第19章:一緒にいて欲しい
【SIDE:七森桜華】
5月中旬、日曜日の早朝、私は春ちゃんの部屋にいた。
今日はモデルの仕事もなく暇なので、彼とデートでもしようと思っているのだ。
まだぐっすりとベッドで眠っている春ちゃん。
その寝顔は相変わらず女の子のようで綺麗だ。
「……何か自分より美人な兄っていうのはムカつくわね」
というわけで、悪戯をしてみることにする。
寝ている子に悪戯というのは反応が面白い。
「可愛すぎて襲いたくなる……」
それをするから春ちゃんに嫌われるのだと、私は学習した。
我慢、我慢……でも、ちょっとだけ……。
「――何をするつもりなんだ、桜華」
「うわぁっ!?な、何よ、びっくりするじゃない」
いきなり彼の眼が開いたので驚いてしまった。
「お兄ちゃん、驚かさないでよねぇ」
「それは僕のセリフだっての。いきなり部屋を開ける音がしたと思ったら……まだ7時じゃないか。こんな時間に何をしにきたんだ?まだ眠いんだけど」
彼はゆっくりと身体を起こすと、こちらを眠そうな目で見る。
「今日、暇ならデートしよう」
「ダメだ、今日は用事があるんだよ」
「即答なんてひどいじゃない。そんなに嫌なの?」
「違うんだってば。今日はホームセンターに園芸部で使う道具を後輩たちと一緒に調達しにいかないといけないんだ。昼の1時に約束しているから無理なんだ」
どうやら、私とデートすることに抵抗はないらしい。
これってもしかして、私に対しての印象はよくなっているのかもしれない。
「それじゃ午前ならいいでしょ?その後、そちらに合流すればいいじゃない」
「まぁ、それならいいけど、特に遊んでいられなくないか?」
「行きたい場所があるの。そことお昼を一緒に食べようよ」
それだけでも私的にはいい。
春ちゃんも忙しいのだからしょうがない。
しかし、私はある事に気づく。
「……って、もしや、後輩の子って全員女の子!?」
「男もいるよ、僕以外にひとりだけだけど。3人が女の子なのは許容範囲内だろ」
「何の許容なの?……うぅ、せっかくの日曜日を他の女の子に邪魔されるなんて嫌なの~。お兄ちゃんと遊びたいのに」
「ごめんな。また今後、時間は作るよ。必ず、1日かけて遊びに行こう」
「……お兄ちゃん?」
春ちゃんが自分から遊びに行きたいなんて……。
「この埋め合わせ、絶対にするよ」
そう言って私の頭をポンポンと撫でてくれる。
『桜華はね、お兄ちゃんが大好きなのっ』
脳裏によぎるのは私の過去。
まだ純粋な心を抱いていたあの頃の思い出。
「ひゃんっ」
私はつい声をあげてしまって、ベッドから離れた。
「ご、ご飯の用意してくれるから。お兄ちゃんも準備して」
「……?あぁ、すぐに用意するよ」
彼はよく分からないという顔をする。
私は慌てて部屋を出ると、廊下に出て「はぁ」と深呼吸する。
やばい、めっちゃ照れるわ。
今の私はものすごく顔が真っ赤なのに違いない。
春ちゃんに優しくされるも、向こうから触れてくるのも久しぶりだった。
「嬉しいじゃない……めっちゃ嬉しいっ」
小さな頃、彼に頭を撫でられるのが好きだった。
あの時の気持ちがよみがえってくる。
私は携帯電話を取り出すと、信吾さんに電話をすることにた。
やがて、眠そうな声で返事が返ってきた。
『んだよ、桜華?お前、日曜日の朝っぱらから電話って……何の用だ?』
「ふふっ、実はさっき春ちゃんに頭を撫でてもらったのよ。彼はすごく優しくなったわ。私のことを、好きになるのも時間の問題よね」
『子供じゃないんだ。頭を撫でてもらったくらいで喜ぶなよ』
「これがどれだけ待ち望んでいたか分からないの?春ちゃんが自分から私に触れてくれるなんて……ちょっと感動して涙が出るくらいに嬉しいのよ!」
ここ数年、春ちゃんが私を甘やかさせてくれる事がなかったもの。
その彼が自分の意思で私に触れようとしてくれたのよ。
『あー、そうかよ。どうでもいいよ、俺にとっちゃ関係ない。もう寝るぞ』
「え?切るの?まだ私の思い出話の絡みを話していないのに」
『兄妹の惚気なんて聞いてられるか。さっさと付き合ってしまえ。今の春日なら簡単に落とせるだろ。こっちは眠いんだ』
せっかく私の喜びを共有させてあげようと思ったのに。
「あっ、そう。切りたければ切れば?あゆみちゃんから連絡を受けたのに」
『ちょい待てっ!そう言う事は先に言え。それでいつに会ってくれる?』
あゆみちゃんっていうのはモデル仲間の女子大生。
前回の件で借りをつくった信吾さんに紹介してあげる女の子だ。
「用件だけ言うわよ。今日のお昼に駅前で待ち合わせ。顔は写メで送ったから分かるでしょ。これで貸し借りなしだからね。うまくいかなくても責任はとらない」
『オッケー。しかし、今日とはいきなりだな』
「暇人だからいつでもいいでしょ。それじゃ、切るわ」
「一応、教師は暇人じゃない。まぁ、休日はパチンコか競馬くらいしか行くところもないが」
私は信吾さんとの会話を終えると、ちょうど部屋から春ちゃんが出てくる。
何ていうのかな、春ちゃんを攻略するのは警戒心たっぷりの猫を懐かせるのに似ている。
警戒を解いて、心を開いてもらうように優しくする。
……つまりはこれまで相当な警戒をされていたわけで。
何かへこむわ、私って自分で思ってるほど周りが見えていない。
「ん、どうしたの?そんなところでボーっとして」
「お兄ちゃんを待ってるの。早く遊びに行きたいのよ」
「でも、まだ時間はあるんだろ?」
「今日、オープンのお店に行きたいの。今から行かないと待たないといけない」
少し早めに言っておくにこしたことはないからね。
「まぁ、付き合うと言った以上は付き合うよ」
彼は朝食を食べにリビングの方へと行く。
私はその後ろ姿を見送って自室に戻った。
「はい、次はこの服を試着して来てね」
「……表の列はかなりのものだったけど、こちらはあまり人がいないんだな」
「店の前にいたのが女の子ばかりだったから。ふぅ、今度、落ち着いてからまた来るわ。適当に見れたけど、隅々までは回る事ができなかったもの。さすがに一回じゃ見切れないわ」
私達が来たのは今日オープンしたばかりのお店、外は長い列で大変だった。
ファッション関係の仕事をしている私としては外しておけない。
ひとつのビルの中に男物と女物のフロアが分かれている。
私は先に自分の服を選んだので、残った時間を春ちゃんの服選びに回したの。
試着を終えた春ちゃんをチェック。
彼は素材がいいのに服とか適当な物を着るから困る。
自分をよく見せるのにお金は渋ってはいけない。
「着なれないものはよく分からない」
「そう?春ちゃんは身長はあまりないけど、顔はいいから派手系よりは……」
私は春ちゃんに色々と教えていくけど、彼は分からないと言った顔をしている。
もう少し興味持ってくれたら、すぐに彼も……いや、これ以上人気が出られてもね。
私だけのものでいて欲しいので今のままでいいかな。
「桜華、あの、何度も言うけど、結構値段高い服ばかりでまずくない?」
「今日の予算の範囲内だから大丈夫。お兄ちゃんは気にしないで。私の方がお金を持ってるんだから……あっ、次はこれとこれね」
モデルの仕事で毎月それなりのお金が入る私と違って、バイトもしていない彼は月数千円のお小遣いだけ、しかもその大半は園芸系に消えてしまう。
マンガは読まない、ゲームもしない。
そんなちょっと大人しい性格の彼なので私としてはもう少し他の趣味も持ってほしい。
「毎回、買ってもらうのは悪いなぁ」
「……それじゃ、今日のお昼は奢ってくれる?」
「おごるって言ってもクレープ屋に行くんだろ。大したことないじゃないか」
「それでいいの。私はお兄ちゃんがしてくれることなら何でもいいのよ」
それは本当の事だ、彼が私のために何かをしてくれるのが嬉しい。
今日みたいな頭を撫でてくれるだけでも私としてはかなり喜ぶことなんだから。
「それより、デートを楽しんでよ。せっかく来たんだから」
「桜華は僕といて楽しいのか?」
「当然じゃない。お兄ちゃんと一緒にいる時間が楽しいの。お兄ちゃん違うの?」
「……昔は違ったかな。桜華はちょっと怖くて、どうしていいのか分からなかった。でも、今は一緒にいることは嫌じゃないし、どうしたいのか考えるようになったよ」
このたった2週間程度で私達の関係は明らかに変わり始めた。
私が少し優しくしただけなのにこんなにも変わるなんて。
だけど、それは逆に私にはショックでもあったんだ。
たった、それだけのことで変わることなのに私は今まで何をしていたんだろう。
「そう。それはよかった……」
私は彼を急かすように次の服を選んで試着させる。
限られた時間というのは大変だ、したい事も限られてしまうから。
「ん、メールだ。誰からだろう?」
私は携帯電話のメールを開くと、そこには和音から伝言があった。
『丸秘情報。今日のお昼、七森先輩は女の子とデートするらしいから気をつけて』
その一言に私はドキッとさせられる。
だって、春ちゃんは園芸部の部員とホームセンターに行くんだって言っていたんだ。
え?どういうこと?彼が嘘をついてるというの?
私は危機感を抱くと同時に嫌な気持ちにさせられたの。
――そして、その不安は的中することになる。