第1章:妹の絶対宣言《前編》
【SIDE:七森春日】
僕の人生で唯一恐れる人間がいるといえば、それは妹の桜華だろうと断言できる。
桜の花という名前通り、僕と同じ四月生まれ。
つい先日、お互いに誕生日を迎えてそれぞれひとつずつ歳を重ねた。
それはおいといて、まず説明しなければいけないことがある。
最初に言うべきことは僕と桜華は義理の兄妹ということだ。
義理の妹、つまりは血の繋がりはない。
それだけが僕の唯一の救いでもあるのだけど……。
親同士の再婚が、僕たちの子供の頃の出来事であるので、ほとんど実兄妹と変わりのない人間関係を築いている。
だから、義兄妹という言葉にロマンスを求める人間達にあえて言う。
妹なんて、生意気なだけなんです、妹のいない人にはこの気持ちが分からないんです。
思い返せば思い返すだけ辛い、僕が妹という存在にどれだけ苦しめられてきたかということを説明するのが非常に辛い。
女顔だからということで女装させられたことも数え切れず、下僕扱いされて涙を流した事も数知れず。
僕が女性を苦手だと感じるのは間違いなく妹のせいだと、これだけは言える。
桜華は危険だ、見た目の可愛さなんて関係ないんだ。
さて、ちょっとだけ長い説明を終えて、僕は目の前の妹に目を向けた。
「初めまして。私は七森桜華。現在、フリーなので彼氏になってくれる人、求めてまーす♪」
そう可愛く笑顔を振りまきながら自己紹介をする桜華。
モデルとして人前で見せる笑顔には相当の自信があるらしい。
確かに普通に見れば可愛いだろう、その裏で何を考えているのやら。
「おおっ、マジで可愛い子じゃないか。ん、七森?もしかして……」
当然の如く、僕と桜華に皆の視線が集中する。
そこでようやく彼女は目の前にいるのが自分の兄だと認識したらしい。
「え?あっ、兄貴じゃんっ。何でこんな場所にいるの?ていうか、まさか兄貴が合コン!?あの兄貴が?うわっ、ありえないし。あははっ、面白すぎよ」
僕を笑う桜華、僕は泣きたくなるけどね。
「ウソでしょう、女の子が苦手の兄貴が恋人作りたいなんて。ありえない、めっちゃありえない。これはないわぁ。くすっ。一体、何の冗談なわけ?」
散々僕を嘲笑う妹なのだが、場所というものを少し考えた方がよかったかもしれない。
皆もすぐに気づいてしまったのだろう、桜華という女の子がどういう子なのか。
最初に見せた天使の笑顔の裏側、呆気なく自分で暴露したのだ。
見た目美人な桜華だが中身は我が侭な上に手のつけどころのない小悪魔らしさがある。
僕に女の子には気をつけろという教訓を身をもって教えてくれた相手なのだ。
その甘い笑みに騙されて痛い目に会った男は数知れない。
「はっ、えっと、あの、これは……」
彼女も自分ひとりが笑っていることに気づいたらしい。
隣の3人の男子は見て見ぬフリをしたいのか、城之崎ですら視線をそらしている。
「あ、あぅ……」
さすがに桜華も顔を羞恥で赤らめていた。
自業自得だ、同情はしてあげない。
とりあえず、僕は場の雰囲気を変えるために、自分の紹介を始めることにした。
「突然でびっくりしたんだけど、僕は七森春日。彼女の兄なんだ。僕たちは兄弟なんだよ、ホントに偶然だよね……」
「やっぱり、桜華のお兄さんだったんですね。学校で見たことがあったんです」
二宮さんが僕を不思議そうな目で見ていた理由が分かった。
というわけで、微妙な雰囲気の中、合コンは進行していく。
僕を無視することに決めた桜華だが、ファーストインパクトがアレだったので、城之崎たちも相手しづらそうにしていた。
美人だと飛びつく彼が手を出さないとは、正しい選択だよ。
「へぇ、春日先輩って園芸部なんですか?」
「うん。花はいいよ、愛情かけて育てた分だけちゃんと応えてくれるから」
席が変わって僕の前には二宮さんが座っている。
桜華は頑張っているようだが、無理だろうな。
「園芸部ってどういう活動をする部活なんです?」
「中庭にある花壇に花を植えて、その手入れをしているんだ。個人的なスペースも与えられて、そこで自分の好きな花を植えたりもしている。僕が今年、植えた球根はフリージアっていう一般的な花なんだけど、綺麗に咲いたんだ」
黄色と白、2種類の色の花が咲くフリージア。
手入れもそれほど難しくないので、初心者でも簡単に花を咲かせることができる。
「今後、中庭に見に行ってみます。何だか楽しそうな部活ですね」
「そういえば、1年生はもうすぐ部活紹介で部活を決めなくちゃいけないだろ」
「はい、案内の紙はもらってます。私は運動系の部活にしようと思ってるんです」
「水泳部がないのは残念だけど、他の部活も楽しいのがたくさんあるよ。文科系もうちの学校は充実しているからいろいろと考えてみるといい」
僕は運動神経があまりよろしくないので迷わず文科系の部活を選んだ。
学校の規則で必ず、最初はどこかの部活に所属しなくちゃいけない。
だから、文科系は部活の面倒な人の逃げ場所(幽霊部員)にもなっている。
オレンジジュースを飲みながら僕は二宮さんに視線を向けた。
「でも、花が好きな男の子って珍しいですよね。先輩は可愛いです」
「可愛い……それは褒められるのかな」
「だって、見た目も……。時々、男と女、性別で間違えられたりしません?」
「たまにだけど、間違えられることはあるよ」
性格も派手ではなく大人しいタイプなので女子にはその言葉をよく言われる。
外見はさほど女性的ではなく中性的だと自分では思う。
「昔は髪の毛伸ばしていたからずっと近所では女の子扱いだったくせに」
いきなり会話に割り込んでくる妹、人の痛い過去をつついてくれる。
桜華はちょうどドリンクバーにジュースを取りに行く途中で席を立ったようだ。
その獣のように鋭い瞳が僕を睨みつける。
『てめぇ、ちょっとばかり調子に乗ってるんじゃない?』
間違いなくその瞳がそう告げている。
自分がダメになったら容赦なく他人の足を引っ張りに行く、彼女はそういう子だ。
うぅ、僕は桜華に睨みつけられるとどうする事も出来ないのだ。
僕としては合コンの成功には興味ないのでどちらでもいいのだけども。
「可愛かったんですか?うわぁ、その頃の先輩を見てみたかったです」
「今度、写真を見せてあげるわ。普通に笑える写真だから」
「それはぜひ見てみたいな。先輩の姿、どんなんだろう?」
僕の過去を暴露するのは勘弁してほしい。
期待されてしまってるようで、無理に拒むこともできなさそうだ。
「いいよ、別に。見られて困る過去じゃないからさ」
僕はそう答えるしか出来なくて、苦笑いを浮かべていた。
逆らうとあとが怖いので大した抵抗ができない。
残念ながら我が家での立場関係は圧倒的に妹の方が有利なんだ。
結局、その日は僕も桜華も大した成果がなく初の合コンは終わりを迎えた。
で、家に帰ってから強制的に反省会をさせられる。
「んっ……もっと右、違う、そこじゃないっての」
ソファーに寝転ぶ妹の身体をマッサージする。
女の子らしい身体つき、触れれば柔らかい感触に思わず反応する。
だが、これが他人が羨ましいと思う行動かどうかは別問題。
少なくとも僕は羨むことなく、ぜひ他人に代わってあげたい気持ちだ。
「はぁ、何で兄貴があんな場所にいたわけ?おかげで失敗したじゃないの」
合コンの結果が散々だったのか、いつもよりも彼女は不機嫌だ。
愚痴る桜華はテレビのチャンネルを適当に変えながら、
「兄貴にでも女に興味を持つ年頃になったってわけ?」
「さっきから言ってる通り、僕は数合わせでしかないよ。自分から進んで参加したわけじゃない。そういう桜華こそ、ああいうのによく参加しているのか」
「当然でしょう。私は恋人が欲しいの、高校生になったら絶対に彼氏を作ると決めていたのよ。それなのに、これまで連敗続き。私って可愛いのに、どうして男どもはこうも見る目がないのかしら」
それは間違いなく桜華の性格のせいだと思うよ。
中学は彼女も大人しくしていたようだが、高校になってからはそれまでの鬱憤を晴らすかのように積極的な様子だ。
恋愛という2文字がより身近になる年頃でもある。
「んっ、気持ちいいわよ。兄貴ってマッサージの腕だけはあるのよね。やらしいわ」
「……マッサージをさせておいて、いやらしいと呼ばれるのには抵抗があるぞ」
「何よ、この私に反抗するつもり?兄貴のくせに生意気なの。ほら、手を止めない」
渋々、僕は再び妹の背中を揉む。
普通はちょっとぐらい雰囲気が変わるはずなんだけど、うちでは全然微塵もない。
「あー、彼氏が欲しいっ!今日の合コンは失敗したし、全然、彼氏はできないし。何で?どうして?私の何が悪いわけ」
声を大にして言ってやりたい、桜華のすべてがダメなんだ、と。
傲慢なその態度は男から見れば美人でも関わりたくないと思わさせる。
ホントに大人しくしていれば一流の美少女なのに。
「兄貴は和音に妙に気に入られたようだけど。自分だけ調子に乗って恋人なんて作ろうとか考えてないでしょうね」
「思っていない。というか、和音ってどの子だっけ?」
「二宮って子がいたでしょ。長髪の可愛い女の子、デレっとしていたの忘れた?」
「あぁ、あの子か。話しやすい子ではあったな」
女の子が苦手な僕としては珍しく普通に話せる子だったとは思う。
「ふんっ、兄貴なんてただの花好きな乙男のくせに。女を覚えるのは早すぎるわ」
「またワケの分からない言葉を言う。ふぅ、これで終わりだ」
マッサージを終えた僕は身体から手を放す。
幼き頃から主従関係が築かれて、兄妹という関係すらもあやふやになりつつある。
「桜華はもう少し、男と話すときに相手のことを考えて話してみればいい」
「嫌よ、面倒だもの。私が男に合わすんじゃない、男が私に合わしてくれないと嫌なの。そういう相手じゃないと付き合いきれないわ」
男として絶対に付き合いたくないタイプだと言ってあげても分からないんだろうな。
こういう事を自然で言える辺り、彼女の我が侭っぷりを受け入れる男はまだ当分いない。
「……いたじゃない、ここに。私の魅力を理解してる男が」
だが、彼女はこちらを見上げてにやっと笑うんだ。
その瞳は何か悪だくみを思いつた、その時の目をしている。
僕は身の危険を感じて少しだけ逃げようとする。
だが、彼女の伸ばした手が僕の身体をつかみ、引き寄せたんだ。
「兄貴って顔はマジでいいんだし、性格がちょっと弱いのが残念だけど、よく見てみれば普通に合格ラインでしょ。私の命令も文句言わずに聞いてくれる」
「それは僕に一切の拒否権がないだけなんだけど」
「長い間をかけて躾けてきたんだもの。当然よね。私にとっては最高の理解者と言ってもいい。あら、やだ。私が兄貴を褒めるなんて超珍しい」
逆らえるものならいつだって、抵抗ぐらいしているよ。
幼い頃から挑戦し続けて諦めるようになっただけだ。
ふわっと香る女の子の香り、妹は僕をぎゅっと抱きしめながらその言葉を告げたんだ。
「――決めたわ、今日から兄貴は私の彼氏よ」
それは妹の僕に対する絶対的な言葉、逆らうことは許されない。
まさに“絶対宣言”。
僕は背中に冷や汗をかきながら何も言えなくて。
ただ、抱きしめられる女の子の温もりを感じていただけだった。