第73章:怒りの理由
【SIDE:七森桜華】
許さない、私の気持ちを踏みにじった春ちゃんの事はどうしても許せない。
私の気持ちを分かってくれない、彼が嫌いだよ。
もういい、私の中で何かが吹っ切れた。
あんな優柔不断なウジウジ男を好きでい続けてもしょうがない。
私は新しい恋を見つけるのよ、そう、見つけてやるわ。
どんなに頑張っても振り向いてくれない。
私も疲れたし、嫌になったの。
振り向いてくれない相手より、私に振り向いてくれる相手を探す。
私はそう決めたのよ、春ちゃんを諦めるって……。
その日は撮影の仕事があって、室内の撮影所で雑誌のモデル撮影をしていた。
「桜華ちゃん、もうちょっと笑顔にできない?」
「……ダメですか?」
「うーん。いまいち。表情が硬いって言うか……休憩いれる?」
「すみません、お願いします」
モデルの写真撮影、女性カメラマンの澤近さんに私は謝る。
彼女はこのモデル事務所の専属カメラマンで、基本的に10代のモデル撮影をする人なので親しみやすい。
「はい、どうぞ。紅茶でいい?」
「ありがとうございます」
こんなに調子を崩したのは久しぶりだ。
私情と仕事を区別するのはプロのモデルとしては当然のこと。
テンションに左右されているようじゃダメな事くらい理解している。
「調子が悪い時って誰でもあるけど、桜華ちゃんは何かあったのかしら」
缶紅茶を受け取りながら私は「失恋しちゃいました」と正直に告げる。
「失恋か。高校生だと恋をして、失恋して成長していく。でも、成長だと思えるのは大人になってからなんだよね。私もそうだったもの。桜華ちゃんの好きな人って、どんな人なの?もしかして、前に来てくれていたお兄さん?」
「えぇ。義兄なんです、だから精一杯アピールして、振り向いてもらう努力も続けてきました。それなのに、全然ダメで、振り向いてもくれない。もう諦めたんです。どうしても私は彼の妹以上の存在にはなれませんでしたから」
「好きって気持ちを諦めなきゃいけないってのは寂しいものよ。そりゃ、桜華ちゃんも調子崩しちゃうわけだ」
それでも、崩れてしまう所を見せてしまう事はプロのモデルとして最低だ。
私は「ごめんなさい」とシュンッとうなだれながら、紅茶を飲み干す。
休憩が終わったら、今度こそ頑張らなきゃいけない。
「――失恋したヒロインぶるのはやめなさい、桜華」
そんな私を叱責する声、振り向くと咲耶さんがそこに立っていた。
「撮影、順調に進んでいないって聞いたわよ?」
「そうですけど。何で、咲耶さんがここに?」
「こちらはこちらで、打ち合わせよ。芙蓉ブランドの次の商品の広告に誰を起用するかっていうね。貴方以外にも、何人か別ブランドで起用する予定なの。それはいいとして、ちょっとこの子を借りていきますよ、澤近さん」
私は彼女に強引につれていかれて撮影所から出る。
そのまま私が連れてこられたのはビルの屋上。
秋とはいえ、次第に寒くなり始めたうえに風が冷たいし、髪型が崩れそう。
「風が強いんですけど、ここに来た理由は?」
「私が屋上好きだから。高い場所って気持ちがいいじゃない」
「……何とかは高い所が好きって言いますからねって、いひゃい」
私の頬をつねる咲耶さんは笑顔で「契約破棄OK?」と恐喝してくる。
権力者には下手に逆らうな、と言う事だ。
私は謝りながら、警戒感たっぷりに彼女と対応する。
「それで、わざわざ連れ出して何です?しかも、悲劇のヒロインぶるなって、私がそんなキャラに見えます?」
「いつもの堂々としたお姫さまっぷりはどうしたのよ。大好きなお兄ちゃんに嫌われて自信喪失?本当にブラコンなのね」
私は黙りこみながら、ふてくされる態度をとる。
この人は苦手、今の私には2番目に会いたくない人だ。
ちなみに1番目は春ちゃん、顔もあわせたくないわ。
「仕事に影響を出すなんてまだまだ桜華もプロ意識が低いのね。素人じゃないんだからしっかりしなさい」
「嫌みを言われなくても自覚しています」
「そう?それならいいけど。春日も気にしていたわ。貴方と喧嘩してしまったこと。どちらが悪いとか言うつもりはないけど、桜華も春日の事を理解してあげればいいのに。あの子にはあの子の考え方がある、それを無視して強引に意見を押し付けたら反発するのは当然じゃない」
喧嘩した時に春ちゃんから「僕の事も理解して欲しい」と言う言葉を聞いている。
だけど、私は意味が分からない。
これまでも春ちゃんの事は理解しているつもりだもの。
私の事を理解してくれないのは春ちゃんの方じゃない。
これだけ頑張ってるのに、どうして?と何度も苦しめてきた。
「もういいんですよ、どうせ兄貴は私の事を好きじゃない。頑張っても振り向かせられなかった。だから、諦めました」
「諦めたんだ?へぇ、本当に?無理でしょう、ブラコンさんなのに?」
「無理じゃありませんっ。私は他の相手を探して恋をする事に決めたんです」
そうよ、あんなウジウジ兄貴なんて、もう知らないんだからっ。
「それはいい考えね。気持ちを切り替えて、モデル業に専念してもらえるもの。こちらも明後日には仕事を頼みたいと思っていたから好都合。何なら私から貴方好みのいい男を紹介してあげるわ。彼氏募集中なんでしょう?」
「……え?」
思わぬ突っ込みに私は呆然としてしまう。
彼氏が欲しいと言ったけど、春ちゃんを諦めかけているのも事実だけど。
本当に私が春ちゃん離れできるかはまた別の問題なわけで。
「あら?今、言った事は嘘?それとも、春日の事を諦められるわけなんてないってことかしら。新しい恋をするんでしょう?」
「し、しますよ。えぇ、ぜひ紹介してください。彼氏が欲しいって言いましたから。でも、私は男の子の好みにうるさいですから、付き合うかどうかは別です。そもそも、私好みってどういう趣味か知ってるんですか?」
「女装がよく似合いそうな可愛らしい男の子、でしょ?」
うぐっ、ストレートにそう来られると私は言い返せない。
春ちゃんに似た子がいれば外見的な意味では合格だけど、中々いるはずがない。
彼女は私の肩にそっと触れて、微笑みを見せる。
「それじゃ、私の方で“彼”には連絡しておくわ。明後日をお楽しみに」
「……は、はい」
「それじゃ、仕事に戻って。今ならまともな顔で撮影できるでしょ。プロのモデルなら失恋のひとつやふたつで顔色変えないものよ。貴方もプロらしく覚悟を見せなさい。桜華もまだまだねぇ」
最後は嫌みっぽく正論を私にぶつけて彼女が去っていく。
「今さら言われなくても分かってるっての!」
誰もいなくなった屋上で悪態つきながら私は暗くなり始めた空を見上げた。
夕焼けも終わり、夜の時間の訪れだ。
「彼氏、か……。ホントに作っちゃおうかな。失恋を忘れるには新しい恋ってよく言うもの。そうよ、それが一番なんだ」
振り向いてくれない男より、振り向いてくる男を選ぶ。
私がしている事は間違いじゃない、諦めないでずっと思い続けるのは疲れたもの。
「よしっ、お仕事頑張ろうっと」
咲耶さんと話したせいでムカついたけど、気合は入れなおせた。
いつまでも落ち込んでいちゃいけない、私が自分で決めた事だもの。
私は新しい恋をする、春ちゃんなんてもう私にとって過去の男だもん……。