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第二章 少女エルティーナ

「ん…」


眩い光に瞼の扉を叩かれ、ルシルはゆっくりと目を開ける。


恒星ライマが朝の輝きを放ち、にっこりと微笑みかけていた。


「う…」


突然に飛び込んできた光に対処しきれず小さなうめきを漏らすと、再び目を閉じる。


―俺は…何をしている…?


ぼうっと飛んではっきりしない意識をたぐり寄せると、意識を失う以前の出来事を思い出そうと記憶を解析し…


「あっ…!」


ようやく自分に何が起きたのかを思い出し、それが夢だったのか現実なのかを確かめようと体を起こそうとした…が、横腹に痛みが走り苦痛に表情を歪めると、改めて現実を再確認してベッドに身を静めた。


「痛ってぇ…」


ルシルは生きているからこそ出てきた言葉に痛みを堪えつつ感謝すると、今自分が置かれている状況を確かめようと首だけを動かす。


殺風景な狭い部屋だった。


ルシルが寝かされている木製のベッド以外にあるものといえば、床の上に折りたたまれている彼のジャケットぐらいなもので、色褪せたしっくいの壁に、木で縁取られた窓から覗いている青い太陽だけが唯一の光源であった。


上半身裸になっている彼の傷口には、丁寧に包帯が幾十にも巻かれており、ここにルシルを運んできた者が最低限敵ではない事が推測できた。


「ここは…どこだ?」


今度は慎重に、痛みと相談しながら何とか上体を起こす。


と、彼の正面…入り口に当たる所に一人の少年がぽつりとつっ立っており、視線が鉢合わせになってしまった。


「え…?」


突然の対面にルシルは驚愕して息を呑む。それは向こうとて同じで、少年も鏡で映したみたいに同じ表情になった。


少年は十歳前後だろうか…ルシルと同じような茶色の髪をしており、とても綺麗な青い瞳が怯えたようにルシルを見つめている。


両手には食べ物を運んできてくれたのか、食器が並んだ盆が載っており、携帯食しか消化していない胃袋が空腹を訴え低く鳴き出すと、ルシルは思わず生唾をこぼしそうになる。


「あ、あの…」


張り詰めた空気を解きほぐそうと相好を崩すが、明らかにルシルに対して恐怖を抱いている少年にはそれが返って災いした。少年は盆の上の食器をカタカタと震わせると、くるりと踵を返し、そのまま入り口から急ぎ足で出て行ってしまう。


「……」


少年と共に逃げてしまった食料を未練いっぱいに見送り、落胆に深いため息をつく。


「逃げるんだったら、それ置いていってくれ…」


そんなルシルの情けない声が届いたのか、すぐに食料を載せた盆が返って来た。


だが、それを手にしているのは先程の少年ではなく、少女であった。


それは紛れもなく意識を失う直前に見たあの幸運の女神…


「君は…」


ルシルは呆然と息を呑む。


「気がついたみたいね。二日間も意識が戻らないものだから心配したんだけど…良かった」


ルシルの意識が戻った事で安心したのか、少女はにっこりと微笑みルシルの傍らまで来ると、美味そうに湯気を立てる食事をルシルの枕もとに置いた。


「大丈夫?まだヌゥトの毒が抜け切っていないみたいだけど…二、三日もすれば完全に良くなるわ」

「ヌゥト?」

「あなたを襲ったやつよ。あそこはあいつらの住処よ。知らないの?」


少女は身を乗り出すと、まじまじとルシルを覗き込む。


「ぼ、僕はルシル…ルシル・シード」


ルシルは聞かれるままに答えると、空腹などそっちのけで少女に見入っていた。


歳は十代後半、ルシルより少し年下といったところか…腰までの黒髪が艶やかに光を帯びている。均整の取れた顔立ちはまだ幼さを残しており、ルシルを見据える瞳は、先程の少年に負けぬ程、綺麗な青色だった。


麻色の薄手の繊維からのぞく肌は真っ白で、服越しに伺える少女の身体はもう十分に成長しており、胸元のふくよかなふくらみが妙に艶かしく感じ動揺すると、顔を真っ赤にして目をそらす。


「どうしたの?まだ傷口が傷むの?」


不可解なルシルの仕草を勘違いし、少女が問う。


「い、いや、違うんだ」


少女はまだ男女の愛の営みは目覚めていないのか、ルシルの視線に微塵の羞恥心も感じていないようであった。


それをどう説明していいのかわからないルシルは一つ咳払いをすると、なるべく少女の視線を避けるようにして話をそらした。


「そ、それより、助けてれてありがとう。君が一人であの化け物を?」

「えっ…まあ、そうだけど…」


心配げに小首を傾げると、少女はこれまでのいきさつを話し始めた。


少女の名はエルティーナ。


ルシルが運び込まれたこの集落、ブライムストーンの長、ラウディスの孫だと名乗った。


あの夜、集落の近くに墜落し燃え盛っている戦闘―皮肉にもルシルの機体―を見るためにあの湖の近くに来ていたらしい。そこで偶然にもヌゥトに襲われているルシルを発見し、今に至ったと言う訳であった。


「そう、あなたがあれに乗っていたの…」


黙々と食事に舌鼓を打つルシルに、少女が気の毒気に言った。


墜落した機体は、機械の文明とは縁がないエルティーナが見てわかる程ひどいもので、現場に残っていたものは燃え盛る残骸だけであった。


「これからどうするつもり?もう戻る手段がないんでしょ?」


ルシルは無言で頷くと視線を落とした。帰還の希望が絶たれた今となっては、実際どうしたらいいものなのか考えてもいなかったのだ。


少女がルシルの気持ちを慮ってわざと明るく振舞った。


「あなたさえ良ければ、ここにいてもいいのよ。どうせその怪我じゃしばらくは何も出来ないだろうし…」

「それは駄目だ」


第三の声が否定した。


振り向くと、痩せこけた男が厳しい表情を湛えて二人を見下ろしていた。


「お爺ちゃん…」


エルティーナが突然に現れたブライムストーンの長に息を呑む。

長はエルティーナに目もくれず、年輪のように刻み込まれたしわだらけの顔をルシルに向けると、威厳に満ちた深い声で言った。


「ガリア兵よ…お前をここに置くわけには行かぬ…軍人は常に災いの元だ」

「何言ってるの?この人怪我してるのよ。ルシル、気にしないで」


少女が即座にラウディスの言葉を遮る…が、長は構わずに先を続けた。


「災が起こってからでは遅いのだ…エルティーナ、お前もわかっているだろう」

「でも…」


深い悲しみを宿した老人の瞳に、少女は何も言えなくなってしまう。

長は再びルシルを真っ直ぐに見つめると、懇願するようにその心を打ち明けた。


「ガリア兵、わかってくれ…わしにはこの村を守る義務がある。もう二度と同じ過ちを繰り返すわけにはいかんのだ」


過去の忌まわしい記憶が蘇ったのか、長の声は微かに震えていた。

おそらく過去にも同様の事があったのだろう…

それでこの村が何らかのトラブルに巻き込まれたのだとルシルは推測する。


「わかっています。助けて頂いた事だけでも感謝します」


ガリア兵のルシルはこの村にとって招かれざる客なので。万が一ルシルの存在がフリーシアに知られたら、理由はどうであれ、この村にとって好ましくない状況が訪れるのは容易に想像出来る。

村を守る者であるラウディスの立場を考えるならば当然の事だった。

ルシルは歯を食いしばると何とか身体を起こそうとする。


「すぐに出て行きます。これ以上僕のために迷惑をかけられません。エルティーナ、ありがとう。君の親切は忘れないよ…」

「駄目っ!そんな身体で出て行けるわけないじゃない」


見かねたエルティーナが声を張り上げた。


「ね、お爺ちゃん…何とかしてあげて。この人このまま放り出したら間違いなく死んじゃわ。まだ毒だって抜けきってないのに」

「エルティーナ…」


必死になって懇願する孫の姿に心を打たれた長は、それ以上に言葉を無くしてしまい、ただじっとその瞳を見つめていた。

産声を上げて以来ずっと孫の姿を見てきたラウディスにとって、これ程までに

真剣にぶつかってきたのは初めての事であったのだ。

孫の意思を尊重しようとする一人の老人としての優しさと、長としての責任を果たさなければならない重圧に気持ちが揺れ動き、しばらく目を閉じていたがラウディスだが、やがて何かを決意したように、静かに口を開いていた。


「あとどれくらいかかるのだ?」

「え…?」


エルティーナがキョトンとして聞き返す。


「毒が抜けきるまでにはいつまでかかるのかと聞いているのだ」


意外そうな表情で見る孫の視線に照れくさくなったのか、それを隠そうと眉間にしわを寄せて声を荒げた。


「お爺ちゃん…」


少女は潤んだ瞳で見上げる。


「ヌゥトの毒が抜け切るまではガリア兵を置く事を許そう…見殺しにするのはブライムストーンの人間として後味が悪い…ただそれだけだ」


長は孫の感謝の眼差しを避けるように立ち上がり、不機嫌そうに部屋から出て行った。

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