第18章:蕾が花を咲かせる時
【SIDE:七森桜華】
“お兄ちゃん”。
私が彼の事をそんな風に呼ぶのはいつの頃以来だろ。
忘れてしまうくらいに昔の事で、今呼んでみると恥ずかしさすら込み上げてくる。
花好きな美少年、女子の間では花の王子様というふざけているのか、本気なのか分からないようなあだ名をつけられているが学校での彼の人気はかなりのものだ。
持前の穏やかな性格と容姿、優しい先輩は後輩の心をくすぐる。
春ちゃんに好意を抱くものも出始めて、私としてはピンチに追い込まれていた。
告白してフラれてからの数時間、考えに考えを重ねた今回の作戦。
彼の理想とするような妹になりたい。
その決意を持って私は行動を始めた。
今までの私は獲物を狙う事に集中し過ぎて周りを見ていなかった。
それじゃダメだと気付いたんだ。
私が彼の好かれるためにはやらなきゃいけないことがある。
現在は彼の好感度UPを狙い、様々なアタックで奮闘している。
その中でも「お兄ちゃん(はぁと)」と呼んであげる事は春ちゃんにとっては喜ぶべきことだったようだ。
私的には今まで通りの“兄貴”が呼びやすいのだけど、本人が嫌いな事をして好感度をさげるだけなのでやめておく。
私の地道な努力もあり、彼の警戒心を解く事には成功した。
今までのように近づくだけでビビられることはない。
さぁて、次はどんな手を使おうかな。
お風呂からあがった私はベランダに出てみる。
空は曇り空、明日は雨だと天気予報では言っていた。
「……あれ、お兄ちゃん?今の時間にどこに出かけるのかしら」
玄関から出かけていく兄の姿を見かけた。
時計は9時を過ぎているので、何か気になる。
「お兄ちゃん、どこに行くつもりなの?」
「ん、どこだ?あぁ、上にいたのか。今からちょっとコンビニに行くんだ。このコピーを取りに行くのを忘れていたから」
彼が私に見せたのはノート、友達に借りていた国語のノートらしい。
「そうなんだ。でも、傘を持っていった方がよくない?そのうち、降ってくるよ?」
「大丈夫だよ。ここから歩いて15分くらいだ。雨が降る前に帰ってくる」
そう言って出かけてしまう。
兄は几帳面な性格だが、時々、油断をするのだ。
そういう時に限って……というのがこれまでも何度もある。
「……くしゅっ、この姿じゃ風邪をひくわ。早く部屋に戻ろうっと」
私はベランダから中に入ることにする。
数十分後、自室でファッション雑誌をベッドに寝転がりながら読んでいると窓の外から雨の降る音が聞こえ始める。
「ん、やっぱり降ってきたじゃない」
起き上がりカーテンを開くと外はザーっと大粒の雨が降り始めている。
春ちゃんは大丈夫だったのか。
気になる私は彼の部屋を訪れる。
室内は電気もついていないし、誰もいない。
「まだ帰ってないのかな?」
念のために携帯電話に電話してみることにした。
「……何でだろう、室内から聞こえるんだけど」
私はベッドの辺りを捜索すると、充電器につけられた彼の携帯を発見。
どうやら、携帯は置いて出ていったらしい。
「うーん。これはマズいんじゃないの?」
雨は今日の夜はずっと降り続くらしい。
何せ台風の第1号の接近もあるようで、ちょっとばかり心配だ。
「コンビニに行ったなら傘を買って帰ってくるのもありだよね」
言うほど心配することではないのかもしれない。
しかし、春ちゃんは“ドジっ娘”だから……きっと帰り道の途中で雨に降られてどこかで雨宿りしているに違いない。
「……このピンチを助けに行くのは可愛い妹なのかな?」
困ってるかもしれない彼を気になると眠ることができず。
私は彼の捜索を開始しようと玄関で準備をすることに。
両親はすでに自室に入ってるのか、リビングには誰もいない。
「一応、濡れてもいい服には着替えたけど……」
外に出ようとしてうんざりするような大雨。
これは本格的に身動きがとれなくなっているかもしれない。
可能性としてコンビニまでのルート沿いには公園がある。
あの場所だと雨宿りはできるはず、それ以外だと思い当たる場所がない。
行くだけ行ってみようと私は傘をさして出かけることにした。
捜索開始からわずか7分で目的地のベンチで困り果てた顔をする春ちゃんを発見する。
コンビニから出てすぐに雨が降ってきたらしく、走れば濡れずにすむと安易に思っていたのだが予想以上に強い雨に降られた、という展開だろう。
「お兄ちゃん、お待たせ。濡れていない?」
「桜華?何で、桜華がここに……?」
「お兄ちゃんの心の叫びが聞こえたのよ。なんてね。困ってるんじゃないかって迎えにきたのよ」
「ホントに桜華の読みは鋭いな。感心するよ、ありがとう」
私の予想通りの展開だったようだ。
どうよ、私って春ちゃんの事、よく分かってるでしょ。
「だから言ったのに。ちゃんと私の忠告は聞いてよね」
「そうだな。僕が悪かったよ。それじゃ、帰ろうか。僕の傘は?」
「……あるわけないでしょ。二人で一緒に帰るの」
「うぐっ。そう言う事ですか……」
このチャンスを逃すわけがないもの、ふふっ。
前回と違って私達は同じ傘に入っても気まずくならない。
「もっと近づいてくれなきゃ濡れちゃうよ?」
今度は何も言わずとも濡れないような距離に詰めてくる。
相合傘、1つの傘に2人で入る。
たったそれだけの行動なのに、ずいぶんと心も近づく気がするの。
雨の夜道をふたりで歩いていると、春ちゃんはポツリと呟いた。
「……迎えに来てくれてありがとう」
「当然じゃない。心配だってするよ」
「桜華は優しいんだな。それにしてもよくあの場所が分かったものだ」
まぁ、私も自分でよく分かったなと思ったりする。
暗い空から降る雨を見つめながら私は言う。
「お兄ちゃんの行動パターンくらいお見通しだもの。何年、付き合いがあると思っているの。どういう経緯でそうなったかなんて簡単に分かるわよ」
彼の行動は読みやすく、あまり人を驚かせるような行動も取らない。
「そうなんだ。僕は桜華の行動がよく分からないな」
「それは私を理解してくれていないだけ。ちゃんと私を理解してくれたら分かるよ」
私はふと彼の手に持つ袋が気になる。
行く時にはノートしかもっていなかったのに。
袋があるという事は何かをコンビニで買ってきたわけで。
「そう言えば、コンビニで何を買ってきたの?」
「――ぎくっ」
彼はピクッとわずかな反応を示す。
怪しい、めっちゃくちゃ怪しいわ。
私は彼に追及してみることにした。
「そのサイズだと、ノート以外にも入ってるわよね?雑誌かな……どうなの?」
「え、えっとですね、何でもないんですよ」
棒読みで答える春ちゃんに私はにんまりと笑みを浮かべる。
いけない、そういう態度は私の悪い部分を呼び覚ますじゃない。
とはいえ、ここで昔の私を見せるとまた逆戻りだ。
「そっか……お兄ちゃんも男の子だもん。そういう雑誌にも興味あるよね」
「ちょっと待て、それ誤解だから!全然、怪しくないよ」
「コンビニの片隅に『18歳未満は販売を禁止しています。高校生はダメです』って書かれている雑誌コーナーの本だから怪しいでしょ。卑猥な言葉が並んでる本を買ったけど、中身がつまらなかったていうのもよくある話じゃない」
「だから違うんだってば。僕はそう言う本は買ってないし。ほら、これだよ、これ。はぁ……見せたくなかったけどな」
彼が立ち止って渋々見せた表紙は私も先日買ったばかりの雑誌だった。
ファッション系の雑誌で私がモデルをしている雑誌のひとつでもある。
「何でお兄ちゃんがファッション雑誌なんて買うの?もしや、ついにそちらの趣味に目覚めたとか……それはぜひ協力させて欲しいな。可愛い服を選んであげるから」
「違うって、それも大きな誤解だよ。これは桜華の特集が組まれているんだって友達から聞いたんだよ。何ページにも渡ってる奴だから買おうかなって……」
意外な理由に素直に私は驚いてしまう。
だって、彼は私のモデルの事について何か言ってくれたことなんてない。
趣味でやってるんだな、とかぐらいにしか思っていないはずだ。
「……最近、たまに桜華の載っている雑誌を買ったりしているんだよ」
「私に興味があるの?お兄ちゃんが?」
「いや、そういう意味じゃないんだけど。兄として、妹がどういう仕事しているのかなって気になるじゃないか。今回の衣装もよく似合っていたよ」
「そうだったんだ。うわぁ、何か嬉しい。ホントに嬉しいよ、お兄ちゃんっ」
彼が私の事をそんな風に感じてくれていた事実が何よりも嬉しい。
モデルの仕事、頑張ってきてよかったかも。
「……応援してくれていたんだ?ありがとう」
「うん。桜華も大変な業界だと思うけど頑張れよ」
その激励は私にとって大きな力になる。
春ちゃんの言葉ひとつで元気になれる、彼がホントに好きなんだ。
「お兄ちゃん、私の“身体”に興味があったのねぇ」
「なぜにそうなる。誤解だし、それにこれは普通の服で水着とかじゃ……」
「何よ、水着姿が見たいの?それならそうと言ってくれればすぐにでもみせてあげるのに」
相変わらず可愛い反応をしてくれる彼、からかうのが面白いのはやめられそうにない。
だから、私は春ちゃんを手に入れてみせる。
例え、それがどんな卑怯で姑息な手段と言われても。
私の本気はこれからなんだから、覚悟しておいてね、お兄ちゃん。