第28章:理想的な女の子《後編》
【SIDE:七森春日】
入院生活も残すところ、あと3日。
僕は頭の痛みも治まり、あとは最後の検査だけで退院できるまでになっていた。
「へぇ、そうなんだ。私、そういうところまで意識してなくて」
「細かいところまで気を使うとまた新しい発見とかあります」
「さすが春日クン。頼りになるわね」
今日もこうして僕は病院の中庭の花壇にいた。
学校帰りの白雪先輩と一緒に花の話で盛り上がる。
「今日ね、学校で春日クンの話を聞いてみたの。春日クンって特に下級生の女子に人気があるみたいじゃない。女の子が苦手って言ってたワリにはモテるんでしょ?」
「そういう自覚はないですよ。ただ、園芸部って女の子が多いですから苦手というわけにもいかず。そう言う意味では女の子に慣れたい気持ちはあります」
彼女達はとても親しくしてくれるのに、こちらが緊張して一歩足を引いてる状態だと申し訳ない気がする。
だが、白雪先輩と話すのは特別苦手な意識はない。
それは和音ちゃんにも似ている感情。
苦手意識のない女の子とそうじゃない子、僕の中での違いは今ひとつ分からない。
彼女はホースで水やりをしながら僕に問う。
「ねぇ、春日クン。恋人とか欲しくないわけ?」
「えっ……恋人ですか?」
「そうよ、恋人。せっかくの高校生活、恋人くらい必要じゃない?男の子として女の子に興味を持つのは当然。誰か好きな子はいないの?」
僕はその質問に対する答えはひとつしかない。
常日頃から言い続けている事でもある。
「僕は今、恋人が欲しいとか考えてません。そういう恋愛っていうのはよく分かりませんし。誰かを好きだと意識した事もなくて……」
そう、僕はきっと誰も好きになった事がない。
だからこそ、桜華の気持ちも受け止められずにいるんだ。
妹としては嫌いじゃない、でも、女の子として好きでもない。
「桜華はどうなの?噂だと義理の兄妹なんでしょ?月並みだけど、付き合う事も結婚することだってできるじゃない」
「……世間でどう思われているかどうか知りませんけど、義理の兄妹で交際している人間ってあまり聞いたことありませんよね。漫画だけの世界ですよ」
「あら、そう?桜華はその気みたいなのに、お兄ちゃんは妹には興味なし?」
くすっと微笑して彼女は僕の鼻先をチョンッと指で触れる。
「……桜華は春日クンが好き。それは気づいてるの?」
「え?なぜ、それを?」
「モデル仲間だと桜華の“お兄ちゃん大好き症候群”、いわゆるブラコンっていうのは有名な話なの。春日クンのこと、学校ではあまり好きって態度を見せないらしいけど家ではラブラブだって本人が言ってたの」
それはどうなのかな、明らかに見栄を張ってる気がする。
少なくともラブラブ~っではなく、ご主人さまと犬という表現の方が合ってる気が……。
仲のいい兄と妹のような関係になったのもごく最近の話だ。
それも今では少しだけ壊れてしまってるんだけどね。
夕焼けに照らされつつ僕らは水やりを終えて日陰のベンチに座る。
入院患者の人たちも今の時間は散歩しているのだろう、人の往来がけっこうある。
「……桜華には何度も告白とかされています」
「その言い方だと付き合ってはいないの?ううん、付き合う気はないのかしら?」
「はい。今の僕は付き合うというつもりはないんですよ。だって、付き合うって大変なことじゃないですか」
「ホントに恋人になるって言う気がないのね。桜華って悪い意味で積極的すぎるところがあるから……その辺が春日クンには苦手なのかもね」
僕は静かに頷いて「そうです」と苦笑いする。
桜華の強気な態度が時々羨ましく思えるよ。
僕にも少しだけで桜華みたいな積極性が欲しい。
「そういう白雪先輩はどうなんですか?今、交際している男の人は?」
「残念ながら私も今はいないわ。恋に恋してただけの恋愛をして、得るものはなかったもの。確かに付き合うという事は難しいわよね。だけど、人ってひとりじゃ寂しいの。恋をして、大切な人に傍にいて欲しい」
小さな子供の患者が中庭をグルグルと駆け回っている。
それを看護師さんが追いかけて捕まえていた。
「元気が有り余ってる感じです。大丈夫なのかな」
「ふふっ、子供にとっては病室って狭い場所だから仕方ないわ。あの子、喘息がひどくて入院しているのに症状が治まりかけているからあんなに元気なの」
「詳しいですね。白雪先輩ってよくこの病院に来るんですか?」
「私の家はこの裏にあるのからよくこの病院にも来ているわ。邪魔しない程度に看護師さん達のお手伝いもしているの」
白雪先輩と話をしていると、その患者の子がこちらにやってくる。
「あーっ、白雪姫さんだぁ」
「こんにちは。あんまりはしゃいでるとまたケホッて咳をしちゃうよ」
「だって、寝ているだけだと暇なんだもん。早く小学校に通って友達に会いたいわ」
「それなら大人しくしておかないと。友達に会って遊びたいなら今はゆっくり休んで」
白雪姫、子供達にはそう呼ばれているらしい。
優しく対応する彼女はその女の子の頭を撫でていた。
「白雪姫さんは今日はお友達の人と一緒なの?可愛い女の人だねっ」
「お、女の人……?」
ガーンっ、小学生の子に女の子と間違えられた。
素で女の子に間違えられるって言うほどショックなこともない。
白雪先輩は面白がって否定をしない。
「あははっ、そうね。お友達の女の子、ここで入院しているの」
「早く退院できるといいね、お姉ちゃん」
「……うん」
僕はそういうことしかできなかった。
男なのに、女の子と間違えられるのは精神的にキツイよ、ぐすんっ。
ひとしきり、その子と会話してた白雪先輩は楽しそうだ。
やがて、彼女が部屋へと戻っていくのを見送る。
「さっきの子、知り合いなんですか?」
「この病院で長期入院している子はほとんど知りあいよ。あの子はあと2週間ぐらいで退院できるの。本人はとても元気だからいつも看護師さんを困らせてばかり。そう言えば、春日クン、女の子に間違えられていたわね」
「白雪先輩も否定してくれればよかったのに」
「だって面白かったんだもん。春日クン、女顔だからよく間違えられるでしょ」
「時々、ですけど。僕は男らしくしているつもりなんですが」
努力むなしく、いつまでたっても男らしさは身につかない。
「もう少し髪をいじれば?今みたいに長髪だと余計に女の子に見える。まぁ、可愛いからそれでいいじゃない。私は今の春日クンが好きよ」
彼女に好きと言われてドキッとしたり。
そのセリフはドキドキするので心臓に悪い。
こう言う所、僕が女の子が苦手っていうのかな。
「からかわないでくださいよ。僕は女の子扱いされるの好きじゃないんです」
「思い出したわ。確か前に学校で春日クンの子供時代の写真が回っていたでしょう?私も友達に見せてもらったけど、すごく可愛かったの」
「……そーいう事件もありました」
桜華の何気ない行動が引き起こした悲劇。
僕の肖像権が著しく侵害され、屈辱的な想いをさせられた事件だ。
「春日クンが女の子が苦手っていうのは見た目のせいでもあるのかな?」
「そうかもしれません」
自分でも気づかないうちにっていうのもあるのかもしれない。
とはいえ、桜華のせいで女の子が苦手というのが一番大きいのは変わらない。
「……春日クン。恋をしてみたいとは思わない?」
「今はまだ……でも、いつか僕にとって好きな人が出来たら、欲しいとは思うかもしれません。人を好きになる事を僕はまだ知りませんから」
白雪先輩との別れ際、彼女は僕に意味深な事を語る。
「――春日クン、いつか貴方にも理想的な女の子が現れるといいわね」
理想的な女の子、僕が好きになれるかも知れない相手。
それは桜華なのか、まだ見ぬ相手なのか。
僕もいつかは人に恋をするのだろうか?
……。
春日と病室で別れた白雪は廊下である看護師に声をかけられていた。
「白雪さん。どうしたんです、すごく楽しそうな顔をしていますよ」
「そうかもね。とっても面白い人に出会えたからかな」
彼女はそう笑って看護師の前を通り過ぎる。
「――春日クン、か。桜華の恋する男の子っていうだけあって可愛らしい子じゃない。本気になっちゃおうかなぁ」
誰にも聞こえない声でそう告げるとそのまま廊下を歩いていく。
唇を指で撫でる仕草を見せる白雪。
春日と桜華の知らないところで何かが動き始めていた――。