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所変わって時は過ぎ、砂漠の中心にいるのはリリスである。
彼女の周囲には、ボロボロになったテントの切れ端など、そこにかつて集落があったことを示す残骸がちらほらと転がっている。そして、時折起こる謎の巨大アリジゴク。ギガントサンドワームの呼吸によるものであった。
要は、ギガントサンドワームのもとに、リリスは訪れていた。
「……暑いのは対策してきたとはいえ、この眩しさも不快ね。あっ、そういえばこの結界紫外線をはじくことが出来るのかしら。日焼けしたら二日間はまともに寝られないわ。ど、どうしましょう」
凶暴な魔獣を前にして気にすることではない。
しかし、そもそもからしてギガントサンドワームはリリスに気付いていないのだった。その理由は、ひとえにリリスが宙を浮いているからである。浮遊魔術はお手の物。なぜならリリスは、十秒全力疾走するだけでわき腹を貫く痛みに涙するほどの貧弱少女である。
つまるところ歩いただけで体力を失うので、もう飛ぶしかなかったのだ。
そんな訳で、地面を歩く音を聞き取ることのないギガントワンドワームは、呼吸がてらアリジゴクを作ったり逆に息を吐きだして砂をぼこぼこさせて遊んでいる。紫外線を気にしつつも、リリスはその砂の上下を見つつ「どうしようかしら」と首をかしげていた。
その時、ギガントサンドワームの呼吸にごぼごぼしていた砂が、不意に消えた。「あら」と言ってから、リリスは周囲に魔力探知を放つ。一瞬の間もなく、ギガントサンドワームの場所が知れた。どうやら、地中深くに潜って移動しているらしい。
リリスは自らを守るべく張った球状の結界に不可視の魔法を追加して、ギガントサンドワームの進む方向に目をやる。すると、そこには妙な人間が立っていた。
小柄な体躯に全身を覆うフード。そして自らの体よりも大きな杖を抱えたその人物。その魔力を見て取って、リリスはニヤリと笑みを浮かべる。
「……なるほど? あいつが私の使い魔を全滅させたのね」
その時、不意に魔力探知からギガントサンドワームの姿が消えた。少々の驚きにきょとんとするリリス。その数秒後、砂柱がフードの人物――リガーを襲った。「へぇ」と感心にリリスは声を漏らす。
「魔力探知を欺けるサンドワームってワケね。面白いじゃない」
興味をそそられたらしく、リリスはしばらく観戦と洒落込むことを決める。すでに紫外線の存在を忘れていた。おそらくこの一件が終わった後、肌を真っ赤にして立ち上がれなくなるのだろう。
さて、そんな貧弱魔女の事はいったん脇に捨て置こう。重要なのは、リガー、そしてギガントサンドワームである。
魔力探知は生物が漫然と周囲に垂れ流す微かな魔力を追う、そんな術式である。であるならば、自ら魔力を完全に体内に押し込んでしまえば魔力探知は無力になる。それを、ギガントサンドワームは明確に理解していた。
そうして息を殺し、素早く動いて大量の砂ごと敵を丸呑みにする。それを完全に逃れる敵は、今の今まで、ただの一人もいなかった。突然魔力探知から消えたことに動揺し、避け切るだけのとっさの判断を下せなかったのだ。
しかし、宙に飛び上がったギガントサンドワームは疑問を覚えた。巨大な舌で口の中の砂をかき回すが、人間の舌触りが一向に感じられないのである。そうこうしていると、ドスンと着地。その時、言いようもない痛みがギガントサンドワームを貫いた。
「ギャォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
堪らず声帯を震わせ叫び声をあげるサンドワーム。それにリリスは驚いて「ひぃ!」とビクついている一方で、ワームに余裕のある、いっそ嘲りさえ籠った声をかける者がいた。
「どうした? デカいだけの虫が。長く生きたらしいお前でも、電撃の味は初めてか?」
リガーは、口元に笑みを貼り付けてそこに居た。先ほど砂柱が上がった場所から、大人三人分程度離れた場所で余裕綽々に杖を向けている。
「どうしてだ? とでも言いたげだな。いいや、そんな事を不可解に思う知能があるのかははなはだ疑問だが。まぁ、いい、教えてやろう」
なぜか唐突にギガントサンドワームに話しかけるリガー。リリスはそんなリガーを奇妙な目で見つめる。
「何であの冒険者は、言葉の通じない魔物に話しかけてるのかしら……」
視線の先では意気揚々とリガーが演説をかましている。もしかしたら結構寂しい人なのかもしれない。
「今のはな、ギガントサンドワーム。お前の知覚を狂わせたのだ。どうやって? と思うだろう? それはな、簡単なことだ――」
何となく嬉しそうなリガーをほっぽり出して、もっかいチャレンジとばかり砂に潜りだすサンドワーム。しかし、それを易々許すリガーではない。短く呪文を紡ぎ杖を振ると、妙な輝きが空中を走り、ギガントサンドワームを地面から引きはがした。意図せず全身が跳ね、宙を舞うサンドワーム。再び落下するものの、全身が痺れてひくひくとまともに動くことさえままならない。
「今の攻撃が何かわかるか? ……そうだ。風属性の魔法の中でも、秘奥中の秘奥。雷の魔法だ。これさえあればだれも自分を無視することなど敵わない!」
ギガントサンドワームは何一つ言っていないのに、何が『……そうだ』なのかは他ならぬリガーただ一人が知るところではあるが、やはり伊達にS級冒険者を名乗ってはいないという事だろう。その魔法は絶大の力を誇っていた。
それはそれとして、多分リガーは寂しい人だという事が発覚した。言葉尻からボッチ臭がプンプンする。
だがそんな寂しいリガー相手と言えども、こうなるともはや、ギガントサンドワームは俎板の上の鯉と言ったところか。感電の所為で自由に砂中に潜れなくなったとなれば、如何にギガントギガント言われようともただの肉の塊に過ぎない。
「さぁ、止めだ。自分の話から逃げようとしたことを後悔させてくれる」
そうして、哀れギガントサンドワームは寂しいリガーに最期の一撃を加えられようとした。だが、そう簡単にはいかないのが世の常である。恨むならば、この件にグラントが関わってきてしまった己の運のなさを恨め、とはリガーの事。
「あらあら、こんなにやられちゃって可哀想に。あなたは生きたかっただけだというのに、討伐だなんて、ああ、何と可哀想な話なのかしら」
「ッ、なっ、貴様はいったい何者だ!」
突如ギガントサンドワームの上に現れたリリスを見て、リガーは驚愕に吠えた。それを黙殺し、リリスはギガントサンドワームに語り掛ける。
「ねぇ、あなた。こんなところで本当に死んでいいのかしら? いやなら、手を貸してあげる。だから、抵抗は止めなさい? 私は、あなたは強くしてあげるのだから――」
いつしかその華奢なる手に握られるは、大量にいびつな文字の刻まれし小刀。つぷ、とそれはギガントサンドワームの肌を突き破り、その青き血を流す。
「ぐっ、無視? 無視された? ……ふぐっ、ぅぅう。……いい度胸だ。ならば実力で振り向かせりゅまで!」
泣きべそをかきながら呪文とともに電撃を放ち、リリスを一撃にて打ちのめさんと、無視されたリガーの杖は振るわれる。しかしリリスの結界は健在だった。バチッ、と音を立てて、攻撃は霧散してしまう。
「なっ」
自らの魔法を見もせずに無効化され、戦くS級冒険者リガー。しかしリリスはそんなことなど知ったこっちゃない。ギガントサンドワームの血に触れながら、「へぇ?」と面白そうな声を出す。
「あなた、そこの冒険者の言葉、ちゃんと理解していたの? 随分と頭がいいのね。なら、そうね。あなたには知能があっても知識がない。それは勿体ないことだわ。使える力を使わずに死ぬなんてそんなの私が許さない――方針は決まったわ。さぁ、生まれ変わりなさい。グラントを殺す、化け物へと!」
リリスの手から霧状の闇が溢れ、ギガントサンドワームを覆った。見ているだけで血の気の引くような、動物の本能に根差した恐怖。リガーは、我を忘れてそれを見つめていた。だから、不意に何もかもが消え、目の前にただ砂漠のみが広がっていた時、酷く狼狽させられた。
「なっ、何処へ行った! どういう事だ!?」
それに答える、残酷な声がある。
『お前は、私の知識になるのだ、冒険者』
「なっ―――――!」
背後からかかった言葉に、リガーは慌てて振り向く。その声は、決してリリスのものではなかった。リガーを上から覆う巨大な影。それはパクリと容易く、人一人を飲み込んだ。
その時、グラントは砂漠のただ中で迷子になっていた。
「……うむ、見失った」
仁王立ちでの現状推察。堂々たるものである。どうやらグラントにとって街中も牢獄も砂漠も変わらないらしい。流石第三公国にて、宮中の人間から『おっちょこちょいのグラント』と可愛がられているだけはある。ダメな子ほど可愛いの法則である。
身を包むはギルド長に用意してもらった部分鎧。フルプレートアーマーでも問題なく動けるだけの筋力を誇るグラントであったが、そういう場合に限って鎧を壊してしまう性質なので折角だが辞退したのである。そのため肩当てと手甲のみ太陽の光を反射してギラリと輝く。先ほど不意に手甲越しに太陽を直視してしまったため目がチカチカしている。
そんな肩で風を切るスタイルで呆然と立ち尽くしていると、ピリッと何か感じるものがある。
「むっ、これは、……リリスの気配!」
奇しくも本当にこのタイミングで、リリスがギガントサンドワームに魔法を行使しているのだから侮れない話である。リリスもこれだけ愛してくれる人がいるのだから幸せだろう。ところかまわず愛を叫ぶ変態でなければ。
そんなワケで本能の赴くままに走り出すと、しばらくして何やらテントの残骸のようなものが散らばる砂地にたどり着く。グラントは「ふむ」と適当にそれらを拾い上げ、マジマジと見つめ呟く。
「これは、あの国の住宅街やここに来るまでの村でよく見た文様だな。となると、ここにギガントサンドワームが……むっ」
馬鹿だが頭が悪いわけではないという、矛盾した性能の持ち主であるところのグラントは、強い圧迫感を覚えてその出所へと目を向けた。すると目の前の砂地がごぼごぼと音を立てはじめる。
その異様な情景に、グラントは眉をひそめて後じさった。そして、背中から大剣を抜く。砂の噴水は激しさを増し、グラントの体を容易く覆うほどに飛び上がり、止んだ。
一瞬の静寂。
直後。
「ギャォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
飛び散る砂。耳鳴りがするほどの咆哮。太陽を覆うほどの巨大な影と共に、それは現れた。ぶよぶよとした白い体皮に目や鼻のない口だけの顔。躰を半分以上砂中に埋めたまま、荒れ狂う虫の王。ギガントサンドワームが、グラントの眼前に現れる。
だがその妙な様子を見て、大剣の柄を引き絞りながら、男はニヤリと笑う。
「居るのだろう、リリス。強大なる魔物の背後に、お前の影がなかったことはない」
「……驚いたわ。あなたでも学ぶのね、グラント」
空の一部を円形に切り取ったような、歪な陽炎。不可視の魔法が解かれ、リリスが姿を現した。相も変わらぬその美貌。砂漠には到底似合わない、男を誘う寝間着のような服装で、彼女は悠然と宙に浮いている。それを見て、グラントは思わず謳い上げた。
「――赤い結界、赤いネグリジェ、赤い髪。お前には、赤がよく似合う。リリス、ここが砂漠でなかったならば、私はお前に真っ赤なバラを贈ったことだろう」
「あなたこそ、赤がよく似合うと思うわ、グラント。その逞しい首を半ばから切り裂いて、あなたを赤く彩ってあげましょう」
剣を深く地擦りに構える。杖を取って魔物の指揮を執る。
「今日こそあなたの命を頂くわ、グラント」
「今日もその強がりを払いのけ、お前を強く抱きしめよう、リリス」
一触即発の緊張が走る。それを自ら破るように、魔女は嘯いた。
「生憎と、今日の私に触れれば痺れるわよ?」
言葉と共に、ギガントサンドワームが砂中に潜った。グラントは追うが、しかしあまりに早く潜ったために、尻尾すら掴めずに逃してしまう。
グラントには、魔力探知を使うことが出来ない。あらゆる全ての能力を肉体による戦闘に振り分けているがためだった。ありていに言えば、グラントは魔法が使えない。であれば、砂中のギガントサンドワームの場所など知れようはずもない。
とはいえ、それはグラントも想定済みだ。ギガントサンドワームは、時期を見計らって襲い来るに違いない。なれば、それを避ければ良いのだ。グラントは自らに向かう脅威を反射的に対処できる。
しかし一方で、リリスがそんな安直な攻撃を配下の魔物に許すとも考えられない。そして、その予想は当たることになる。
砂の下から、滲み出るような音。
グラントは、僅かに眉をひそめた。その音が、声と言っていい程に秩序だった響きを孕んでいたからである。想起されるは渦。風の、渦であった。
「リリス、これは……」
「うふふ、辛いわね、グラント? 取り返しのつかない何かが進んでいるのに、どうすることも出来ないのはもどかしいでしょう?」
球状の結界の中で、クスクスとリリスは嗤っている。グラントは、瞬間目を閉じた。油断を誘うためであり、同時に耳を澄ませ、声の出所を特定するためだ。
結果として、両者とも失敗することとなった。前者はやはりギガントサンドワームが襲ってこなかったため。後者は砂中からの声が、同時に異なる場所から漏れ出ていたためである。
訝って、鋭い目つきでグラントは問う。
「ギガントサンドワームは、もとはただのサンドワームだったという。ならば魔法は使えないはずだ。……ふふ。リリスよ、今回は何を企んでいる?」
「別に? 大したことはしていないわよ。ただ、頭がいいのに知識がないのは勿体ないと思っただけ」
声は呪文となって、大気中に満ち満ちる魔素を反応させて中空へと昇っていく。それは風となり、砂漠にはほとんどないはずの水をかき集めた。どんよりと暗い雲。グラントの頭上を中心に集まりゆく風は、いつしか微風を超えて嵐のそれになる。
暗雲の中で、輝きが走った。グラントは、その正体を知っている。ゴロゴロと、臓腑を揺らすような獰猛な音。風の深奥。雨が、降り始めた。目を細める。
「これは、雷か。複数の神々の武器でもあり、そして風魔法の求めるもの。魔女であるお前には、使えるはずは……」
「不思議なことを言うわね、グラント。私は雷なんて使っていないじゃない。使っているのは、あくまでその子よ?」
リリスは不敵に笑っている。雨脚は激しくなり、強くグラントの肌を叩いた。リリスは結界に守られて優雅なものだ。雷の音は一層激しくなり、それを聞くものに問答無用の恐怖を抱かせる。
「さぁ、まずは一撃」
ハッと、男は瞠目した。グラントには、雷に対して知識があった。リリスと出会う以前、これよりも弱い電気使いの魔物と戦ったことがあった。咄嗟に大剣を頭上に投げ上げ、次いでそこから飛びすさる。
そして、落ちるは雷撃。音よりも速く、命を奪う神の槍。
白が、轟音が、世界を覆った。電撃は大剣を避雷針にして、散らばりながら放電される。グラントにダメージはない。だがその閃光は、あらゆる生物の目を焼く。
ここでしばし身動きが取れなくなったのは、グラントにとって致命であった。
視界が晴れたとき、大剣は消えていた。時同じくして目晦ましから回復したリリスは、一瞬眉をひそめたのち、「へぇ?」と面白がった声を漏らす。
「グラント、あなた、あの忌々しい剣はどうしたの? あれはあなたの全てじゃない。もしかして魔法具でも使って見えなくして、私の油断を誘おうって訳かしら?」
「……白々しいことを言う」
男は笑う。だが、決して余裕があっての事ではない。
大剣は、恐らく元々目を持たないギガントサンドワームが飲み込んでいったのだろう。視界を奪われていたグラントには明確な詳細は分からない。もしかしたら目晦まし予防していたリリスがこっそり奪って隠したのかもしれないし、あるいはそのどれでもないのかもしれない。
「ともあれ、見た目通りに武器を失っていたのなら、絶体絶命ね、グラント」
心底可笑しそうに、魔女はグラントを眺めている。その瞳は、明らかに勝利を確信していた。




