第三章 リイク Scene1
ルシルに許された猶予は三日間。
エルティーナが毒の抜ける期間を判断した結果、最低でもそれだけの期間を要すると長に告げ、それが了承されたのだ。
少女はそれでも満足行かずに、口を尖らせて長を説得しようとしたが、ルシルの傍らで不機嫌そうにぶつぶつ言ってるところを見ると、どうやら失敗に終わったようだった。
ブライムストーンの平和と、民の誇りの両天秤にかけざる得ないラウディスにとっては、このあたりが譲れるぎりぎりの線だったのだろう。
納得のいかないエルティーナとは対照的にルシルは、この寛大すぎるとも言える処遇に感謝していた。
「まったく…頑固ったらありゃしないわ。だから年寄りって嫌なのよ」
先程まで見せていた涙など何処へいったのやら…エルティーナはルシルの体を湯を浸した布で拭きながら、悪態をついていた。
「ごめんね、嫌な思いをさせてしまって…どう?痛まない?」
「大丈夫。生き返った思いだよ…」
久々に感じる事の出来た湯気の心地よさに目を細める。
全てを忘れてしまいそうでっあった…ガリア軍に入ってから息をつく暇もなく続いた全ての出来事がまるで嘘のように思え、今こうして彼女といるひと時がずっと昔から、そしてこれからも続くのでは?と錯覚してしまうほど、安らぎに満ちていた。
だが、それに浸っていられる時間はあと僅かである。
ルシルは現実に向き直ると、先程ラウディスが自分に言った言葉が気にかかり訊ねた。
「ところで、長が過去にも同じ過ちって言ってたけど…?」
「半年ほど前にね…」
少女の青い瞳が曇った。
「この村に、フリーシアから逃げてきた人達がいたの…」
思い出したくない記憶なのか…エルティーナは深いため息をつくと、その時の事を話し始めた。
村にたどり着いたのは、テレストと名乗る軍の技術者とその妻ファビス、そして二人の息子であるリイクと言う少年であった。
逃亡の際に負った傷が重く、このまま放っておけば命に関わると判断した長達が、危険を覚悟した上で逃亡者家族をかくまう事を決めたのだが、それから数日もしないうちにフリーシアのVトールがブライムストーンに舞い落り、降り立った兵士達が村を襲ったのだ。
「勝負はやる前からわかっていたわ…なのに、奴らは見せしめみたいに…」
エルテーナは語尾を震わせる。
ブラスターで武装されたフリーシア軍と、科学には縁のないブライムストーンとでは、戦いになるわけも無く、村の民は次々に銃口の前に倒れていった。
エルティナーも剣を振りかざして何人かを仕留めたものの、それも焼け石に水…フリーシア兵達は大方の殺戮を終えると、惨劇の最後を締めくくるべく技術者夫妻をリイクの目の前で殺害した。
「奴らは泣き叫ぶリイクを連れて帰って行ったわ…なのに、あたしにはどうする事も出来なくて…」
悔しさに震える拳を握り締め、少女は自分を責め立てた。
「エルティーナ…」
ルシルには何も言えなかった。
深い悲しみを湛えて潤む瞳が、それ以上の言葉を拒絶していたのだ。
「でも…」
少しの間口をつぐんでいた少女であったが、胸につかえていた心情を吐き出した事で楽になったのか、再び話を再開する。
「リイクは帰って来たの…奴らが引き上げた二、三日後に近くの森の中を彷徨っている所を村の人が見つけたの」
「それって…どういう事?」
「わからない…本人もその間の記憶が無いみたいで…ただ、Vトールの残骸とフリーシア兵の死体が、その近くで発見されたわ」
「墜落…か」
ならば何故少年だけが…?
ルシルは少年に興味を抱かれる。
「今、リイクは何処へ?」
「ここにいるわ、リイク」
少しの間を置いて静かな足音が近づいてきたかと思うと、リイクの小さな頭がひょっこりと入り口に顔を出す。
「君は…」
「彼がリイクよ。会うのは、初めてじゃないよね。おいで、リイク。怖くないから…」
怯えているリイクに代わりエルティーナが紹介すると、再び顔を引っ込めようとした少年を手招きする。
少年は少しの間躊躇していたが、素早くエルティーナの後ろに駆け寄ると、少女の背中越しに見慣れぬ男を窺った。
「この人はルシル、ガリアの兵隊さんよ」
「よろしく、リイク」
先程の一件があるため、出来るだけ怖がらせないように注意したつもりだが、よけいぎこちなくなってお世辞にも上手く言えたとは思えなかった。
でも、そんな不器用さにエルティーナが思わず吹き出してしまうと、それに釣り込まれるように少年も微かに微笑んだ。
「よかった。この子がこんなに早く人になつくなんて。ルシルって才能があるんじゃない」
「こう見えても、子供には好かれる性格なんだ…」
照れ隠しにぶすっとして答えたものの、内心ではまんざらでもない気分だった。
エルティーナが言うには、少年は殆ど喋らないらしい。いや、正確に言えば喋れなくなってしまったのだ。
「目の前で両親が殺されたんだもの。無理ないわ…」
エルティナーはリイクが出て行ったあと、ため息交じりで説明した。
「実際、あたしもどうしたらいいものなのか、わからなくて…」
一瞬、曇った表情を見せる…が、すぐに明るさを取り戻すと…
「でも、あの子が笑ったの久しぶりに見れたわ。ありがとう、ルシル」
悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
「あなたがずっといてくれれば、あの子が笑顔を取り戻すかもしれないのに…」
「ありがたいけど、そうもいかない…僕がいるとまた同じ事が起きる。そうなる前にここを出て行く」
「……」
エルティーナは肯定も否定も出来ずに複雑な表情になった。
「行く当てはあるの?」
「それは…」
今度はルシルが答えられなくなってしまう。
考えが無かったわけではない…が、余りにも可能性が低い計画だったため、言い出すのを躊躇っていたのだ。
ルシルはしばらく沈黙していたが、小さく息を飲み込むと結論を口にした。
「フリーシアの戦闘機を奪おうと思ってる」
「無理よ」
少女が即座に否定する。
「わかってる。でも、それしか方法が無いんだ…」
ちっぽけなブラスターひとつのルシルにとって、成功する確率は限りなく0パーセントに近いと言っていい。だが、それさえもしなければ生き残る確立は間違いなく0である。
それに、自分がいるためにブライムストーンを危険に晒してしまう事に対して、彼自身の正義感が許さなかったのだ。
「エルティーナ…フリーシアの基地まではどうやって…」
「駄目っ、教えない。行ったら間違いなく死んじゃうわ…それに、その体でどうするつもり?武器だって無いじゃない」
少女は激しく首を振る。
「そんなの駄目だよ…」
「エルティーナ、わかってくれ…ここに残るわけにはいかないんだ」
「でも…」
「それに、死ににいくなんて考えてもいないさ。僕なりに良く考えて出した結論なんだ…大丈夫、やってのける自信はある」
少女を心配させまいと気丈に言ってのけた。
それが単なる気休めでしかない事はエルティーナにも、そしてルシル自身にも痛いほどわかっていた。
でも、ルシルの真剣な眼差しに翻弄され、エルティーナはしぶしぶと譲歩する。
「わかったわ…基地の場所はあとで教える。でも、体が治るまではここを出ちゃ駄目よ。それだけは約束して」
「ああ、約束する」
少女を真っ直ぐに見詰め頷いた。




