第36章:魔女の口づけ《後編》
【SIDE:七森桜華】
私は春ちゃんと一緒に帰るために玄関で待っていた。
外は大雨、見ているだけで鬱陶しい。
放課後になって従兄の信吾兄さんに呼ばわれた私は英語の小テストが悪くて注意を受けていたんだ。
まぁ、それは本題ではなく、この前、紹介してあげた恋人の女子大生の子について、「誕生日が近いので好みは何だ?」っていう個人的な話だった。
ええいっ、そんなことでこの私の時間を浪費させるとは……代わりに春ちゃんと行って来いと映画のペアチケットをもらったからラッキーだったけどね。
都合が悪くていけないらしい、これは相談料代わりとしていただいておく。
その帰り、偶然、居残りしていた春ちゃんと出会ったので一緒に帰ることにした。
それなのに、鞄を取りに行くと言って教室に戻った春ちゃんは15分経っても来ない。
心配になって彼の教室に行ったけど、誰も室内にいないし、鞄らしきものもない。
玄関に戻ってもいない、私と入れ違いになったわけでもなさそうだ。
「どこに行っちゃったのかしら?」
携帯電話で連絡を取ると「電波の入らないところに~」という定番の音声が。
うちの学校は特別に電波の悪い教室と言うのはないはずだけど。
「そーいえば、東の校舎は電波の入りが悪いって誰かが言ってたっけ」
私は仕方なくそちらを探してみることにした。
雨の降る日独特の蒸し暑さと面倒なことにイライラしながらも、私は一階からすべての教室を見回ることにした。
「どこにいるの、私の春ちゃん~っ」
探し始めて10分、3階でようやく私は人の話し声がする部屋に辿りつく。
多目的ホールと書かれたその場所は私は入学以来、来たことがない。
中から男女の話し声が聞こえてくるんだ。
「実は僕の……――」
その声は春ちゃんの声だった、相手は誰!?
中にいるのは間違いないけど、会話が気になる。
もしや、告白されている最中とか……私の春ちゃんに近づく奴は許さない。
「そうなの?桜華にも話してないんだ?」
「まぁ、そうですね……桜華には話していません」
……聞こえてくる会話に思わずドキッとさせられてしまう。
えっ、私には秘密って何の話なの?
「ふふっ。それじゃ、これは私達だけの秘密ね。秘密の共有しちゃった」
その女の子の声に私はハッとさせられた。
この声は宗岡先輩じゃない?
しかも秘密って何……まさか、まさか、まさか一線を越えちゃった!?
『だ、ダメですよ。先輩、僕は初めてで……』
美少年と年上美人の甘い誘惑。
『おねーさんに任せなさい。キミはジッとしているだけでいいの。教えてあげるわ』
二人の影がひとつに……って、何を変な妄想しちゃってるの、私!?
「そ、そんなわけないじゃない。あははっ、ありえないてっば……そうよ、ありえない」
必死になって私は頭によぎった妄想を否定する。
それでも嫌な妄想を振りきれず、私はその場を邪魔しようと中に入ることにした。
あの人は今、私にとってのライバルなんだ。
「……よーやく、見つけたわよっ!!人気のない場所にいるとは予想外よ。おかげで学校中を探しちゃったじゃない」
きょとんとする春ちゃんの顔、すぐに現実に気づいて顔を青ざめさせる。
彼に抱きつくように身体を密着させている先輩。
こちらはこんなに汗だくで探していたのにうちの春ちゃんは一体何をしているの。
「――何、ラブ甘っぽい雰囲気になってるの?」
とりあえず、冷静に状況を把握する。
二人の衣服に乱れなし、室内も行為による嫌な匂いがあるわけじゃない。
妄想通りの秘め事をしていたということではないみたい。
一安心したら、抑え込んでた怒りが再沸騰し始める。
「さぁて、細かい事はこの際どうでもいいわ。覚悟してるわよね、お兄ちゃん?」
「か、覚悟って。待たせてごめんなさい」
「それもそうだけど、それよりもイライラするのはなぜ先輩とふたりっきりなのか。納得のいく説明を私にもらえる?」
私が詰め寄ると隣の宗岡先輩は私に微笑みを浮かべて言うんだ。
「彼にこの部屋の整理の手伝いをしてもらっていたの。ひとりじゃ荷物が重くて困っていたのよ。そこで力を借りたわけ。貴方との待ち合わせを聞いていたけど、少しだけ雑談してしまった。待たせてごめんなさいね」
春ちゃんも精一杯という風にコクコクっとうなずいた。
どうやら嘘をついてるわけじゃないみたい。
「いえ、それじゃもう帰ります。ほら、お兄ちゃん。さっさと帰るわよ」
「あ、うん……って、引っ張るのはやめてよ、桜華」
「うっさい。私を待たせたんだから早く帰るの」
私は無理やり彼を引っ張り連れだすことにする。
これ以上、この部屋にいるのはよくないもん。
先輩は私達を止める様子はなく手を振る仕草さえ見せる。
その余裕あるところが超ムカつくんですけど。
「あ、待って。春日クン、お手伝いしてくれてありがとう。それに興味深いお話もできて楽しかったわ。またお話しましょう」
そう言うと彼女はあろうことか、私の目の前で春ちゃんの頬にキスをしたのだ。
ちゅっと水音を立てる生々しいキスに私は心臓を掴まれたようにドキッとさせられた。
「んなっ、なっ、ぁああっ!?」
春ちゃんより私の方が大声をあげてしまう。
彼は私の声に驚いてか、特に動揺する様子がない。
「ふふっ、じゃぁねっ。気をつけて帰って」
「失礼します!!くぉら、春ちゃん、帰るわよっ!!」
「あ、ちょっと、うわぁっ……――」
私たちは慌てて逃げるように部屋を飛び出す。
急いで教室から出た私はすぐに手洗い場に向かう。
「えっと、何で手洗い場?」
「いいから黙って。ていうか、ジッとしてなさい」
水道の蛇口を勢いよく開けて水を出す。
「ひっ、お、桜華!?な、何をするんだよ、むぎゅっ!?」
私は怯える春ちゃんの襟首を掴むとそのまま水道で彼の顔を洗う。
うぅ、あんな人に私の春ちゃんが汚された。
石鹸を泡立ててキスされた場所をごしごしと強く洗い流す。
「けふっ、殺されるかと思った……なぜ、顔を洗うの?」
「ふんっ。先輩にキスなんてされてドキマギしているんじゃないわよっ。その余韻を楽しむことも許さない。ほら、もう少しだから我慢しなさい」
「うわっぷ。ちょ、ちょっと待って。桜華、それは“たわし”だから。それは人様の顔を洗うものとは違うだろ!冷静に考えてくれ。それはまずい、や、やめてくれぇ――」
……数分後、少し赤くなった頬を押さえる春ちゃんがいる。
ハンカチでその顔を拭いてあげると拗ねた口調で言う。
「しくしく、本気でたわしで顔面をこすられるかと思いました」
「チクチク痛い思いをしたいの?さすがの私も綺麗な春ちゃんの顔に傷なんてつけないわよ。それより、もうキスの余韻は消えた?」
「うぅ、冷たい水道水と石鹸の泡と一緒に流れたよ。先輩も何で僕にキスなんか……」
それは私に対する嫌がらせと挑戦だ。
私の目の前で行動してきたことには怒りしかない。
あんな人には絶対に負けないもんっ。
「それより、あんな場所で何を話していたの?」
「それは、その、秘密ということで」
「秘密?この私と春ちゃんの間に秘密なんて作るつもり?」
そう言えばあの時も「桜華には秘密に」とか会話していた。
何の話をしていたわけ?
「人には言えないこともあるってことだよ」
「それを宗岡先輩に言えると言う事が分からない。私じゃ秘密の話はできないの?」
「今はまだ桜華に話すつもりはないよ」
春ちゃんはやんわりと私にそう告げた。
彼がこう言う言い方をする時はこれ以上の追及は無意味だ。
強引に口を割らせることもできるけど、私の本意じゃない。
「そう。それならそれでいいわ」
私は拗ねるように唇を尖らせる。
ズキン、ズキンッて胸が小さく痛む。
春ちゃんのバカ……許してなんてあげないんだから。
「雨、また強くなってきているね。明日も雨かな」
「今は梅雨だから。それに台風が接近しているからしょうがないよ」
「雨は別に行けど、雷は嫌い。夜中に雷とか鳴ったらマジで嫌だなぁ」
小さい頃から雷だけは苦手なんだ。
私にだって怖いものくらいはある。
それなのに春ちゃんは軽く否定する。
「桜華に怖いものがあるなんてありえない」
「何か言ったかしら……んぅ?」
「ご、ごめんなひゃい」
私が頬をつねると反省した様子を見せる。
「こー見えても、私だってか弱い女の子なんだから」
「……か弱い女の子?」
「何よ、その不満気な顔は?私に文句でもある?」
彼はすぐに首を横に振って否定する、おびえ過ぎだってば。
「さっさと帰るわよ。帰りにコンビニでプリンを買ってよ。私を待たせた罰だから」
「それはいいけど、何で僕の腕を組むのさ?」
「ついでに一緒の傘で帰る事に決めました。ありきたりシチュだけど、今日は認めてあげるわ。ぼさっとしていないで」
私はまだ抵抗を続ける春ちゃんの腕を強引に組みながら歩きはじめる。
宗岡先輩という悪い魔女はこれからも春ちゃんにちょっかいを出すに違いない。
それを何とか阻止して、春ちゃんを私に振り向かせてやるんだ。