プルンプルンの寒天みたいなやつ。
「そんな馬鹿な事はありえません、今一度、千里眼の秘術を!」
アーレンハイトは再び王と謁見して声を上げた。
魔物の眷属である、とされた筈のアーレンハイトが再度王の前に立つ事を許可されたのは意外だったが、王は厳しい表情をしていた。
「三度、見させた。 間違いはない」
シャルダークの死体がない、と聞いて、カルミナが何故かもどかしそうな顔をしていたが、彼女は口を開く事はなかった。
オメガはアーレンハイトに、シャルダークを倒した、と言った。
にも関わらず、死体が無いなどという事はあり得ない。
オメガが嘘をつくような相手ではない事を、アーレンハイトは知っている。
「オメガはどこに?」
王の問いかけに、アーレンハイトは唇を噛んだ。
「……昨晩出掛けたきり、戻りません」
「やはり、あの異空の勇者は……」
そう、エーデルがオメガに対する疑いを口にしかけた時、伝令兵が飛び込んで来た。
「火急の事態です! お、王都の上空に、魔の気配が! そして民衆が、中庭になだれ込んでいます!」
「何だと!?」
王が顔色を変える。
アーレンハイトも、次から次へと襲い来る事態に、自分の血の気が引くのを感じていた。
※※※
時は、少し遡る。
夜明けと同時に行動を開始する城下町の外壁の上に、突如暗雲が出現した。
暗雲は瞬く間に広がって雷鳴を響かせ始め、その暗雲の下に一人の男が姿を現わす。
ダークエルフのような姿に退廃的な美貌を備え、捻れたツノを生やすそれは、魔王と呼ばれた男。
「我が名はシャルダーク。我を倒したなどと言う欺瞞をほざいた異空の勇者を匿う者は、皆殺しだ」
轟くような声音に対して、国民が恐慌に陥りかけたところで、さらなる声が上がる。
「見よ、民衆よ!」
教会の時計塔の上で剣を抜き、民衆を庇うように立つ彼は、かつて彼らが出立を見送った希望の光。
「勇者様……」
「アヒム様だ!」
「生きておられたのか……!」
民衆が喜びを顔に浮かべると、シャルダークはアヒムに顔を向けた。
「勇者か。我と戦う前に異空の勇者を名乗る者に殺されたと思っていたが」
「そう易々とやられる私ではない。シャルダークよ、民衆に手を出す事は許さぬ!」
「よかろう、勇者よ。我とて無用な争いを良しとはせぬ。我を侮辱した異空の勇者、オメガを差し出すが良い。さすれば、国民の命は奪わぬと約束しよう」
「その言を、簡単に信じられると思うか?」
「我とそなたが争えば、この場にいる者達を巻き込む事となる。それは勇者の行いとは言えぬだろう?」
アヒムは、苦渋の色を顔に浮かべた。
「良いだろう。……民衆よ! 栄光を欲し、私に害を為し、魔王をこの地に連れて来た忌むべき者は、今、王城に在る! その報いを、受けさせるのだ!」
……という茶番が、オメガ達の知らぬ所で繰り広げられ。
「オメガ……」
「異空の勇者……!」
「裏切り者、オメガを引きずり出せ!」
自身の命を惜しむ民衆は、扇動にあっさりと騙されて動き始めた。
一路、王城へと。
※※※
伝令兵が詳細な報告をする間に、伝令兵の後ろから、どこに居たのかオメガが、ひょいと姿を見せる。
「なんか騒がしいな。どうした?」
「貴様のせいだ、オメガ!」
カルミナがオメガを怒鳴りつけた。
「アヒムが民衆を扇動して、王城へと入り込んだぞ! シャルダークまで現れた。始末したのではなかったのか!?」
「黒焦げにしたよ。だから食えなくなったって言っただろ。……でもお前、その後にシャルダークを見たんじゃなかったか?」
「は?」
カルミナがきょとんとするのを見て、オメガは何事か納得したように頷いた。
「やっぱりそうか。バタフラムとそうじゃねーかって言ってたんだけどよ。カルミナ、それにアーレンハイトも忘れてるんだろ」
「……一体、何の事だ?」
「あのアヒムもシャルダークも、本人じゃねーよ。どっちも偽物だ」
「そんな事はありませぬ!」
声を上げたのはエーデルだった。
「アヒム様は生きておられます! 嘘ばかりを口に上らせる、アーレンハイト様達を謀る魔物め!」
彼女の表情は憎悪に歪んでいる。
勇者をオメガが害した、という、アヒムの姿をした者の言葉を信じ込んでいるようだった。
オメガはちらっとエーデルの顔に目を向けたが、自分へ向けられるその感情に興味がないようだ。
人を救いたいと願っていたオメガらしからぬ態度に、アーレンハイトは戸惑うが、理由はすぐに知れた。
「お前らは全員、あのアヒムとシャルダークを〝認識〟は出来るが、魂の理解を阻害されてる状態にある。今、それを解除してやるよ。ーーースキル・アヒム! バタフラムブレス!」
オメガが手をかざすと眩い光がその掌から放たれ、アーレンハイトは砂粒のような何かが自分の中で弾けるのを感じた。
同時に、視界が鮮明になったような錯覚を覚える。
他の皆も同様に、夢から醒めたような顔をしていた。
オメガの言葉の意味を、アーレンハイトはようやく理解する。
そう、彼女は忘れていた。
ドラグォラの力で霊装化したカルミナを救った後、アーレンハイトは彼女から、シャルダークを見た、と告げられていたのではなかったか。
忘れるようなことでは無かったはずなのに。
「お前らは、都合の悪い記憶を、術者の都合の良い記憶へと自ら改竄させる技を使われていた。時空改変、と俺サマの世界では呼んでいたが、アヒムとバタフラムとの認識の擦り合わせでようやくはっきりしたんだが、俺サマの扱うこの力は、お前らが根源力と呼ぶもの。ーーーそして俺サマが霊子力と呼ぶものだ」
この世界は、無限の根源力を、精霊というフィルターを通して世界の在り方へと還元している世界だ、とオメガは言った。
「だからフィルターを持たない俺サマには精霊が見えなかったし、似たような力を使ってはいてもそれは精霊の力じゃなかった。アヒムの魂を得るまではな。精霊を見る、行使するという機能は、俺サマの世界では必要のない機能だったからだ」
オメガはアーレンハイトらにもなるべく理解しやすい言葉を言葉を使って、今起こっている事を説明してくれているようだった。
「お前らが虚無って呼んでるのは、元々は根源力に根ざすものだ。そして根源力を使う者は、魂へと直接干渉できる。根源力を扱う俺サマには技自体が通じなかったがな。その根源力による魂への干渉はほんの小さなものだ。シャルダークを疑わないように、という暗示を込めた虚無のカケラを植え付けられていたから、王も含めたお前らは、奴を疑う、という行為は行えても、根本的な部分で納得出来ないようにさせられていた」
王が苦渋を浮かべた顔で口を開いた。
「……どうしても私にはそなたが邪悪であるとは思えなかったにも関わらず、アヒムを見逃してしまったのはそれが理由か」
「そんな……では、本当にアヒム様は……」
正気を取り戻した様子で青ざめるエーデルに、オメガはニヤっと笑って言った。
「エーデル。人間たちを焚きつけたアヒムを城内に引き入れるのを門兵に指示したのは、お前なんだろ?」
「何だと?」
王が驚いたようにエーデルを見ると、エーデルは両手を顔で覆いながら声を震わせた。
「はい。……ですが、操られていたとはいえ、それは私の心の弱さのせいです」
エーデルの告白を、オメガらは黙って聞いている。
「わたくしは、アヒム様に生きていて欲しかった……生きていると信じたかったのです。アヒム様の姿を持って現れたあの者を前にして、わたくしはその願望に、抗う事が出来なかったのです……」
「エーデル王女……」
アーレンハイトは肩を震わせ始めたエーデルの名を呼ぶが、それ以上掛ける言葉が出ない。
「仕方ねーよ。それが人間ってヤツだろ」
オメガは、エーデルを責めず、彼女の前に歩み寄った。
「……そういえば、オメガ。貴様、さっきから手に持っているその盆と上の青い物体は何だ?」
オメガは左の掌に銀盆を乗せて、その上に数個のグラスを乗せている。
グラスの中身は、小さな四角に切られてお洒落に盛り付けられた青い物体と、グラスに刺さった薄いレモン、そしてスプーンだ。
「おう、これか? 王都の周りにうようよいたプルンプルンの寒天みたいな奴を使ったゼリーだ! 喉越し爽やかな炭酸入りっぽい感じで、めちゃくちゃ美味いから、お前らにも分けてやろうと思ってな!」
外には暴徒と化した民衆が迫っているというのに、オメガは相変わらず呑気だった。
プルンプルンで青いという事は、これはかの最弱の魔物の成れの果てなのだろう。
食べてみると、感じた事のない刺激のある、ひんやりとしたデザートで、アーレンハイトはかなりクセになりそうだった。
魔物というのは、強ければ美味しいというものでもないらしい。
あまりの美味しさに、こんな時なのに口元を綻ばせたアーレンハイトに、オメガはようやくいつもの笑みを見せてくれた。
「そう、その顔だ、アーレンハイト! やっぱり人間ってのは笑顔じゃないとな!」




