第6章:雨に濡れた妹
【SIDE:七森春日】
今日は夕方から雨が降るらしいということで傘を持ってきた。
しかし、朝は雲ひとつない快晴、ホントに降るのだろうか。
そんな僕に桜華は「こんな晴れの日に雨なんてふるわけじゃないじゃん」と傘を持つ僕を笑いながら登校したのが今から約6時間前の出来事だった。
そして、放課後になって大ぶりの雨が降り出して、僕の教室に桜華がやってきたのだ。
「――兄貴、持ってきた傘をよこせ」
……相変わらず身も蓋もない、容赦のない女の子です。
僕は苦笑いをしながら「一緒に帰ろう」と提案する。
「――だが、断る」
「いや、この場合に拒否権は僕にあると思うんだ」
「うっ、嫌よ。兄貴と一緒に仲良く相合傘なんて。今時、そんなシチュが受けると思ってるわけ?バカじゃないの」
なぜ、好意で傘に入れた上げようと提案したのにこんな扱いをされるんだろう。
朝、僕をバカにしていたので自業自得だと思う。
「天気予報を少しでも信じて折りたたみ傘を持ってくるべきだった」
「何よそれ。私が悪いみたいな言い方じゃない」
妹はそれがどうしたとばかりな態度を示す。
どうして、彼女は他の誰にも真似できないような強気さを見せることができるのかな。
その強い心が僕にも欲しいです、切にそう思う。
「……そう言ってるんだけど、そう聞こえないのかな」
とかぼそっと小声で言ってみたり。
僕らは窓の外に目を向けるが、どんよりとした雨雲と大雨でやみそうな気配はない。
天気予報では明日の朝まで大雨に注意と言っていた。
「それで、帰るの、帰らないの?どっちよ」
それは前に「傘を置いて」という文字が入ってる気がするのは気のせいじゃない。
「一緒に帰るという選択肢はないのか」
「ふぅ、仕方ないわね。兄貴がどうしてもというなら、私もその傘にはいってあげてもいいわよ。可愛い妹を雨に濡らして帰すのは可哀想でしょう?」
「さぁて、帰ろうかな。僕一人で」
僕もたまには桜華に強気に出てみた。
あとが怖いのでちょっとでも反応があり次第やめます。
弱腰なら最初からしなければいいのにって意見はなしの方向で。
「……ふんっ。そんなこと言うんだ。いいわよ、ひとりで雨に濡れて帰るもの。これは兄貴が持って帰ってよね」
僕に荷物を押し付けると妹はさっさと帰ってしまう。
……なぜに彼女は自分から折れるという言葉を知らないんだろう。
桜華もちょっとは素直になれればいいのに。
「はぁ、僕もいつまでもジッとしていてもしょうがないし帰るか」
彼女の置いて行った荷物を抱えて、僕は歩き出す。
廊下の窓から見た空はまさに本降り、ここを突っ切るのは難しいだろう。
校舎を出ようとした時、僕の目の前に先ほどいき勢いよく出て行ったはずの桜華がいた。
「お、桜華?」
彼女は髪を濡らしていた、制服はまださほど濡れてはいないようだ。
「……先に帰ったんじゃなかったのか」
「制服を濡らして帰るとママに怒られるもん」
「そういう理由でくるか。ほら、髪が濡れているよ」
僕は彼女の濡れた髪をハンカチでふいていく。
外に出たのはいいが予想以上に雨が強くて、諦めたらしい。
「ありがと……」
「今度こそ、一緒に帰る?」
「わ、分かった……傘に入れてよ、お願い」
初めからそう言えばいいのにね。
僕は反対することなく受け入れる。
「確かにこれは傘なしで帰るのは辛いな」
僕らは並んで傘に入りながら雨を見上げる。
今日は一日中雨だと言っていただけに結構な雨だ。
「狭いんだからもうちょっと寄りなさいよ」
「……でも、これ以上寄るのは」
身体が触れ合う距離に僕は意識させられる。
「彼氏なんだからもっと寄ってもおかしくない」
僕はまだ自分が桜華の恋人だと認めていない。
彼女は有無を言わさない態度で僕との距離を近づける。
「妹を意識するのっていうのも、どうかと」
「妹じゃないし、恋人だし」
「僕は……痛っ、足を踏むのはやめて」
こんなときでも桜華の容赦ない攻撃が……。
仕方なく距離を詰める、うぅ、桜華の肩が僕に触れて気まずい。
それを楽しむ素振りの桜華。
「……兄貴ってホントに女の子に慣れていない」
「当り前じゃないか。慣れてるわけないじゃない」
「何をビビってるの?女の子がそんなに怖いのかしら」
僕が女の子慣れするような要素がどこにある。
しかも、女の子が怖いんじゃない、桜華が……けふん、けふんっ。
ただでさえ、僕は妹にいじめられて女の子が苦手になっている。
「心配しなくても、私が慣れさせてあげるわ」
「……それ、何か違う気がする」
誰のせいでこうなったのか、その意味で考えると……。
桜華は女の子が苦手な理由が自分のせいだと気付いていないようだ。
「ねぇ、兄貴って今、身長どれくらい?170センチは越えた?」
「それぐらいは超えているよ」
「ホントに?嘘をついたら明日から春ちゃん姿で学校に登校させるわよ」
「――ごめんなさい、嘘つきました。本当は168センチです」
ちょっとぐらい誤魔化してもいいじゃないか。
しかし、桜華の前で嘘をつくのはある意味、命がけだ。
「何だ、超えていないんだ。私が165センチだからそんなに差はないね」
彼女はモデルとしてもう少し高い方がいいらしい。
僕の好みは身長が低い子の方が可愛くて好きなんだけど。
「……今度、うちの事務所の人、紹介してあげようか?」
「どういう意味での紹介だ。やめてくれよ」
「そう?兄貴の容姿ならありだと思うわ」
どういう需要があるんだろう。
気になるけど聞きたくない、聞きたくないよ。
「……」
わずかな沈黙、お互いに話すことがなくなったのか黙り込んでしまう。
「……兄貴から何か話題をふりなさいよ」
「え?僕から?」
「当然でしょ。私から聞いてばかりじゃ面白くないじゃない」
お互いにではなく、僕から何か話をしろという意思表示で黙っただけらしい。
うーん、と言われても僕が彼女に聞きたいことなんて……。
「か、彼氏とか好きな人はまだできないのか」
「……っ……!」
いきなり桜華はムッと頬を膨らませて、僕に攻撃を開始する。
地味に小さく腹部に攻撃を開始する桜華。
「私の彼氏は兄貴だって言ってるでしょう。もっと自覚しなさいよ」
どうやらその言葉が桜華の逆鱗に触れたらしい。
足を止めると僕の襟首をぐっと掴んでくる。
「……前から思ってたんだけど、私との恋人関係、冗談か何かと思っていない?」
「だって、桜華は……言葉が悪いけど、誰でもよかったわけだろ?」
そうだ、あの日、僕に告白してきたのも、自分に恋人が出来なかっただけだ。
桜華は僕の容姿が気に入っていたらしくて、だから……。
「それとも、僕のことが好きで言ったの?」
「ち、違うわよ。……違う、そうじゃない。彼氏ができないから代わりに……でも、付き合うならちゃんと付き合いなさいよ」
桜華はそう言って誤魔化すように、僕に口づけをかわす。
通算4度目のキスは何の高揚感も何もないものだった。
「……兄貴は、私と付き合ってるつもりはないの?私だけが勝手に思ってるだけ?」
「それは……」
実際に僕が桜華と恋人だと言われても、違和感がありすぎて、現実味がないのは事実だ。
僕個人の意識では交際しているつもりはない。
「どうでもいい。兄貴がどう思っていようと関係ないもの。私は私の好きにする。兄貴に拒否権なんて永遠に存在しない」
「うぅ、いつもながらひどいっ……」
「何か言った?ん?」
「いえ、何でもないから。気にしないでくれ、うん……」
どうして僕は肝心な時にはっきりと物を言えないんだろう。
もどかしさのようなものを感じつつ、僕らは歩き出す。
「少しは女心を知る努力をした方がいいわよ。それと女の子の喜ばせ方も」
「……どちらも妹と接するうえで大して必要のないスキルだと」
「言葉を間違えたわ。私の喜ばせ方を兄貴は勉強しておきなさい。命令よ」
またも絶対宣言、毎回、実際にしないとひどいめにあわさせられる。
「次の日曜日もまたデートするわ。その時はちゃんと私をリードできるようにしなさい。いいわね?拒否は許さないから、覚悟しておいて」
「こ、今週の日曜日は……」
「何か用事でも入ってる?嘘ついて誤魔化したらどうなるか」
僕は妹に逆らえない、強気の態度に出ることもできない。
はぁ……頭が痛いよ、いろんな意味で。
「何も用事がないなら、デートよ。約束を破る男の子じゃないことを信じてる」
雨が降り続く空、まるで僕の心と同じ。
いつかは僕も桜華に勇気を持って立ち向かえる日が来るのかな。
……そんな日が来ることを祈りつつ、僕らは家まで一緒の傘に入り続けていた。




