こういう時は、甘くてひんやりしたモンを食うに限る。
「お父様……」
エーデルの問い掛けに、人族の王はイクス・ブレイドとアヒムを見比べた。
彼は武人ではあるが、精霊に愛された者ではない。
故に人族の王には、勇者に宿る虚無が感じられない筈だ。
そんなアーレンハイトの危惧を知っているかのように、アヒムは言葉を重ねる。
「王よ。惑わしに騙されてはなりません。私はここに生きております!」
イクス・ブレイドはアヒムから視線を外さない。
そんな彼の背に、人族の王は問い掛ける。
「……オメガよ。そなたからは、何か言葉はないのか?」
イクス・ブレイドは、王に視線すら向けないままに言う。
「お前らの勇者は、仲間が殺されたからって魔王の前から逃げるような臆病者だったか?」
オメガの言葉に揺らぎはない。
王は瞑目した。
「私には、二人のどちらが正しき者であるか判断はつかぬ。故に、オメガを魔物と断じる事も、アヒムを本物であると断ずる事も出来ぬ」
人族の王は、以前に会った時同様に、今も聡明であるようだった。
「オメガ、そしてアヒムよ。この場を私に預けよ。いづれの言に真があろうとも、今、この場での結論は出せぬ。アヒムは自身の屋敷にて沙汰を待ち、オメガ、そしてアーレンハイト殿とカルミナ将軍は、共に客室にて待つようにお願い申し上げる」
「どのように決着を判ずるおつもりなのか、憚りながらお訊ね申し上げても宜しいでしょうか? 私の居らぬ間に、この魔物が牙を剥くとも限りません」
アヒムの口調は鋭いが、王への礼を失するものではなかった。
イクス・ブレイドに人族の王は目を向けた。
彼は異空の勇者たる者の実力自体は感じ取っているのだろう。
遥か高みにあるイクス・ブレイドの実力は、人族の兵士は言わずもがな、根源の精霊にすら匹敵するのだ。
人族の王は、アヒムの問いに公平な言葉で答える。
「世界を覆う魔の気配は晴れた。ならば千里眼の秘術にて、魔王城を見る事も叶おう……そこに真実、魔王の死体があるか否かを以て、決着とする」
アーレンハイトはほっとした。
オメガはシャルダークを黒こげにした事を悔いていたのだ。
死体は間違いなくそこにある。
だが、アヒムは意外な事にうなずいた。
「ですが、屋敷へと控えるのはご容赦願いたい、と奏上致します。せめて私にも見張りの兵をつけての王城への滞在をお許し下さい。……沙汰を待つ間に、そこの赤いオーガが王とエーデルに牙を剥いては、悔やんでも悔やみきれませぬ」
「良かろう。オメガも、剣を収めてはいただけぬか」
「偽物。妙な事をしたらどうなるか、分かってるだろうな?」
「私が何をすると言う? 魔物よ、貴様こそ妙な真似をすれば即座に切り捨ててくれる」
アヒムが護衛の兵に導かれて場を辞すると、ようやくイクス・ブレイドはオメガに戻った。
※※※
「何を悩んでおられるのですか? オメガ様」
与えられた部屋にオメガ、カルミナと共に戻ると、アーレンハイトは眉根を寄せて何事か考え込んでいるオメガに声を掛けた。
「別に悩んでねーよ。おかしいと思ってるだけだ」
椅子に座ってあぐらを掻いたオメガは、真剣な顔で言った。
「勇者の死体がない事と、虚無とかいうのの気配、そして現れ方。どう見てもあいつは怪しいのに、王は決断を先延ばしにした。王は、馬鹿じゃないように見えたんだが」
「王には精霊を感じる力がない。勇者の死体がない事に関しても、彼らが棺の中を見たのはあれが最初だ。不思議な事はないように思えるが?」
カルミナの言葉に、オメガは首を横に振る。
「精霊の力が馴染んで、分かった事がある。この王城はバタフラムの結界によって守られてるだろ。もし俺サマが持ってきた勇者の死体が偽物だったとしても……」
アーレンハイトは、オメガの言わんとする事に気がつき、同時に困惑した。
「人族の兵士は、王に死体を見た事を報告したはずですね。でも、彼らの見た勇者様の死体は、幻影の魔法によるものではあり得ない……」
「そう、ですね」
カルミナも、戸惑ったように頷いた。
「結界の効果で 、幻影の魔法は無効化されますからね。ならば偽物の死体がそこに入っていなければおかしいのに、死体そのものがなかった……つまり、勇者は棺の中から蘇ったという事に間違いはない。ならば、奴が異常な存在である事を即座に看破してもおかしくはない」
「大体、虚無とかいうのも王自身は感じられなくても、精霊の力を扱える奴は王の周りにはそこそこ多いんじゃねーのか? だけど、誰も虚無の事を言い出さなかったよな」
「しかし王にも従者にも、操られている気配はなかっただろう? 精霊も騒いでいない。確かに違和感はあるが、原因が見当たらないぞ」
誰もが、不思議に思わなかった、という事実。
しかしこの時、アーレンハイト自身は気付いていなかった。
この世界の存在ではないオメガただ一人が、勇者の存在だけでなく『そこに在る理由』に違和感を持った事に。
この時のアーレンハイトにそれを問いかけても、単に勇者が生き返ったという衝撃で混乱していただけだと結論付けただろう。
オメガは何も言わずにじっとアーレンハイトの顔を見つめた。
「どちらにせよ、明日になれば全てがはっきりしますよ。オメガ様が魔王を殺したのは、まぎれもない事実なのですから」
微笑むアーレンハイトに、オメガはいつもの明るい笑顔を返してはくれなかった。
そう、この時の発言にも、きっと彼は違和感を覚えていたのだろう。
死体を確認する、という王に、勇者が何故あっさりと引き下がったのかーーー。
その理由にも、何故か思考が向かないアーレンハイトに。
オメガは立ち上がり、窓を開けた。
「オメガ様?」
「少し出てくる。こういう時は、甘くてひんやりしたモンを食うに限る」
「っておい、貴様、大人しくしていろと王に言われただろうが」
引き止めるカルミナに、オメガは振り向きもしないままその場を後にした。
魔王の死体がない、という王からの伝言があったのは、翌朝の事だった。




