第10章:シークレット・デート《前編》
【SIDE:七森桜華】
私には逆らうな、私の命令は絶対である。
この2つを子供の頃から兄貴に対して徹底的に身体で教え込ませてきた。
兄<妹の構図、私は絶対的な支配をしているつもりだった。
兄貴が私に逆らって自分で行動する事なんてなかった。
……そこに私は安心をしていたの。
私の嫉妬深さと独占欲が溢れ出すこともなく、これまで私は兄貴と付き合ってこれた。
それなのに、まさか、彼があんなことをするなんて……。
ついに始まった大型連休、5月に入ってすぐに私は遊びの予定を立てていた。
どこに彼を連れて行こうか、悩んでいた私に晴天の霹靂とも呼べる出来事が起こる。
朝から兄貴は私が以前に買い与えた数万円の服を着ている。
それを普段着にしていい許可は出していない。
「何よ、兄貴。朝からそんな恰好して。それは普段着とは違うわよ」
「分かっている。外行きの服だからきている、ダメか?」
「別にあげた服だから自由にしなさいよ」
普段と違う物言いに私はちょっとたじろいでしまう。
でも、外行きってどういう意味かしら?
「これからどこかに出かける用事でもあるの?」
「あぁ。女の子とデートの約束があるんだよ」
「何だ、デートか……で、デートッ!?」
さらりと言われたので反応するのが遅れてしまう。
何か今、とてつもない発言を聞いた気がするの。
「兄貴、冗談にしてはセンスがないわよ。どうせ、兄貴が……」
「いや、ホントだから。悪いけど、急いでいるんだ」
彼はにこやかに笑うと私の頭をポンっと手で撫でて通り過ぎて行く。
……え?これってどういうこと?
他の女の子とデートとか、超意味が分かんないんですけど。
呆けてしまう私はハッとして玄関まで彼を追いかける。
「ちょっと待ちなさい!!デートって相手は誰よ、ていうか、私が彼女なんだけど?堂々と浮気って兄貴にしては大胆ね。納得のいく説明をしてもらえる?」
私が彼に詰め寄ると普段はおどおどするはずの兄貴が余裕の表情で言う。
「……浮気?僕はホントに桜華の恋人なのか?」
「当然じゃない。遊び半分で私が付きあうとか言ったとでも?」
「冗談交じりに言われたのは確かだ。でも、桜華、僕はキミを選ばない。恋人にはなれないって何度も言ってる。あっ、もう時間だ。この話はまた帰ってするよ」
兄貴が玄関の扉を開けて出て行ってしまう。
残された私は言いようのない寂しさが胸にこみあげてくる。
「な、何なの?これは夢?ていうか、あれはホントに兄貴なわけ?」
いつもなら私が詰め寄ると彼は弱々しくこういうのだ。
『ぼ、僕が何をしてもいいじゃないか』
そう恐れるように言いながら前言を撤回するのが常のはず。
私の意見に反論して、さらにビビる様子もなく受け答えするなんて。
……兄貴、まさか本気でデートなの?
私はざわつく想いに慌てて、服を着替えて彼を追いかけることにした。
デートという単語から駅前で待ち合わせと言う定番だろう。
今日は連休ということもあって、家族連れやカップルの姿が多い。
きっと兄貴はここにいるはず。
辺りを見渡して探すと、私はよく知る顔を見つけた。
「あれは、和音じゃない」
友人の和音の姿を見つけたので声をかけようとする。
だけど、私はそれができなかった。
「やぁ、二宮さん。今日は来てくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ。誘ってもらえて嬉しいですよ」
和音の待ち合わせ相手、そこにいたのは兄貴だったの。
嫌だ、嘘だと言って欲しい。
私が想定する最悪のケース、兄貴が他の異性と交際する可能性。
何で……兄貴が私を裏切るなんて、現実味がなさ過ぎて理解できない。
今すぐにでも邪魔したい気持ちを抑えて、私は物陰に隠れながら二人の様子を見る。
こちらには二人は気付いていないようだ。
「最初、付き合って欲しいと言われてびっくりしちゃいました」
「ははっ、ごめん。ちょっと言い方が紛らわしかったかな」
「少しだけ。それで、今日はどこに連れて行ってくれるんですか?」
どうやら兄貴から和音を誘ったみたい。
あの大人しいを絵に書いたような草食系男子が自分から?
ありえない、ていうか私を誘え。
何で和音なわけ……私には全然優しくないくせに。
イライラする、ものすごくムカついてくる。
私が邪魔してやろうと、踏み込もうとしたその時、誰かの手が私の肩を掴む。
「おいおい、兄のデートを邪魔してやるなよ。それは野暮ってもんだろ」
また出た、鬱陶しい従兄の信吾さんだ。
この人は何を考えているのかよく分からないから嫌い。
「……せっかくの休日を一緒に過ごしてくれる女もいないの?暇人なのね」
「桜華は俺を何だと思ってる。俺にも遊びに誘える女くらいはいるっての。で、お前さんは何をするつもりだった?せっかくの兄のデートを邪魔する気か?」
「当然でしょう。彼は私のものなの。恋人なのよ、浮気をさせてたまるか」
この人には以前に私の事を話したことがある。
私が兄貴を想っている事を気づいていたので、面倒になる前に話しておいた。
「ホントに付き合ってるつもりだったのか」
「向こうはその気がなかったようだけど。それはいいのよ、今は……」
「いや、それが大事なことだと思うんだが。待てよ、俺の役目はお前に邪魔させないことだ。可愛げのある春日の頼みなんだ。悪いがデートの邪魔はさせない」
私の肩を離す彼、何よ、今日は春日に続いてこの人も嫌な感じ。
「――って、何よ……」
「ん?何か言ったか?」
「これは一体、何なのよっ!私に対する当てつけ?デートって、私には一度も誘ったことのない兄貴がどうして他の女とデートしているの。ワケが分からない」
兄貴は私の主従関係になってから甘えさせてくれなくなった。
あんな笑顔を向けたりしてくれない。
「ワケが必要か?桜華、自分の行動を振り返り、それで春日が自分を好きだと本当に思っていたのか?さすがにアイツも限界なんだろ。妹の我儘に付き合い続けるのも、振り回されるのもな。相手のこと、分かってやれないのか?」
「私は……私達はそんな一方的な関係じゃないわ」
「よく言う、春日から相談を受けた。妹がとんでもなく我が侭でどうしようもない。どうすればいいかってな。だから、俺が進めた。他の女と付き合えばいいって」
このデート、兄貴が考えたわけじゃなかったの。
目の前のこの男がすべて、私の計画を狂わせた。
私は信吾さんを睨みつけて言うんだ。
「……それ、本当なの?兄貴がそんな相談するはずない」
「どうしてそう思う?自分があいつにとって可愛い理想的な妹だったつもりか?それは鏡を見てから言ってくれ。人前でいくら仲のいい兄妹を演じていても、本物ではない。春日が女が苦手なのは誰のせいか、お前のせいだよ」
……嘘だ、彼が女の子が苦手なのは幼い頃に女っぽいと言われ続けていたから。
私が兄貴を女の子を苦手にしたなんて。
「マジか。お前、マジで何も気づいてなかったのか。それはそれである意味、すげぇな」
「わ、私のせいだって言うの?私が兄貴に対してしてきた行為が?」
「それ以外に何があるんだよ。桜華はただ愛情を押し付けてただけかもしれないけど、それが春日にとっては苦痛だったんだろうよ。俺から言わせてもらうなら、何を今さら言ってやがると言いたいぞ」
「うぅっ……えぐっ」
そんなはずは……だって、私は……。
精神的なショックを受けて私は思わず涙がこみ上げてくる。
「ちょっ、おまっ、ここで泣きそうな顔をするな。ったく、一途にもほどってのがあるだろ。好きなら好きで態度で表わすとかあるじゃないか。純粋すぎて逆に怖いわ」
この人にそんな事を言われるのはすごくムカつくの。
「これから移動するようだな。春日を追うのか?それとも、ここで家に帰るのか。どちらだ?って、だから人の話を聞けよ」
そんなの追いかけるに決まってるじゃない。
私はすぐに彼の後を追いかけることにする。
「一方的な愛情は片思いでしかない。両想いじゃなければ恋人とは呼ばない」
「うっさい。そんなの言われなくても分かってる」
「でも、追いかけてどうする。邪魔はさせないぞ」
「邪魔はしない。だけど、私は最後まで見ていたいのよ」
その結末がどうなるのか、ちゃんと最後まで見なくちゃ……。
人ごみの間を抜けながら彼らを追跡する。
「そんなに慌てなくても、行く場所なら分かってるぞ」
「そういや、信吾さんがプラン立てたんだっけ?で、次はどこにいつくつもりなの?」
「デートの定番をさせるつもりだ。初デートだからな」
「初じゃないし、私と何度もデートしてるし!」
彼は私の言葉を無視するように言った。
「次は映画だ。駅前ビルにある映画館に行く予定になっている」
「見る予定の映画は?」
「さぁて、どうだったかな。それをお前に教える義理はない。俺は春日の味方であって、桜華の味方じゃないんだよ」
くっ、人の弱みにつけこむようなことを言う。
「女子大生が好みだっけ?モデル仲間の美人を紹介するわ。私の側につきなさい」
「……そりゃどうも。しょうがないな、桜華にも協力してやるか」
分かりやすい態度、相変わらず嫌な奴だ。
私と兄貴、最初からどちらの“味方”でもある、そういう男なのよ。
「やれやれ。お前って、ツンじゃなくてヤンのデレだな」
彼は意味の分からないことを言って笑っていた。
その横顔がムカついたので膝元を蹴っ飛ばしておく。
兄貴の好き勝手になんてさせてあげないんだからっ!