第66章:春日とHARUHI
【SIDE:七森春日】
モデル事務所に呼ばれた僕に待っていたのは咲耶さんの衝撃的な発言。
「さぁて、メンバーも揃ったことだから本題に入るわね。明日の芙蓉ブランドの新作化粧品の広告ポスター用の撮影には桜華と春日、ふたりを採用したいの。桜華は今みたいな感じで、春日には……女装モデルとして担当してもらいたんだ」
あまりにも衝撃的発言で僕は口をパクパクさせるだけで言葉がでない。
今、咲耶さん……何をおっしゃりました?
「春日……貴方は“男の娘(おとこのこ)”として活躍してもらいたいのよ」
「……男の子?」
「ちょっと違う。男の娘、とっても可愛い女装少年のことよ」
今の世の中、そのような恐ろしい言葉があるらしい。
男の娘って、この世界はどういう方向へ進んでいくつもりだ。
僕としては到底理解できない、いや、理解したくない世界もあるらしい。
「昨今、女装少年ブームで女装に興味がある男子っていうのは増えているのよ。女性にも女装男子好きの需要もあるわ」
どんな需要だ、と問いだたしたくなるのは僕だけだろうか。
僕は無言で身をひるがえしてその場を立ち去ろうとする。
「あら?待ってよ、春日。どこに行くの?」
「僕をお家に帰らせてください、お願いします~」
僕は身体を強引に咲耶さんに掴まれながらも必死の抵抗をする。
人生には戦うべき時があるはずなんだ、男の子には……ここがその時だ。
「ここで春日にいなくなられたら私の構想が終わっちゃうもの。春日に出会ったときからこれしかないって思ってたのよ」
「……無理です、僕には本当に無理ですから」
「春日、貴方しかいないの。私はキミ以外にこれが可愛らしい男の娘を知らないの。普通の男が女装するだけなら気持ち悪いだけ。これを可愛いと思えるようになる逸材は世界広しといえども限られているわ。貴方は選ばれた存在なの」
「誰に選ばれたのか、僕はそこから知りたいですよ」
そもそも、男と女は違う存在、同じような服を着るなんておかしな話だと思う。
「……どうやら、春日には偏見がありそうね。意外かもしれないけれど、女装っていうのはある意味、今の流行なのよ。女装とは少し違うけど、スカートをはく男の子っているでしょう。その流れを利用して男性向けコスメも展開したいの。今回の撮影はそのための布石でもあるわ。女装ブームに火をつけたいの」
「そんな危険なブームの導火線に火をつける役目はしたくありませんっ!」
大反対だ、大いに反対です、それだけはやめてください。
確かに街中で男の子でスカートをはく人って見たことあるけど……あれは趣味なのだろうか?
……数ヶ月前の僕も同じことをしていた気がするのは多分、気のせいだ。
桜華に脅されていた頃の春ちゃんモードは僕の記憶から封印しておく。
「嫌がってる人間に嫌がる事をするのはいいことじゃないと私は思う」
それまで黙っていた桜華。
僕を見かねた桜華が咲耶さんから守ろうとしてくれる。
「私が好きでさせていた女装と今回の撮影の女装とはその意味が違います。私はモデルの桜華として撮影に参加しますから、当然彼も“モデル”としての参加ですよね。もちろん、それはギャラ云々の話にもなりますし、正式な契約ということにもなります」
おおっ、桜華が僕を擁護してくれている。
出会ってから十数年、初めて桜華を頼りに感じるよ。
「こちらとしても、春日には当然ながらそれなりの準備をしているわ。正式な契約関係を結ぶのは言うまでもないことよ」
「本人が望んでいないのを強引にしても、意味はありません」
頑張れ、桜華……ここは何としても僕を守ってください。
僕が望んで桜華を頼ることがあるなんて、世の中って分からないな。
「お兄ちゃんを変なことに巻き込むのはやめてください。ただ、可愛らしいだけの男の子で、女装趣味は本来ありません」
「ふーん。そういうこと?どうにも、貴方が春日に女装させたくないと思ったら、単純な理由からなんだ。独占欲バリバリじゃない。そんなに大好きなお兄ちゃんの“女装”を世間にさらしたくない?自分だけのものにしておきたいの?」
「……だとしたら?それを誰に求める権利はないはずです。彼は私のものですから」
僕は僕だけのものだ、と言えないです……うぅ。
向かい合うふたり、目に見えない火花が飛び散ってるようだ。
桜華の強いまなざしに咲耶さんも負けてはいない。
そんな二人のやり取りを神崎社長は面白そうにみている……他人事っていいですね。
やがて、その睨みあいの中で一つの結論が出たらしい。
「分かったわ。それじゃ、春日に決めてもらう事にしましょう。明日の撮影には桜華は決定済み。春日とのツーショットにするのかどうか、春日には一晩考えて欲しい。いい?春日、これは貴方にとってもチャンスなのよ」
「……一体、何のチャンスなんだか」
「出来れば、いい返事をくれると嬉しいわ。今後の展開を含めてね。心配しなくても実名は出さず『HARUHI』という名前でデビューさせるつもりよ」
えっと、それはそれで不特定多数に特定されないだけで実名なんですけど……。
そんなわけで僕はどうやらとんでもない騒動に巻き込まれてしまったようだ。
「あーっ、本当に腹立つわ。あの人、最悪過ぎ。何がお兄ちゃんの女装モデルデビューよ。アンタのお仕事は化粧品の広告担当であって、女装モデルを作る事じゃないでしょうがっ。うちの社長も社長で協力的だから余計に困るわ」
家に帰ってから僕の部屋で作戦会議中。
桜華は僕のベッドの上に寝転んで枕を無意味に攻撃しているが、痛むからやめて欲しい。
「……契約ってどういうことなんだ?」
「ん?あぁ、モデル契約の話?モデルっていうのはそれぞれ自分の事務所と契約しているの。事務所は各企業から依頼を受けて、そのイメージにあった女の子を撮影させたりするわけ。つまり、あの咲耶って女はモデルを採用する側であって、モデルをスカウトすることは普段はしないの。もしも、お兄ちゃんがこの話に参加するって事になったら、まずはうちの事務所と契約を結んでから、多分だけど芙蓉ブランドの専属契約を結ぶって流れになるんじゃないかな……大体、分かった?」
ごめんなさい、あんまり分かってません。
兎にも角にも契約問題って複雑そうだ。
「……でも、意外だったな。桜華がこんな風にして僕を守ってくれるなんて。普段の桜華なら平気で僕をモデルデビューさせるのかって思ってた」
「だって、お兄ちゃんが本気で嫌がったじゃない。私はお兄ちゃんの嫌いなことを無理やりさせるのは嫌なのよ。怒られるのはもっと嫌だし」
それは前回の浴衣姿の写真が雑誌に載った件だろうか。
あの時、僕は珍しく桜華を叱りつけた記憶がある。
そうか、あれで桜華は反省してたっていうのか……意外と素直なところもあるらしい。
「桜華って素直なんだな。ちょっと誤解してたかも」
「……だったら、もうちょっと褒めてくれてもいいじゃない?」
僕は「これでいいか?」と彼女の頭を撫でてみると、くすぐったそうに猫みたいに受け入れている。
これでご機嫌とれるとは、桜華も数ヶ月前に比べて本当に丸くなったものだ。
以前の彼女ならきっと今回の事件にこう言っていたはず。
『はぁ?兄貴が女装モデル?あははっ、それって何の冗談なわけ?せいぜい、世間に恥を晒しなさい』
……本当に人って変われるものなんですね、妹の劇的と言ってもいい変化に感激するよ。
「この件に関してはお兄ちゃんは絶対に反対を突き通して。何があっても『うん』とだけは言わないで。そうすれば、この話は消滅するのよ。いい?どんなことがあっても承諾だけはしちゃダメよ。あの女はそこをついて逃がさないはずなの」
「分かったよ。咲耶さんには反対させてもらう。僕としても女装姿を世間にさらすのはもう正直、嫌なんだ。学校だけでもアレだったのに……これ以上、自分の尊厳を傷つける真似はしたくありません。僕にも自尊心くらいあるんだ」
危うく登校拒否事件まで起こした記憶を思い出し、過去の傷にへこむ。
咲耶さんも悪気があってしてるわけじゃないから余計に困る。
本気で僕を女装モデル『HARUHI』としてデビューさせるつもりなんだろうか。
明日は何としても断らなければいけない、頑張るぞー。
……。
同時刻、モデル事務所にて。
咲耶は神埼と一緒に話をしている最中だった。
「それにしても咲耶さんが春日君に目をつけるなんてね」
「神崎社長が先に目をつけていたんでしょう。私が彼の存在を知ったのはあの雑誌からです。衝撃的でした、はっきり言って本当の女の子と見間違うくらいに可愛い美少女が写ってましたから。その時、確信したんです」
彼女は自信満々に思いを言い放つ。
「――絶対にあの子をうちの芙蓉ブランドの専属モデルにさせたいって」
咲耶にはまた更なる別の企みを抱いている。
彼女にとって春日は一目惚れに近い、衝撃を受けた存在だったのだ。
そのためにも何としても彼をこちら側に引き込みたい。
「……桜華があれほどかたくなに拒絶するのは予想外でしたけど」
「桜華ちゃんは春日君にぞっこんラブだもの」
「ぞっこんラブって社長、歳がばれますよ?死語です。ブラコンの桜華の独占欲は折り込み済みですから、彼女が消極的である以上、こちらが積極的になるしかありません。どんな手を使っても彼を落とします」
それは絶対的な自信からくるものなのか。
咲耶はにんまりと嫌な笑みを浮かべていた。
「……咲耶さん。それ、悪役が悪だくみしている顔に見えるわ」
「そうですか?それは失礼。穏便に事を済ませるつもりですよ、ふふっ」
春日に迫る咲耶の罠……彼はその罠から抜け出せるのか。
「明日が楽しみです。春日を私の“モノ”にするチャンスですもの」
全ては明日、様々な思惑が絡んだ春日の運命が決まる――。