第42章:好きと言えなくて《後編》
【SIDE:七森春日】
夏休みになって僕は2日に一度は学校を訪れている。
中庭の花たちへの水やりや世話は園芸部の部員で交替制だ。
日中日差しが強くなるこの時期は気をつけなくちゃいけないことが多い。
「おっ、ずいぶんと花が咲いてきたなぁ」
春先から育ててきたジニア・リネアリスも満開に咲き誇っている。
黄色が鮮やかなジニアは見ているだけで癒される。
花を育てる快感というのだろうか。
日々成長をしていく花は僕にとって心のオアシスだ。
水やりを終えて、のんびりと花を眺めていた。
「あら、そこにいるのって春日クンじゃない?」
「え?あぁ、白雪さん。どうしたんですか?今の時期に学校に来るのって珍しいですね」
「こー見えても、私は受験生なのよ。目当ての大学の資料をもらいに、進路相談室に行って来たの。ついでにオープンキャンパスの情報とかもらってきたわ」
いつみても爽やかな笑顔を見せる白雪さん。
彼女はこちらに近づくと花に気づく。
「これってジニア?春日クンが育てていた花よね」
「正確に言うとジニア・リネアリス。形状が少しだけ違うでしょう」
「ホントだ。へぇ、こう言う花もあるの」
花好きな白雪さんはジニアに興味を抱いたらしい。
軽くしゃがみこんで花を指でつつく。
「綺麗な花ね。夏休みも園芸部は大変なんだ?」
「他の運動部と変わりませんよ。うちにとってはこれが練習とかと同じものなんです。水をあげて、手入れしてあげる。夏場は特に放っておくとひどいことになりますから。乾燥に強い花ならいいんですけど、繊細な花もあるんですよ」
ジニアや松葉ボタンは育てやすく、乾燥にもある程度強いために少し放っておいたくらいではダメにはならない。
しかし、水を与え過ぎてはダメな花や夏の暑さでしおれてしまう花など、細かく気配りして育てなくちゃいけない花もある。
「好きでしている事ですから。話は変わりますけど、白雪さんってどこの大学を受けるつもりなんですか?」
「私?ふふっ、私はね、ここよ」
彼女は鞄からパンフレットを取り出す。
それは県内でも評判のレベルの高い医大だった。
実家がお医者さんだから白雪さんも医者を目指しているようだ。
「やはり、医者になるつもりなんですか?」
「えぇ、ホントは普通の事をしてみようかなって思ったの。ごく普通の事務職とか受付嬢とかのOLもよかったんだけど、うちの親が実家を継いでほしいとか言われちゃって、考えなおして医者の道を進むことにしたの」
それでも強制されたとかではない様子だ。
あくまでも自分の意思で、というのが雰囲気で見てとれる。
子供の頃から医者は憧れだと言ってたから自分の望んだ未来だという事かな?
「それに女医って響きがよくない?いかにも綺麗なお姉さんってイメージがあるでしょう?その響きのよさも私が決めた理由のひとつでもあるのよ。美人女医の誘惑とか、あははっ」
「……白雪さんらしいですよね、そういうの」
白雪さんらしい言葉に僕もつられて笑ってしまう。
現役モデルと言うだけあって本当に綺麗な人だからなぁ。
「春日クンはフラワーコーディネーターになりたいって言っていたけど、将来は専門学校に通うつもりなの?それ専門の学校とかあるんでしょう?」
「フラワー業界も最近は需要があって、ちゃんと専門学校とかありますよ。僕もいくつかの学校を候補にいれています」
来年の夏は僕も自分の進路を決めなきゃいけない。
自分がどう生きていくのか、それを決めるための分岐点。
難しいよね、遊んで暮して行けるわけじゃないんだから。
夢を叶えるためには努力をしなくちゃいけない。
その努力が報われて、初めて夢は叶うのだから。
「そっかぁ。でも、もう今からちゃんと考えているんだから偉いわよ。私の周りじゃ未だに夢とかなりたい職業とか決まらずに、進路で悩んで大学すら決まっていな子もいるもの。自分の将来なんだから前もって考えておくべきでしょう?」
「そうですけど……やっぱり、人って悩む生き物ですから。あれがいい、これがいい。もっと何か他のはないのか。悩んで悩んで、繰り返して、そしてようやく自分が決めた将来を歩むのが一番いいんだって僕は思いますよ」
未来は誰かに強制されたりすると、それを言い訳にしてしまう。
こんな人生を歩むつもりはなかった、あの時、あの人が僕の人生を狂わせた。
そんな言い訳を作るような未来にはしたくない。
自分の未来くらい、自分で納得するまで考えて決めたいじゃないか。
それでダメなら後悔するのは他人のせいではなく、自分のせいだ。
「……春日クンも悩んだりするの?」
「しょっちゅう、いろんな事で悩んでいます。悩み多き少年ですから」
そう、桜華の事で悩まされている、彼女の想いとかいろいろとね?
白雪さんはふと思い出したようにポンっと手を叩く。
「そうだ、話が全然変わっちゃうんだけど、かき氷を食べにいかない?今日ね、学校に来る途中に繁華街の方で新しくお店が出ていたの。かき氷って言えば、夏限定でしょう。せっかくだから食べに行かない?」
「かき氷ですか?いいですね、これだけ暑いと冷たいものが食べたくなります」
「よしっ、決まりっ!それじゃ行きましょ」
彼女に連れられて僕らは学校を出て繁華街の方へと向かっていた。
その途中、大きな荷物を抱えていた信吾お兄ちゃんがいた。
彼は僕たちに気づくと「おやぁ?」とにやついた顔をする。
「これは珍しい組み合わせだな?春日に宗岡、うむぅ……夏だな」
「意味分からないけど?夏だから何?ていうか、信吾お兄ちゃんこそどうしたんだ、そんなに大きな荷物を抱えて?」
「雑用だよ、雑用。先生っていうのは夏休みでも楽じゃない。教える相手がいない分、雑用やお仕事がたくさんあるのだよ。悲しいね、教師って職業は……」
教師と言うのはずいぶんと大変なお仕事らしい。
僕らのように夏休み中はお休みだと思っていた。
「お前らはラブラブデートか?いいなぁ、学生は常にハッピーライフを送れて」
羨ましそうに言うと、彼は言うと手を軽く振りながら、
「今のうちに精一杯、青春って二文字を満喫しておけ。どうせ、あと数年もしたらその青春の有難味ってやつが十分すぎるほど分かるはずだ。それが大事なものだって気づいた時には遅いんだぜ。夏を謳歌してろ。じゃぁな」
青春にやけにこだわりがあるらしい。
お兄ちゃんはそう言って僕らの前から去っていく。
その後ろ姿を見ながら、白雪さんは僕に言う。
「七森先生って春日クンの従兄だっけ?」
「えぇ。そうですよ、僕にとってはお兄ちゃんなんです」
「見ていれば分かるなぁ。ものすごく懐いている感じがする。ちょっとそう言う関係に憧れるかも……。私も春日クンに距離を縮めたいな」
彼女は僕の手を繋いで街中を走りだす。
僕は突然のことにきょとんとしていた。
「え?あっ、ちょっと白雪さん?」
「いいから、私についてきて。この手を離しちゃ嫌よ?なんてね」
彼女の手は女の子だから小さくて、暑いと言ってもとてもひんやりとする冷たさがある。
男のものなんかと全然違うんだな。
繋いだ手を離さない彼女。
一緒に街を駆け抜けるのは少しだけ気持ちよかった。
目的地のかき氷屋は出店でこの暑い時期だからだろうか、大盛況だった。
並んで僕らの番がくるとそれぞれ好きな味を注文する。
「春日クンは何味が好き?私は定番のイチゴよ。今日は練乳イチゴにしよっと」
「僕は普段はブルーハワイとか好きですけど。いろんな味がありますね」
「お勧めはマンゴーだって。どう、食べてみれば?」
彼女のすすめもあり、僕はマンゴー味のかき氷にすることにした。
日陰のベンチに座りながらふたりでかき氷を食べる。
シャリッという独特の食感、冷たさが心地よい。
マンゴー味は若干、甘い味が強めだが悪くない。
「うーんっ、冷たい。食べすぎ注意、頭が痛くなるもの」
「アイスクリーム頭痛って奴ですね。ズキって痛むのでキツイです」
「そうよ、それ。子供の頃、ずっと悩まされていたもの。キーンってするの。あれさえなければかき氷っていくらでも食べられるのに。食べ過ぎ注意のサインのつもりかしら?」
かき氷を食べている僕らは夏も悪くないと感じていた。
美少女と食べる冷たいかき氷。
こういうのが、夏らしいって思えたんだ。
白雪さんの育てているプラドレッド、赤いヒマワリが咲いたと聞いたのでかき氷を食べた後に病院を訪れてみてきた。
黄色のヒマワリと並べられて真紅のヒマワリ畑が広がっている光景は圧巻だった。
色の違いだけで、普段見慣れているはずのひまわりとはまた違う印象を受ける。
プラドレッドは本当に綺麗だったので、来年、僕も育ててみたいな。
そんな事を思いながら病院を後にして帰ってきた。
すっかりと辺りは夕暮れ時、僕は「ただいま」とドアを開ける。
玄関には掃除中の母さんがいて、すぐに僕の方へ駆け寄ってくる。
「おかえりなさい、春日。ねぇ、桜華が変なのよ。どこか変なの」
「はい?桜華が変なのは今に始まった事じゃ……」
「違うの、性格とかそういうんじゃなくて。部屋にいるから見てきて。絶対にどこかおかしいから。やだわ、夏だから傷みやすい食べ物でも食べたのかしら?それともこの前の夏風邪で頭の方がおかしくなったのかしら?」
そんな風に真面目な顔をする母さん。
普段の行いのせいとはいえ、えらい言われようだな、桜華。
僕は母さんの言葉が気になり、部屋を訪れる事にする。
しかし、僕も桜華とはここ2週間ほど満足に話は出来ていない。
無視されてばかりなんだけど、大丈夫かな。
ノックをして彼女の部屋を訪れた僕の目の前にいたのは……。
「ふふっ、お兄ちゃん。そんなに慌ててどうかしたの?」
気品溢れるようなもの言い、いかにも清楚な女の子っぽい服装。
見た目がまず変わっている、いつもなら同年代に流行している露出の激しい服を好んできる桜華なのに、露出を抑えた清純系は滅多に着ないはずだ。
いや、それ以前に桜華の髪色が変わっている。
高校デビューを機に染めた茶色の髪は、綺麗な黒色で髪型もストレートになっていた。
「くすっ、お兄ちゃん。びっくりしているね?私の本気、見せてあげるんだから」
僕に堂々と宣言した妹は、それまでと変わらないはずなのに。
お淑やかなお嬢様を彷彿とさせるような外見に目を引かれる。
今時ギャル風からいきなりの変身、僕の好みの大和撫子のような清楚な印象に驚く。
僕は見た目が劇的に変わった桜華にこう言ってしまったのだ。
「か、可愛い……」
思わず僕が見惚れる和風美人っぷり。
桜華よ、一体、どうしたの!?
この夏の暑さが桜華をおかしくしたのか……?