第2話「雨上がりの軒下」
こんばんは。
めでたく第二話が完成です。
たいしてめでたくも無い話ですが。
今回のケルンの行動。
見てやって下さい。
ケルンはその日、とある街にいた。
酒場の用心棒をしながら、日暮らしを続けていた。
なかなか剣を抜く機会が無いな。
ケルン自身にも不思議でならなかったが。いざどうでも良くなると、妙な悪運が憑きだした。
結局まだ生きていた。
駅馬車か、無軌道蒸気車か迷ったあげく、駅馬車でこの街までやって来た。
そこで足止めを食っていたのだった。
遠くの山が雨煙に霞んでいた。降雨量が多く、山越出来ないのだ。
多くの旅人が、この街に滞留していた。
ハーゲンといったかな?
この街の名前だった。
よくある宿場町だ。長い旅程の者達のオアシスといってもよいだろう。
宿屋と、花街と、呑み屋、賭博。
ありふれた宿場町だった。
駅から出たものの、ゆく宛も無く、金も無いケルンは、ふらふらと散策をしていた。
街は顔役によって仕切られているらしい。
先ほど、開店前の呑み屋に諸場代を無心に来ていた者達がいた。
こんな街だ。国からの治安の維持は望むべくも無いのだろう。
理由はどうあれ、無頼の輩に頼むしか無いのだった。
盗賊の根城になるよりましか。
ケルンはそういう街も見てきた。
考えを、浪々と巡らせつつ歩いていたものの、途端に雨がひどくなった。遥かの山はもはや陰影すら見えないほどだった。
ケルンは、何気なく見つけた家屋の軒下に身をくぐらせた。
やれやれだな。
今更風邪を引いても、どうという事もないが、未だ我が身が可愛いか。
嘆息まじりの独り言だった。
バラバラと屋根に落ちていた雨音が、やがてダーという滝の音に変わった。
しばらくは動けんな。
ケルンは朴然としながら煙草に火をつけた。
紫煙が軒を這い上がって行った。
と、その時。家屋の扉が開いた。出てきたのは年端もいかない女の子だった。
子供はケルンを見つけ、ポツンとした笑みを浮かべた。
「やっぱり誰かいた。何してるの?」
人を疑わない眼差しだった。ケルンは正直に答えた。
「雨宿りをさせてもらっている」
女の子は、少し顔を傾け。ケルンに告げた。
「そっかー、けど、そこじゃ濡れちゃうよ。お家入りなよ」
無垢な誘いだった。
だが、ケルンは断った。
「いや、ここで充分有り難い。気を使ってくれて感謝する。だが俺にはここがお似合いだ、さあ、家に入りなさい。父や母が心配するぞ」
子供は少し困った顔をした。
「お父さん帰って来ないの。今はお母さんだけだよ」
論点がずれつつあったが、子供にとっては大切な事だったのだ。
子供の父は一か月以上も家を空けていた。
「そうか、では母が心配するぞ、濡れて風邪でもひいたら大変だ」
察する所が無いわけでも無いケルンだったが。自分に出来る事は無いと達観していた。
無関心とは違う。しかし、やたらな慈悲を行うほど善人でも無かった。
家の中から女の声がした。
「ルナ。何してるの?雨が入ってくるわ。貴方も風邪を引いちゃうでしょ?ミルク暖めたから、早くおいで」
優しげに言い聞かせるような声。母親であろう。
「母もああ言っている。早くお入り」
ケルンなりに、優しく急かした。
「うん」
ルナと呼ばれた子は、家に戻った。
しかし、すぐに戸が開き、ルナが戻って来た。
手には傘が握られていた。傘を差し出すと、
「屋根だけじゃ、濡れちゃうから、これあげる。お母さんには内緒」
ルナは笑うと、ケルンの返答を待たず、家に引っ込んだ。
子供か。
結局、結婚もしないままだったな。
ケルンはそんな事を考えていた。
浮いた話が無かった訳では無い。腕っ節も立つ。顔もなかなか好面だった。
だがケルンは責任と、ひとところに落ち着く事から逃げたのだった。
自業自得だな。
空虚感がケルンの胸の内を支配した。
雨は一層激しさを増した。差した傘を雨が叩いていた。
と、ふいに、雨音に混じり、車輪の音、空からの雨を弾く屋根の音が聞こえた。見ると、馬車が一台。こちらへ向かっていた。
物好きもいるものだ。こんな雨の中どこへ行こうというのか。
ケルンは他人事のように馬車を見つめていた。
しかし、馬車は家の前で止まった。
男が一人降りてきた。頭は悪そうだが、腕の立ちそうな男だった。腰には剣を差していた。
男が傘を差し、扉を開ける。中からもう一人出てきた男。
優男というには、あまりにも擦れていたが、身なりも良い、だが目つきの悪い男だった。
下男風の男が、嘆くように言う。
「旦那ー、何もこんな雨の中来なくても、それにこの件なら頭が手打ちにしたじゃねーですか」
だが優男は取り合わなかった。
「知らんな。頭が知らなければ済む事だ。それに俺はあの女が気に入った」
何の事かはケルンには分からなかったが。
顔役の下の何者かだという事ぐらいは分かった。
面倒はご免だな。
降りさして、ちらりとケルンを見やった優男。
ケルンは前方の雨を見ているようで、優男に関心は無いようだった。
僅かに鼻で笑うと、優男はケルンへの興味は失せたようだった。
ただの雨宿りか。
優男はそう思った。
優男の名はジーノ。
ケルンの推察通り、街の顔役傘下の男だった。
だが野心家で、顔役の意向を無視しがちな男だった。
こんな雨の中、やって来た理由はひとつ。この家にいる女だった。
惚れたというような、純な想いではない。黒い劣情だった。
この家の亭主。つまりルナの父は、もはやこの世の人では無かった。博打で作った借金がかさみ、逃げようとした所を顔役に捕まり、撲殺されたのである。一か月前の話だった。
顔役は、それで気が晴れたのか、女房と子供への追従を禁じた。
盗賊では無い。住民がいなければ街もまた成り立たない。顔役は、一時の怒りにまかせて事を運ぶほど愚昧ではなく、ある程度の矜持は持ち合わせていた。
しかしジーノは違った。
元々顔役への敬意も無い。彼は己が欲望のままに、ここへやって来たのだ。
ジーノは荒々しく家に入って行った。
「ノア!ノアはいるか!」
「ジーノさん」
「お前の夫が作った借金はどうしてくれる」
「あれは顔役が」
「顔役など知らん。あの賭場は俺の管轄だ、あんな野郎の命で足りるか」
「ジーノ!やめて、ルナが聞いてる」
子供には教えて無かったのか。
勿論外にいるケルンにも話は聞こえていた。
あの年の子供に伝えるには、あまりに残酷な話だな。母親は言えなかったのだろう。
ケルンの憶測は事実だった。
「うわーん、お母さんを怒らないでー」
ルナが泣いていた。幼いルナには話は見えなかった。ただ母が怒鳴られてるのが悲しかったのだった。
「ふん。うるさいガキだ。ノア、いい知らせを持って来てやったのにな」
「な、何ですか?」
「俺の女になれ」
「そ、そんな」
「俺が飽きるまで満足させてくれりゃ、借金は棒引きにしてやる」
「で、できません」
「何が不満だ?どうせロクな亭主じゃ無かったろうに、俺の元に居れば、楽に暮らさせてやろい」
「もうたくさんなんです。私達はたくさん苦しんだ。汚れたお金なんかいりません。私が頑張れば親子二人暮らしていけます。この子はまっとうな出どころのお金で育てたいんです」
ノアはもう、博打や黒い交際など、日に当たらない物と関わりたくなかったのだ。腕のいい職人だった亭主も博打にはまり身を崩した。
そんな世界はうんざりだった。
ルナは、貧しくても、日の当たる世界で育てたかったのだ。
だが、ジーノは取り合わなかった。
「交渉決裂か?ま、どうでもいい。ボノ、この女を連れて行くぞ」
「わかりやした、おい、来い」
「やめて、離して!」
「お母さん!お母さん!お母さんに乱暴しないでー」
ルナが泣き叫んでいた。
「旦那、うるさくてかないません」
「捨て置け」
家の中から、激しい物音が響いた。
ややあって、扉が開いた。
ジーノが出てくる。その後ろには羽交い締めにされた女が見えた。ノアだった。
ケルンはまだ軒下にいた。
決まらない心を持て余していたのだ。
ケルンは聖人君子では無い。
そんなケルンに牽制の視線を送りつつ、馬車へ近づくジーノ。そしてボノ。
「やめて、やめてください。言うことを聞きますから、ルナを一人残していけない!」
もはやジーノとボノは聞く耳も持たなかった。
むしろ悲鳴を楽しんでいるようだった。
「お母さん!お母さんをどうするの!お母さんを返して!」
ずぶ濡れになりながら、必死にボノの足にまとわりついたルナは、思い切りその足に噛みついた。
「いてっ!?」
ボノがうめき声を上げた。ノアを拘束する力が緩む。
ノアが逃げた。
我が子を庇うように抱きしめる。
「ルナ」
「お母さん」
しかし、逆上したボノにノアとルナが引き離された。ルナが泥水に転がった。
「ルナ!」
「お母さん。いやだー行っちゃいやだー」
ルナは号泣していた。
ジーノはその様子を見ていたが、ニヤリと狡猾な笑みを浮かべた。
「ふん。こいつも連れて行くぞ。なんかの慰み物にはなるだろう。処置に困ったら売り飛ばせばいい」
その声を聞いたノアが絶叫した。
「やめて、ルナには何もしないで、もう私にはルナしかいないの、ルナだけは、ルナだけは」
泣いているルナに近づくジーノ。
幼いなりに、ジーノが敵で、自分に危害を加えようとしている事を察知したルナ。
「いや、いや、来ないで、おじさん。助けておじさーん」
ルナはケルンがいた方向を見やった。
ジーノも思い出したかのようにそちらを向く。
しかし、その方向にケルンはいなかった。
逃げたか。薄情なヤツだ。ジーノが身の程知らずもいいところな感想を浮かべたその時。
「こっちだ」
ケルンがいた方向と、反対側から男の声がした。
振り返ったジーノとボノ。
そしてその刹那、ボノの目に寸分狂わず突き刺さる傘の先端。
ケルンの正解に繰り出された突きだった。
ケルンの手には、ルナがくれた傘があった。
悲鳴を上げ、倒れ込み、目を押さえてのた打ちまわるボノ。
ノアはルナに駆け寄り、抱き起こし、その身を守った。
ケルンは二人の前、つまりジーノの前に出た。
「くっそ!この野郎」
ジーノは懐に手を伸ばすと、銃を手にした。
ピースメイカーに似た銃。西部開拓時代のそれに酷似していた。
この世界にも、一般的では無かったが銃はあった。
ジグザグに突進して来るケルンに向けて狙いを定めようとするジーノ。
引き金を引こうとした瞬間。眼前で傘が開いた。
突然の事に、何が起こったのか理解できず、棒立ちとなるジーノ。
その脇に現れたケルン。
傘はジーノの前でふわりと転がった。
気付いた時には遅く、腕を捕まれたジーノが、反射的に引いた引き金。
発射された弾はジーノの首を貫通した。
口から泡のように血を吐き目を見開きながら、ジーノは倒れた。
もはや動かない。
ボノはケルンが手にしたジーノの銃により射殺された。
ケルンは馬車の御者に、ジーノとボノの死体を積み込ませ、内輪もめした事と真相を吐いたら殺しと脅し、返した。
御者も顔役の手下だった。彼はジーノの独断を知っていた。
ジーノを止めなかった我が身に火の粉が降りかかるであろう事も。
幸い、二人は死んだ。
彼は死ぬまで黙っている事にした。
「ありがとうございます。ありがとうございます、どなたが存じませんが、なんとお礼をしたらよいか」
我に返ったノアがケルンに何度もお礼を述べた。
「おじさんありがとう。お母さんと私を助けてくれて」
ルナは涙と泥でグチャグチャになりながらも、目一杯の笑顔を見せた。
「気にするな。死ぬまでの暇つぶしだ。それに、雨宿りの礼だ」
ケルンは、感謝で頭を下げる二人を残して、家を後にした。
雨が上がった。
虹が出た。
道にできた水たまりに七色の虹が映る。
虹を背にしたケルンは、閉じた傘を片手に、やや満足そうな微笑を浮かべながら歩いて行った。
読んで頂きまして、ありがとうございました。
ニヒルとは言いませんね、ハードボイルドとも違います。
浪人の様なケルン。
今度はどこへ向かうんでしょう。