第74章:自分の気持ち
【SIDE:七森春日】
どうやら桜華が本格的に彼氏を作ろうとしているらしい。
僕が本人から聞いたのではなく彼女の友人である和音ちゃんから聞いた。
「桜華に彼氏が……?」
「いえ、まだ出来たというわけではないみたいですけど、本人が明日、とある人から紹介を受けてみると言ってました」
僕は部活の園芸部の活動で土いじりの真っ最中だ。
偶然にも中庭を通った和音ちゃんとの雑談の中でそのような話題が出た。
桜華と喧嘩して以来、本人とは話す機会もなく、大変なんだけど。
本当に彼女は他の人と付き合うつもりなんだ。
「……いいんですか、七森先輩?」
「桜華が決める事だよ。彼女が決めた事なら僕は何も言わない」
僕はコスモス畑の整理をしながら彼女に言う。
綺麗に咲いてくれてこちらとしても世話のしがいがある。
そんな様子に和音ちゃんは不満そうだ。
「先輩も桜華が好きじゃないんですか?」
「どうかな。僕は恋愛とかよく分からないから」
「もうっ、そうやって桜華から目をそらすのは可哀そうです。そりゃ、桜華だって怒りますよ。あの子は素直じゃないし、可愛げもなくて気が強いだけの子ですけど、私から見ても七森先輩の事がかなり大好きなんですよ」
和音ちゃんから怒るような口調で僕に言う。
「……和音ちゃん?」
「先輩だって桜華の事、好きじゃないんですか?」
「僕は好きとか嫌いとか、よく分からないんだ。恋って何か分かんないからさ」
「恋愛したことないって前に言ってましたよね?」
僕は頷いて答えると、和音ちゃんは「先輩はずるいです」と非難する。
「ずるい?どういう意味で?」
「恋愛が分からないからって理由で桜華をフったんでしょう?それじゃ、桜華も先輩に愛想をつかしますよ。先輩の鈍感っ」
うぐっ、ストレートに言われると傷付くなぁ。
僕はため息をつくと、スコップを置いて和音ちゃんに向き合う。
「どうすればいいか分からないから困ってるんだよ。僕は僕なりに桜華に対応したつもりだよ。それでも、ダメだったんだ」
「先輩なりに?」
僕は頷きながら桜華の事を思う。
別に僕は桜華を拒絶したわけじゃない。
妹以上に彼女の事を思う気持ちもある。
だからこそ、恋人と言う形ではなく、まずは恋愛をしたかったんだ。
恋をしなくちゃどんな関係になろうともうまくはいかない気がした。
和音ちゃんからは「先輩は逃げてるだけです」とキツイ一言をもらう。
彼女が去った後の中庭で僕はひとり、花に触れながらため息をつく。
「やっぱり、今回の事は僕が悪いのかな?」
恋愛とか気にせずに桜華を受け入れてあげればよかったのか。
「……春日も真面目クンよねぇ。園芸部って毎日大変なんだ」
和音ちゃんと入れ替わるように中庭に来たのは咲耶さんだ。
彼女は沈み込んだ僕に「まだ引きずってるの?」と心配そうに言う。
「恋愛に悩むのって、悩むだけ無駄だと思わない?大抵、答えなんて出ているものでしょう」
「誰だって恋愛事には真面目に悩んだりするんじゃないんですか?」
「そんなに悩む事でもないと思うわ。好きだから付き合う。嫌いなら付き合わない。単純な話でしょ」
「そりゃ、そう考えれば単純でしょうけど……」
好きじゃなければ付き合う事もない。
それだけの話だと言われてしまえばそれまでだ。
「複雑に考え過ぎているのよ。一度、桜華と言う存在を失ってしまうのもいいかもしれないわ」
咲耶さんの思わぬ言葉に僕は動揺する。
「桜華が他の男に取られてしまう、と言う意味よ。春日は大事な事に気づいていない。人って失ってしまえばどんなに大切だったか本当の意味で分かるもの」
桜華を失うと言う事。
明日、桜華が彼氏になるかもしれない相手と出会うらしい。
もしかしたら、本当に彼女はその相手と交際する可能性もある。
「ただし、失ったものは元には戻らない。それも覚えておいて。後悔したくないなら、もう一度、本当の気持ちを確認してみればいい。失ってからじゃ遅いって誰でも知ってるのに出来ないのよ。なぜかしら?」
それは彼女自身の経験からだろうか。
恋人だった相手と別れなければいけなくなった事情が彼女にはあった。
だからこそ、僕に彼女は言うんだ。
「――後悔するのかどうか、それを決めるのは貴方自身ということよ」
咲耶さんの言葉が僕の胸に突き刺さる。
僕は桜華をどうしたいのか。
僕の本当の気持ち、心はどこにあるんだろう。
それは真夜中の事だった。
喉が渇いたので水でも飲もうとキッチンを訪れる。
真夜中の12時、いつもなら静かなリビングに人の気配がある。
「誰かまだ起きているんだろうか?」
僕がリビングを覗くといい香りがする。
「……ホットケーキ?」
匂いがする方を向くと桜華がホットケーキを食べていた。
彼女はまだこちらに気づかずいる。
「桜華、夜食を食べているのか?」
「兄貴?ふんっ、どうでもいいでしょ。お腹空いたから食べてるだけよ」
テーブルには冷凍パックのゴミ。
なるほど、冷凍食品か……。
僕はそれを片づけながら、コップに水を注ぐ。
桜華に嫌われて以来、互いに避け続けている。
今もそうだ、顔を見合わせる事も出来ずにいる。
「兄貴は何しに来たのよ」
「喉が渇いたから水を飲みに来ただけ。桜華がこんな時間にモノを食べるのって珍しいね」
何とか会話を繋げながら僕は水の入ったコップに口をつける。
桜華は太るからという理由で夕食後はあまりモノを食べない。
「食べたくなる時くらいあるわよ。誰だってそうでしょ。用が終わったらさっさと部屋に戻ってくれない?」
自分が夜食を食べている所を見られたくないらしい。
それ以外にも僕が傍にいると嫌だと言う理由もあるみたいだ。
「その前にひとつだけいいかな。桜華は本当に彼氏を作るつもりなの?」
「明日、咲耶さんからいい人紹介してもらうつもり。それでうまくいけば私にもようやく彼氏ができるってわけよ」
咲耶さんが紹介だって?
僕はそんな事を彼女からは一言も聞いていない。
「別に私がどこの誰と付き合う事になっても兄貴には関係ないでしょ?」
彼女は食べ終わったお皿を片づけると、部屋を出ていこうとする。
「さぁて、もう寝よっと。明日が楽しみ~っ」
桜華が僕の横を通り過ぎていく。
何で、こうなってしまったんだろう。
僕と桜華、兄妹の関係も壊れて、何もかも失いそうで……。
そうか、失いそうで、だけど僕はまだ失ってはいないんだ。
今になってようやく僕は咲耶さんが何を言いたかったのかを理解する。
「……待ってくれ、桜華」
僕の心の中に桜華がいるのか自分自身に問いかけてみて答えが出た。
このまま行かせたくないから僕は彼女の腕をつかむ。
「何よ、兄貴?私に触らないでっ」
「僕が悪かった、ずっと桜華は僕に気持ちを向けてくれていたのに。今もそうだ。僕は桜華を傷つけてばかりいる」
言葉はトゲトゲしくとも桜華は悲しそうな顔をしている。
彼女の本質というものを僕は気づいていたはずなのに。
「――桜華とちゃんと話がしたいんだ。大事な話をしたい」
妹と向き合う事を恐れてはいけない。
大事なものをなくす前に、僕にはするべき事があるはずなんだ。