003
そして――。
「あ、あれ――ッ!? 俺、空飛んで――って!?」
男の身体は天高く空を舞い――放物線を描いて通りの向こうにあった円形の噴水の中へ落下した。
遠くで盛大に上がる水柱を、二人の少女は遠巻きに呆然と眺めるしかなかった。
「あの、ねリュゼ? ……やりすぎじゃない?」
「そ、そうね……あはは……つい。どうしよう?」
二人の視線を受けながら男は無言で立ち上がり、ばしゃばしゃと水を蹴りながら噴水から這い出る。そして、つかつかと二人の前まで歩み寄って言った。
「大丈夫か、お嬢さん達……」
「いや、貴方が大丈夫?」
男は爽やかな笑みを浮かべて精一杯決めているつもりなのだろうが、哀しいほどに顔がひきつって決まっていない。
妙な男だった。リュゼ達よりも、幾ばくか年上の青年だ。黒髪黒い瞳、長身痩躯。容姿そのものに特筆する所はないが、問題はその出で立ちだろう。
仕立ての良いホワイトシャツに、クラバット、黒のスラックス。
かなり洒落た衣装に身を包んでいる。けれど、この男はこの服を着るのがどれほど焦ったのか、気崩しならまだしもところどころシワが目立つ。
「いやぁ、道を急に飛び出したら危ないから気をつけた方がいいよ」
「いや……急に飛び出して来たのは貴方だったような……」
思わずリュゼが突っ込んだその時。
「だ、だめよ、リュゼ!」
レイナが頬を膨らませてリュゼと男の間に割って入る。
「この人ばっかり責められないよ! リュゼだって、いきなり人に向かって魔術を撃つなんて……一歩間違ったら怪我じゃすまなかったんだよ」
「う……ごめん」
ばつが悪そうにリュゼは目を伏せる。
「ほら、リュゼ。ちゃんとこの人に謝って」
「うん。あの……本当にすみませんでした。どうかご無礼をお許しください」
「そ、そこまで謝らなくてもいいよ。でもいきなり撃つなんてどんな教育を受けてるのかな」
「なんなの、この人」
「あ、あはは……ここは抑えて抑えて」
流石に若干引き気味のレイナも改めて男に向き直り、ぺこりと頭を下げる。
「本当に申し訳ありませんでした。私からも謝りますから許してくださいませんか?」
「いや、だから、俺はそこまで怒ってなくて……ん?」
必死な謝罪に苦虫を噛みしめたような顔の男がレイナを見て、何かに気付いたように眉根を寄せる。
「……んぅ? お前……」
「あ、あの……私の顔に何かついていますか?」
戸惑うレイナに構わず、男はスッと顔をレイナに寄せていく。
いきなり、ぶしつけな視線をぶつけられてレイナは目を瞬かせた。
「お前、どこかで……」
首を傾げながら男は指でレイナの頬を突っつき、むにーっと引っ張る。
細い肩や華奢な体つきを眺めたところで……
「アンタ、何しとるんかぁあああああああああ――ッ!」
リュゼ怒りの上段回し蹴りが男の延髄を見事に捉え、男を吹き飛ばすはずが……
すでに男が危険を察して後退していた。
「ちょっとぉ! 女の子の身体に無遠慮に触っておいて逃げるとか信じられないッ! 最ッ低ね!」
「ちょっと待て、落ち着け!? 俺は見覚えがあるかもと思ってだな……」
ヒートアップしたレイナを止めることに、逃げ腰の男が制止しても聞かない。男は完全に詰んでしまっていた。
「君たちさ、魔術学院の生徒だろ? ここで道草食ってないで急げよ、俺は行くからな」
隙をみて出会った時と同様、男は猛然とした勢いで二人の前から全力で走り去っていく。
だから、嫌なんだぁ!? などと意味不明なことを叫びながら遠ざかる背中を、二人の少女は呆然と見送るしかなかった。
「な……なんなの? あの人」
「さあ? でも、面白い人だったよね」
「面白いを通り越して、変人すぎるわよ、アレは」
相も変わらず親友の感覚のズレっぷりにリュゼは嘆息する。
「さてと、今日も一日頑張りましょう? レイナ」
「うん」
やがて歩く二人の前に、その敷地を鉄柵で囲まれた魔術学院校舎の壮麗な威容がいつものように現れるのだった――