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ウィッチ&タフネス  作者: 一森 一輝
ギガントサンドワーム
1/7

 一面に、砂漠が広がっていた。


 その男は、襤褸切れを身に纏っていた。すでに体力は失せ、大剣を杖代わりに辛うじて進んでいる。その盛り上がった筋肉は、しかし圧倒的な水分不足に渇き、干からびた印象を抱かせるものとなっていた。


 男は、自らの苦しみを紛らわす為、何かを独り言を紡ごうとした。しかし言葉は出ず、代わりに血を吐いた。乾ききった喉が切れ、喀血したのである。けれど男は自らの血を見て、ただ『水分を無駄にした』とばかり考えている。


 砂漠に剣と共に放り出されてから、三日が経っていた。その間、たった一匹のモンスターとすら出会っていなかった。


 生物にとって、最も恐ろしい物。それは外敵などではなく、不足である。例えば食料であり、例えば空気であり、そしてこの場合で言えば、水なのだった。


 男は吐き出した僅かな血を手で掬い、口に運ぶ。そうすることで、口の中だけが一時的に潤う。その度に、男は笑った。これだけの事すら、快なりと感じるほどに追い詰められていた。


 その時だった。


 空に雲さえかからない中で、突然男は巨大な影に覆われた。見上げると、異形なるものが落下してくる。男はよたよたと倒れ込むようにしてそれを避けた。そして、墜落。砂を撒き散らして、巌の様な体躯のモンスターがそこに現れる。そして、その斜め上。そこには、赤い魔法陣の上に浮かぶ、華奢でありながらも妖艶な少女が短杖を指揮棒のように振っていた。


「あらあら、グラント。砂漠の中で歩き続けるのは、辛かったかしら? 全く、あなたに無茶振りする王女様にも困った物ね? アレ、もう女王様だったかしら? ――でも、大丈夫。あなたの苦しみは、ここで終わらせてあげる」


 少女の姿は、まさに魔女というべきものだった。カラカラに乾いたこの砂漠の中で、ただ一人湿っぽい雰囲気で佇んでいる。その服装は娼婦の様に薄く、波を打つネグリジェ。そして最低限隠さねばならない部位を守る、ゆったりとしたコートだ。


 曰く、悪魔と手を結んだ教会の敵。曰く、この世界の深淵から神々を呪う者の手先。


 何処までも弱り切った男の前に、長い赤髪を波打たせる魔女より連れられてきた魔物は、ひどく重い一歩を踏み出した。巨躯にして頑強。地龍の亜種なのだろう。その大抵が、鱗に剣を通させず、冒険者を思いのままに蹂躙する。


 魔女は、男の命を刈り取るためにこの地に赴いた。という訳らしい。しかも嫌らしい事に、男が弱り切って、絶対に勝てないというタイミングを見計らったのだ。


 よろよろと震える男は、やはり大剣を杖代わりにして、魔女を見上げた。そして、ひどく掠れた声で言う。


「やはり……、お前は、優しいな……リリス……。我が愛しの……夜の魔女よ……。ごほっ、ごほっ! ……私の為に、水と、あまつさえ食料を持ってきてくれたのだな……」


「違うわ。あなたがこの魔物の水と食料になるのよ」


「では……、いただきます……」


 魔女の言葉を半ば無視して、男は足腰に力を込めた。限界かに見えたその肉体は、しかし一瞬だけその全盛を取り戻した。魔女の顔が引きつり、素早く彼女は指示を出した。


「行きなさい! この男を、今すぐに八つ裂きになさい!」


 言い終わる前に魔物は臨戦態勢に入り、咆哮を上げて男に飛び掛かった。それはまるで、山そのものに襲われているかのようなものだった。だが、依然として男は目を輝かせ、大剣の柄を引き絞る。


 一閃。刹那の交錯。決着は、瞬きほどの時間も経ずについた。


 崩れ落ちる男。限界に達していた体力を、さらに絞りつくした結果だった。そして、その背後で爆散する地龍。大剣が魔物を斬り込むというより、棘の付いた大鎚めいた効果を有していたためである。


 宝剣、デュランダル。変幻自在の絶大なる剣であった。


「ふ、ふふふ、さ、流石グラントね。こんな弱っていても、特A級の魔物を一刀両断、っていうかバラバラにするなんて、さ、流石勇者なだけはあ、あるわね、ふ、ふふふふ……」


 震え声で、魔女は呟く。彼女の結界には大量の返り血、肉片が間抜けに張り付いていた。だが、めげない。魔物が倒されてしまう事までは想定済みだったのだ。もっとも、こんな一瞬で倒されるとは考えていなかったが。


 四苦八苦して、服に汚れが付かないように結界を解き、そして杖でなく短刀に持ち替える。ただの短刀ではない。普通の小刀程度では、男の薄皮ほども裂くことはできないからだ。


 故に、これは魔力の籠った特注品である。魔女が自らの工房にて、五ヶ月の日々をつぎ込んで完成させた一品。その刃に触れたものは何でも切り裂く、世界でも有数の魔剣だった。


 魔女は、男の元に向かい、立ち止まった。これを首下に突き刺せば、いくらこの屈強な男でも死に至る。彼女はつばを飲み込んで、短刀を両手に構えた。


「覚悟なさい、グラント!」


 得物を突き出す。その時、男の腕が動いた。


「へっ?」


 その手は魔女の腕を掴み、素早く短刀を奪ってポイッと遠く投げ捨てた。魔女が短く叫び声を上げる中、次に腕は、彼女自身を掴んで引き寄せる。


「ちょっ、ちょっと待っ、キャッ!」


 男の手は筋骨隆々であり、対する魔女はか弱い乙女。抵抗など、どだい無理な話であった。腕は魔女を拘束し、その上頭を抑え込む。つまりは、彼女は男にキスをされていた。


 むぐむぐと魔女は叫ぶが、その声は男の口内に響くばかりである。ぺしぺしと鍛え上げられた体を打つ生白い腕は、まさに無力の一言。筋肉どころか脂肪すらほとんどないのだから当然である。


 しかし男は、無為に魔女とキスをしたのではなかった。見れば、仕切りのその喉元は動いている。何をしているかと言えば、魔女を通した水分補給という事だった。何を呑んでいるのだろう。それは男と魔女が知るのみである。


 それが数分ほど続いた頃だろうか。魔女は解放され、顔を真っ赤にして息荒く男から飛び退る。次いで、男は起き上がった。その顔に宿るは水気と生気。つやつやといい顔をする男は、頷いて魔女に言う。


「美味であったぞ、リリス」


「しねっ、死んじゃえバカグラント! あなたは何でこんな、こんな、こん、あ、ああああああああああ……ッ!」


 魔女は顔をりんごのように染めて、頭から煙を上げて悶える。そのまま短刀を回収しつつあらぬ方向へ走り去り、魔法陣をくぐっていなくなった。それをご満悦に眺める男。その表情はしかし、変態のそれでなく何故か慈母のごとくである。


「うむ。やはりリリスは愛しい奴だ。――さて、彼女の届けてくれた食事にありついてから、また街へと向かう事としよう」


 男は魔物の肉片に近づいて、大剣で小分けにして食いついた。こんな事のために生まれた訳でもなかろうに、大剣はその鋭い切れ味で肉を一口サイズに切り分けていく。まだ死したばかりの地龍の肉は大量の血が滴っていて、その分喉を潤わせる事も出来た。


そしてひと段落して、男は息を吐く。手元の方位磁針に目をやり、ふむと考えた。――これを頼りにまっすぐに進んできたつもりだが、まだもう数日はかかるだろう。故に、今の内に飲み貯めし、食い貯めをせねばならぬ。


 男は自分の体積の数倍を有していた魔物を、まず血を多分に含む部位から何もせず食いつくしていき、その内入る分だけの血を絞って皮袋の水筒に入れ、それから残りの肉を五時間かけて食い尽くした。この砂漠の日光に当てていれば、数秒で肉の表面は焼けた。


「しかし、むぐ、全くけしからん事だ。はぐ、キャラバンめ、もぐ、寝ている私をほっぽり出していくとは。私が勇者であり、その協力をすれば王から褒美があった事は知っているはずだろうに。もぐもぐ。それにここ一帯の砂漠には、むしゃむしゃ、人はおろか魔物すらいる痕跡が無い。一体全体どういう訳か……。――ご馳走様」


 訝りながら完食。男の腹は、数時間前と比べて大きく膨れ上がっていた。しかしこれだけ食べても、もつとしたら三日が限度だろう。水分も、水筒を舐めるようにして飲んでもやはり三日程度か。


 男は少々不安がり、保存食代わりに骨を持っていくことにした。腹がすいたら、割って中を食らうつもりで居た。骨髄は普通水分を多分に含んでいて、保存方法によっては水分補給も可能だろうからだ。もっとも、専門家でない人間の浅知恵だ。どうなるかはわからないが、何をしないよりはましだろう。


 そうして、男は再び歩き出す。王に命じられた、砂漠の魔物の討伐のために。


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