第67章:男の娘って何ですの?《前編》
【SIDE:七森春日】
僕にとって運命の決断の時、迫る――。
「春日に選ばせてあげるわ。この件を桜華に報告するのか、それとも、黙って素直にモデルを引き受けてくれるのか」
咲耶さんの言葉に僕は冷や汗をかきながら困り果てる。
どちらも嫌だ、逃げ道がないんです。
僕は窮地に追い込まれていた。
それもすべては数分前のある事故が僕をこのような立場に追い込んでいた。
本日は女装モデルの撮影の本番。
桜華と芙蓉ブランドの写真撮影をする事を承諾するか、否か。
僕の決断は当然ながら「拒否」の意思を示すこと。
やっぱり、僕としても男のプライドがあるわけで。
ここで女装を受け入れるのは本当にやめて欲しい。
……咲耶さんがどうにか諦めてくれるといいのだけど。
しかし、意外なことに学校では彼女は直接行動をせず。
全ては放課後、僕は屋上に呼ばれて上にあがる。
そこにいたのは咲耶さん、ベンチに腰掛けて空を見上げていた。
「あら、掃除お疲れ様。はい、どうぞ」
「え、ありがとう……」
僕を待ち構えていた彼女はこちらにジュースの缶を手渡してくる。
こちらは掃除当番で来るのが少し遅れたのだ。
僕はジュースを飲みながら彼女の話を聞くことにする。
本題=モデルの件を承諾か、否か。
僕の中で答えはすでに決まっている。
答えは否、どう考えても反対させてもらおう。
だが、その本題の前に彼女は自分の話をし始めた。
「私は今、芙蓉ブランドの広告関係のお仕事をしているの。とは言っても実際はどういう相手にこの商品を紹介してほしいっていうイメージの合う人間を探すだけ。オーディションをしてモデルたちの中からイメージのあう相手を選ぶのよ」
「……桜華もそうして選ばれたんですよね?」
「えぇ。彼女は元々、ファッション雑誌で同世代の女の子に人気のあるモデルだったわ。私も知っていたけど、実際に会ってこの子だって思ったの。他の子にはないものを感じ取れた。実際にそれは正しかったのよ。彼女はこちらの予想以上の力を持っていたわ」
桜華がモデルをする事になった商品は今年の夏に発売された高校生向けの化粧品。
そのポスターを桜華から手渡されて、今でも僕の部屋においてある。
「桜華って可愛いだけじゃなくて、何ていうのかな、大人びた感じもあるでしょ。そういう雰囲気が、大人になりたがる女の子そのものってイメージにぴったりだったの。実際に彼女をモデル起用した商品は売れ行き好調だしね」
「……咲耶さんが桜華を気にいってくれているのは分かりました」
広告っいうのは商品をいかに売りだすか大事なことだ。
芙蓉ブランドは大企業の一流化粧品ブランド。
そこに起用されている桜華は僕でもすごいと感じている。
「本題に入りましょうか。春日、私は別に貴方を傷つけるつもりでこのお仕事に誘っているんじゃないのよ?貴方が本当に嫌なら“無理”には言わない。春日が自分からしたいと言わなければ撮影する意味がないもの」
「それなら、今回の話は……」
「でもね、春日。私はこういう写真も持ってるの」
彼女は僕に一枚の写真を手渡してくる。
そこに写っていたのは、僕と咲耶さんが抱き合う写真だ。
「え?あ、え!?こ、こんなのいつのまに……!?」
僕にはまるで覚えがないが、そこに確かに抱きしめるような形の写真がある。
「……記憶にない?」
「いえ、まったく。えっと、これっていつの写真でしょうか?」
「ふふっ。写真を見れば分かるはず。頑張って思い出してね」
彼女は僕にその写真を渡すと「移動しましょうか」と促した。
どこへ、とは聞くまでもない。
モデル事務所に決まっているのだが……あれ?
「ぼ、僕は、行きませんよ?」
「……行かないの?モデル、してくれないの?」
「だって、僕は女装姿なんてしたくないですし、そもそも、僕は……」
「まぁ、行かない、協力してくれないっていうのなら、それでもいいけどね。桜華には私から話しておくわ。写真の件も含めて」
その一言に僕は顔を青ざめさせていく。
ちょっとお待ちくださいませ。
それはかなりまずい展開になるのでは……?
『他の女の子とキスするなんて、お兄ちゃんの裏切り者っ!』
絶対にそういう感じの修羅場になること間違いなし。
これはマズイ、確実に抱き合う&顔を近づけあう写真だ。
桜華でなくとも変な誤解を与える写真だ。
よく見てみれば、それは車の中での写真のようだ。
「……車?ま、まさか、昨日のあの時の写真ですか!?」
そうだ、僕はようやく思い出したのだ。
昨日、モデル事務所に行くまでの車の中で咲耶さんが顔を無意味に近づけてきた。
『お願いだから少しだけジッとしていて』
僕は彼女の顔が近付くことにドキマギさせられた。
ただ、僕の頬に触れて何かを調べているようにも見えたのだけど。
この写真は明らかにキスをしようとする写真にも見ようによっては見える。
本当に際どいアングルとポーズ、計算しつくされた構図と言っていい。
『……よしっ、決めたわ。もういいわよ、春日』
『一体、何だったんです?』
『それはついてからのお楽しみ。もうすぐよ』
あの時の言葉の意味が今になって判明する。
しまった、これってこういう写真をとるためのものだったのか。
「ひ、卑怯ですよ、桜華にこんな写真を見せたらどういう目にあわされるか。咲耶さん、どうしてこんな真似をするんですか!」
「……だって、正攻法でダメならこういう手を使うしかないでしょ?」
しれっという彼女はにこやかな笑顔を浮かべて言うのだ。
「春日に選ばせてあげるわ。この件を桜華に報告するのか、それとも、黙って素直にモデルを引き受けてくれるのか。好きな方を選んでいいのよ。どちらでも私はいいの。あなたの本心を聞かせて」
「ど、どちらもお断りします!!」
咲耶さんがこのような手段を使うとは思いもしなかった。
この写真、桜華の手に渡るようなことがあれば僕の命は危機に陥る。
僕は追い込まれつつあるのに気付きながらも対処できない。
「……そう。それじゃ、今回は諦めるわ。明日、また会いましょう」
彼女はあっさりと引き下がるとそのまま去ろうとする。
「え?もういいんですか?」
「貴方の口から返事が聞きたいの。無理ごいはしたくない。だから、いいのよ。変な真似をしてごめんね?」
……咲耶さんの引き際のよさ、僕は何だか申し訳なくも感じた。
彼女は本当に僕の事を考えて話をしてくれているのかもしれない。
「それじゃ、仕方ないわ。この写真は桜華にプレゼントしましょう」
「ぐはっ。やっぱり、そういう展開ですか!?や、やめてください、お願いします」
僕は彼女を必死に止める、それはまずい、非常にまずい。
嫉妬深い桜華の事だ、写真ひとつで流血沙汰もありえるわけで。
「わ、分かりました。一度だけですよ、本当に一度限り。それで勘弁してください」
「いいの?本当に?無理しなくていいのよ、貴方が苦しむ可能性があるのなら無理にとは言わない」
「……僕に他にどんな選択が残ってるというんですか、教えてください」
咲耶さんはずるい、逃げ道を完全封鎖してこういう事を平然と言えるのだから。
写真一つで僕が従うと本気で思っていない様子だが、写真一つで僕と桜華の関係がこじれるのは想定しているはず。
くっ、ここで桜華と揉め事を起こすのはしたくない。
「もう一度聞くわ。春日、モデルの件、了承してもらえないかな?貴方の完璧な美少女姿を私に見せて欲しい」
完全敗北、僕にこの提案を断る勇気は残されていない。
「しゃ、写真は僕に返してもらえますか?」
「それは撮影に参加してくれるということ?」
「……そうです、参加しますから桜華にだけは渡さないでください。お願いします」
僕は泣きたくなる気持ちのままに提案を受け入れる。
だって、こんなのが桜華の手に渡ったらどうなるのか。
僕のバッドエンドが容易に想像できるから普通に怖い。
「ありがとう、春日……本当に嬉しいっ」
彼女は僕に抱きついてくる、これも罠なのか!?
と、僕が警戒して固まってるが、彼女は本当に嬉しそうだ。
「……ごめんなさい。こんな真似をして悪いと思ってるの。でもね、本当にどうしても私は春日が欲しいの。今回のモデル撮影に貴方がいなくちゃダメなの。撮影が終わったら、後は私を憎んでもいいから……本当は友達のままでいて欲しいけど、姑息な真似をしたこと、自分でも最低だと思ってるから……それだけ貴方の力を借りたいのよ」
ちょっぴりと涙ぐんで見せる彼女、傷ついているようにも見える。
僕はと言えば、彼女が冗談半分ではなく本気でこの撮影に取り組んでいると知る。
そうか、咲耶さんにとっては本気なんだ。
「咲耶さん……。僕は別に憎んだりしませんよ。友達のままでいたいと思います。今回だけですからね?その次はなしで。今回限り、それならいいです。咲耶さんの強い気持ちはよく分りましたから」
「……春日は本当に優しい男の子なのね。ありがとう。とても感謝をしているわ」
彼女は僕から身体を離すと「写真は返すから、本当にごめんなさい」と手渡す。
写真を返してもらえた事に安堵して、僕はその横で彼女が小さく言った言葉を聞き逃す。
「――ふふっ、全て作戦通り。押してダメなら引いてみろってね」
僕は知らずにまんまと咲耶さんの罠にかかっていたのだ。
そのことを気付いていない僕は桜華になんて説明しようか悩んでいた。
彼女は僕を“男の娘”にしたいって言っていた。
でも、気になるのはその言葉の本当の意味だ。
――あのぉ、男の娘って何ですか?