄まじい力を持つ魔獣が生息していると言われている」
「魔獣か……旨いかな?」
「やめておけ。あの山に入って行方知れずになった者は数多い。崩落しやすい脆い山でもあるしな。それにあそこの魔獣は、魔王など比較にならんぞ。先ほどの川と湖は、かつて魔獣が暴れた時に奴の放った〝黒き光〟によって生まれた窪地に出来たものだ」
「へぇー。あんだけのモンが?」
オメガの感心したような口調に、カルミナは眉をしかめた。
「如何に貴様でも、あれだけの破壊の力を受けては無事とはいかんだろう?」
「実際に見てねーからなんとも言えねぇ。スゲェ威力だとは思うけど」
「ならばやめておけ。先ほどの妙な植物と同じだ。下手に刺激して目覚めさせるような真似はするな」
「ま、仕方ねーか。ちょっと食ってみたかったのになー」
名残惜しそうにもう一度山を見てから、オメガはこちらにごろんと背を向けて、すぐに寝息を立て始めた。
「寝るなら寝所へ行けばいいものを……」
「オメガ殿は面白いお方だ。魔獣を喰らうと申されるか」
「長老……面白がらないでください」
「傑物とは、往々にして他とは違うと思わせる何かを感じさせる者だ。故にしばしば凡人には理解し難い振る舞いをし、周囲を戸惑わせる。どう思われますかな? アーレンハイト様は」
「オメガ様は自由です。そして、わたくしに希望を与えて下さいました。尊敬に値する方です」
「で、ありましょうな」
眠るオメガの背中を眺め、アーレンハイトは微笑んだ。
「私には、ただの無礼としか思えぬのですが……」
納得いかなそうなカルミナに、長老は笑う。
「まだまだ、修行が足りぬの」