第30章:ファーストキスを覚えてる?
【SIDE:七森桜華】
ファーストキスはレモンの味がする。
誰が言ったか知らないけれど、実際はそんな味がするわけなくてむしろしたら嫌だ。
だけど、子供の頃の私はそんなロマンを信じていた。
初めてのキスは好きな人とするもの。
誰だって子供の頃はそう感じるものよ。
七森桜華、6歳の時に私の友達がファーストキスをしたと言いだした。
「えーっ。桜華、まだキスしたことないのぉ?」
昔から何かと私につっかかってくるその友達は嫌味っぽくそういうの。
「それが何か?」
「キスしたことないなんて桜華はまだ子供だね」
そのいかにも満たされた微笑みがムカついて私は苛立ちを抱いていた。
「別にキスなんて興味ないし」
ただし、私はそれを表に出さない。
そういうのを出すと余計に彼女が調子に乗るはよく知っている。
だから言ってやったんだ。
「キスひとつで喜ぶのは子供のしょーこよ」
その子の顔がムッとしていたので私は逆に笑みを浮かべていた。
とはいえ、家に帰れば私もキスというものに興味がわいてくる。
あの子の前で興味がないと言ったけれど、ないわけがない。
お年頃だもの、キスだってしてみたい。
家では宿題をしている春ちゃんがいた。
「見つけた。私のファーストキスの相手。お兄ちゃんがいるじゃない」
私はまだ彼をお兄ちゃんと呼んでいた。
その当時から義兄になったばかりの春ちゃんが大好きだった。
だって、女の子みたいな顔をしている男の子。
可愛くてしょうがなくて、妹みたいに思えていた。
そんな春ちゃんが好きな私は彼にこう言ったの。
「ねぇ、お兄ちゃん。キスをしたことってある?」
「ないけど?それがどうしたの?」
「何であの子の方が早くキスしたのよ、ムカつくわ。その相手っていうのが……」
私は愚痴を言い続けると彼はうんざりという顔を見せる。
ひとしきり愚痴った後、私は本題を切り出す。
「というわけでキスをしましょう?」
「は、はい?何を言ってるんだよ、桜華?」
「良いから黙ってキスをさせなさい。お兄ちゃんは私のものよ」
「い、嫌だよ!?桜華、離してってば」
私は有無を言わさずに無理やり彼の唇にキスをする。
「むぐっ!?」
「んんぅっ」
唇と唇を触れ合わせる行為。
ファーストキスはレモンの味なんてしなかった。
予想していた高揚感もなく、呆気なくキスは終わる。
おかしい、キスはドキドキするものだって聞いていたのに。
どうして、ドキドキなんてしないの?
「何だ。キスって全然気持よくないし、つまんない」
私の言葉に春ちゃんは唇を押さえながら泣きそうな顔をする。
「ぼ、僕のファースキスが。好きな人としたかったのに」
「それなら私を好きになればいいじゃない?あははっ」
思えばあの時から私は春ちゃんをいじめることが楽しくてしょうがなかった。
好きな子いじめってついしちゃうんだよね。
好きだからいじめてしまう、相手の反応が可愛くて、楽しくて……。
それが相手にとっては苦痛でしかなくて嫌われる原因になると後で悔やんでも遅い。
私の長年の積み重ねが春ちゃんが私を拒絶する大きな理由になってる。
あれから10年、私と春ちゃんの関係は過去最大級の亀裂が広がっていた。
春ちゃんが階段から転げ落ちてから1週間。
ようやく最後の検査も無事に終えて退院した春ちゃんが家に帰ってきた。
「よかったわね、春日。おかえりなさい」
「うん、ただいま。今回は皆にも迷惑をかけたよ、ありがとう」
歓迎するママに照れくさく笑う彼。
だけど、目の前にいる私には一度も視線を向けてくれない。
意図的に無視をされているのかもしれない。
「……あ、あの、お兄ちゃん?」
私が声をかけると春ちゃんは何も言わず、そのまま自室へと戻ってしまう。
うぅ、春ちゃんが私を無視するよ。
やっぱり、私の事を怒ってるんだ。
無理に交際を迫ったから?
それで階段から突き落としたのも私のせいだと思っているのかな?
「桜華。貴方、春日に一体何をしたわけ?」
「な、何もしてないもんっ!」
「春日があんな風に桜華を無視する事なんて今までなかったじゃない。桜華が悪いに決まってるの。正直に言いなさい」
私が悪だと決めつけられているのが不服だけど、否定することはない。
ママは「早く謝って仲直りしなさい」とだけ言われた。
私は仕方なく自室に戻り、対策を考える。
和音の話だと春ちゃんと宗岡先輩の仲がここ数日で急接近していたらしい。
入院中に知り合ったんだって言っていた。
どうしよう、私にふたりの関係を食い止めるすべはないの?
ていうか、その前に春ちゃんに許してもらうのが先か。
うぇーん、私の事を嫌わないでよぉ。
ベッドに寝転がって考え中の私に携帯電話で連絡が入る。
「はい?和音?何よ、こんな時間に……」
『今日、七森先輩の退院だったんでしょ。仲直りはできたの?』
「できていない。分かってるくせに」
『私に八つ当たりしないでよ。七森先輩は桜華について嫌ってるとかじゃないと思うの。何ていうのかな、怖い?そう、どう接すればいいか分かんないって感じだった』
私との接し方が分からない。
それはあの夜の彼の会話を思い出せばヒントはある。
春ちゃんは私が理想的な妹になる事を望んでいた。
これからもいい感じで付き合っていけたらいい。
それは私の望みとは程遠い。
恋人になりたい私は兄妹になりたいわけじゃないの。
妹だと春ちゃんの世界で1番大事な人にはなれないもの。
私がなりたいのは彼の特別な存在。
「ねぇ、和音……。私はもう恋を諦めた方がいいと思う?」
『弱気な発言は桜華らしくもない。できるはずもない事はやめておけば?』
「さすがの私も面と向かって無視されたり、妹としてしか見てくれないって言われればへこみもするわよ。もう嫌になるくらいに春ちゃんに相手にされてないの。視界にすらいれてくれない。弱気にもなるわ」
私はこう見えても打たれ弱い性格だ。
大好きな春ちゃんから拒絶され続けたらもうダメ。
「もう妹にも戻れないかもしれない」
『ちゃんと話しあってみなさいよ。七森先輩も分かってくれるって』
「無理よ、春ちゃんって1度決めたら結構頑固だもの」
普段は気弱なくせに、1度こうと決めたら意地でも曲げない。
春ちゃんが私を恋人にしないと決めたら、多分、もう何をしても無理。
「……こうなったら破滅覚悟で春ちゃんを私好みに調教するしか」
『それ普通に犯罪だからっ!やめようよ、危ない事はダメだって』
「それは半分冗談だけど、早く好きになって欲しい」
和音との雑談を終えた私は勇気を出して春ちゃんに会いに行く。
このまま無視されるのは嫌だ、話がしたいよ。
すると、彼はすでに部屋で眠りについていた。
ちょっと拍子抜けしつつも私はベッドで眠る彼に近づく。
どうしよう、ちょっと緊張してきた。
寝てしまっている彼、今だけ私は彼に触れることができる。
指先で彼の手に触れてみたら、胸が痛くなる。
今の私達は手をつなぐこともできない。
それはとても寂しいよ、春ちゃん。
「私だけを好きになってよ。他の女の子に振り向かないで」
私はこんなにも一途に春ちゃんを思うのにどうして私に振り向いてくれないの?
そっと私は春ちゃんにキスをする。
「……んぅっ」
唇を重ねた瞬間にドキドキと胸が大きく高鳴る。
子供の頃のキスと違う高揚感。
このドキドキ感が私を突き動かすの。
春ちゃんが好きだって想いは止められない。
「春ちゃんからキスしてくれる日はいつくるの?」
どんなに努力しても結果は報われない。
私はこれからどうすればいいのか分からない。
春ちゃんが望む形、私が望む未来。
そのふたつは平行線をたどるだけ、ふたつはひとつに交わらないの?
私は焦りと不安を抱きながらも春ちゃんの隣で眠ることにした。
同じベッドに潜り込んで彼に抱きしめてみる。
「おやすみなさい、春ちゃん」
明日、彼が目を覚めた時どんな反応を示すんだろう?
拒絶や無視とかされたら嫌だな。
「私を受け入れて。私を拒絶しないで……」
その夜、私はぐっすりと眠ることができた。
大好きな人の温もりに包まれて。
そして、その翌日、私と春ちゃんは――。