第21章:スペシャルデイズ
【SIDE:七森春日】
「……お前、どうするつもりなんだ?」
いつものように放課後、僕は園芸部で活動をしていた。
雑草を抜いて、肥料をまいたりしていると、信吾お兄ちゃんがやってくる。
その第一声がそれだったので、僕は尋ね返した。
「どうするって、何のこと?」
「桜華との関係だよ。最近、ずいぶんと仲が良いようじゃないか」
「普通の兄妹に見える?」
「いや、桜華が普通の妹じゃないからな。ブラコンでヤンデレで、俺が兄とするならちょっと勘弁してくれと言いたいぞ」
ブラコンは分かるけど、やんでれって何ですか?
僕は作業を止めると、お兄ちゃんの方へと振り向く。
「やんでれっていうのは?」
「何だ、そんな事も知らないのか。病んでるデレだよ」
「……だからデレって?それは何の言葉なわけ?」
彼は「春日は漫画とか見ないからな」とため息をつくと、
「ようするに“行き過ぎた愛情”ってやつだな。相手を好き過ぎて心が病んでる。人はそれをヤンデレと呼んでるらしい。危ないぜ、ヤンデレっていうのは」
彼は何だか自分に経験があるような言い方をする。
「ヤンデレの人と付き合ったことがあったり?」
「俺の高校の時の彼女がそれでな、いきなり俺を原付バイクで俺を引いたんだ。全治2週間の怪我で入院をさせられた。彼女は何と言ったと思う?『2週間も信ちゃんの看護ができるね』って笑って言ったんだ。その時の笑顔を忘れていない。女の笑顔の怖さを知った17歳の夏だった」
彼はゾッとするようなことを言う。
「それから2週間、俺はナースプレイを楽しむ彼女に、入院という名の監視生活をさせられた……。原付バイクで引いた時点で普通にこれって障害事件だよな?」
「そ、それは、怖い……」
「だろ。俺も学校や警察、親に言うのは躊躇って心の中にしまって置いたぜ。まぁ、当時、俺が他の女と浮気したから、それを睨まれての行動だと今になっては思うが」
……いや、むしろ、それは彼女なりの復讐では?
浮気をしたお兄ちゃんが明らかに悪い気がする。
とりあえず、ヤンデレさんというのは怖い人らしい。
そして、我が義妹もそのヤンデレさんということは……僕もかなりまずい?
家に帰ると誰もいない、脱ぎ散らかされた制服がリビングに転がっている。
それを拾い上げると、ソファーに生足が……。
すらっと伸びた足、モデルをしているだけあって綺麗だ。
「んんっ……」
ソファーで寝ているのは桜華だった。
熟睡しているのか物音を立てても起きる気配がない。
無防備な姿、ていうか、スカートぐらいはいてください。
6月に入って蒸し暑くなったのか、シャワーを浴びたのだろう。
そして、ゴロンっとそのまま寝てしまった、と……。
「とりあえず、服を着てください」
僕はタオルケットを彼女にかける。
下着姿でよかった、時々、桜華は全裸で寝てる場合があるのだ。
べ、別に僕の前ではなく、本人が言ってるだけでそれを見たわけじゃないんだ。
……ホントだってば、と誰にでもない言い訳をしてみる。
「さて、どうするかな……今日は桜華とファミレスに行こうと思ってたのに」
今日は両親は結婚記念日とかでふたりで外食するらしくていない。
仲の良いふたりだ、別に僕らはコンビニのお弁当でもかまわない。
特別な日っていうのは大事なものだから。
「桜華はどうしよう?」
桜華がここで寝ていて風邪でもひかれた困る。
……どうしようかな、起こす?
起こした場合の脳内シミュレーション。
『私の裸、そんなにみたいの?見せてあげよっか』
そう言いながらこちらに迫る桜華を容易に想像できる。
男の子の下半身に非常によくない状況になる可能性が大だ。
桜華の性格なら下着姿に恥じらう事は絶対にない。
「うん、放置しよう」
仕方ない、これも僕の身の安全を守るためだ。
一応、この状態なら寝ても風邪はひかないはず。
こっそりとその場を立ち去ろうとする。
しかし、運悪くテーブルの上に置いてある携帯電話が鳴り響く。
僕は慌ててテレビの物陰に隠れてしまう。
隠れる必要は多分ないけど、ついくせで……。
「んぅっ……?」
それで桜華は目を覚ましたらしく携帯に手をのばす。
「……ふぁい?誰……って、宗岡(むねおか)先輩!?」
僕はその様子を見守るが、いきなり起き上がったのでタオルがはだけてしまう。
うぉっ……生で下着姿を見てしまいました。
慌てて視線をそらす、お願いだから服を着てよ。
「いえ、ちょっと寝ていたので。私に何か用事でも?」
先輩からの電話らしい、しばらくはとりとめもない会話を続ける。
うーん、男の人かな、桜華の話す口調からするとそんな感じが見てとれる。
「そういうんじゃないんですよ。……残念ながら、私の片思いです」
何の話だろうと気になっていると、桜華はとんでもない事を言う。
「先輩は優しいですね。きっと宗岡先輩みたいな人が恋人だったら幸せになれるのに」
――ドクンッ。
僕の心臓の鼓動が激しく高鳴る。
恋人、桜華の好きな人……?
いつだったか、僕は和音ちゃんの言っていた事を思い出した。
『告白?いえ、桜華はまだしてませんよ?桜華の好きな人はこの学校の3年生の先輩みたいなんですよ。どうにも怪しい雰囲気でした』
兄離れしてしまう寂しさ。
その時は感じていたけど、全然他の人を想う素振りがなくて。
ここ数週間は素直モードの可愛い妹だったので、余計に忘れていた。
『まだ、どの人っていう特定の名前までは分からないんですが、中学の時くらいから付き合いのある人がいるらしくて……。その人の事をずっと思っている、そんな素振りを見せていたんです。3年生の人だったんですねー』
桜華には僕ではない好きな人がいる。
……それが電話の相手の宗岡先輩なのか?
楽しそうに会話する桜華を見ているとそう感じてしまう。
「今度、また一緒に遊びに行きませんか?私も会いたいですし」
桜華は今度その先輩と会うつもりらしい。
相手がどんな人なのか分からないっていうのは微妙に不安だ。
僕から好意の対象を変えてくれるのはいいけど。
兄妹の恋愛は初めから無理なんだ。
僕らは理想的な兄妹に近づいている。
だからこそ、今の関係は無意味に壊したくないんだ。
「それじゃ、また連絡しますね。はい。さよならですっ」
桜華は電話を切ると嬉しそうに「先輩……」と呟く。
彼女のそういう姿、あまり見た事がない。
「……くしゅんっ。うわぁっ、寒い。ていうか、何で私……?あー、そっか。シャワー浴びてからすぐ寝てし……まって?」
運悪くお互いの視線が交差しあう、僕はとりあえずこう言った。
「お、おはよう、桜華。昼寝はいいけど、服ぐらい着ようよ」
「きゃっ!!ば、バカっ。お兄ちゃんのバカっ!!エッチ!」
僕にソファーの座布団を投げつける桜華。
「妹の裸を見るなんて、ひどいわよっ」
「誤解だ、そんなところで寝ている桜華が悪い」
その攻撃を直撃する僕は顔面に痛みを感じながら慌てて私服に着替える彼女に言う。
「それに、いつもはそれくらい堂々と見せつけてるじゃないか」
「違うもんっ!あれは……見せていい奴で、これはダメなのっ!」
「僕にはその違いがよく分からない」
「ふんっ。どうせ、お兄ちゃんは下着と水着の区別もつかないんでしょ」
さすがにその区別はつくけど、恥ずかしさの度合いが違うってことなのかな?
女の子って本当によく分からない。
頬を赤く染める桜華、意外な反応にびっくりだ。
彼女の女の子らしい正常な反応に逆に戸惑ってしまう。
「……それで、何でそんなところに隠れているの?」
「いや、特に意味はなくて。それよりも、誰と電話していたんだ?」
「――誰でもいいでしょ?お兄ちゃんには関係ないし」
桜華は誤魔化すも何もそこで会話を終わらせる。
どうやら聞かれたくない、そんな風に思える。
本当に好きな人なのかもしれない。
「あっ、それはどうでもいいからご飯食べに行こう?お兄ちゃんを待っていたのよ」
「うん。どこにいく?駅前だとファミレスかな?」
「えぇーっ。せっかく、お金をもらってるんだからいいところにいきたい。ホテルのフレンチとか、高級ディナーとかさぁ」
「……夕食代、1000円でそれは無理。フレンチはダメだけど、フランス料理風のお店にしようか?確か、駅の通りに新しく出来たお店があったよな」
僕はそれまでわりと幸せな日々を過ごしていたのかもしれない。
どんな形であれ、義妹に好かれていた……特別な日々を。
これから僕らの関係が変わってもその日常は続くのだろうか。
「今日はお兄ちゃんの奢りで美味しいものを食べてやる」
「いや、予算はひとり1000円までって決まってるから」
「……そこは冗談でも、いいよって言ってくれなきゃ。甲斐性なしは嫌われるわよ」
くすっと微笑する桜華の横顔を見つめる。
僕はどうしたいんだろう?
彼女の兄になりたいのか、それとも恋人になりたいのか……答えはまだ出ていない。