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【第十三回・弐】雨が止んだなら

目覚めない京助

そして

ざぁざぁと雨が屋根を打つ

昼間の晴天はどこに行ったんだというくらいのざんざん降りの雨

閉められた縁側の引き戸の内側には鳴らない風鈴がぶらさがっている

いつもならうるさいくらいの栄野家は静まり返っていた

「…すいません…京助に力がないならば…ソーマは効きません…」

乾闥婆けんだっぱが力なく言う

「京助本人が力を吸ってくれるなら…竜みたいに僕らの力吸えばいいんだけどね…それすら…」

窓の枠に腰掛けた矜羯羅こんがらがぎゅっと自分の腕を掴んで唇を噛んだ

「本当ぎりぎりで生きてるんだ…京助ぎりぎり…で」

南が呟いて膝に額をつけ黙りこむ

「ごめんくださーい、おばんですー」

ガラガラと玄関の引き戸が開けられる音と静かな家中に響いた声

「し…ばた…?」

坂田が立ち上がり戸を開けて玄関に顔を向けた

「柴田…」

「…あがってもいいですか?」

ごしっと目をこすった坂田がうなずく

「ほらほら若泣いても始まりませんよ?」

「泣いてねぇっ!!;」

坂田の背中をぽんぽん叩きながら柴田が茶の間の前にくると軽く頭を下げた

清浄しょうじょう…」

「…上が動きましたか…」

もう一つの名前を呼ばれた柴田が静かに言う

「竜が封じた【制多迦せいたか】を解くつもりなんだろう…京助の中の竜の力を殆ど抜き取っていったそうだ」

迦楼羅かるらが腕を組みなおした

「…そうですか…で…京助君は…?」


しかれた布団のまわりだけが即席で片付けられた京助の部屋には緊那羅きんならと悠助と母ハルミ、そして制多迦せいたか

しかれた布団に寝かされた京助は寝返りもせずいびきもかかずにただ微かに息をしているだけだった

「…緊ちゃん」

母ハルミが緊那羅きんならを呼ぶと緊那羅きんならの肩がぴくっと動いて眉を下げた緊那羅きんならが顔をあげる

「はい…」

ワンテンポ遅れて緊那羅きんならが返事をした

「…7年前はありがとう」

「え…」

「何故かねいきなり思い出したの7年前のこと…きっと竜之助が何かしてたのね、まったく…」

ふぅっと鼻から息を出して母ハルミが緊那羅きんならに笑顔を向けた

「あ…のでも私…」

「操…なんでしょう? あなたの体」

緊那羅きんならが俯く

「…めんなさいハルミママ…緊那羅きんならは悪くなくて悪いのは」

「あらなぁに? 怒っているわけじゃないのよ私」

母ハルミが制多迦せいたかににっこりと笑顔を向けて言った

「竜之助と一緒になるってことはいつこんなことが起きてもおかしくないってわかってたのよ私」

母ハルミが京助の頭を撫でた

「…本当は7年前にこうなっていたのよね…」

緊那羅きんならが握っていた手をさらにきつく握り締める

「それが7年…7年くれたのは操だったって…だけど操はもういないでしょう? だからかわりに緊ちゃんに言ったのよ、でも…操じゃないのよねごめんなさい混乱しちゃうわよね」

母ハルミの眉毛が下がった

「京助…」

悠助が京助の顔を覗き込む

「眠ってるの? まだ八時なのに具合悪いの?」

京助に守られ眠っていた何も知らない悠助が京助の鼻を摘んだ

「悠助…」

そんな悠助を見て緊那羅が目をこすった


ぽふっ


緊那羅きんならの頭の上に置かれた制多迦の手がポンポンと緊那羅きんならの頭を叩く

「…ったよね僕…君は信じないといけないよ京助を何があってもね」

にっこり笑って制多迦が言うと目を押さえたまま緊那羅きんならが何度もうなずいた

「さぁ!! …ご飯にしましょうか」

パンっと母ハルミが手を叩いて立ち上がる

「…京助が起きておなかが減ったって騒いだら大変だものね。悠ちゃん手伝ってくれる?」

「はぁい」

悠助が元気よく返事して立ち上がると京助の部屋の戸をあけた

「緊ちゃん、タカちゃん京助…おねがいね」

そういい残して母ハルミが戸を閉める


コチコチとあまり活躍していないであろう目覚まし時計の秒針の音が大きく聞こえるがどれだけ時間が過ぎたのかはわからなかった

震える手を伸ばして緊那羅きんならが京助の額の髪をかきあげる

「…あったかいっちゃ…京助…」

「…ん」

今度はその手で頬に触れる

「…今日はよだれたらしてないっちゃ」

「…ん」

だんだんと緊那羅きんならの声が震えてくるとそれまで相槌でうんうん言っていただけの制多迦せいたか緊那羅きんならを抱き寄せた

「…うすけが前に言ってた泣き止むまでこうやってるといいって」

緊那羅きんならの頭に自分の頭をつけて制多迦せいたか緊那羅きんならの頭を撫でる

「…ょうすけのかわりに僕が今は付き合うからだから…泣き止んだら信じようね」

「っ…ひっ」

しゃっくりのような声ひとつ

そしてその後に小さく嗚咽が続いた緊那羅きんならの頭を制多迦せいたかがゆっくり何度も優しく撫でた

外の雨はまだ当分止みそうにもなくざぁざぁと降り続いていた



「ウラ、起きんかばかもの」

乱暴にタオルケットを奪い取られまだしょぼしょぼする目をこすった

「ラジオ体操開始20分前。一番乗りすんだろ? 坂田に先越されんぞ?」

「坂田はじぃちゃんとこいってるー…っくあああー…」

腕を上にあげると同時にあくびが出た

「操ちゃんも一緒いこ?」

「はぁ?; だぁれが中3にもなって小学生の輪ん中で腕を前から上げてェんとかやらんとなんねーんだよ; きゃーっか! …俺はこれからハル姉に仰せ使った境内清掃にむかうんだよ」

ごそごそと少し短めのハーフパンツを履いた操が口にくわえていたゴムで髪を頭のほぼてっぺんで括る

色素の薄い髪は朝日を浴びると金髪にも見えた

「つか京助おまえいいかげん夜中に俺の布団ん中潜り込んでくるのやめろよな? もう小学生だろ? 悠にも笑われんぞ?」

肩に白いタオルをかけて操が京助を見下ろしそして足で軽く数回つついた

「だって…恐い夢みんだもん…」

京助が口を尖らせてごにょごにょ言う

「んな毎日毎日恐い夢みんのかよ; ったく…」

はぁっとため息を吐いた操が足でタオルケットを部屋の隅まで蹴った

「ま…おねしょやらなくなっただけヨシとすっか…ほれ、遅刻すっぞ」

くしゃくしゃと京助の頭を撫で回して操が部屋を出ていく

京助がうれしそうに笑ったあと布団から飛び起きた


「みーさおちゃん」

「留守です居留守ぐー」

和室の扇風機の前で足で足を掻きながら漫画を読む操がだらけた返事をする

その背中に京助がまたがった

「京助おまえそのまま座ってみろよ?」

操が京助の方を見ずに言う

「操ちゃん海いこーよ」

「俺は今居留守っつたろが。居留守だ居留守、いるけど留守なんだっつーの」

ひらひらと手を振って操が返すと京助がぷーっとむくれた

「いーじゃん暑いだろー行こうよーねーねーつまんないんだってー」

「んなこと俺が知るか; おまえはつまんないんかもしれねぇけど俺はつまってんだよ」

パラっと漫画のページをめくりながら操が面倒くさそうに言う

手を伸ばして扇風機の風力を強に切り替えると操の髪がその風に乗って京助の足をくすぐった

「操ちゃんがつまってても俺はつまんないもん」

「んなこと知るか」

「…操ちゃんのばぁかッ!!!」


ガスッ!!


「だッ!?; てめ; 京助!!!;」

京助が思い切り操の尾てい骨をかかとで踏んで逃げる

「もう夜来てもしらねぇかんなッ!!!!;」


「まったく…小学生相手に何むきになってんのよアンタは」

操の怒鳴り声は境内の方まで聞こえたらしく母ハルミに説教されたっぽい操がテーブルに頬をつき機嫌の悪そうな顔でじとっと母ハルミを見る

「構って欲しくてちょっかいだしてるんだから」

「わーってるよんなこといわれなくたって…」

操の前におかれた麦茶のコップの氷がカランと音を立てて崩れた

「昔はアンタも私にそういうことしてたんだから」

洗濯物を縁側にどっさりと置いた母ハルミがはいていたサンダルを脱いで家に上がる

「京助よりもっとタチが悪かった気もするし」

「はいはいはいはい; ワタクシが悪ぅござんした;」

どこか黒い笑顔をむける母ハルミから顔をそらして操が分が悪そうにいった

「そうだなぁ俺を勝手に敵視してたしなぁ」

「りゅッ…;」

「あら竜之助」

頭上から聞こえた声に操が上を向きそこにいつの間にかいた竜に驚く

「からかいがいがあったなぁ…」

「黙れこのクソ;」

あからさまにからかっています、というカンジで竜が言うと操はテーブルに顎をつき悪態を吐いた



「なぁ…」

中島が誰に呼び掛けるでもなく声を出した

「宝珠とか力とか時とか…さ…説明とかしてくれねぇわけ? したら…もしかしたら俺らでもできることあるかもしれねぇ…し」

中島が躊躇いがちに言うと迦楼羅かるらがチラと乾闥婆けんだっぱをみる

「前に言ったことあると思うけど…宝珠がなければ僕らも君達と同じなんだよ…宝珠が力を具現化させているんだ」

矜羯羅こんがらが淡々と話しだした

「力っていうのは誰にでもあってね…その力って…何かってことはわかってるよね?」

「い…のちだよな…?」

坂田がつぶやくと矜羯羅こんがらが頷く

「命は誰にでもあります…生きていればそれこそ植物だって宝珠に選ばれたのなら力を使えるようになったり…」

「ああ…ヒマ子さんか」

迦楼羅かるらの宝珠が鉢にあることによって動き話す夏の妖精の名を南が口に出した

「あなた達は生きるだけに使う命を僕らはその他に力として使うことができるのは宝珠に選ばれたからなんです」

乾闥婆けんだっぱが自分の胸についている宝珠を触って言う

「宝珠はもともと一つで…僕の宝珠も迦楼羅かるらの宝珠ももとは一つだった…長く付き合えば宝珠も声を聞かせてくれるようにもなる…僕らが宝珠を使っているんじゃなくて宝珠に僕らが使われているんだ」

手のひらをくるっと返すと矜羯羅こんがらの指の間にあらわれた小さな玉を矜羯羅こんがらが指で弾くとフッと玉が消えた

「選ばれた僕らを崇めるやつもいれば疎ましく思うやつもいる…宝珠を我が物にして力を使おうとするやつもね…」

矜羯羅こんがらが目を伏せる

「でもね僕の宝珠をたとえばそうだね…若」

「…は?;」

ちらっと坂田の方をみた矜羯羅こんがらに自分を指差して坂田が俺? というカンジのジェスチャーをした

「坂田です先生;」

「どうでもいいよ…僕の宝珠を若がもつと…どうなると思う?」

坂田の言葉を右から左に受け流した矜羯羅こんがらが聞く

「力が使えるようになるんだろ?さっき言ってたじゃん」

中島が言うと矜羯羅こんがらの口元があがる

「死ぬよ」

一瞬音が消えた

「宝珠は一度選んだ持ち主だけが使えるんです…それ以外の人が宝珠を使おうとすると…ありったけの力…命を逆に使われてしまうのです」

乾闥婆けんだっぱが静かに言う

「だから僕の宝珠は僕にしか使えない…」

つぶやくように矜羯羅こんがらが付け足した

「…あれ? でもじゃぁ…ヒマ子さんってどうなんだ? かるらんの宝珠使って…」

南が思い出して呟くと乾闥婆けんだっぱが俯く

「んんッ!!」

「…それはまた今度だね」

そんな乾闥婆けんだっぱを見た迦楼羅かるらがわざとらしく咳をすると矜羯羅こんがらがフォローのごとく言った

「まぁ…宝珠のことをまとめるとー…宝珠に選ばれたヤツしかそれを使えなくて使うには命が必要で別のやつが宝珠を使うとアカンって…ことだ…よな?;」

坂田がまとめたはいいが自信がなかったのか周りにこんな感じですよね? というカンジで聞く

「…そして…ソーマという薬は…力をかりて力を回復する薬…いってみれば増幅薬ということになります…だから今の京助…には…」

「…宝珠に選ばれた竜の力がないと等しい京助には効いても効いてないと同じなんだよ…」

言葉を詰まらせた乾闥婆けんだっぱに続き矜羯羅こんがらが後に付け足す

「意識がないから僕らの力を自力で吸い取ることもできない…」

「なすすべ無し…ですか…」

小さく言った矜羯羅こんがらとは反対に柴田がわりとはっきり言うと坂田が柴田を睨んだ

「なすすべなくない!! 何かあるんだ!! 絶対…ッ…!!!」

「わ…か; すいません;」

柴田のネクタイを掴んで怒鳴った坂田に柴田が苦笑いで謝る

そして訪れた沈黙


ざぁざぁという雨の音だけが家の中に響いている

時たま聞こえるコンコンという音は外に放置プレイされた何かに雨が攻撃している音だろう

ふいに中島が立ち上がって戸に手をかけた

「なしたんよ」

南が声をかける

「…ハルミさんに今日泊まっていいか聞いてくる」

「あ、俺も行く!」

「俺も」

中島が言うと坂田と南も立ち上がった

「俺は…さすがに駄目でしょうねぇ;」

柴田がハハッと笑いながら言う

「駄目もとで聞いてみりゃいいじゃん柴田さん」

「うーん…じゃぁ…」

柴田が立ち上がろうとすると茶の間の戸が開いた

「おかえり」

開いた戸の方を見ずに矜羯羅が言うと戸をあけた制多迦せいたかがヘラリ笑い手をあげた

「…京助は?」

黙っていた烏倶婆迦うぐばか制多迦せいたかに聞くとその場にいる全員が制多迦せいたかに視線を向けた

「…ょうすけは…」


熱もない

ただ眠っているようで

でもこんなに静かに寝る京助は初めて見た

いつも起こしにくると布団が壁の方まで吹っ飛んでいて

腹も背中も出ていて

下手したら半分尻もでてたりして

よだれ垂らして

でも幸せそうな顔をしていて

「京助…」

小玉電球のオレンジ色の明かりの下で緊那羅きんならが小さく名前を呼んだ

それにたいしての返事はなく

「京助あのね…私…」

それでも緊那羅きんならは話し続ける

「…あ…のね」

正座した膝の上にあった手をぎゅっと握った緊那羅きんならがゆっくり顔をあげた

ざぁざぁと一向に止む気配がなく降り続く雨の音


いつもならこんなに長く続く沈黙には耐えられない京助が激しく突っ込みを入れるだろう

無駄に動きを入れてキレよくスパーンっと

「…ぷ…」

何かを思い出したのか緊那羅きんならが小さく吹き出した

「京助…私…」

眉を下げた笑顔で緊那羅きんならが京助の手を握る

「…信じてるっちゃ…」

両手で京助の手を包んで緊那羅きんならが小さく言った

「明日エビフライとふのりとイモの味噌汁と…あと何か京助の食べたいもの作るっちゃね」

返ってこないとわかっている返事

「坂田とか…今日晩飯食べて帰るんだっちゃかね? なら早く起きないと残ってないかもしれないっちゃ」

それでも緊那羅きんならは話し続ける

「…ね、京助」

京助の手を強く握った緊那羅きんならが微笑んだ


「そっか…まだ起きないんだ…まぁ…そうだ…よね」

南がわざと笑顔で言うと制多迦せいたかが頷く

緊那羅きんならがついてるなら大丈夫だよ」

「何が大丈夫なのかわからんけど…まぁ大丈夫なんだろな」

烏倶婆迦うぐばかの言葉に中島が何となく納得したように頷いた

「…君のせいじゃないからね…変な考えもってるなら殴るよ」

矜羯羅こんがらの腰掛ける窓枠の下に腰を下ろした制多迦せいたか矜羯羅こんがらが言った

「…君のせいだって言うなら僕のせいでもあるんだ…わかった?」

「…ん…でも」

「でもじゃない」

「…めん;」

制多迦せいたかの頭を鷲掴みにした矜羯羅こんがらがその手にぐぐっと力をこめてギリギリと制多迦せいたかの頭を掴み絞める

「タカちゃんタカちゃんそんなこと京助の前でいったら即効突っ込まれんぞ」

中島が言う

「誰かのせい、ってのあいついっちゃん嫌いだからなぁ…絶対つっこむな、うん」

南がウンウン頷くと坂田も同じくウンウンうなずいた

「のわりには結構自分…」

ハハッと笑った坂田の眉が下がりため息をつく

「何だかな…気付くと京助の話しになってんな」

「ハハハ…確かにそうですね…大きいんですね京助君の存在って」

柴田が坂田の頭を撫でながら言うとその手を坂田が払った

「まぁ確かに…そうかもしれんな」

腕を組みなおし迦楼羅かるらが言う

「…あの雰囲気は…気分がいい…やかましいがな」

「そうですね…僕も騒がしいのは得意ではないのですけど」

「京助の名前が出ただけでこうも話題が出てくるもんなんだな」

張り詰めていた空気の一点が取れたかのように話し始めた一同の表情にほんのりと笑みが浮かぶ


「あら勝美君いらっしゃい」

茶の間の戸が開いて正月スーパーの袋を手にした母ハルミが入ってきた

「あ、どうも…買い物ですか?」

「ううん違うの。社務所の冷蔵庫に入れてあったの持ってきただけよ」

台所に向かいながら柴田に返す母ハルミにその場にいた全員が視線を向ける

「さぁ急いで晩御飯作るわね、誰か手伝ってくれないかしら」

「あ…僕が」

台所から聞こえた母ハルミの声に乾闥婆けんだっぱが立ち上がる

「…俺も」

そして中島も立ち上がった

「俺も手伝うかな」

「俺も手伝いますハルミさん」

中島に続いて南と坂田も立ち上がり台所に入る

「おいちゃんも」

「あ…私も」

三馬鹿に続いて慧光えこう鳥倶婆迦うぐばかも小走りで台所に入った

「僕らも行く…?」

さっきは誰もいなかった台所の人口密度が増して逆に4人しかいなくなった茶の間で矜羯羅こんがらが3人に声をかける

制多迦せいたかがヘラリ笑ってうなずく

「…たまには…いいかもな」

迦楼羅かるらが立ち上がり腰を伸ばす

「というかこれだけの人数がいると逆に手伝うことがあるのか…ですけどね」

笑った柴田が台所の暖簾をくぐった


「がらっちょ」

茶の間ですり鉢を押さえていた矜羯羅こんがらがあまり呼ばれたくない呼ばれ方で呼ばれ怪訝そうな顔を上げる

すりこぎ棒をごりごり動かしながら呼ばれていない制多迦せいたかも一緒に顔を上げた

「何さ」

すり鉢を押さえたまま矜羯羅こんがらが返事をすると阿修羅あしゅらがちょいちょいと手招きする

それを見て制多迦せいたか矜羯羅こんがらが顔を見合わせると制多迦せいたかがヘラリ笑って頷いた


「……」

握った京助の手をときたま撫でる緊那羅きんならが小さくため息を吐く

ざぁざぁという雨はまだ止まずもしかしたらさっきより降り方が強くなった気がした

布団に寝る京助は微動すらせず不安になった緊那羅きんならがそっと京助の鼻に手をかざして呼吸があることを確かめ安堵の表情で京助の頭を撫でる

「…京助…」

頭から手を離しながら名前を呟く


ゴトゴトゴトゴトゴト…


何か重たいものを引きずる音が部屋の前で止まった

緊那羅きんなら様」

「ヒマ子…さん?」

戸を開けずに名前を呼ばれた緊那羅きんならが京助の手を離して立ち上がり戸を開けるとヒマ子が俯いて立っていた

「…京様のご容体はいかがかと…」

両葉をこすり合わせて言うヒマ子がチラと緊那羅きんならを見る

「あ…まだ眠ってるっちゃ…」

「そうですか…」

緊那羅きんならが答えるとヒマ子が静かに言いそして黙り込んだ

「…あ…のねヒマ子さん…京助は…」

「大丈夫ですわ緊那羅きんなら様京様なら大丈夫です」

無理に笑顔を作って話す緊那羅きんならにヒマ子が笑顔で言う

「京様ですもの…そうでしょう? 私が全力で愛しているんですのよ? 妻を残していなくなるような方ではございませんわ。そんな薄情な方は愛せませんわ」

茎に葉をついてヒマ子がきっぱりと言い切るときょとんとして聞いていた緊那羅きんならが眉を下げて微笑んだ

「ヒマ子さん…」

「…だからそんな顔で京様を看病なさらないでください」

ヒマ子が同じように眉を下げた笑顔を緊那羅きんならに向ける

「目が覚めたとき貴方がそんな顔をしていたら逆に心配されますわ…京様が見たいのは…そんな顔ではないと思います」

ヒマ子の葉が緊那羅きんならの目元に伸び浮かんでいた涙を拭った

「…私負けたとは思っていませんからね」

「…うん」

「今は一時休戦という形ですからね」

「え…?; あ…うん?;」

「わかりまして!?」

「は…い;」

ビシッと強く言うヒマ子にちょいビビリがちに緊那羅きんならが返す

「よろしいですわ」

ヒマ子が頷きゴトゴト鉢を引きずりながら部屋を後にする

「あ…ヒマ子さんっ!!」

「あまり大きな声を出さないほうがよろしいのではないのですか? …なんでしょう」

緊那羅きんならがヒマ子を呼び止めた

「ありがとうだっちゃ」

「…その笑顔、京様が起きたときに見せて差し上げるのにとっておいてくださいませ」

そう言い残しゴトゴトという音をつれてヒマ子が廊下の角をまがった


「何の用?」

廊下の壁に寄り掛かって矜羯羅こんがらが面倒臭そうに聞く

「…あのながらっちょ…」

「その呼び方やめてくれない?」

矜羯羅こんがら阿修羅あしゅらを軽く睨んだ

「…で?」

指徳しとくの…ことなんだけんな…」

指徳しとく…?」

聞かれた質問の意外さに矜羯羅こんがらが少し驚く

指徳しとくが…何?」

「…指徳しとくってさ…その…指徳しとくのことわかる範囲でいいんきに…詳しく聞きたいんよな」

「…いいけど」

あからさまに作りましたな笑顔で言う阿修羅あしゅらに何かを察しそれ以上突っ込むことをやめた矜羯羅こんがらが壁から背中を離した

指徳しとくは僕らとはまた違って…体をもっていなくてね…だから他人の体に移ることができるんだよ…慧喜えきの体に入っていたみたいにね…」

慧喜えきの体の前に入ってた体について何かしらんかの…?」

阿修羅あしゅらが聞くと少し何かを考えた矜羯羅こんがら阿修羅あしゅらを見る

「…あの体は…こっちの世界のもの…それくらいしかわからないかな…悪いけど」

「そうけ…いや! あんがとさんがらっちょ! タカちゃんごめんなー今がらっちょ返すからに」

阿修羅あしゅらが茶の間をのぞいて一人ごりごりしていた制多迦せいたかに言った

「…阿修羅あしゅら…?」

「タカちゃんまってるけの」

ひらひら手を振って歩きだした阿修羅あしゅらの背中を矜羯羅こんがらがじっと見る

「…んがら?」

ごりごりすり棒を動かしながら制多迦せいたか矜羯羅こんがらを呼んだ

「今…いくよ」

矜羯羅こんがらが茶の間に入り戸を閉めた



竜之助が廊下にほんのり漂う線香の匂いに仏間の前で足を止め部屋を覗き込む

仏壇の前には操の姿があり4本の線香から煙があがっていた

「…今年で…何年だっけか…」

そういいながら竜之助が仏間に入ると操が振り向いた

「俺が4歳んときだから10年…かないや9? …そんくらい」

操が仏壇にまた顔をむける

「もうそんなになるか…」

線香の灰がぱらりと落ちた

「…爺ちゃんと婆ちゃんと…母さんと父さん…」

「一人1本か」

操が頷く

「何だかな…俺…あーあ…よっく生きてたよな俺だけ…あんなでかい事故だったのによ…」

足の裏を合わせて体を揺すりながら操が呟いた

「まぁ…そうだな」

「母さん達の時間止まってんのに俺だけ動いてさ…でかくなって…いいんかな…」

位牌の横に置かれた写真立てに写る7人

母ハルミにそっくりな女性に抱かれ意気揚揚とピースをする子供を見つめて操が目を細めそしてうつむく

「全然覚えてねぇんだぜ…気付いたら病院でハル姉がベッドの横にいた…ついでにお前もな」

「俺はついでかよ;」

竜之助が突っ込む

「…車ん中で眠くなって…目が覚めたら母さんじゃなくハル姉が…泣いてた…寝て…たんだあんな事起きてたのに俺…すげぇよな人死んでる事故なのに寝てたんだぜ? どんだけ図太い精神なんだろな俺」

操はハハッと笑う

「母さん…俺を抱き抱えてたんだろ? …婆ちゃんも…母さんと俺をかばうようにって…」

操が写真立てを手に取るとそれを裏返した

写真立ての後ろにはられた小さな封筒に入っていたのは切り取られた新聞記事

【トラックと正面衝突のちガードレールへ、幼子残し4人死亡】

そんな見出しの記事を見た操の眉が下がった

「親が子を守りたいって思うのは自然なことだ、…と俺は思う」

竜之助が座ってあぐらをかき操を見る

「いやまて…人が大切なモノを守りたいと思うこと…か」

少し考えた竜之助が言い直した

「ナツミにとって大切なものってのがお前だったんだろう」

竜之助の手が伸び操の頭をくしゃっと撫でる

「お前にもあるだろ? 守りたいってモノが…人であれモノであれ…形のないものであれ…無いか?」

「操ちゃーん!! 操ちゃん操ちゃんーー!!」

ガラッと戸をあける音

ばたばたと廊下をかけてどこかの部屋で止まりそしてまたばたばたと

「…わっかんね」

反動を付けて立ち上がると伸び操が言う

「わかんねぇけどさきっとたぶん…あるんだろな俺にも」

写真立てをもとの場所に戻し操がじっとソレを見つめたそして名残惜しそうに手を話すと大きく息を吐き顔をあげる

「みさおちゃあーーん? いないのーー?」

「…おーおー…探されてる探されてる」

必死で自分を探していることが声からわかったのか操が苦笑いをしながら声の方に足を進める

「もしソレがわかったら俺も母さんみたく守ってやりたい…と思います、終わりッ! おー! 何だー!!」

声を張り上げながら操が廊下を歩いていく

「いるなら返事してよー!!」

「俺は留守時々居留守なんだよ、で? 何だ?」

「見て見てー!!」

廊下から聞こえる二つの声に竜之助がほほ笑み仏壇の写真に目を向ける

左端に写る今と全然変わらない自分の姿の横には制服姿の少女が笑いながら立っていた

「…変わっていくことと変わらないことは…どっちが酷なんだろうな…」

呟いた竜之助が立ち上がり仏間を出ると廊下にまだ二人がいた

「何してんだ?」

「あ、とーさん! 見てー!!」

近付き声をかけると京助がもっていたノートを広げた

「これが操ちゃんでね、これがとーさんでこっちが…」

京助がクレヨンで描かれた絵日記のおそらく人なのだろう図形を指さし名前をあげていく

その横で操が遠くを見たまま固まっている

「…うーん…よく描けてるなぁ…特に操なんかこれ、写真みたいだぞ京助」

竜之助がハッハと笑いながら操の頭をぽんぽん叩いた

「…アーソーデースネー」

遠い目をした操がロボットのごとく言った



ふと時計を見るとまだ八時と十五分とちょっと

かなり時間が経っていたように感じていた緊那羅きんならが時計から京助へと目を移す

相変わらずに一定の呼吸をしつつも微動すらしない京助を見る緊那羅きんならの目に涙が浮かんだ

ごしごしとその涙が流れる前に目をこすり拭うとズッと鼻を啜りまた京助を見る

「信じなきゃ…大丈夫だって私が信じなきゃ駄目なんだっちゃ」

緊那羅きんならはそう自分に言い聞かせて息を吸いそれを深くゆっくり吐き出すと口元に笑みを作り顔をあげた

「…信じて…るっちゃ」

緊那羅きんならが笑顔で京助に言った

外ではまだ雨がざぁざぁと降り続いている


迦楼羅かるら

よばれて顔をあげた

「…めずらしいなお前がワシを呼ぶなど」

「ハハハ…そうかもしれないですね」

ガチャガチャと泡立て器を動かしながら柴田が笑う

「何だ?」

食器を持ち歩く迦楼羅かるらの後をガチャガチャやかましく卵黄を泡立てながらの柴田がついて歩く

「もしかしたら京助君…に竜の力を戻すことできるかもしれないかなーと」

柴田の発言にその場にいる全員が一斉に動きを止めた

一瞬の沈黙


そして


「…マジで?」

南がその沈黙をやぶって一言

「マジでーーー!!?」

それに続いて中島と坂田が声をハモらせて叫ぶ

「本当ナリか!!」

「そんな事が…できるんですか?」

慧光えこうが喜び言ったのに対し疑うように言う乾闥婆けんだっぱ

「これは推測だけどね…試してみる価値はあるかなと…前に阿修羅あしゅらが話したこと覚えてないかい?」

柴田が三馬鹿に笑顔で聞くと三馬鹿が顔を見合わせた

阿修羅あしゅら…大人の話か?」

「いやあれは大人になった、うん」

坂田がうんうんうなずきながらしみじみ言う

「違う違う;」

柴田が顔の前で手を振って違うと言った

「竜の力…もっているのは京助君だけじゃなかったんじゃないかな? ね?若」

「ね? 若って…ね……ね? …ね……ねーーー!!」

何かを思い出したのか坂田が声を上げる

「そっか悠助」

ぽんっと手を叩いて烏倶婆迦うぐばかが言った

「そして…もう一人」

柴田が人差し指を立てた


まだうっすらとしか色付いていない宝珠がついた腕輪

それを見て緊那羅きんならがため息を吐く

「…私…強くなってるのかな…全然宝珠に変化ないっちゃ…」

そしてまたため息を吐いた

「…京助…今私ができること私ちゃんとできてるっちゃ…?」

京助から返事はなく緊那羅きんならがゆっくりうつむいた

「…信じる…信じなきゃ…」

ぶつぶつと繰り返し緊那羅きんならが言う

「…よし…!!」


ガラッ


緊那羅きんならがぐっと手を握り言うと部屋の戸が開いた

「…阿修羅あしゅら…?」

緊那羅きんならが少し驚いた顔をすると阿修羅あしゅらがいつものあのアッケラとした笑顔ではなく少し寂しそうな悲しそうな笑顔で片手を挙げ部屋にはいってきた

「…竜のボン…京助どうやけ…」

そして緊那羅きんならの対面に座る

「うん…息はしてるっちゃけど…」

緊那羅きんならが京助を見てそして眉を下げた

「…緊那羅きんなら…竜のボン…助けたいけ?」

「…え…?」

「京助を助けたいかって聞いたんきに」

阿修羅あしゅらの質問に緊那羅きんならが躊躇いがちに一回頷きそのあと数回頷く

「助けたいっちゃ」

真顔で緊那羅きんなら阿修羅あしゅらを見、言う

「…そうけ…お前にはそれができるかもしれないんきに…いや…お前ともうひとりの竜のボン…悠助にしかできんことなんきに…京助を助けることは」

阿修羅あしゅらが京助を見てそして緊那羅きんならを見る

まっすぐに強い眼差しを自分に向ける緊那羅きんなら阿修羅あしゅらが口の端を上げニッと笑った

「お前の中には竜の力があるってことは…言ったよな?」

緊那羅きんならが頷く

「同じ力は共鳴する…つまりは…だ」


「つまり…京助と同じ竜の力を持つ緊那羅きんならか悠助に一度僕らの力をあげてそしてそれを京助にあげるってこと?」

「まぁそうですね」

柴田がにっこり笑った

「ただ上手くいくかはわかりませんけど」

その後に付け足された言葉で一同顔を見合わせ考え込む

「…でも上手くいくかもしれないんでしょう?」

母ハルミがガスコンロを止めて話にはいってきた

「何もしないより何かしたほうがいいと思わない?」

「ハルミさん…」

鍋を持ち茹で上がった海老を笊にあけながら母ハルミが言う

「できることは…やらなきゃ…ね?」

湯気の中で笑顔の母ハルミの表情とは反対に口に出た声は少し震えていた

ベコンと大きく流し台が鳴った


「私…京助を助けられるんだっちゃ? 私が?」

緊那羅きんならが何度も聞き返し阿修羅あしゅらがその度頷く

「そうやんきに」

「私が…」

ちらっと京助をみた緊那羅きんならの顔に笑みが浮かんだ

「ただ…な」

ふぅっと阿修羅あしゅらがため息をつく

それを見て緊那羅きんならの笑顔が少し壊れた

「ただ…何だっちゃ?」

緊那羅きんならが聞くと阿修羅あしゅらがゆっくり緊那羅きんならを見る

なかなか続きを話そうとしない阿修羅あしゅらの代わりに雨音がざぁざぁともういいからってくらいに屋根に話し掛けている

「…ただ…今のお前じゃダメなんきによな」

「え…?」

「えー…何って言えばいいんかのー…;」

ガリガリ頭を掻いて阿修羅あしゅらが言葉を探す

「私にできるけど今の私にはできない…んだっちゃ?」

緊那羅きんならの頭の上に? マークが数個浮かんだ

「今のままのお前じゃダメなんきにな…そのー…あー…」

「今のままの…?; え?;」

緊那羅きんならの頭の上の?がさらに増えていく

「んー…とな; お前の中に竜の力がある…んだけど普段は表にでとらんきにな? それを引っ張りださないとダメなんきに」

阿修羅あしゅらの話を緊那羅きんならが黙って聞く

「ただ…竜の力を表に出すと…緊那羅きんならが奥にいってしまうんよ…そうなったら…お前はたぶんまた暴走して竜のボン助けるどころじゃなくなるんきに」

「…ぼう…そう…?」

緊那羅きんならがきょとんとした顔で聞き返した

清浄しょうじょうに怪我させたろ?」

緊那羅きんならの目が大きくなる

「今のお前が清浄しょうじょうにあんな怪我負わさせることできると思うけ?」

ぶんぶんと緊那羅きんならが首を振ってうつむいた


柴田と呼ばれている人物を初めて見たときから凄く嫌な感じがした

清浄しょうじょうと呼ばれる姿になった柴田を見たとき自分の中にあった何かが膨れ上がってそれが弾けた

そこには緊那羅きんならではなく操がいて自分の知らない京助や記憶がどんどん流れ込んできて自分は誰なのかわからなくなった

どうしていいかわからなくなった

そんな自分が今 緊那羅きんならとしてここにいるのは呼んでくれたから

緊那羅きんならという名前を呼んでくれたから緊那羅きんならとしてここにいることができて

だから


「…どうしたらいいんだっちゃ…? どうしたら私のままで竜の力を使うことができるんだっちゃ?」

緊那羅きんならが顔を上げないままで聞く


                助けたい守りたい


「操はちゃんと京助を守ったのに助けたのに…緊那羅きんならの私だって京助を助けたい…守りたいんだっちゃ」

緊那羅きんならが顔を上げて一呼吸

「京助を助けるためなら守れるなら私は何だってどんなことだってやるっちゃ」

緊那羅きんならが言い切ると阿修羅あしゅらが笑みを浮かべた

「そう来るとおもったんきに…緊那羅きんなら、オライが前にお前にやった竜の宝珠のカケラ…あるけ?」

「え…あ…うん部屋に…」

「チョイもってこいや」

緊那羅きんならが頷き部屋から出て行くと阿修羅あしゅらの顔が途端難しい顔つきになった

「…指徳しとく…け…」

ボソっと阿修羅あしゅらが呟く

「…若干違うような気はする…でもあれは…」

ぎゅっと目を瞑って溜息をはいた阿修羅あしゅら

「…--------------------…」

阿修羅あしゅらの口だけが動いて綴った誰かの名前

悔しそうに阿修羅あしゅらの口元が歪んだ


「あ、緊ちゃん」

部屋へと向かい小走りで廊下を進んでいた緊那羅きんならが名前を呼ばれて足を止める

「…悠助?」

パタパタと悠助が緊那羅きんならに駆け寄る

慧喜えきがいないの」

「え…」

ハッとして思い出す

「悠助…慧喜えき…は…」

それ以上言葉が続かずに緊那羅きんならが黙り込むと悠助が首をかしげた

「トイレにもいなかったしお風呂にもいなくて…」

慧喜えきは…」

慧喜えきはちょっと空に帰ってるんだよ…」

後ろから聞こえた声に緊那羅きんならが振り返る

矜羯羅こんがら…」

ゆっくりと悠助の前まで歩きしやがんだ矜羯羅こんがらが悠助と目線を合わせて微笑む

「ちょっとやることができてね…」

「そうなの…? いつ帰ってくるの?」

悠助が矜羯羅こんがらに聞く

「いつかはわからないけど…大丈夫…ちゃんと帰ってくるから」

「…うん」

悠助がしょぼんとして頷くと矜羯羅こんがらがその頭を撫でた

「大丈夫…慧喜えきはちゃんと帰ってくる」

一瞬険しくなった矜羯羅こんがらの顔

慧喜えき指徳しとくに連れて行かれたことを知らない悠助に矜羯羅こんがらがめいいっぱい優しい嘘をついた

「ハルミママさんが探してたよ…」

「ハルミママが? うん!!」

パタパタと悠助が矜羯羅こんがらの横を通って走っていくのを見ながら矜羯羅こんがらがゆっくり立ち上がり緊那羅きんならの方をむいた

「悠助に慧喜えきのことは…」

矜羯羅こんがらが人差し指を口元にあてて内緒、と言うポーズをした

「あ…うん…」

緊那羅きんならが頷く

緊那羅きんなら

部屋に向かおうと自分の横を通ろうとした緊那羅きんならの肩を矜羯羅こんがらがつかむ

「なんだっちゃ? 話ならあとから…」

「君なら京助を助けられるかもしれないんだってさ…」

さっき阿修羅あしゅらから話されたソレを矜羯羅こんがらにもいわれた緊那羅きんならが頷く

阿修羅あしゅらもいってたっちゃ…でも今の…このままの私じゃ駄目なんだっちゃ…」

「今の君…? …よくわからないけど…そう…阿修羅あしゅらが…じゃあやっぱり可能なんだね」

矜羯羅こんがらが腕を組んで緊那羅きんならを見た

「君にしかできないこと…いくら僕らが力が強くたって僕らにはできないこと」

矜羯羅こんがらが一歩踏み出すと廊下がキシっとなる

阿修羅あしゅらから聞いていたなら僕が話さなくてもいいね…皆待ってるから」

「え…? 皆って…」

緊那羅きんならがきょとんとして首を傾げる

「…今自分にできること…探して待っているんだよ僕らはね…」

ポンと緊那羅きんならの肩を叩いた矜羯羅こんがらが背を向けて去っていった

「自分に…できること…」

矜羯羅こんがらの背中を見ていた緊那羅きんならがきゅっと唇を噛んで小走りで部屋に迎った


タンスの一番上の引き出し

小さな箱を手に取るとソレをじっと見た緊那羅きんならがまた小走りで部屋から出ていく

いつもなら風に鳴らされている風鈴の代わりに聞こえる雨音にふと縁側の方を見た緊那羅きんならが足を止めた

和室の隣の仏間に目をやると暗やみの中にぼんやりと見えた白いタオル

緊那羅きんならが仏間に足を進めた


「そうか…やはり阿修羅あしゅらは知っていたのだな…まったく…」

迦楼羅かるらがため息を吐いて言う

「かるらん駄目駄目じゃん」

「やめんか! たわけっ;!!」

ぺしぺしと南が迦楼羅かるらの頭を叩く

阿修羅あしゅらはつかめないやつだからね敵にしたら竜より用心しないといけないかな」

柴田がハハッと笑いながら言うと意味がわかってるのかわかってないのか制多迦せいたかがヘラリと笑い頷いた

「…阿修羅あしゅら…か」

矜羯羅こんがらがさっき阿修羅あしゅらに聞かれた質問を思い出し何かを考え込む

阿修羅あしゅらの考えていることはワシにもよくわからん…ただ知識は誰よりもあることは間違いないワシよりもしかしたら竜や上よりあるかもしれん」

「そうなの?」

「あ…ええ…阿修羅あしゅらはかなりの知識がありますからね」

「おいちゃんよりも?」

烏倶婆迦うぐばか乾闥婆けんだっぱの服をくいくい引っ張って聞くのを見た迦楼羅かるらの眉がぴくっと動く

そんな迦楼羅かるらの肩を制多迦せいたかがポンっと叩いてヘラリと笑った

「…何だ…?;」

迦楼羅かるらが聞くと制多迦せいたか迦楼羅かるらの頭を撫でる

「やめんか! たわけっ!!;」

怒鳴ると同時に迦楼羅かるらの口から炎が出た

「うるさいよ」

「うるさいですよ」

矜羯羅こんがらの足が制多迦せいたかの頭を踏み付けて乾闥婆けんだっぱの手が迦楼羅かるらの前髪を引っ張った

「賑やかやなぁ」

ハハッと中島が苦笑いを浮かべる

「京助が助かるかもってだけで…こうも空気かわるもんなんかね」

「若も泣いてませんしね」

坂田が口の端をあげて言うと柴田がにっこり笑っていうと坂田が肘鉄を柴田の腹にのめりこませた


「やっぱりいいわねこう…たくさんにいるって」

隅の方で眠るちみっこ竜を見ていた母ハルミがなんだかしみじみ言う

「分け合えるものが多くて…嬉しいことも悲しいことも」

「だからハルミは大家族が好きなの?」

鳥倶婆迦うぐばかが聞くと母ハルミが微笑んで頷いた

「ホラ、緊ちゃんが来る前はこの広い家に私と京助、悠ちゃんとコマイヌだけだったじゃない? …その状態で今みたいになったら…ってね考えちゃったら…ごめんなさいね」

目尻から滲んできた涙を母ハルミが指で拭いまた笑顔を上げる

「いてくれて…ありがとう」

「ハルミさん…」

その場にいた一同が言葉をなくした


部屋の戸が開くと阿修羅あしゅらが振り向いた

「…何持ってるんきに?」

部屋に入ってきた緊那羅きんならの手には竜の宝珠の入った箱の他に白いタオルがにぎられていた

「操のタオルだっちゃ」

緊那羅きんなら阿修羅あしゅらと向かい合って座り竜の宝珠の入った箱を畳の上に置く

「お守り…というか…」

緊那羅きんならが苦笑いで頬を掻いた

【柴野ストアー】と印刷された他人にとってはどこのお宅にでもあるような何の変てつもないただのタオル

そのタオルを握りしめ緊那羅きんならがまっすぐ阿修羅あしゅらを見る

「…いい目しとるの」

阿修羅あしゅらがニッと口の土師をあげて笑った

「私はどうすればいいんだっちゃ?」

緊那羅きんならが聞くと阿修羅あしゅらが竜の宝珠が入った箱を手にとり緊那羅きんならに突きつけると恐る恐る緊那羅きんならが受けとる

「オライは直接竜の宝珠に触れないからの」

「あ…うん」

緊那羅きんならが頷き箱を膝の上に置いた

「で…これからどうすればいいんだっちゃ?」

「開けてみ?」

阿修羅あしゅらがいうと緊那羅きんならが箱の蓋に手をかけてゆっくり引き上げる

中に入っていたのはもとは阿修羅あしゅらの首元についていた小さな丸い飾り

それを掌にのせて指でつつくとカコンと音をたてて開いた

金色に輝く小さな欠片をみた阿修羅あしゅらの顔が険しくなる

「…阿修羅あしゅら?」

「へ…? …ああ!すまんすまん」

阿修羅あしゅらが慌てて返事をした

「どうしたんだっちゃ?」

緊那羅きんならが聞く

「いや…ちょい思い出しての…ちょいセンチになっただけやんきに」

目を伏せながら言った阿修羅あしゅらがため息を吐く

「…すまんけの」

「や…別に…」

謝った阿修羅あしゅら緊那羅きんならがぶんぶん首を振って返した

「…竜の宝珠…か」

ボソっと呟いた阿修羅あしゅらの言葉が聞き取れなかったのか緊那羅きんならが首をかしげる

「…多分ソレに直接触った瞬間一気に竜の力がお前に流れ込むけの…」

欠片に触ろうとしていた緊那羅きんならがビクっとして手を止めた

「そういうのは先にいてくれっちゃ;」

「ハッハッハすまん」

阿修羅あしゅらが笑う

「…オライ達にはそれぞれ得意な力と苦手な力があるけ…まぁ属性っちゅーもんなんだけどの…見ててわかるとおりかるらんは炎、乾闥婆けんだっぱは水なん」

「うん…」

「そして慧光えこうは花で鳥倶婆迦うぐばかはカラクリ…ってぇとこか?」

「…あの私は?」

おそらく空の二人の属性は推測で言ったと思われる阿修羅あしゅら緊那羅きんならが聞く

「わからんきに」

さくっと阿修羅あしゅらがソレを切った


「わからん…って私…;」

「まだ宝珠がひとつも完全に色ついてないけの」

阿修羅あしゅら緊那羅きんならの腕輪を指さしていうと緊那羅きんならが腕輪を見てため息をつく

「なかなか色ってつかないんだっちゃね…」

「あたりまえやんに; そして…竜の力はムゲン」

阿修羅あしゅらがゆっくりと口にしたその言葉

「夢幻のムゲンじゃなしにの…幻が無いムゲンなんきに」

「…む…げん?」

緊那羅きんならが繰り返す

「無幻の力は未知での…オライもよくわからんけ…」

「むげん…」

竜の宝珠を見て緊那羅きんならがもう一回呟く

「最強の力にも最弱の力にもなるっつーことくらいしかわからんかっての…最強と最弱という相反するものを両方もっているという…」

「最強と最弱…って…意味がわからないっちゃ;」

「ハッハッハオライもよくわからんきに」

阿修羅あしゅらがハッハと笑った

「でも…その力があれば京助を助けられるんだっちゃよね?」

一呼吸おいて緊那羅きんならが言うと阿修羅あしゅらが真顔で頷く

「あとは…緊那羅きんなら…」

緊那羅きんならが頷いて顔を上げるとにっこり笑った



「あれ? 京助は?」

「知らないわよ?」

前髪をターバンであげた操が右足で左足の脛をぼりぼり掻きながら聞くとそっけない返事が来た

「さっき散々呼ばれてたじゃない?」

「いや…そうなんだけどさ;」

操が気まずそうに母ハルミの質問から顔をそらす

「アンタ…また無視したんでしょ」

「…まぁ…ちょーっと詰まってたんでー;」

操の言葉に母ハルミがため息をついた

「操…」

「わかってるってーの;」

名前を呼ばれた瞬間操が逃げるように茶の間から駆け足で遠のいた

仏間から向こうの和室までぶっ続けで開け放たれた襖のよしかかって縁側にぶら下がる風鈴をぼーっとみながらずるずると畳に尻をつけて足を延ばす


頭ではわかてるんだ俺もそうだったから

構って欲しかったから構ってやりたいって思うんだ

でもなんだろうな…大きくなるにつれて思うように体が頭で考えていることをできなくなってる

「…帰ってきたら…スイカのでかい方やろっかな」

庭先のビニールプールで泳ぐスイカを見て操が呟いた



「…慧喜えき…いつ帰ってくるのかなぁ…京助明日早起きするつもりなのかな?」

浴槽の縁に顎を乗せて悠助が呟く

「明日晴れるかなぁ…」

換気のために少しだけ開けてある窓から聞こえる止みそうにない雨の音

「てるてる坊主つくろうかな……うんそうしよう!!」

バシャっとお湯の中で手を叩いたせいで悠助の顔にお湯がかかった



「おっせぇな…」

操が遠くから聞こえたチャルメラの音で顔を上げた

ビニールプールで冷やされていたスイカはさっくりと切り分けられてしまったらしく、その二切れが皿に置かれていた

ほんのりオレンジ色に染まりだした和室の襖から背を離し操が立ち上がって縁側から外を覗く

パー…プー…

チャルメラの音がさっきよりちょっと大きく聞こえる

庭をぐるり見渡すとスイカを冷やしていたビニールプールが物干し竿にかけられ水がぽたぽたとたれていた

足を進めて縁側のギリギリ縁まで来るとまた庭を見渡す

家のすぐ側の壁には京助が宿題で育てている朝顔が蕾をつけていてそのすぐ側には京助が気に入っている緑色のジョウロが置かれていた

草の垣根の向こうに見える社務所の窓に母ハルミの姿が見える

背伸びをして石段の方も見ようとしたがよく見えず昼間脱ぎ捨てておいたサンダルを履いた操が庭に下りた

ちょっとだけ水平線に足をつけた夕日が海面に反射してそこらじゅうをオレンジに染めている

石段の下を見ても誰もいない

境内の方を見てもただ赤い鳥居が立っているだけで人影は見当たらなかった

「…っとに…愛の鐘なったら帰って来いっていってんじゃんか」

児童生徒の帰宅時間の目安としている愛の鐘がなったのはもうかれこれ1時間前

パー…プー…

チャルメラの音がすぐ側で聞こえそして遠のいていく

「…あーもー!!;」

ガシガシと頭を掻いた操が軽快に石段を駆け下り下につくとまずを右を見て次に左を見た

「どっちいったんだあの馬鹿」

無意識に【神様の言うとおり】のしぐさをしていた指が左を指してとまると操が駆け出す

明日の漁で使う海水を運んでいた櫛引のおっちゃんのリヤカーの横をすり抜け落ちていた空き缶をよけて海岸線を操が京助を探す

途中に会ったおばちゃん達に聞きながら探すも京助の姿は見つからずにとうとう区域の境目までたどり着いた

「どこいったんだ…;」

腰まで海水に浸かった夕日がさっきより濃いオレンジで操を染める

「逆…だったんかな…くっそ」

荒くなっている息を整えながら操が呟きもと来た道をまた駆けていった

カモメの鳴き声が波の音と重なって聞こえる

時たま横を通る車が歩道が無い道路を走っている操を避けて左にふくらんで追い越していった

栄之神社の石段鳥居が見えてきたころ数少ない街頭にパパッと明かりがついた

いつのまにか夕日の姿はなくなっていて水平線に沿って一直線に伸びたオレンジの光もだんだんと消えていく

石垣に手をついて呼吸を整えていた操が顔を上げると三本先の街頭の下に誰かが立っているのが見えた

足を引きずって亀か?というくらいのトロトロ歩きでこっちに向かってくるその人影に向かって操の足が動き駆け出した



「私は…何でもするって言ったっちゃよ」

緊那羅きんならが言う

「でもなぁ緊那羅きんなら…【何でも】して竜のボンが全部喜ぶってこたぁないとおもうんきに」

「え?」

阿修羅あしゅらの言葉にきょとんとした緊那羅きんなら阿修羅あしゅらを見た

「たとえば…お前のためにしたこと…お前を助けて誰かが…死んだら?」

さっきまで自分のことを話していた阿修羅あしゅら

大切なものを一度なくしているからなのか阿修羅あしゅらの言葉が緊那羅きんならに突き刺さった


京助も【操】という大切なものを失っている

守られて守ってくれた大切な人がいなくなったとき守られた方はどうおもう?

操が死んだのは自分を守るためだったって聞いたときの京助の涙を緊那羅きんならがおもい出す

「…なんでもじゃなくな…できることをすればいいんきに…いってたろ? 竜の…いや京助がの」

阿修羅あしゅらが京助を見ると緊那羅きんならも同時に京助を見る

相変わらず微動もしない京助

「…京助…私…」

「タカちゃんも言ってたろ信じろての…自分を京助を信じるんきに」

緊那羅きんならが操のタオルを強く握る

「…うん」

緊那羅きんならが頷いて顔を上げた

緊那羅きんならが深呼吸して竜の宝珠の欠片を見つめた

小さいながらも金色に輝くそれは最高位の宝珠というだけあって見ているだけで吸い込まれるような押し潰されるようなそんな感覚を覚えた

不安一杯の表情で緊那羅きんなら阿修羅あしゅらを見ると阿修羅あしゅらが下を指差す

緊那羅きんならがその指差す方に視線を向ける

「京助…」



「京助!!」

ちょっとだけガラガラとした声で名前を呼ばれた

曲げる度伸ばす度シンジンと痛む膝から流れた血はもう乾きかけていて肌にこびりついている

「京助!!」

さっきより近くでまた名前を呼ばれ伸ばそうとしていた足を止め顔をあげる

「み…」

自分に向かって駆けてくる姿を見て視界がぼやけて頬を涙が伝った

「みさおちゃあー…」

あーから後はもう何も話せなくてただ目から溢れる涙を拭うだけで精一杯の京助の前で操がしゃがむ

「みっみさ…っぇっえっ」

ひっひっとしゃっくりをあげながら泣く京助をみて操が京助の頭を撫でた

「…転んだんか」

京助が頷く

「どこで」

息をひきつらせながら首を振る京助に操がため息をつくと背中を向けた

「帰るぞ」

けして大きくも広くもない操の背中に京助が胸をつける

「っこらせっと」

操が軽く飛びながら立ち上がった

頭のてっぺんでくくられた操の髪が京助の額をくすぐる

「…鼻水つけんなよ」

「…うん」

ズビッと京助が鼻水を啜ると操の肩に頭を付けた

少し汗ばんでいる操の肌が心地よくて泣き疲れと歩き疲れからか京助の息が寝息へと変わった

「…ブッサイク」

チラっと京助を見た操がプッと笑う

「あーあ…重てぇ」

笑顔で呟いた操が石段に足をかけた



ただ寝てるだけにしか見えない京助の顔をしばらく見ていた緊那羅きんならが操のタオルを腕輪をしていない右の手首に巻き付けた

そしてそのタオルに額をつけると目を閉じる

「操…京助を助けたいんだっちゃ…私も京助を助けたい守りたいんだっちゃ…だから…」

小さく言って緊那羅きんならが顔をあげ宝珠の欠片に指を伸ばした

指が宝珠に触れたか触れないかという瞬間小さな欠片から溢れた大量の光が窓から外を照らし襖の隙間から家中を照らす

「っ…緊那羅きんならっ!!」

腕で光を遮りながら阿修羅あしゅら緊那羅きんならを呼んだ

しかし光の中心からの返事はなく


「…なん…だこれは…」

迦楼羅かるらが驚いた表情で立ち上がった

「竜…緊那羅きんならだね…」

矜羯羅こんがらが言うと柴田が頷く

「覚悟決めたみたいですね…はたして…」

緊那羅きんなら…京助…」

慧光えこうが手を組んで目をつむり祈りはじめると母ハルミもそっと目を閉じて手を組んだ


光の中でぎゅっと目を瞑っていた緊那羅きんならの右手を誰かが握った

同じくらいの大きさのその手に握られてどうしてか安心感が生まれてその手を緊那羅きんならも握り返した

音は何も聞こえない

目を瞑っているせいで何も見えない

握っている手から伝わってくる想い



        

                    …京助…



「ぎゃああああぁ!!」

「やっかましい!;」

シャーっというシャワーの音に勝って聞こえる叫び声

「消毒だ消毒ッ!!」

湯気のたつ浴槽の縁に腰かけた素っ裸の京助が足に湯をかけられ泣き叫ぶ

「やだー! もういい! もうとれたー!!」

「ちゃんと洗わないと腐るぞって!ほら左!!」

操がそんな京助を無視して今度は左足を持った

「いやだー! いやだいやだ痛い痛いー!!」

「根性みせろ! 男だろ!」

操が京助を押さえてシャワーを膝の傷に当てた

「いだぁああああ!!」

またも響く断末魔の叫び声

「ほぎゃあああああ!!!!」

それに続けと言わんばかりに悠助の泣き声も家中に響いた


「ひっひっ…ひったっ」

泣きしゃっくりで言いたいことが言えない京助が操のシャツを掴む

「っつたく…散々心配かけさせやがって…」

ぶつぶつ言いながら京助の脛に流れこびりついていた血を手で優しく擦り落とす

「…っめんなさい…ごめんなさいぃ…」

操にしがみついてぐしぐしと京助が謝った

「…濡れたまんまで抱きつくなよな…俺まで濡れたじゃんか…」

肩につけられた京助の頭を撫でながら操がため息をつく

「…ごめんな」

操が小さく謝る

「…スイカでかいほうやるからさ」

「メロンがいい…」

「贅沢抜かせ;」

キュっと蛇口をひねって操がシャワーを止めた



握られた手から想いと一緒に流れ込んでくるこの体のもうひとつの記憶

操の記憶

緊那羅きんならが知らないまだこの体が操として京助と一緒にすごした時の記憶

今より幼い京助

今より泣き虫な京助

今より…


思い出した、という表現はおかしいのかもしれない


でも…


なんでだろう懐かしいと感じるのは

この体が操のものだったから?

京助は今操と緊那羅きんならどっちが必要なんだろう?


             

『信じて…』


頭の中に聞こえたのは少女の声


『呼ばれたでしょう?』


ハッとして思い出す

呼ばれた名前

ゆっくりと握られていた手が放された


『ね…? 彼が必要としているのは…



              『聞きてぇんだ【緊那羅きんなら】の歌』




私で

操じゃなくて緊那羅きんならでいいと言ってくれたこと


嬉しかった


いつも先を歩くのにちゃんと待っててくれたり

文句をいいながらも結局は手伝ってくれたり

私だけに見せてくれた涙とか笑顔とか

それを全部守りたい、守らせてほしい

嫌だって言ってもこれだけはやめないから

これだけは


緊那羅きんならの口元に笑みが生まれた

その笑みはただの微笑みではなくどことなく強い覚悟と決意がこめられた笑みで

「大丈夫だっちゃ…ありがとう…」

そう呟くとぎゅっと抱き締められるような感覚がした

「ありがとう…操」

緊那羅きんならも抱き締め返し小さく言う

途端に今まで抱き締めていたものが消えて緊那羅きんならの体を優しく暖かな風が包み込んだ

今度は自分自身の体を抱き締めた緊那羅きんならがゆっくりと目を開ける

うっすらと見え始めたのは掌

「…あ…」

緊那羅きんならの顔が綻んでその掌に手を伸ばす

緊那羅きんならにとって見慣れた掌

その掌に緊那羅きんならの手が触れるとザアッと舞ったのは桜の花弁

その中で緊那羅きんならが強く掌を握りしめる

絶対放さないというように強く強く握りしめた

いつのまにか握っていた掌の中に感じた小さな固く薄い物体の感覚

もう片方の手を伸ばし両手で手を握った緊那羅きんならが顔を上げて目を細めて笑った


「……」

京助の横たわる布団に覆い被さるように倒れ込む緊那羅きんなら

緊那羅きんならの手の中にはぼんやりと光を放ち続ける竜の宝珠があった

緊那羅きんなら…」

ピクリとも動かない二人を阿修羅あしゅらがただ黙ってみている

「…京助」

名前を読んでも反応は返ってこない

「…頑張り…な…」

今自分にできるのはただ待つことだけ

阿修羅あしゅらが唇を噛んで俯いた

あの時もそうだった

何もできずに後から知らされて自分に腹が立ってそれを竜へと上へとぶつけた

「…オライは…」

阿修羅あしゅらが腰に下げられたカンブリを取りそれを撫でる

三つ開いた穴

間抜けな顔

「…オライにそっくりやけ…」

フッと阿修羅あしゅらが笑う

ギリっとカンブリをもつ手に力が入った

緊那羅きんならの手の中で光る竜の宝珠

「…運命っていうのは…時っつーもんは…」


遠くでゴロゴロと雷が鳴る音がする

ざぁざぁといまだ降り続く雨

コチコチと時を刻む音

「…無きゃないであったらあったで…まるで時っつーのは…」

一瞬の光そして


ドォン!!


という音と軽い震動そしてばたばたという廊下を走る足音が部屋の前を通過する

「…落ちた…んかの」

ゴロゴロという音が尾を引いて遠くに聞こえる

阿修羅あしゅらがゆっくり目を閉じた


勢いよく茶の間の戸が開いたかと思うと飛び込んできた悠助が一番近くにいた中島に抱きついた

「うぉ!; どうした悠;」

悠助を抱きとめながらも中島が驚く

「かみなりー;」

「ああ…今の雷か」

へしょげた顔で言う悠助に坂田が窓の方を見て言う

「落ちたよな絶対どっかにさ」

南が立ち上がり窓を見てそして固まった

一向に動こうとしない南を見て慧光えこうが立ち上がる

「何みて…」

窓の外を見た慧光えこうまでも南と同様に動かなくなった

慧光えこうの顔がゆがむ

そして

「コロ助!?;」

慧光えこう!!」

南の身体を跳ね除けて窓を開けた慧光えこうが外に飛び出した

そこだけが光っているように見えた白い布をまとったその人物がたっているその回りだけがぼんやりと光っているように

「…久しぶり」

ぱしゃっと水溜まりを踏んでその人物の前に慧光えこうが立っていた

慧喜えきを返すナリ」

ざぁざあ降り続く雨に慧光えこうの髪と服が濡らされていく

「誰だ…? あれ…」

南が見るその方向を矜羯羅こんがら迦楼羅かるらが見るなり二人同時に南を突き飛ばし窓から出ようとして詰まった

「どかんか!! たわけっ!!」

「それは僕のセリフだよ」

ギャーギャー怒鳴る迦楼羅かるらに対し冷ややかに矜羯羅こんがらが返す

「…ぁまぁ」

矜羯羅こんがらの肩をポンポン叩き迦楼羅かるらの頭もポンポン叩いて制多迦せいたかが二人を宥める

「一体アイツなん…」

突き飛ばされた南が柴田に支えられながら起き上がると一瞬の光

慧光えこう!!」

矜羯羅こんがらが光に向かって叫んだ



「ほら、これ貼っておけ」ぴらっと差し出されたのはピンクの絆創膏

「えぇ~これキティちゃんついてるじゃん」

「文句たれるな文句」

ペリリっと絆創膏の剥離紙をはがしながら操がしゃがむと京助が傷口に貼らせてたまるかというかんじで手をかざした

「抵抗するきかキサマ…京助の分際で」

「だってぜってぇキヨちゃんとかあじゅにからかわれるもん;」

近所のおガキ様の名前を上げて京助が口を尖らせる

「…ばいきんはいって腐っていいなら」

「やだ」

「なら貼っとけ;…はってやるから」

な? と操が言うとしぶしぶ京助が手をどけた

「よしえらいえらい」

笑いながら操が傷口に上手くスポンジ部分があたるように絆創膏を貼る

その様子を京助がおとなしく見ていた

ペリリっともう一枚剥離紙をはがし今度は反対の膝に

「操ちゃん…」

「なんだよ」

「…なんでもない」

京助が操の頭に顔をつけた

「きしょい。やめんかコラ;」

膝に絆創膏を張り終えた操が動けず文句を言うが京助はそのまま動こうとはせず

「おいこらきょ…」

「父さんも母さんも悠、ゆうばっかり…」

京助の身体に伸ばされかけていた操の手が止まった

「おれ…だっているのに」

頭の上から聞こえた微かに震えた声と鼻水をすする音

「操ちゃんも悠のところいっちゃうの…?」

びずっという音の後に問いかけてきた幼い従弟の言葉

「俺だっているのに…」

びずびずと今度は二回


わかってる

いるのに、ここにいるのにちゃんといるのに見てくれているのかっていう不安

俺だってわかってる

見ている見えている見てくれているふりをしているんじゃないかって思うくらいに不安なんだ

側にいるのに不安なんだ

撫でられていても不安なんだ

わかってる、知っているんだその感じ

嫌なくらいに

だからそんな思いはさせたくないんだコイツには

京助には…

この感じを知っているからわかっているから一番の解決方法も知っていて

難しいことは何も無くて

ただ精一杯の気持ちを込めて呼んでやるんだ


「京助」

名前を呼ぶと京助がズビッと大きく鼻水をすすった後顔を上げた

「お前はまだ危なっかしいからさ…どこもいかねぇでちゃぁんと待っててやるしまた転んだら困るからなお前の後ついてってやるよ」

きょとんとして話を聞いていた京助の顔が次第に歪んできてひっひっとしゃっくりが混ざってくると操が京助の鼻を摘んだ

「な く な。うっとおしい」

フガっと京助の鼻が鳴る

「泣いたらどっかいくからな」

操が言うと京助が慌てて両手で涙をぬぐった

「ない…てねぇもんッ;」

「…よろしい」

真っ赤な目で強がる京助に操が笑って頭を撫でた



突如窓から差し込んできた光に阿修羅あしゅらが窓を開ける

しかし雨がざぁざぁとふっているだけで何も無く

「…反対側け…気になるがでも…」

阿修羅あしゅら緊那羅きんならと京助を見下して今度は戸口に目をやった

「今の光…微かに宝珠の声がしたの…」

苦い顔をして阿修羅あしゅらが呟く

「……」

阿修羅あしゅらが無言で窓を閉めると再び京助と緊那羅きんならを見る

緊那羅きんならの持つ竜の宝珠の光が微かに強くなった


光が消えてもまだ慧光の姿は見えない

慧光えこう!!」

窓枠に手をかけ飛び出そうとした矜羯羅こんがら制多迦せいたかが引き留める

「…って…」

「何…」

矜羯羅こんがら制多迦せいたかを睨み腕をつかんでいる手を引きはなそうとした

「…待て矜羯羅こんがら

迦楼羅かるらが外を見て矜羯羅こんがらの前に腕を出した

「君まで…何なんだよ…」

慧光えこうは無事だぞ」

迦楼羅かるらの言葉を聞いた面々が窓に駆け寄る

目を凝らして見えたのは尻尾

「ぎりちょんセーフなんだやな」

ざぁざぁという雨の音の中から聞こえたのは独特の話し方

「ナリは大丈夫だやな?」

慧光えこうの前に差し出された慧光えこうよりひとまわりくらい小さな手をつかみながら慧光えこうが頷く

「…式…か」

白い布の人物が呟くと慧光えこうの前に揃った4本の足

その両外側二本が揃って一歩引き下がり膝が曲がりいわゆる構えの姿勢をすると慧光えこうの目の前で尻尾が揺れた

「「栄野の前後は我らが守る!」」

雨に濡れた赤と青の前髪とそこから天を向いた角

同じ型の構えをしたゼンゴが白い布の人物を真っ直ぐ見た



ぼりぼりシャツの中に手を入れて体をかいた操が昨日確かに隣でよだれをたらしながら寝ていた京助の姿を探す

「…便所か?」

カーテンを通して部屋に入ってくる朝日は柔らかく時計を見ると午前六時半

「珍しいこともあるもんだ」

伸びをして布団から抜け出した操が立ち上がるとカーテンをあげた

網戸越しから風が入り寝癖の髪を撫でる

「…スイカ食いてぇなあ」

ボソッといった操が欠伸をして踵を返した

部屋からでると足元に擦りよってきた二匹の犬

「あー飯かー…ちょい待てよ」

尻尾を振りながら歩く操についていく二匹に操が笑いかける

「こらこら踏むぞコマ、イヌ」

「わんっ!!」

名前を呼ばれた二匹が飛び上がって返事をした



「守れなかったんだやな」

ぐっとゼンが拳を握った

「思い出したんだやな…操がいたこと操を守れなかったこと」

ゴも同じく拳を握りしめる

「だから今度は何がなんでも」

二人揃って顔を上げると白い布の人物を睨む

「「栄野の全てを守り通す!!」」

ゼンゴの声がざぁざぁという雨の中響いた


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