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ある精死病復帰者の記憶 その3 西暦1274年~1492年

イゼイラ人等、人類に近い姿の種族を人類近似系、ザムル人等、人類に近くない種族を亜人類系と指摘をうけまして修正しましたが、治ってない部分もあるやもしれません。

 翌日、柏木サンは議員としてのお仕事はお休みであった為に、昨日の続きを読み進める事にした。

 その姿は撮り貯めた映画を休みに一気にみちゃう姿に似ていた。


 そんな訳で柏木は今度フェルにあったら渡そうかなとか思って読み進めるのであった。

 

    *    *


 元軍の襲来に勝利した大和であったが、それはしょせん裏庭の中の紛争でしかなく、予定を若干下回ったが予定通りに事が済んでよかった程度の認識であった。当初は凄惨な戦果を受け入れずに二回目・三回目の大規模な襲撃が来るであろうという計算結果もあったので、むしろ一回だけで済んでよかったという感じだ。

 

 大和国内に目を移すが、西暦一二七四年もとい皇紀一九三四年の状況は、本星である高天乃星の人口が九六〇〇万人。瑞穂乃星の八島が四七万人。蝦夷地自治州が二十万人という人口であった。

 平均年齢は一四〇歳。一二〇歳で老後と言われている状態である。

 皇紀一七二七年(西暦一〇六七年)で全体で九〇〇万人(内、高天乃星が八八〇万、瑞穂乃星が二十万)だったので本星だけでも十倍以上の人口上昇が認められ、蝦夷地に至っては史実では一八〇〇年辺りの最高人口が二万人程度だったので、未曽有の人口爆発と言ってよかった。

 これもハイクァーンとトーラル文明の利器のおかげであるものの、蝦夷地の政治体制は政治体制と言えない程のお粗末な原始的な部族政治であり、移住先を求めて無秩序な人口移動の末に樺太での争いが発生したとも言えたのであった。これは予め大和とイゼイラ・ティエルクマスカ側はある程度予想していたことだが、発達過程文明の場合はどうなるだろうか。という実験で放置していたのであった。なんともまぁこちら側の関係者が知ったら実験体みたいな扱いだと怒りそうな事案なのだが、仕方ないと言えば仕方ない……。


 さて、そんな大和なのだが、史実のように太平の世を謳歌しすぎて維持すべき最低軍事力すら維持せずにダラダラと衰退していった江戸幕府のような道を行かず、流動的な政治運営を行っていた。

 それというのも、大和の政治はイゼイラに習った政治体制を目指していたが、民主政治など理解が及ばずに暫定的な処置として立憲君主体制を敷いていたのであった。

 だがそれも二〇〇年以上経った皇紀一九三四年、ナヨ様を筆頭とする当時の世代は皆死に絶えていた。よって大規模な憲法改正が行われていた。やはり急増の憲法ではやはり粗が多く、様々な問題点が出ており今まではそれを塞ぐ程度の改正はしていたが、それでも限界というのもあった。いかなる政治も、固定化してしまえば腐敗という現象から逃れることはできないからである。最も流動的な民主政治が腐敗化しないという訳ではないが……。それでも大和の場合は貨幣・紙幣経済から既に脱却している為、癒着や不正も限りなく少なく腐敗とは縁のない世界と言えている。

 そんな訳で皇紀一九三四年現在、既に民主的な政治に完全に移行しており、天皇や宮家は終生議員として活躍していた。政党も10以上あり、連立政党が当たり前の政治であった。

 面白い事に、こちら側ならば親が政治家で子が政治の道を志すのであれば、当然同じ政党で秘蔵っ子として育つのが常だが、大和の場合は戦国時代よろしく全く別の政党や野党に属する事が珍しい事ではなかった。

 

 瑞穂乃星の状況としては、すっかり研究・調査特区と言える状況であった。

 なにせティエルマスカでも1つしかない発達過程文明の惑星なのだから、軌道上からの観測だけでも得られる情報は多く、数年はかかる手続きや審査を踏む必要こそあるも、実際に地上に降りる事も可能なのだから調査や分析がかなり進んでいた。

 八島はもっぱらそれらから得た情報を集積・分析・解明を主眼とした研究施設がいくつもあり、ティエルマスカ中からその情報を望まれていた。また、首都機能転移の際に残った民間人らは職人達が多くおり、彼らたちは芸術家としてその技を伝えており、その点でもティエルマスカ中から人気であった。

 しかしながら下手をすれば八島もとい瑞穂乃星が観光地になりかねない為、入国ならぬ入星規制が張られ、ティエルマスカ連合加盟国民らは必ず裏月面の基地へ入港してから入星手続きをとり、必ず八島の宇宙港へいかねばならなかった。


 しかし、そんな法を敷いていたが、それも見直しを迫られる事態になりつつあった。

 元から仕掛けられた紛争を経てからというものの、瑞穂乃星の文明の動きを以前よりも細かくチェックするようになった。なにせ数十人からなる大和の武士たちが、数万からなる軍勢を屠った訳なのだから、その影響がどこで出るかが未知数だったからだ。

 そうでなくともこちらは無限に有益な資源を出せる技術を保有しているのだから、限りある資源を限りある金属資源で交換する貨幣経済で廻っている瑞穂乃星文明が欲する訳なので、そこ辺りを考えなければならなかった。

 それまであまり重要視されてなかった『西瑞穂大大陸』の西北地域ヨーロッパも念入りな調査が行われる。この地域は西南地域アフリカや西地域(中東)の文明に挟まれ、土地もあまり上等ではない為人口も比較的に少ない地域で、あまり重要視されていなかったが、元の撃退によりどのような影響が出るかが不明だった為に念入りな調査を開始した。


 この時代全般に言える事だが、やはり学問や研究や技術の大半は宗教によって運営・管理されている事が判明している。宗教は文化の1つとしか見ていなかったイゼイラ・ティエルマスカの面々としては非常に興味深い傾向であった。

 しかしながらあまりに宗教が強く、人種や思想、人権すら抑制している道具という面もあり、考え物であると判断された。

 また、大和・ティエルマスカ連合も中規模紛争として見ていた西北地域文明国家群による西地域文明国家群への軍事的進出……つまり十字軍……による西北地域と西地域との関係が極めて劣悪である事もこの念入りな調査で分かった。

 西北地域と西地域で信仰されている元々の宗教は、約一二〇〇年前から一三〇〇年程前に西地域から発祥した宗教であり、それまで多神教であった宗教を『神は一柱』という一神教思想が駆逐して台頭した宗教(つまりキリスト教)であった。イゼイラ・ティエルクマスカは『元は同じ宗教なのに、解釈と信仰者だけでこれ程の隔たりと衝突を産むとは……』と各宗教の聖書を解読しながら唸ったとか……。


 これは分析と考察により、西北地域は気候も寒く、土地も豊かではない為に宗教思想が鋭利化し、困難は全て神が与えし試練と思い込む事により宗教が鋭利化してしまったと分析した。

 また西地域も乾燥した地域であり、水資源のあるなしで大分環境が違う為、ある者とない者とでの衝突が絶えなかったが宗教による両者の仲介・団結を見た事により、宗教を神聖視・重要視した。という分析をしていた。つまり、双方元は同じなれど鋭利化・特化した宗教であり、双方受け入れられない代物と化していたのであると分析した。


 まあそのような分析はさておき、今後、文明や技術の向上が進めばこれら宗教と国家の邂逅が必ず起こる。そう思った大和・イゼイラ・ティエルクマスカはその際の対処や処遇をどうするかを話し合った。なにせ今まで貿易オンリーで唯一の貿易港である博多・佐世保・坊津の三か所の港町しか歩かせてなかったが、今後はそういう訳にも行かない。

 幸いにも、既に首都転移を発案した200年前の先人たちはある程度の処置を施していた為に、それほど大変な改変を行う必要はなかった。

 空飛ぶ京都こと後京はこんな事もあろうかと地上に再び着陸できるように設計されていたし、琵琶湖の軌道エレベーターも津軽海峡あたりに動かせば問題はないし、イゼイラ人やディスカール人も、調査時に作り出したVMC擬態装置で標準的な人間に擬態すればよいとしていた。

 しかしザムル人等を主とする亜人類系の姿をしている人たちはどうするのか。貿易協定以外に国交を結ぼうとする国はどうするか。トランスポーターはどうするのか。そもそもPVMCGとかどうするのか、いっそ八島全体を文明の利器を全面使用禁止した方がよくないか? 等々決めなければならない事柄は多方面に及んでいた。


 解決した事案や先送りされた事案、新たな発見や事件発生、政権交代等でそれどころではなかったり等、長い時間と紆余曲折を経てゆっくりとどうにかなっていった。

 結局、亜人類系でも標準的な人間に擬態できるようにVMC擬態装置を改良したり、近くに外国人が居る場合の通達と接近を知らせるシステムの構築などの対策を講じ、PVMCGも外国人の視界内で使用しない、国交の申し出も貿易ぐらいならやりますがそういうのお断りですよんという外交方針説明を行う等、なんとも不安が多い取り決めとなった。しかし年を重ね、研究や考察により修正や改正が行われたりなどはされていったのを見て安心する。


 そんなこんなで再び数百年の年月が過ぎた。

 なお、上記の商人以外の外国人に対する扱いはその数百年の年月で決められた事柄である。その間にもさまざまな関係ない事件や事案が発生していた……例えば皇歴二〇〇〇年問題とかナヨ様表記問題等々……。二〇〇〇年問題は何かと大変そうである……。

 そんなこんなで皇紀二〇七五年(西暦一四一五年)、西北地域ヨーロッパにて変化があった。

 西北地域の最西地域国家のポルトガルが対岸である西南地域アフリカのイスラム教国の都市を攻略し占領したことから端を発する。ポルトガルおよびキリスト教圏が『なんでもアフリカのどこかにキリスト教国があるらしい』という情報の入手である。

 西北地域以外でのキリスト教国の存在はそれこそモンゴル帝国の頃から西北地域で噂されていたが、ここにきて信ぴょう性のある情報として、その存在を確かめる為に大規模な探索が行われた。


 大規模な探索、それはキリスト教圏では未知の領域である西南地域の南下であった。

 当時のキリスト教圏はあまり大規模な未知の領域への進出や調査は行われていない。なぜなら地の果て・海の果てには崖や滝のようになっており落ちると死ぬと言われていたり、いやいや世界の果てには化け物が待ち構えており、やってきた船を食べてしまうのだという噂があり、遅々として行われていなかったのである。

 崖や滝、化け物等で死ぬなどという噂は嘘で、単に船舶の捜索範囲の低さ、船舶自体の食糧備蓄能力の低さ、船舶内の居住性の低さなどから起因される船舶での事故や病気の蔓延による全滅事件でしかないのだが、通信手段のない当時としてはそう判断しても無理からぬ事であった。

 そのような例はティエルクマスカでも存在する。単に偶発的な事故や誤認でしかないのだが、攻撃を受けただの未確認生命体が現れただのという誤報は星の数程存在しており、迷信もそれに比例して存在しているのでお互いさまである。


 そして、ポルトガルの調査団はついに皇紀二一四八年(西暦一四八八年)、西南地域アフリカの最南端へ到達した。嵐による航海中であったがためにいつの間にか超えていたという珍事件もあったが、それでも今まで西アフリカは手付かずの海岸線で、港も寄港地もなく、船の性能も低い事から中々南下は難しいとされていたが、七〇年以上という長い年月を経て寄港地の整備を行い、ついに到達したのであった。

 既に西アフリカの海岸線にはイスラムの商人達がやってきており、寄港地や港は整備されている為、スムーズな移動が可能になると予想した。


 しかしながら、今回の南下政策はただ世界のどこかに居る仲間を探すためだけではなく、香辛料を求めての探索でもあった。

 ヨーロッパ地域は気候も厳しく、土地も肥えてない為、食糧となる作物の生育にどうしても制限があり、労働力の一つであった牛や馬等の動物の肉を食す程の食糧事情であった。麦は保存が効くが肉はそれほど保存が効かず、保存には香辛料が必要であった。しかし香辛料はヨーロッパでは生育せず、アジアと呼ばれる西瑞穂大大陸の東南地域から貿易でくるものを使用していたが、その間にはイスラム教国の西地域である中東を通過しなければならず、そしてキリスト教国とイスラム教国は険悪である……が為に今回の南下政策はそんな関係に終止符を打つかもしれない事柄であり関心は大いにあった。

 その証拠に、ポルトガルに先を越された隣国で強国であったスペインは外国人コロンブスを雇ってポルトガルとは違う路線……東回りで西瑞穂大大陸の東南地域へ行こうとした。というか成功した。確かに『到達』はできたのだが……。悲しいかな。理論上『地球は丸いのだから西へ突っ切ればそのうち大陸の東側に到達する』という理論はまったくもって間違ってなかったのだが、唯一の誤算は『その前に東瑞穂大大陸がある』という地理的な大誤算が立ちはだかっていたのであった。


 ……いうまでもなく、上記の件は『大航海時代の幕開け』である。

 特にスペインによる東瑞穂大大陸(南北アメリカ大陸)は新世界の発見ともいうべき事案であり、その衝撃は文化・技術・思想・経済に図りしえない波紋を呼ぶであろうと予想された。現に香辛料だけで言えば、ヨーロッパでは一粒の香辛料は銀貨一枚で取引されていたが、東南アジアでは銀貨一枚で一袋の香辛料が取引されているのだからこれで何か起こらなければおかしいのである。

 情報の伝達速度から見て、おおよそその影響が出てくるのは百年二百年の年数が必要だと分析されたがそれでも新たな文明の段階へ進んだのは間違いないという学者団の評価であった。

 折しもヨーロッパは黒死病なる伝染性の高い病気の蔓延により人口が減少していた時期でもあり、人口の減少はつまりは労働力の低下であり、それすなわち従来型の支配体制の破たんと崩壊を意味しているものであり、これを境にヨーロッパは激変していくというのも学者団の見解であった。


 従来型の支配体制の崩壊……それは緩やかに、しかし確実に訪れていた。

 既に武器の新たな変化は出始めている。皇紀二〇七九年(西暦一四一九年)にヨーロッパの中央部分……神聖ローマ帝国という『ティエルクマスカもどき』ともいえる国家集合組織の、ボヘミアと呼ばれる地域で発生した、従来型宗教体制カトリックに異を発する宗教団体フスと農民たちが決起し、火薬なる化学薬品を使用した飛び道具を使用していた。

 従来型の支配体制の象徴たる軍団はその飛び道具と新興教団の団結力の前に敗走したが、結局決起側は教育を受けていない農民という事もあり一時的な団結力を見せるも指導者の死亡による不在となると瓦解してしまい、鎮圧されてしまった。

 だがこれの兵器史・軍事史における意義はテッポーオタクである柏木サンは考えたし、かの学者団もそう考えたようだった。それまで、火薬を使用した兵器は大砲くらいで、攻城戦しか使えない代物であまり使えないものであった。だが、大砲の小型化という新たな運用思想により戦術の変化、ついては戦略思想の変化に繋がっていくと柏木サンは分析したし、学者団もそう分析した。


    *    *


 「しかし長いなぁ」

 ここまで読んだ柏木サンであるが、しかしながら長い。ここまで読み進めてもまだザビエルが日本に来てないのである。

 しかしながらテッポーオタクである柏木サンとしては兵器史・軍事史が色々書かれているのは結構うれしかったりするので問題はない。むしろ良い勉強になって良いと思った。

 マサトサンはさてとと言ってコーヒーを持ってきて読み進めを再び開始するのであった。


 〜 つづく 〜

次回やっとザビエルさんが出てこれそうです。

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