第40章:好きと言えなくて《前編》
【SIDE:七森春日】
桜華と喧嘩をした、というのはいつもの事なんだけど。
今回の喧嘩は今までとほんの少しだけ違っている。
喧嘩した理由は毎度の交際話。
僕と交際したいという桜華の気持ちを傷つけてしまった。
「好きだと言ってくれるまで口をきかない」
桜華は僕にそう告げたんだ。
今までは時間が経てばお互いに許しあえるはずだった。
それなのに、桜華は完全に僕を無視するようになり、2週間がたち、気がつけば夏休みになっていた。
8月になり、クーラーの効いた部屋で涼んでいた。
こう暑いと何もする気になれない。
ベッドに寝転んでいて園芸雑誌を眺めていた。
「春日、お使いを頼んでもいいかしら?」
母さんが部屋にやってきて僕に言う。
「お使い?買い物してくればいいのか?」
「えぇ、桜華が寝込んじゃって……薬を買ってきてほしいの」
「え?桜華が寝込んでるってどうしたんだ?」
僕はバッと起き上がって母さんの方を向いた。
彼女は特に慌てている様子もなく、むしろ呆れた顔をする。
「ただの夏風邪よ。熱もそんなにひどくないわ。アイス食べすぎ、クーラーをつけっぱなしでお腹を出して寝たら風邪ぐらい引くわよ。注意したのにおバカさんなんだから」
「そうだったんだ。それじゃ、すぐにでも買ってくるよ。ついでにデザートでも……」
そこまで言って、僕の顔を母さんがジッと見ている事に気づく。
「……ふーん。やっぱり、今回の喧嘩の原因は桜華の原因があるのねぇ」
「何でそう思ったの?」
「だって、春日は気にすることなく、桜華のために何かしようとしてくれるんだもの。それに比べて、桜華は拗ねて春日と顔も会わせたくないって言い張るし。あの子、昔から自分の思い通りにならないと拗ねてばかりなのよね」
そう言えば桜華って小さい頃からそうだっけ。
我が侭ばかり言って僕らを困らせて、思い通りにならいとすぐに拗ねてばかりで。
だけど、僕はそれが桜華の心の弱さでもあると知っている。
あの子の心は意外と傷つきやすいのだ。
「桜華を嫌いにならないであげて。あの子、春日の事が大好きなのよ。きっと兄としてじゃなくて恋愛感情こみでね」
「母さん……」
僕は彼女がそれに気づいていたことに驚いた。
両親の前では極端にいい子を演じていた桜華だ。
そんな裏の顔を気づかれるはずはないと思っていたが、親は子の嘘に気付くという事かな。
母さんは僕に優しく微笑みを浮かべて言う。
「私は桜華の母親だもの。あの子がいつも私達の前では見せない顔があることには気づいてる。きっと春日の事、お兄ちゃん以上に想ってるに違いないわ」
「だけど、僕らは兄妹だよ。それ以上の関係にもなれない。僕らにとって理想的な関係は、仲の良い兄妹関係だから」
「……それか。ねぇ、春日。もしかして、桜華にそれを言って喧嘩してない?」
何とも勘の鋭い母さんだ、本日2度目の驚き。
唖然とする僕に彼女は言葉を続けていく。
「そう言っちゃったら桜華も拗ねて喧嘩しちゃうわよね」
「いや、だってそれ以外に何て言えば……」
「決まってるじゃない。女の子はね、好きな人から好きだって言ってもらえたらそれでいいのよ。関係とか、そう言う事を全部含めて受けとめて欲しいものなのよ」
僕の母さんは桜華と交際しても何も言わないつもりなんだろうか。
その辺の事を逆に尋ねてみることにした。
「母さんは僕と桜華が付き合うことになってもいい、と?」
「ふたりに血の繋がりがない以上、交際しても法律的にも問題はないはず。私は桜華と春日が幸せになれるならそれでいいと思うの」
「普通、そこで反対するのが親じゃない?」
「反対するほど私は頭が固い親じゃないもの。私も恋愛には色々と無理してきたんだから。もう15年以上も前の話だけど桜華の父親とは幼馴染だったの。でも、相手は金持ちの御曹司。子供が出来た私は身分違いだって、彼の両親に生活で苦労しないほどのお金を慰謝料代わりに渡されて、彼と離されちゃったのよ」
母さんのそういう話を聞くのは初めてだった。
両親の再婚話とか聞く機会も今までなかったから。
「そんなのひどいじゃないか」
「でも、もらったお金のおかげで私と桜華は路頭に迷うことなく、ふたりで暮らす分には十分だったわ。ちゃんとのその辺は責任持ってくれたのは感謝してる。普通ならそんなに甘くないものね。そんなわけで、私が桜華の恋を反対するのはありえないの。大切な想いを親や周囲に反対されてつぶさせたくないもの。私が絶対にさせない」
それはかつて、自分が味わった悲しみを娘にさせたくないという親の意思。
そのあと、僕の父と出会い、彼女は再婚を決めて今にいたる。
人間って生きていれば楽しい事も、辛い事も当然あるわけで、自分の親がその例外だなんて思ってはいなかったけど、やっぱり生きるっていろんなことがあるんだと改めて感じさせられた。
好きな人と離されたりすることの悲しさ。
僕は味わった事はないけど、それはとても辛いことだと思うんだ。
「というわけで、存分に恋しちゃっていいから。春日、兄妹だからって言う理由であの子を拒んだりしないで上げて。桜華のこと、女の子として好きじゃないって言うなら仕方ないけどね。関係が理由なら考えてあげて欲しいの」
彼女は僕にそれだけ言うと「お薬、よろしく」とお金を渡して部屋を出て行く。
僕は考えを切り替えて、薬を買いに行くことにした。
薬局で薬剤師さんに風邪に効く薬を選んでもらい、駅前のケーキ屋で桜華のお気に入りのシュークリームを買ってきた。
すぐに桜華の部屋を訪れると、彼女は僕の登場に心底嫌な顔をする。
「……ぷいっ」
そして、ここ数日と同じように僕を無視する。
頬を膨らませて、布団にくるまる妹。
「はい、お薬。あとで母さんが食事を持ってきてくれるから、その時に一緒に飲んで」
「……っ……」
彼女は無言を貫くつもりらしい。
仕方ないのでそのまま僕は話を続ける。
「あと、これは駅前のケーキ屋のシュークリーム。食べられるなら食べて」
ちらっと桜華の視線がこちらに向いた、病気でも食べる気力はある様子だ。
エサで釣るつもりはないけどね。
それを枕もとにおいてから本題を切りだす。
「桜華。僕は前に言ったはずだよ。もう少しだけ時間が欲しいんだ。桜華との事、考えている。僕の事を好きでいてくれる桜華の気持ちは嬉しいから……待っていて」
僕は桜華の額の汗をタオルで拭ってあげる。
ビクッと反応する彼女、壊れ物を扱うように丁寧に触れる。
「母さんは桜華の気持ちに気づいている。そして、その関係の事も反対するつもりはないって。何だか心の中で気にしていたことが少しで吹っ切れた気がする」
これで僕はもう“兄妹だから”と言う理由で桜華を拒むつもりはなくなった。
これまで以上に、僕は桜華との関係を考えないといけないんだ。
「それじゃ、僕はもう行くよ。アイスの食べすぎには注意してね」
桜華は最後の言葉にだけは頬を赤らめる反応をした。
好きだと言えなくて心苦しさを僕は抱えていた。