第12章:私だけのひと
【SIDE:七森桜華】
兄貴のデートを追尾していた私は映画館で久しぶりにアクション映画を見ていた。
話題作というだけあって、とても迫力のあるいい映画だったわ。
「あーっ、面白かった。たまには映画館もいいわね」
「ふむ、それにしても最後まで目の離せない映画だったな」
「えぇ、最高に面白かった……って違うわっ!」
私は周囲の人間の視線を気にせずに叫ぶ。
隣にいる信吾さんは私に「どうした?」と尋ねてきた。
「何が、どうした?よ。私の兄貴はどこにいるわけ?結局、映画館についたらどの映画を見たのか分からないってどういうことよ?」
「いや、推測は安易にできるぞ。どうせ、相手に合わせてラブストーリー物の映画を見たに違いない。春日はアクション系はあまり見ないからな」
「……何でそれを先に言わない?」
「お前はラブ系映画は見ないだろ。楽しめる映画を見た方が時間も無駄にせずにすむ。違うか?」
正論ではあるけども、彼に言われると素直に受け入れられない。
私の行動や考えを全部読まれている気がしてムカつくの。
「ほら、ラブ系の映画も同じ時間に終わる。玄関に待っていたら春日に会えるぞ」
「うっさい。ふんっ、何よ。最初から同じ映画を観てもよかったの。私は映画を見に来たんじゃないもの。あくまでも目的は兄貴の監視なのよ……」
「はいはい。次は繁華街での散策ってことになってるんだ」
私の意見を無視して彼は言う。
イライラする……この男と一緒にいるのは非常に不愉快だ。
「ていうか、何で信吾さんとデートもどきしなきゃいけないの。さっさと目的場所と推定ルートを教えて。信吾さんは帰れ」
「俺には春日の初デートを見守る義務があるぞ」
「今すぐここで帰ったら、例の件、すぐにでも話をつけてあげるわ。写メで数人の子の中から選ばせてもあげる」
彼にモデル仲間の子を紹介するという条件。
信吾さんは即断で「しょうがない、俺はここで帰るよ」と誘いに乗ってきた。
単純な欲望野郎だが、大人の良識ある付き合いをするなら紹介しても大丈夫そうだ。
「さっさと教えなさい。兄貴達を見失ったじゃないの!」
「そう、慌てるなよ。あと、邪魔だけはするなよ?それをされると俺は春日に嫌われる」
「今更しないわ。これが予定プランね。ホントに定番のデートじゃない」
私は彼からプランのメモを奪う。
中にはありきたりなデートの予定が立てられていた。
まぁ、兄貴でもできそうなデートプランではある。
ここからは繁華街でのウインドウショッピングか。
信吾さんを家に帰らせて、私は兄貴達の捜索を開始する。
映画館ではぐれてしまったので、街中を歩きまわるとすぐに彼の姿を見つけた。
「兄貴、発見……ん?」
その時の兄貴はなぜか和音と手をつないでいたの。
しかも、何だか楽しそうな顔をして……。
女の子が苦手な彼にしては珍しい光景。
その様子を見ていた私は胸の奥が痛む想いがする。
「あ、兄貴のくせにっ!!」
別に女の子と手を繋ぐくらいなんでもないしっ。
それなのに、予想以上に心を許している姿が私を苛立たせる。
和音とデートをする兄貴は自然体だ。
普通の女の子だと今でもオドオドとするはずなのに。
そう言えば、初めて出会った時から兄貴は和音相手に普通の対応だった気がする。
どうして、彼女ならばいいんだろう。
私は傍にいても決して自分から触れてくれることなんてない。
「……昔は兄貴から私の手を繋いでくれたのに」
つい昔を思い出してしまう。
幼い頃の私は強気ではあるけども、寂しがり屋で常にひとりが嫌な子だった。
『桜華ちゃん、行くよ。早く帰らないとお母さんに怒られちゃう』
『お兄ちゃんと一緒に帰るっ』
『うん、一緒に帰ろう。ほら、手を出して……。桜華の手は小さい手だな』
優しく握り返してくれた、その手の繋がりは心の繋がり。
兄貴に手を引かれて私は夕焼けの帰り道を歩く。
私の歩調を合わせてくれながら雑談しつつ一緒に帰った、何気ない出来事。
それでも、私は今でも鮮明にその時の彼の笑顔を覚えている。
いつからだろう、彼が私に触れてくれなくなったのは……。
中学に入った頃から普通に握手とかした記憶がない。
思春期の照れとか、そういうものじゃなくて。
明らかな拒絶反応に近い、今にして思えば私から触れても彼から触れてくれることはほとんどなかった気がする。
嫌なタイミングであの人の言葉を思い出した。
『自分があいつにとって可愛い理想的な妹だったつもりか?それは鏡を見てから言ってくれ。人前でいくら仲のいい兄妹を演じていても、本物ではない。春日が女が苦手なのは誰のせいか、お前のせいだよ』
兄貴の女の子が苦手な理由は私のせいだと信吾さんは言った。
全然と言っていいほど……思い当たる節がないんだけどな。
私の行動の何が悪かったというのだろう。
私にはそれが分からない。
それにしても他人のデートを見ることほど面白くないものもない。
傍目に見たら恋人同士みたいじゃない。
私が兄貴の恋人なのに、彼はどうも自覚が足りていない様子。
これは家に帰ってからお仕置きしてあげなくちゃいけないわ。
「……うげっ、ペットショップだ」
私はペットショップにいるヘビが嫌いなので近づけない。
前に友達とあの店に行って泣きそうになったもの。
外で待っている間、私は何となく今の自分について考える。
私は何をしているのかしら。
兄貴と和音のデートをただ見ているだけ。
無駄にストレスが溜まるだけじゃない。
……帰りたくなる気分を我慢して待つこと数十分。
「七森先輩っ」
ペットショップから出てきた二人はとても仲がよかった。
和音は兄貴にそれなりの気がある。
兄貴の方も和音は親しくしている姿を見る限り、好意はありそうだ。
ちょっと待て……私は今、何を心で思った?
ふたりが恋人になったらきっと兄貴は幸せになるとか思わなかった?
……私の前で普段は見せない兄貴の笑顔。
その微笑みは私に大きな不安を与えたの。
デートは終了、つまりは私の邪魔も許可されたことになる。
溜まりに溜まった不満に怒り、ストレスが発散する時。
私は彼らの背後に回り込んで声をかける。
「おやぁ、仲よくデートとはいい御身分ね、兄貴。それに和音も……」
こちらを振り向く二人の表情が強張っていた。
まるで見られてはいけないものを見られた、そんな感じの顔。
「手をつないでラブラブですねぇ、おふたりさん」
和音は私にびびって逃げてしまった。
まぁ、友達である彼女をどうこうする気はない。
問題は目の前にいる兄貴だ。
臆病な小動物のように、不安を顔全面に出していた。
「さぁて、兄貴。覚悟はもちろんできているのよね?」
「か、覚悟って何の覚悟?ていうか、お兄ちゃんは?一緒にいたんだろ?」
「んっ、何の話かしら?お兄ちゃんって信吾さん?今日は会っていないわ」
私がそう言うと彼は「え?」と驚いた。
兄貴はあの人にかなりの信頼があるからね。
「何を驚いているの?」
「いや、何でもない。……何で?どうして?お兄ちゃんは一体何をしていたんだ」
小声でつぶやく兄貴を私は引きずるようにして帰ることにした。
「ほら、突っ立っていないで帰るわよ」
「いやだぁ、帰りたくない。帰ったらひどい目にあわされる」
「当然でしょう?今日の私はいつもと違うわ。私が甘すぎたのよ、兄貴は誰のものなのか、身を持って教えさせないと」
許さない、絶対に。
こんな勝手な真似をした彼を私は許したりしない。
駅前という人通りの多い場所。
彼は突如私を振り切り、人ごみに紛れて逃げだそうとする。
「あっ、ちょっと待ちなさい!」
「僕は逃げるっ」
「ちっ、待てって言ってるでしょうがっ!!」
私は持っていたカバンを思いっきり、彼に投げつけた。
兄貴の後頭部に直撃して彼は痛みで倒れこむ。
ナイスコントロール、私……鞄の中身は割れるようなものは入ってなかったはず。
「い、痛い……な、何するんだよ」
「この私から逃げようなんて、バカじゃないの」
私は彼をタクシーの中へと放り込んで家まで帰ることにする。
逃げ場を失った兄貴は携帯電話で誰かにメール中。
どうせ、信吾さんだと思うけど、無意味な事を……。
「やっぱり、お兄ちゃんに会ってるじゃないか。しかも、女の子紹介なんて汚い真似を……ひっ、いえ、何でもないです」
私が睨むだけで兄貴はびくつく。
そうだ、いつも彼は私の前では……彼は笑顔なんて浮かべない。
家に帰る前での車内、私はずっと兄貴の横顔を見つめていた。
大好きだったはずの彼、私はもしかして、一方的な想いを押し付けていただけなの?
だって、兄貴は私の前で子供の頃みたいに笑ってくれないもの。