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第一章 悲劇のパイロット Scene2

後ろで銃声の合唱が響き、ルシルを追う熱線が足元の土ぼこりを舞い上げた。

ルシルは振り返らずに全速力で丘を駆け下りる。普段は神の存在など信じていなかったが、この時ばかりは神に祈りを捧げていた。

―どうかエフェメラの女神よ…哀れな男をお守りください…その願いがかなうなら、私は一生あなたにその身を捧げます…

幸運にも祈りが通じたのか…奇跡的に一発も食らう事無く森に到達する事が出来た。

ルシルは樹々の間を縫ってひたすら走り続ける。ブラスターの容赦の無い追っ手が次々に彼の周りの樹木達を切り倒してゆく。

が、幸いにもそれが盾となって完全にルシルの姿を隠してくれた。

不意に銃声が止んだ。


ルシルは足を緩めると、息も絶え絶えに振り返る。


折り重なった樹木のせいでよく見えなかったが、追っ手達は皆、森の手前で立ち尽くしており、それ以上は足を踏み入れるのを躊躇しているように見えた。


―諦めたのだろうか…?


意外な成り行きに足を止め自身に問い掛けるが、すぐさま否定する。


そんな簡単に貴重な情報源を見逃す程、フリーシアは甘くない…おそらく増援部隊を呼び、一斉に森中を狩り回るのだろう。


ルシルは両手を回しても届きそうに無い大樹に身を隠し、何やら連絡を取り合っているフリーシア兵の様子を伺うとそう判断した。


しかし、それも束の間の杞憂に終わる。信じられない事にフリーシア兵達はぞろぞろとキャリアに引き上げていくと、そのままエンジン音だけを残して去っていった。


―どうなってるんだ?


ルシルはまるで理解できない風情で一人取り残されていたが、当面の危機が去ったのを確認すると、崩れるように座り込み、安堵のため息をついた。


その途端、張り詰めていた緊張が解けたのか、撃ち抜かれた箇所が波を打つように痛み出し、ルシルは苦痛うに顔を歪めると傷口に目をやった。


傷は思った程ひどい状態ではなく、出血はしているものの骨には当たっていないようで、痛みは伴うが何とか腕は動かせた。


ルシルはベルトのポーチの応急医療キットの中から、指一本程のボトルを取り出すと、傷口に向けて吹き付けた。


ボトルのノズルから出た霧状の消毒液は傷口に達すると真っ白な泡に変わり、赤い地肌を純白に染め凝結した。


とりあえずこれで大丈夫だろう。


ついでにポーチから一口ほどの大きさの固形食糧をつまみ出すと、口に放り込む。


心地のいい甘さが口の中に広がり、栄養分が身体の隅々にまで浸透していった。


「最後の晩餐…か」


冗談とも本気ともつかない口調で呟き、苦笑する。


自転周期二十三時間のレキングラムに夜が訪れていた。


さっきまでの銃撃戦による喧騒が嘘のように、森は本来の姿を取り戻していた。


上空では鳥達のさえずりが舞い散り、遠くでは何やら動物のカン高い泣き声が鼓膜を刺激する。


樹海は思ったよりずっと奥まで続いているらしい。どこまでも重なり合う針葉樹が合わせ鏡のようにルシルの視野に映っていた。


生物の姿は見当たらなかった。鳴き声がするのでいない事はないのだろうが、今のところ見える範囲には何も存在しなかった。


「さて…どうしたものか?」


逃げる事で精一杯だったルシルだったが、その目的を達成した後の事は考えてもいなかったのだ。


助かったからと言っても、絶望の淵にいるのには変わりなく、事態が好転するとも思えない。


食料はもってせいぜい三日…それまでに食料の確保が出来なければ、見知らぬ星で飢え死にするのは必至であろう。


撃たれて一瞬で死んでいたのと、空腹に苦しんでじわじわ死んでいくのと、どっちが楽だったのか…


ふとそんな事を真剣に考える。が、慌てて首を振り否定する。


「とにかく今夜の寝床と食料の調達だな」


悪い方へ考えるときりがないので、何か行動を起こす事で少しでも自分自身の気力を奮い立たせようと、ルシルは疲れきっている重い腰をあげた。


そして、あてなど全く無かったが樹海のさらに奥に向かって歩き始めた。


一時間程歩いただろうか…


ルシルの目の前が急に開けたかと思うと、大きな湖が広がっていた。


湖は端から端まで二、三キロメートルと言ったところだろうか。青々と澄み切った水面には、レキングラムの衛星レインズが美しい青さを称えて浮かんでいた。


歩き続けた疲労と、喉の渇きが限界に達していたルシルは、湖のほとりまで足を引きずっていくと、湖水を手の平にすくい、躊躇う事無く一気に喉の置くまで流し込んだ。


生まれて初めて飲む異世界の水が乾ききった体の芯まで潤いを与える。


ルシルは二度、三度続けて湖水をすくい上げると、納得のいくまでそれを堪能した。


「ふう…」


渇きが完全に癒されて満足げにため息をつく。


レキングラムに来て初めて生きている事を実感出来たような気がした。


偶然にもこの場所にたどり着いた事実に、まだ幸運の女神が自分を見放していないと信じる事が出来た。


すっかり気を取り直したルシルは、脂ぎった顔面を洗おうと、もう一度身を乗り出し湖を覗き込む。


ーその刹那


湖水の鏡に映る自身の背後から、得体の知れない何かが見下ろしているのに気がついた。


ーえっ?


考える間もなく次の瞬間、丸太で殴られたような強烈な衝撃が横腹に走る。


その勢いでルシルの体は数メートル程吹き飛ばされ、地面にしたたか打ち付けられた。


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