第4章:花を愛する心
【SIDE:七森春日】
……花はいい。
見ているだけで心が落ち着く、癒されていく。
……花はいい。
怒ったり、殴ったり、文句を言って困らせることもない。
我が侭言って、挙句の果てに「彼氏になって」とか訳のわからないことを言ったりしないんだ、当然だけど。
いつものように花の水やりをしていると、園芸部の部長である小林先輩がやってくる。
「七森君、ちょっと頼みたいことがあるの。いいかな?」
彼女は僕を中庭の花壇エリアから少し離れた場所に僕を連れていく。
そこはまだ言うならば未開発地域、芝生と草木が生えているだけの場所。
「ここに縦3m×横6mの花壇を作ってくれないかな。今年は結構新人の子が多く入って足りないから先生に拡張の許可をもらったの。七森君のおかげで部員も多くなって、予算も増えるから夏は好きな花を植えられるわよ」
嬉しそうに彼女は言うと僕はうなずいた。
人がたくさん増えるということはいいことだ。
「分かりました。そういう事ならこれから男子を集めて作業します」
「お願いね。あの子たちもそろそろ自分の花壇が欲しくなる時期でしょう」
今、後輩の子たちは中庭にある花の世話しかしていない。
自分で自分の花を育てるという事を早くさせてあげたいんだ。
僕は少ない男子の部員を召集して早速作業に入ることにした。
スコップで土を掘り返し、サイズ通りに花を植えるだけのスペースを作っていく。
ただの土では花が育ちにくいので、肥料を混ぜたりして土づくりをする。
今日1日で終わる作業じゃない、これは数日はかかりそうだ。
適度に休憩をいれながら、とりあえず本日分の作業は終了する。
これは少しばかり苦労しそうだ。
それから2日後、僕らは何とか花壇を完成させた。
頑張ったかいがあって立派な花壇を作ることができた。
「すごいです、先輩。ありがとうございます」
今年入ったばかりの女の子たちにそれぞれスペースを分け与えていく。
渡したのは今の季節に植える夏に花を咲かせる種だ。
皆、何だかとても楽しそうに植えている。
どういう花を咲かせるのか、期待をしつつ彼女たちは土に種をまく。
「こういうのって、小学校の時にやらなかった?」
「したよ、アサガオとか、何か懐かしいわよね」
やはり、花はいい……人を笑顔にさせるから。
作業を終えた僕は自分のスペースの整理をすることにした。
春の季節はまもなく終わるので、ふるいにかけながらフリージアの球根を花壇から回収していく。
この球根はまた来年、後輩たちにでもあげるとしよう。
また綺麗な花を咲かせてくれることを願い、ケースの中にしまっていく。
「あっ、七森君。お疲れさま、花壇の件ありがとう」
「はい。そういえば、先輩は今年の夏は何を植えるつもりですか?」
「私?そうねぇ、今年はヒマワリかな」
「ヒマワリ?小林先輩にしては平凡な選択です」
他人と違う花を育てることが多い彼女だ。
ヒマワリは育てやすいが、特別な花ではない。
「私は好きよ、ヒマワリ。夏の象徴的な花だもの。七森君は何を植えるつもりかな?ハイビスカスとかにしない?」
ハイビスカスは南国でよく見かける赤い花だ。
夏らしいけれど、今から育てるのは少し手間がかかりそうだ。
「今年はラベンダーとかハーブ系にしようかなって」
「へぇ、今までそっち系には手を出していなかったのに」
「挑戦してみたいんですよ。いろいろと僕も興味ありますから」
紫色が印象的なラベンダー、たまにはハーブ系も育ててみたい。
比較的ハーブ系は栽培が簡単なので後輩の子たちにも勧めるつもりだ。
「七森君は本当に花が好きなんだ」
「えぇ、大好きですよ。花は僕にとって特別なものですから」
男として堂々と言うのはためらいがあるが、下手に躊躇することはない。
好きなものは好きだからしょうがない。
「話は変わるけど、最近、妹さんがよくこの中庭に来ているわ」
「え?そうなんですか」
「うん。初めは七森君に会いに来たんだと思っていたけど、昼休憩とか普通の時にも来ているみたい。彼女って花が好きなのかしら?見た目的に言わせてもらうと意外だったわ」
「嫌いではないはずです。今でも花を部屋に飾ったりしていますから」
幼い頃から僕が花を育てて、桜華がそれを部屋に飾っていた。
普段は文句ばかり言う彼女も花を与えると大人しくなる。
まだあの頃の妹は可愛かったよ。
今はその効果も薄れつつあるが、根本的なところは変わっていないはずだ。
「それなら、このアネモネをあげてよ」
それは先輩が育てていたアネモネという春に咲く花だった。
フリージアと同じ球根で育つ花で、彩り豊かな可愛らしい花を咲かせる。
もう時期は終わるので、先輩も僕と同じくすべての花を切り取ったんだろう。
その花束を受け取ると、僕はお礼の言葉を告げた。
「ありがとうございます、きっとあの子も喜びますよ」
「この球根は来年の後輩たちにでも使ってあげて」
「えぇ、わかりました。保管しておきます」
回収された球根は次の年が来るまで部室で保管される。
次の季節に興味を持った生徒が使うためだ。
他人へと受け継がれていく、これも園芸の楽しみでもある。
僕は綺麗に咲くアネモネの花束を抱えながら家に帰ることにした。
何枚もの花びらをつけるアネモネ。
この季節の花として、僕も好きな花のひとつだ。
「……しかし、毎度のことながら周囲の視線がアレだ」
男子学生が花を抱えるという光景は毎回、周囲の不思議そうな視線を感じずにはいられない……男が花を好きになっちゃいけないのだろうか。
家に帰るとキッチンから美味しそうな料理の匂いがする。
「ただいま、母さん。桜華がどこにいるか、知らない?」
「おかえりなさい。あら、また花を持ってきたの?」
「園芸部の先輩にもらったんだ。桜華にあげようかと思って」
「そうなの。ふふっ、本当に桜華と春日は仲がいい兄弟なのね」
微笑されるが、その意味が明らかに間違えているのは確かだ。
うちの両親は兄妹がとても仲がいいと勘違いしている。
悲しい事に一方的な主従関係が築かれていることに気づいていない。
「桜華は部屋にいるはずよ、もうすぐ夕食だから呼んできて」
「分かったよ。今日の夕食は何?」
「ハヤシライス。春日はカレーよりもこちらが好きでしょう」
彼女は僕にとっては義母だが、とても優しく接してくれる。
家族として10年以上経った今となっては血の繋がりなど関係ないのだろう。
いい家族だと思うよ、妹が生意気なこと以外は……。
桜華の部屋の扉をノックして入ると、彼女はベッドに座りながら雑誌を読んでいた。
相変わらず、ほぼ下着姿に近いラフな格好をしている。
家の中では常にその格好なので、よく目のやり場に困った……さすがに慣れたけども。
「アネモネを先輩にもらったんだけど、いる?」
「アネモネじゃんっ。私はこれが好き」
彼女はすぐに反応を示して、アネモネを受け取った。
「桜華ってアネモネがお気に入りだったんだ」
「そう。だって、とても可愛らしいでしょう」
彼女の好みの花はあまりよく知らなかった。
いつも、どの花でも喜ぶけど、この花の反応が1番かもしれない。
僕も好きだけどね、僕が花に興味を持ち、初めて育てた思い入れのある花だから。
「何を見てるのよ。ほら、どいて。花瓶を用意してくるから」
そう言いながら、僕を押しのけて部屋を出ていく。
机を眺めるとそこにはこの前あげたフリージアが飾られていた。
「一応、花は好きなんだろうな。普段の態度からは分かりにくいけど」
変わらないこと、ちゃんとそれがあるというのは嬉しい。
妹はこの2、3年の間に大きく変わった。
モデルを始めて、容姿もいっそう美人になった。
けれど、何よりも変わったのはその性格だろう。
昔から我が侭だったけど、今はさらに倍増している気がする。
それが僕の前だけなら家族として付き合いきれるけども、学校でもああいう態度のようなので、僕はそれが心配になる。
周囲に敵とか作らないで欲しいなと兄としてして心配だ。
「……お気に入りの男を落とす8つの方法?」
先ほど、彼女が読んでいた雑誌の見出しだ。
僕はそれを手に取り、適当に眺める。
好きな男を落とすための手段が書かれている、よくある話だ。
「早く本気で彼氏を作ってくれよ、桜華。僕以外の相手でね……」
妹に他に好きな男ができてほしいと切に願う。
花瓶を手にして部屋に戻ってきた桜華は雑誌を奪い返す。
「何を人のものを勝手に読んでいるの。さっさと帰ってよ」
「はいはい。桜華も僕以外の男をさっさと彼氏にしてくれよ?」
「うるさいっ。余計な一言を言うな、バカ兄貴」
怒鳴られてしまい、僕は肩をすくめた。
「あぁ、それと夕食が出来たから来てくれって」
俺の言葉に桜華は頷いて、アネモネを花瓶に入れて飾る。
その花を見つめる瞳は子供の頃から変わらない、とても可愛らしく思える。
「……見た目以外に本質的なものは変わらないのかもしれないな」
ぽつりとそう呟いて、僕は彼女の部屋を出ることにする。
『ありがとう、お兄ちゃんっ。私ね、お花が大好きなのっ』
――桜華は初めて僕が育てた花をあげたあの時と同じ笑顔をしていたんだ。