【第七回・禄】祭男爵奇談
待ちに待った祭りの季節
正月中学男子による毎年恒例のヨサコイソーラン踊りの練習にも熱が入っていた
ダン!! っという足踏みの音が薄暗くなった外へと明かりの漏れている体育館から揃って聞こえる
「腕はまっすぐ! そう!! そうそう!!」
気合の入った女性の声と揃って聞こえ続ける足音とたまに聞こえてくるカチャカチャという鳴り物の音
「やってるやってる~!」
薄い上着を羽織った悠助が嬉しそうに漏れている明かりの元へと駆け出す
「待って悠助!」
慧喜が悠助の後を追った
「うっわ~…」
悠助が目をきらきらさせて体育館の中を見た
「はい!! 足上げて!! そこは腰を落とす!!」
手拍子の中揃う足音と鳴り物の音
「…何コレ…義兄様どこ?」
慧喜が悠助を後ろから抱いて聞く
「よさこいっていってね~…あ! 京助だ!!」
悠助が体育館の壁に寄りかかって3馬鹿と話している京助を見つけた
「慧喜も悠助もそんなに急がなくても…」
緊那羅がコマとイヌと共にやってきて言う
「今年も見ものなんだやな」
コマがひょいっと体育館の中を見て言った
「見てると踊りたくなるんだやな」
イヌもコマの隣に落ち着く
「踊り?」
緊那羅が体育館の中を見た
「ただ足踏みして飛んで跳ねてしてるだけじゃない」
慧喜が言う
「コレに曲がつくんだやな! ソーランソーランなんだやな!!」
イヌが尻尾を振って身を乗り出した
「その曲聞くと自然と体が踊りだすんだやな!! 最高なんだやな!!」
コマも前足を上げて踊りらしい動きをした
「あ、気づかれた」
悠助が呟き緊那羅が体育館の中を見ると坂田がヒラヒラ手を振って南が指差して中島が京助の肩を叩いていた
「次!! グループ3!! 駆け足!!」
パンッという手を叩く音が一回体育館に響くと京助たちが立ち上がった
「京助達の番みたいだっちゃね」
緊那羅が言う
「格好いいんだよ~! 去年もすごかったんだ~!! アンコールとかね! かかってね!」
悠助が興奮気味に言うとそんな悠助を慧喜が嬉しそうに抱きしめる
「悠助可愛い」
慧喜が悠助に頬擦りして言う
「僕も中学校行ったら踊れるかな~?」
規律よく並んだグループ3の面々を見て悠助が言った
「あれ? ラムちゃん…?」
ガサガサという音をBGMにして名前を呼ばれた緊那羅が振り返った
「こんばんは」
にっこり笑った本間の手には大きく膨れたビニール袋
「ペチャパイ?」
「やかましいッ!!;」
慧喜の言葉に本間の隣にいた阿部が怒鳴る
「練習見に来たの~!」
悠助が笑顔で言った
「じゃぁいっくと香奈は2と4にね? 私達は3と1行ってくる」
髪を緩く後ろに結んだ女子が靴を脱いで体育館の中に入るとそれに続いて数人の女子が体育館の中に入っていった
「アイスだ~!!」
悠助が阿部の持ったいた袋の中をのぞいて言った
「差し入れなの」
本間が緊那羅の横を通って靴を脱ぎ体育館の中に入った
「…残念だったね阿部」
そして振り向きニーっと笑う
「…別に」
阿部が少し膨れッ面をして本間に続く
「じゃぁ~…10分休憩!!」
体育館に一回手を叩く音が響いた
「何しに来たんだよ;」
カップに入ったアイスを片手に3馬鹿と京助が少し肌寒い体育館の入り口にやってきた
「練習見に来たの! いいなぁ~…アイス」
悠助が京助の手の中にある【爽】を見て言う
「…半分な;」
悠助のたぶん本人は無意識なんだろうけど全身から出ている【僕もアイス食べたいナァ】オーラに京助がアイスを手渡した
「踊りの練習してるんだっちゃ?」
緊那羅がそれぞれ何人かのグループに分かれて床に腰を下ろしている生徒を見て聞く
「そ~! もう来週だしねお祭り! 毎年恒例なんだよ正月中学男子全員参加のヨサコイソーラン踊り」
南が木のヘラを咥えて言う
「それ何?」
慧喜が3馬鹿と京助のポケットに入っている見たことない物体をしげしげと見る
「鳴子なんだやな」
イヌが悠助からアイスをもらいながら答えた
「あっ; お前ッ!!;」
京助が大人気なくイヌに怒鳴る
「鳴子…?」
緊那羅が京助のポケットの中から顔を出している鳴子を見る
「こうやって…ホッ!」
中島が両手に鳴子を持ってポーズを決めると鳴子がカチャンと鳴った
「ソレもって踊るの?」
慧喜がいつの間に受け取ったのか悠助の (もとい京助の)アイスを悠助にあーんしてながら聞く
「コレがなくちゃヨサコイじゃないって」
南が言う
「でも本場稚内南中はもってねぇんだよな」
坂田が軽くゲップをした
「本場?」
緊那羅が聞く
「そ! 元祖?なんだかスゲェ荒れてた中学を救ったのがコノヨサコイソーランなんだとか…聞いてない?」
中島が同意を求めて見る
「金八センセ~!! 俺にアイス恵んで;」
ほぼ完食されつつある慧喜の手の中のアイスを見て京助が中島のアイスを狙う
「私…どんな曲なのか聴いてみたいっちゃ」
緊那羅が目をきらきらさせて言った
「何? ラムちゃん音楽好きなの?」
南が食べ終わったアイスに蓋をして緊那羅に聞く
「ソーランソーラン! ハイ! ハイ!! っての」
京助が軽く歌った
「…そー…?;」
緊那羅が首をかしげる
「…最後の方で曲にあわせて踊ると思うから聞いていけばいーじゃん;」
坂田が木のヘラを二つに割って言う
「あっと! ラムちゃん!?」
「のぁ!!;」
京助と中島の背後から飛び掛ってきたのは浜本
「あ…こんばんはだっちゃ」
つぶれた中島と京助の上の浜本に緊那羅が挨拶する
「何~? 踊り見物? 俺の勇姿も見てってね~? そしてホレてくれたらなお最高!」
浜本が親指を立てて言った
「重いわ!;」
京助が浜本に向かって怒鳴る
「…楽しそうだね」
本間が買い物袋の中に食べ終わったアイスの容器を捨てながら阿部に言う
「…だから何よ」
むすっとして阿部がいっぱいになった袋の口を縛る
「せっかく応援ボランティアになったのにね」
本間も袋の口を縛った
「…いいのッ!!」
阿部が力いっぱい二回目の結び目を作った
「ハイ! 休憩終わり!! 八時まで通してやるからね!」
その声で男子が腰を上げて体育館の中央に集まりだす
「ハイ~いってきますか」
中島と坂田も体育館中央へと向かい歩き出した
「八時ってことは後15分か~…その後反省会あるとして帰るの九時くらいか…先帰ってていいぞ?」
京助が緊那羅に言う
「私は待ってるっちゃ」
緊那羅が笑って言う
「僕も~!!」
「じゃ俺も」
悠助が元気よく言うと慧喜が笑って同意する
「ヘイヘイ…;」
京助は呆れ顔で悠助の頭を撫でると南と共に小走りで体育館の中央へと向かった
体育館の前方に取り付けられているスピーカーから聞こえ始めたのは笛の音
そしてソレがだんだん大きくなるとあわせて足踏みの音がしてくる
「きたきたきたんだやな~!」
コマが身震いをした
「これこれ! これなんだやなッ!」
イヌも同じく身震いする
笛の音に太鼓の音や三味線の音が混じり曲となって聞こえ始めた頃男子生徒の顔つきが変わった
「ソイヤ!!」
一人の男子の掛け声と共に一斉に鳴子を前に突き出すとソレと共にダン!という足踏みの音が揃って体育館中に響き渡る
たまに入る合いの手の掛け声とスピーカーから流れてくるよく響く男性の歌声に合わせて鳴子が鳴り足踏みの音が響く
激しく動き切れのあるその踊りは不思議な魅力がある
「…義兄様格好いい…」
慧喜がボソッと言った
「でしょ~?」
悠助も興奮しているらしく体が【ソーランソーラン!!】という掛け声にあわせて動き始めている
「我慢の限界なんだやな!」
コマがそういってバック宙をしゼンへと姿を変えた
「ゴもなんだやな!!」
それに続いてイヌもゴへと姿を変える
カチャカチャという鳴子の音が軽快な手拍子にも聞こえさらに場の雰囲気を盛り上げているようにも感じられる
腰を落とし地引網を引っ張り上げる様子を表した踊りから魚を網からはずし陸へと揚げる踊りに変わりそれが今度は日本海の荒波を表現した踊りへと変わる
「…すごいっちゃ…」
緊那羅が呆然とした顔で呟いた
「コレだからいいんだやな!」
曲にあわせてゴが踊る
「最高なんだやな!!」
ゼンも踊る
「僕の次の【どっこいしょ】ってところの踊りがすきなんだ~!!」
悠助が慧喜の腕の中体を動かす
「ソイヤ!!」
今度は男子生徒全員の掛け声が響き揃って腰を落とし飛び上がり腕を前で組んで真横に鳴子を突き出す
「これこれ~!!」
それを見た悠助が嬉しそうに言った
「阿部」
本間が阿部の頬をつついた
「…顔赤い上に視線の先変わってないよ」
ハッとして阿部が本間を見る
「な…;」
「しかし不思議だよねぇ…いつもはお馬鹿な男子がこうも格好よく見えるもんなんだね」
阿部より少し背の低い女子生徒が呟いた
「本当不思議だよねぇ…」
ステージに腰掛けていた女子も言った
「これぞヨサコイマジックなんじゃない?」
本間が言う
「ね? 阿部?」
そして阿部をみてにーっと笑った
「…うん…」
まさに【恋】という視線を一点に向けつつ阿部がうなずいた
チキチキチキという自転車のチェーンの音と足音しか聞こえない帰り道
体育館を出た時時計は午後八時半を少し過ぎていた
「思えば俺チャリできてたんだからやっぱ先帰らせればよかったな;」
京助が振り返り慧喜の背中で寝息を立てている悠助を見た
「興奮して疲れたんだっちゃね;…こっちも;」
緊那羅が悠助を見てそしてそれから自分の腕の中で寝こけているコマとイヌを見た
「義兄様って毎日あんなことしてたんだ」
慧喜が悠助を背負い直して聞く
「あ? …あぁ~まぁ…うん毎日っていうかここ一ヶ月くらい前位から?」
京助が言う
「だからたまに帰り遅かったんだっちゃね」
緊那羅が言う
「でも最近は毎日だよね? ヒマ子義姉様寂しがってたよ?」
慧喜が言う
「…さいですか;」
京助がヘッと笑って鞄を肩にかけ直すとカチャリという音がした
「…鳴子」
緊那羅が呟いた
「…持ってみるか?」
京助が自転車を止めて鞄から鳴子を取り出した
「そいつ等かせよ」
そして寝こけているコマとイヌを緊那羅から受け取った
「…なんだか…これ…変わってるっちゃね」
カチャカチャと鳴子を鳴らして緊那羅が笑う
「コレもって京助…とか踊ってたんだっちゃね」
緊那羅が鳴子を京助に返そうと前に出した
「鞄に入れてお前持ってて。俺こいつ等チャリに積んでいくから」
そう言うと京助はコマとイヌを自転車の籠に押し込んでストッパーを上げた
「義兄様も緊那羅も遅い~!!」
先を歩いていた慧喜が京助と緊那羅を呼んだ
「ヘイヘイヨ;」
そしてそのまま京助が歩き出しすと緊那羅も京助の後を追いかける
少しジメッとした空気の暗闇の中にチラホラ見える家の明かりとかなりの間隔を置いて立っている数少ない街灯
時折聞こえる車の音
「…夜って静かだったんだっちゃね」
「はぁ?;」
緊那羅の言葉に京助が疑問系の声を出した
「あ…いや; あの…私京助のところに住む様になってから…楽しくてだから…夜がこんなに静かだったなんて…って思っただけだっちゃ;」
緊那羅が慌てて言う
「なんだソレ; 俺ン家が年中騒がしいみたいじゃん;」
京助が言った
「俺も楽しいよ」
慧喜が会話に入ってきた
「だからもう戻れない」
慧喜が言う
「戻りたくない」
また慧喜が言う
「…好きなだけいりゃいいじゃん」
京助が自転車を押して慧喜の横を通った
「母さんも言ってただろ? 大家族が好きだってさ」
足を止めて京助が振り返る
「戻りたくないならいれば?」
そして呆れたように笑う
「…いいの?」
慧喜が京助を見た
「お前悠から離れねぇだろが;」
溜息をついた京助が笑う
「…私も…?」
緊那羅がおそるおそる京助に聞いた
「今更;」
ヘッと笑った京助を見て緊那羅が目を細めて嬉しそうに笑った
「さぁって…明日も学校だし…帰るぞ」
再び自転車を押し出した京助の後に慧喜と緊那羅も続く
「義兄様ってどんなに早く寝ても絶対寝坊するよね」
慧喜が緊那羅を見て言う
「うん」
緊那羅が笑いながら先を行く京助の背中を見た
「でも寝坊してくれないと私の朝の調子が狂うっちゃ」
「いえてる」
慧喜と緊那羅が揃って笑った
窓が少しだけ開いた室内は物抜けのカラでTシャツと短パンが敷きっぱなしの布団の上に脱ぎ散らかされていた
「…京助?」
顔だけを室内に入れた緊那羅が部屋をぐるりと見渡して部屋の主の名前を呼んだ
「…まだ七時前なのに…トイレでもいったんだっちゃ?」
緊那羅は呟くと戸を閉めた
「おはようございますだっちゃ」
洗面所に入ろうとしていた母ハルミに緊那羅が声をかけた
「あら おはよう」
今から顔を洗うのか母ハルミの手にはタオルがあり前髪がターバンで上げられていた
「そうそう緊ちゃんにお願いがあるの」
母ハルミが洗濯機の上にタオルを置いて歯ブラシを手に取った
「何だっちゃ?」
緊那羅が聞く
「後で京助にお弁当届けてくれないかしら」
クリアクリーンを歯ブラシにつけながら母ハルミが言う
「届ける…?」
緊那羅が首をかしげた
「そうなの。今日から朝の練習もあるらしくてもう出ちゃったのよ~…お弁当忘れて」
母ハルミが苦笑いで言った
「朝も…練習あるんだっちゃ?;」
緊那羅が聞く
「もう来週だからねお祭り…ココの境内でも踊ってくれれば盛り上がるんだろうけど狭いでしょ? 本殿の前の境内と港と…8箇所くらいで踊るらしいんだけど皆楽しみにしてるから先生も気合はいってるんじゃないかしら」
そう言って母ハルミが歯ブラシを口に入れた
「何だか朝の義兄様と緊那羅のあのやり取りがないと変」
悠助を見送った慧喜が玄関先で座ったまま緊那羅を見て言った
「『京助~! 弁当忘れてるっちゃ~!!』『サンキュー!!』っての…」
慧喜が得意の声変えをわざわざ披露して緊那羅と京助のやりとりを真似た
「そんなわざわざ声変えてやらなくても;」
玄関を掃いていた緊那羅が苦笑いをして言う
「だっていつも聞いてたのに無いと本当変」
慧喜が伸びをして言った
「祭りが終わればまたはじまるんだやな」
トテトテと犬が歩いてきて緊那羅の横を通った
「開けて欲しいんだやな」
コマも歩いてきて玄関に下りる
「散歩だっちゃ?」
緊那羅が戸を開けてやると二人 (二匹?)揃って外へと出て行った
「…調子狂った」
慧喜がだら~っと寝そべった
「慧喜…; 下着見えてるっちゃ;」
緊那羅が溜息混じりに言う
「もう少ししたら弁当届けにいくっちゃけど…」
「俺行かない~…」
緊那羅の言葉を最後まで聞かずに慧喜が答えた
昨日夜に通った道を一人歩く緊那羅の手には袋に入った京助の弁当のほかにおにぎりが二つ入っていた
「朝ごはん毎度だけど食べていかなかったんだけど…朝から踊っておなか減ってると思うから」
そういって母ハルミが即座に作ったおにぎりが袋の中でころころ転がる
「さすがハルミママさん…やっぱりわかってるんだっちゃね…京助のこと」
アルミ箔に包まれたおにぎりを見て緊那羅が微笑んだ
「…風が気持ちいいっちゃ~…」
昨日は暗くて見えなかった農道の脇に広がる田植えを終えたばかりの田んぼの中から聞こえるカエルの鳴き声
一本向こうは国道でその向こうに広がるは青から深緑へとグラデーションを作る日本海
その日本海からの風を緊那羅は思い切り吸い込んだ
見上げれば霞の雲とカモメとカラスが青い空を泳いでいる
「…私もここにいたいっちゃ」
足を止め目を伏せた緊那羅が呟いた
「できればずっと…」
プァン!!
「わッ!;」
いきなりしたクラクションの音に緊那羅が驚いて飛びのくと白い軽トラックが緊那羅の横を通り過ぎていった
「…っくりしたっちゃ~…;」
ウインカーを左に上げて国道へと通じる道へと入っていった軽トラックの後ろを見て緊那羅がドキドキと高鳴っている胸をなでおろした
「…もうココにはいないみたい…だっちゃね」
木に飛び乗ってそこから体育館の中を覗き込んだ緊那羅が呟いた
「…だとすると…教室…だっちゃ?」
緊那羅がザッと木から下りて赤レンガ造りの校舎を見上げた
今は生徒が減って使われていない教室が多いのだが正月中学校の校舎はやたらでかくそして古い
「…確か…海に面した方だったはず…」
うろ覚えの記憶を引きずり出しながら緊那羅は歩きだした
所々ひび割れたレンガの校舎に沿って歩くと緊那羅は見覚えある景色に出くわした
「ここ…は…」
懐かしい記憶とスースーした記憶が蘇り緊那羅は無意識に尻を押さえた
「…この階段…登ったら京助の教室わかるっちゃかね?」
片足を階段の一段目に乗せて躊躇いながらもう一段足を進めた緊那羅が上を見上げる
キーンコーンカーンコーン…
ザザザ…という雑音交じりのチャイムが鳴り響くと校舎のほうからガタガタという音やガララという音、そして生徒の声や足音が聞こえてきて緊那羅が後ろを振り返ると廊下には教室から出てきた生徒達が見えた
「京助…は…」
2、3段階段を上がって校舎の廊下に出ている生徒の中に緊那羅は京助を探す
「あれって…ラムちゃんだよね」
理科の教科書とペンケースを持った本間が廊下の窓から外を見て呟いた
「え?」
同じく理科の教科書を持った阿部が本間の声に反応して返事をした
「ほら、あそこ…非常階段のところ」
本間が指差すと阿部が窓に近づいた
「あ…うん…ラムちゃん…だよね?」
窓の鍵を開けて窓を開けた阿部が緊那羅に向けて軽く手を振った
「あ…阿部さん?」
それに気づいた緊那羅が手を振り返す
「どうしたのー?」
緊那羅だと確認した阿部が今度は大声で聞く
「弁当届けにきたんだっちゃー!」
緊那羅が手に持った袋を指差して言った
「…京助にー?」
何か一瞬止まった後阿部が再び緊那羅に聞き返した
「そうだっちゃ!!」
そう言って笑った緊那羅に阿部が複雑そうな顔をして教室の方を見た
「…待っててー!!」
そして緊那羅に一言そう言うと窓から顔を引っ込めた
「京助、ラムちゃん来てるよ?」
教室の中で案の定空腹でヘタレていた京助に阿部が声をかけた
「あ~…? ……緊那羅?」
やる気なさそうに顔を上げた京助が頭を掻きながらしばらく黙り込む
「…緊那羅が来てるってことは弁当じゃないのか?」
坂田が机の中から理科の教科書をペシっと机の上に出して言う
「……!! どこに!?」
坂田のその一言で覚醒したのか京助がいきなり立ち上がった
「非常階段に…」
阿部が言うと椅子を勢いよく倒して京助が猛ダッシュで教室から出て行く
「…空腹は盲目…っと」
坂田も立ち上がると教科書を丸めて持ちのらりくらりと京助の後を追って教室を出た
しばらくして非常階段の緊那羅の元に京助がたどり着いて何やら話しているのを阿部が窓からじっと見ていた
「…怪しいよアンタ」
本間が阿部の尻を叩いて言う
「次!! 理科ッ! 」
阿部が無駄に大声で言う
「そうだけど? だから教科書持ってきてるんじゃない」
それに本間が淡々と返す
「行くよ! 理科室ッ!!」
眉を吊り上げてまたも無駄に大きな声で言った阿部が大股で歩き出した
「…ハイハイ」
本間が溜息をついて阿部の後ろを追いかけた
「サンキュー!! 待ってましたッ!」
緊那羅から奪い取るように袋を取りながら京助が言う
「本当に待ってたみたいだっちゃね;」
緊那羅が呆れたて笑った
「おうよ! おっ! おにぎりもあるじゃん!! さっすが!!」
京助が常階段に腰掛けてアルミ箔に包まれたおにぎりをひとつ手に取った
「ココで食べるんだっちゃ?」
その横に腰を下ろした緊那羅がイソイソとアルミ箔をはがしている京助に聞いた
「ったりまえ!! っただきまーす!」
福神漬けを混ぜ込んだおにぎりに京助がかじりついた
「生き返る~」
口をモゴモゴさせながら京助が心底幸せそうな顔をしたのを見て緊那羅が笑う
「…実にしょっぱい光景だ」
丸めた教科書で肩をトントン叩きながら京助の後を追ってきた坂田が言う
「坂田」
緊那羅が坂田を見て言う
「お前等遠巻きに見ても近くから見ても傍から見ると立派なカップルに見えるぞ」
「ゲッハッ!!;」
坂田の言葉に京助が思い切り咽た
「汚ッ!;」
京助が発射した米粒弾をよけて緊那羅が言う
「ハッハ」
苦しそうに咽ている京助を見て坂田が笑った
「おま…っ;」
緊那羅に背中を叩かれながら京助が口をぬぐう
「うんうんセイシュンIng現在進行形」
腕を組んだ坂田がウンウンと頷いた
「何一人で納得してんだよッ!;」
「京助ご飯粒ついてるっちゃ;みっともない;」
怒鳴った京助の頬についていたご飯粒を緊那羅がヒョイと摘んだ
「…お前な; 馬鹿にされてる片っ端からソレをするか;」
京助の頬についていたご飯粒を持ったままきょとんとしている緊那羅に京助が溜息をついた
「今日も帰り遅いんだっちゃ?」
アルミ箔を丸めて袋に入れている京助に緊那羅が聞く
「本番近いからさ~…遅いと思うぞ?」
坂田が言った
「晩御飯は? 何か持っていくっちゃ?」
「今日も来る気か?;」
立ち上がった緊那羅に京助が聞く
「お前ら冗談抜きで夫婦の会話」
坂田がプッと噴出した
「やかましいッ!!;」
京助が怒鳴る
「来るなっていうなら…いかないっちゃけど…アノ曲もう一回聞きたいんだっちゃ」
緊那羅がボソッと言った
「アノ曲って…ソーラン節か?」
坂田が聞く
「そうだっちゃ。もう一回…というかなんだか…」
緊那羅が口ごもる
「何だか?」
京助が緊那羅を見た
「…吹いてみたい…かなって」
「は?」
頬をほんのり赤くしながら小声で言った緊那羅に京助と坂田が同時に同じトーン同じテンポで声を上げた
「…ソーラン節の…笛か?」
しばらく間をおいて京助が聞くと緊那羅が小さく頷いた
「何でまた…;」
坂田が緊那羅を見る
「何となく…だっちゃけど…でも…」
赤い顔のまま目をそらして緊那羅がボソボソと言う
「…まぁ…いいんじゃねぇ? 見に来るくらい」
「本当だっちゃ!?」
京助が言うと緊那羅が顔を上げてついでに声も上げるとつられたのかなんなのか校舎もチャイムを鳴らす
「うお!; 俺まだ教科書教室じゃん;」
京助が慌てて駆け出した
「6時から体育館でやってるからさ…なんならハルミさんも連れてきてOKだぞ!」
坂田が親指を立てて言う
「聞いてみるっちゃ;」
緊那羅が苦笑いで言った
開けっ放しの体育館の非常口から漏れる明かりで緊那羅の影が地面に映されている
「腰低く!」
相も変わらず気合の入った女性の声が体育館の中に響き鳴子の音と揃った足踏みの音が間隔をあけて聞こえてくる
「今日もきてるね」
本間が阿部に言う
「…だから何よ」
ステージの上で練習風景を見ていた阿部がむすっとした顔で返事をした
「香奈~! いっく~!!」
小走りで女子生徒が近づいてきてステージの上ってきた
「なしたの? 香奈美」
胸に【黒瀬】のネームをつけ香奈美【かなみ】と呼ばれた女子生徒が阿部の隣に腰を下ろした
「先輩をつけろ先輩を」
そう言って香奈美が体育館入り口のほうを見て手を振った
「宮津ちゃんとみかも来たの?」
男子が踊っている中央を避け端を通って女子生徒二人がステージに向かって歩いてくる
「…あれ…? …みかちょっと待ってて」
そのうちの一人が緊那羅のいる非常口へと駆け出した
「やっぱり!」
「へっ?;」
いきなり声をかけられた緊那羅がびくっとした
「金名さん!!」
緊那羅が目を大きくしたまま声の主を見る
「…み…やつさん?」
肩につく軽くウェーブのかかった髪が非常口から入ってくる風にふわっと靡かせた女子生徒が笑顔でうなずいた
「なぁ…ラムちゃん連行されてるぞ?;」
南が体育館の後ろから宮津によってステージにつれてこられた緊那羅を見つけて京助の肩を叩いた
「…何してんだアイツは;」
京助が鳴子で肩を叩きながら口の端を上げた
「緊那羅…女子に囲まれてパラダイスっぽいけど…そうは見えないのはどうしてなんだか;」
中島がステージの上に座らされた緊那羅を見て言う
「うん…違和感まったくねぇな;」
坂田も中島に同意する
「うわー!! 金髪!」
緊那羅の髪を香奈美が触って言う
「どこのクラス? 染めてて怒られないの? 地毛?」
宮津と共に体育館に入ってきた女子生徒も緊那羅の髪を触りながら聞く
「京助のイトコのラムちゃん」
聞き覚えのある声に緊那羅が身を前に倒して右方向を見ると阿部が手を振った
「阿部さん!」
知ってる顔を見たせいか緊那羅の顔が自然と笑顔になった
「今日も練習みに来てたんだ?」
本間がステージから降りて緊那羅の前に立って聞く
「あ…うん」
緊那羅が答える
「で…どうして宮津が知ってたの?」
香奈美が宮津に聞いた
「ちょっとね…」
宮津がふふっと笑う
「そういえばみかと宮津ちゃんはまだ残ってたんだ? 6時過ぎてるのに」
阿部が宮津ともう一人【みか】と呼ばれた女子生徒に言った
「あわせるのに残ってたの」
みかが言う
「あわせ…ああ! そっか!」
阿部が何か思い出したのか声を上げた
「もう日にち無いからね~…っじゃーん!! YOSAKOIソーラン笛~!」
宮津が赤く塗られた和笛を取り出した
「本殿前では生演奏だしね」
みかが言う
「歌は石塚先生が歌うんだよね」
本間が言うと宮津がうなずく
「…どうしたのラムちゃん?」
宮津の持つ和笛をじっと見ていた緊那羅に阿部が声をかけた
「えっ!?; あ…ううん;」
緊那羅が慌てて手を振った
「…吹いてみる?」
宮津がにっこり笑って和笛を緊那羅に差し出した
「え…?」
きょとんとした顔で緊那羅が差し出された和笛を宮津を交互に見る
「あの時の音もう一回聞きたいって思ってたの。あ、コレはフルートじゃないけどね」
そう言って宮津が緊那羅の手に和笛を握らせた
「いいん…だっちゃ?」
緊那羅が躊躇いながら自分の手の中に握らされた和笛を見た
「うん! 私もう一本持ってるし…ねぇ! そうだ!! 金名さんも一緒にどう?」
「へ?」
「宮津!?;」
宮津がパンっと手を叩いて言うと緊那羅は素っ頓狂は声をそしてみかが宮津の肩をゆすった
「お前何考えてんのさっ!; 部外者に…;」
「いいじゃない? 上手なんだよ~」
ガクガクと肩をゆするみかに対し宮津が笑顔のまま言う
「だってお囃子責任者私だもん。あとは先生の許可取ればいいんでしょ?」
宮津がみかの肩を両手で叩いて言う
「…宮津っておとなしそうな顔して結構とんでもないこととかやるよね…」
香奈美があぶら取り紙で鼻の頭をふき取りながら」ボソッと言った
「ラムちゃん笛吹けるの?」
阿部が緊那羅を見て聞く
「あ…うん」
緊那羅が返事をして宮津から渡された和笛に口をつけた
緊那羅が息を吹き込んだ一本の筒から生まれた音が体育館の中に響いた
空に鳴くは白いカモメ
歌うは白波日本海
吹くは潮風、磯の風
その風になびくは大漁旗
引き上げられた網に輝くは鰊の鱗
体育館が一瞬のうちに漁場に変わったよう感覚にその場にいた全員がとらわれた
海が近いといえどもココまで聞こえるはずのない波の音
かつてはこうだったのだと教科書でしか見たことのない鰊で栄えたという正月町の風景
大漁祈願で神社に参る大漁旗を掲げた鰊舟の群
大漁に沸く港…
まるで本当にソーラン節の歌詞の中の情景の中にいるような…
緊那羅が和笛を口から放すと体育館中の視線が自分に集まっているのに気がついた
「あ…;」
真っ赤になった緊那羅が俯く
「…凄い…」
宮津が目をキラキラさせて言った
「凄いよ! 金名さん!! やっぱり一緒にやろうよ!」
緊那羅の手を取って宮津が興奮気味に言う
「ラムちゃんって…歌上手いだけじゃなく笛も上手かったんだ…」
阿部があっけに取られた顔をして呟いた
「あ…でも笛なら迦楼羅のほうが…」
「何? 鳥類って笛吹けるのか?」
言いかけた緊那羅の言葉が京助によって遮られた
「京助」
阿部がいつの間にかステージに上ってきていた京助と3馬鹿を見て言う
「何やってんだお前は;」
京助が軽く緊那羅の頭を小突いた
「思いっきり目立っちゃったね~」
南が笑いながら言う
「ご…ごめんだっちゃ;」
緊那羅が京助に小突かれた頭をさすりながら俯き加減で謝る
「この子京助のイトコなんだって?」
香奈美がかなり短いスカートで足を組みながら聞く
「一応」
京助が答える
「いろんな意味で一応」
「そうそういろんな意味で一応」
「何が何でもいろんな意味でい・ち・お・う」
3馬鹿が腕を組みながら付け足した
「…一応にいろいろがつくの?」
が首をかしげる
「そうそう~もしかしたらイトコより深い仲…」
「えッ!?」
南が笑いながら言いかけるとどこからとも無く聞こえた驚きともなんとも取れるそんな声
「…ばぁか」
その声の主を探してきょろきょろしている面々に対し本間が肘で阿部を突いて呟く
「…;」
阿部が軽く咳をした
「ハイ! 練習再開するよ!」
パンッという一回手を叩く音が体育館に響いた
「さって…いきますか」
京助が伸びをしてステージから飛び降りる
「あ…京助!」
歩き出した京助を緊那羅が呼び止めた
「…ごめんだっちゃ…」
申し訳なさそうに緊那羅が言うと京助はヘッと笑って手を振りまた歩き出した
「ごめんね金名さん; 私が…」
宮津が苦笑いで緊那羅に言う
「そうそう宮津が悪い」
みかがしれっと言う
「あ~あ…ほら京助囲まれて質問攻め受けてるんじゃない? アレ」
香奈美が顎を手に乗せて指差す方向には浜本を筆頭に京助に群れている男子群
「きっと【彼女?】とか【誰アレ】とか聞かれてんだね」
みかが言うと阿部が密かに膨れる
「…顔に出てるよ」
そんな阿部の頬を本間がつついた
「今日のアレも宝珠だかいうソレの力なのか?」
3馬鹿と別れた帰り道で京助が緊那羅に聞いた
「アレ?」
緊那羅がきょとんとして聞き返す
「なんつーか…海?; 海っていうか…港にいるような…」
京助がどもりながら言う
「…わからないっちゃ; …そう…なのかな;」
緊那羅が右腕についている宝珠を見た
「わかんねぇって…自分で持っててわかんねぇのか?;」
京助も宝珠を見た
「うん;」
緊那羅が苦笑いをする
「…で? どうすんだ?」
「へ?」
京助が聞くと緊那羅が素っ頓狂な返事をした
「お前誘われたんだろ?笛吹かないかって」
京助が言うと緊那羅が思い出したように『ああ!!』という顔をした
「丁度いじゃん」
「え?」
京助が笑った
「吹きたかったんだろ? 笛」
足を止めて京助が言う
「でも…」
緊那羅が俯く
「やりたいことはやるべし!! やらずに後悔よりもやって後悔の方が何となく俺は好きだ」
京助が言った
「…何だっちゃソレ;」
緊那羅が呆れ顔で京助を見た
「俺の考え」
京助がヘッと笑う
「ま…お前がやりたいならやればってことだ」
そう言うと京助がまた歩き出した
「いいんだっちゃ?」
緊那羅が少し大きな声で聞く
「お前がやりたいなら俺は止めねぇし?」
歩きながら京助が言う
「…吹きたいんだろ」
歩きながら振り向いた京助が笑いながら言った
「…うん!」
緊那羅が強く頷く
「京助!」
遅れていた距離を駆けて緊那羅が京助に追いつく
「ありがとうだっちゃ」
そして満面の笑みでお礼を言った
「…何が;」
どうして緊那羅がお礼を言ったのかわからない京助が聞く
「何でもだっちゃ」
緊那羅が嬉しそうに笑って石段を駆け上った
「あ、おかえり京助~緊ちゃんも」
茶の間の戸を開けると慧喜の膝に上半身を預けた悠助が言った
「…なんだっちゃソレ…」
テーブルの上におかれたピンクの紙で作られた花が三枚ずつついた緑色の棒飾りを見て緊那羅が聞く
「コレは祭りの時に玄関ントコに飾る花」
ヒョイとソレを持ち上げて京助が緊那羅に言う
「…コッチは?」
そしてその隣に畳まれていた濃い紫色の布を指差す
「コレも玄関に飾るヤツ」
京助が言う
「いろいろあるんだっちゃね」
緊那羅がしゃがんで棒飾りをまじまじと見る
「準備もイロイロあるけど当日とかもイロイロあるんだぞ」
京助が座って靴下を脱いだ
「京助臭い~」
悠助が脱ぎ捨てられた靴下を見て言う
「ウ~ラウラ」
そんな悠助に京助がわざと靴下を近づけた
「義兄様汚いッ!;」
慧喜が悠助を庇いながら言った
「…イロイロってたとえば何があるんだっちゃ?」
緊那羅が京助の靴下を片方拾いながら聞く
「緊ちゃん汚いよう;」
悠助が緊那羅に言うと緊那羅が苦笑いを返した
「後で手、洗うっちゃ」
京助に手渡されたもう片方の靴下を畳み込んで緊那羅が言う
「神輿あり~の旗持ちあり~の…後はヨサコイだろ~鼓笛隊に~…天狗行列に漁業青年部の何か出し物とか宝引きとか…」
京助が【イロイロ】を指折り上げていく
「沢山あるんだね」
慧喜が悠助の頭に顎を乗せながら言う
「僕のうちにも旗が立つんだよ~おっきなの」
悠助が楽しそうに言う
「まぁウチも一応神社だしな」
そう言いながら京助は制服を脱ぎ始めた
「お店屋さんも沢山来るんだ~! 僕クレープと綿飴と型抜きやるんだ~!」
悠助が笑う
「京助制服しわになるっちゃ;」
脱ぎ散らかされた制服の変わりに干してあった洗濯物のTシャツと短パンを身につけた京助に緊那羅が言う
「緊那羅が義兄様甘やかすからいけないんだよ」
慧喜が言う
「…慧喜ほどではないと…;」
悠助を一向に放そうとしない慧喜を見て緊那羅がボソッと言った
「浴衣着ていこうかな~」
悠助が心はすっかり祭りですというカンジで言う
「浴衣?」
慧喜が悠助に聞く
「うん!! 慧喜も着たいならハルミママに言ってみる?」
悠助が慧喜を見上げて言った
「うん!!」
慧喜が悠助を抱きしめる
「楽しそうだっちゃね」
緊那羅が京助の脱いだ靴下と制服のワイシャツを手に持って立ち上がった
「楽しくなきゃやらんて」
京助が新聞を広げて言う
「楽しいよ~! 僕今年から神輿担げるんだ~」
悠助が言うと緊那羅が微笑んで茶の間から出て行った
「…ずるいですわ」
洗濯機に京助の脱ぎ捨てた靴下とワイシャツを入れていた緊那羅が背後からのオドロオドロした空気に身をすくませた
「ひ…ヒマ子さん?;」
振り向くとソコには柱の影から顔をのぞかせた真夏の妖精ヒマ子 (年中咲きっぱなし)
「本当なら!! 本当なら私が!! 私がその京様のお脱ぎになった衣類を洗濯して! 着せて!! 膝枕等をいたしますのに!!」
ヒマ子が葉を上下に振って言う
「や…あの…私はただ…;」
緊那羅が困ったように両手を振った
「ただなんですの!? しかも緊那羅様ったらここ数日夕食前になると外出なさって帰宅時はいつも京様とご一緒じゃありませんこと?!」
葉を緊那羅にずいっと突きつけてヒマ子が言う
「それは…;」
緊那羅が後ろに反りながら苦笑いをする
「キ------------------------!! 夏は私の季節なんですのよ!?」
何処から取り出したのか可愛らしいワンポイントの刺繍がしたハンカチを噛んでヒマ子が叫ぶ
「……;」
もはやこうなってしまっては手に負えないと察した緊那羅はただ黙ってハンカチを今にも破りそうな勢いで噛むヒマ子を見ていた
「私がッ! 私が緊那羅様のような人間でしたらこうはいかなかったですわ!! ええ! そうですとも!!」
ヒマ子が緊那羅に言う
「…え?」
その言葉に緊那羅が止まった
「私…みたいな…?」
緊那羅が聞き返した
「そうですわ! 不利ですわ!! 明らかに私の方が不利ですわ!!」
ヒマ子が葉で緊那羅をペシペシと叩きながら言う
「…私…の様にはならない方がいいっちゃよ」
緊那羅がヒマ子の葉を軽く掴んで呟いた
「…きっと私の様になりたいなんて思わない方がいいっちゃ…」
そして顔を上げた緊那羅が泣きそうな笑顔をヒマ子に向けた
「…緊那羅様…?」
葉を放されたヒマ子が緊那羅を見る
「それにヒマ子さんは今のままの方が私は好きだっちゃ」
さっきとは打って変わっての笑顔を緊那羅がヒマ子に向けた
「な…なんですの!?; いきなり何を…!;」
ヒマ子が照れたように慌てて緊那羅から放れた
「何騒いでんだお前らは;」
肩にバスタオルを担いだ京助が洗面所の暖簾を上げて顔を出した
「京様---------------!!」
途端に上がるヒマ子の歓喜の声
「やかましい; …風呂はいりたいんだけど」
脱衣籠を出してバスタオルをその中に入れた京助が緊那羅とヒマ子を見た
「私に構わずどうぞお脱ぎになってくださいませ」
ヒマ子が京助のシャツに手をかけた
「俺が構うんだよ; 出てけ;」
京助がヒマ子の引っ張っていたシャツを逆に引っ張ってヒマ子の背中を押した
「んもう京様ったら照れ屋さんなんですから」
ヒマ子が京助に向けて投げキッスをした
「…照れ屋なら皆がいる前で着替えたりしないと思うっちゃ;」
閉められた洗面所の戸を見て緊那羅が呟いた
「ヒマ子さんは本当京助が好きなんだっちゃね」
ゴトゴト鉢を引きずって縁側にたどり着いたヒマ子に緊那羅が言う
「当たり前ですわ!! そうでもなければ操を立てたりしませんもの!!」
ヒマ子がきっぱり言い切ると緊那羅が笑う
「緊那羅様はどうなのですか?」
縁側から庭に降りる時用にと取り付けられた板の上をゴトゴト渡りながらヒマ子が緊那羅に聞く
「私は…好きだっちゃよ」
緊那羅が縁側に腰掛けて答えた
「ソレはどんな風に好きなんですの?」
ヒマ子が緊那羅の前に立って静かに聞いてきた
「…ただ…好きじゃ駄目なんだっちゃ?」
緊那羅がふっと笑うとヒマ子が頷いた
「私の好きは…正直私にもわからないっちゃ」
少し冷たい夏の浜風が緊那羅の髪をなびかせた
「でも好きには変わりないっちゃ…だから守りたい」
緊那羅がそう言いながらヒマ子に笑顔を向けた
漁師さんの作業小屋やいたるところに貼られた手書きの文字だけの告知ポスターによって祭りムードが高まっている正月町
「小島さきえって誰だよ…;」
そのポスターに書かれていた多分駆け出しの演歌歌手らしい人物の名前を見て中島がボソッと言う
「同じインディーズならレトロ本舗とか呼んでほしいよねぇ」
南が手を腰に当てて苦笑いをする
「爺婆ノリノリすぎて救急車沙汰になるだろうが;」
坂田が南に突っ込んだ
「そういやお前ら御輿と旗持ちどっちにでるんだ?」
京助が3馬鹿に聞く
「俺御輿」
坂田が挙手して言う
「俺も」
中島も手を上げた
「俺も今のところ御輿かな」
南も言った
「…全員御輿かよ;」
京助が口の端を上げて笑った
「まぁ男子は基本的御輿だろうよ」
中島が言う
「制服でひたすら練り歩くより半纏着てハッチャけてた方が祭り祭りしてていいじゃん」
坂田が歩き出した
「それもそうそう」
南も足を進める
「にしても私服で学校来るって何だか変な感じ~」
校門をくぐったところで南が言う
「緊那羅もいるってのが更に変な感じ~」
坂田が京助の後ろを歩いていた緊那羅を見た
「え?;」
緊那羅がきょとんとして坂田を見返す
「一組のカップル見ているみたいで何だか変な感じ~」
中島が言うと京助が中島のハラに勢いよくブッチャーをかます
「祭りって準備期間があってこその祭りだよねぇ~文化祭といい体育祭といい地区祭りといい…準備期間のほうが燃えるのはどうしてなんだろうねぇ」
生徒玄関を開けながら南が言う
「いつもなら休みの日に学校集合とか言われたらバックレ上等な気分になるもんな」
京助が自分の靴箱の前で靴を脱ぎ始めた
「そうそう!」
南が嬉しそうに京助を指差して言う
「不思議だよナァ…祭りパワー」
下駄箱の前に敷かれたスノコの上に上靴で上がった坂田が爪先をトントン打ち付けて上靴を履く
「あ、緊那羅はスリッパいるよな~…職員玄関から借りてくるわ」
一足早く上靴を履きおえた中島が緊那羅を見て言った
「頼んだ中島」
京助が言う
「このお礼は午後からの暇つぶし場所提供でチャラな」
中島が京助に言った
「ヘイヘイ;」
京助がヒラヒラと手を振った
「凄い凄い!!」
青いTシャツを着た宮津が黒い和笛を片手に手を叩く
「ほぉ~…いい音出すな」
白髪の男性教員が感心した声を出した
「ね? 石塚先生凄いでしょ?」
赤い顔をして和笛を握り締めた緊那羅の肩に手を置いて宮津が石塚先生に笑顔で言った
「笛は自分で?」
石塚先生が緊那羅に聞く
「あ…えと…迦楼羅から…;」
緊那羅が慌てて答えた
「君の腕も大したものだがそんな君に教えたその迦楼羅とか言う人も凄いんだろうな」
石塚先生が頷きながら言った
「そういえば君の名前はまだ聞いてなかったな。俺はここで音楽を教えている石塚というものだ」
石塚先生が握手を求めるように右手を差し出して名乗る
「あ…私は緊那羅…だっちゃ」
その手を握り返して緊那羅も名乗った
「にしても金名さん…ラムちゃんでいい? ラムちゃんってここの生徒じゃなかったんだね」
宮津が緊那羅にささやいた
「あ…うん;」
緊那羅が苦笑いを宮津に向けた
「きなさい皆に紹介するから」
石塚先生が手招きをして緊那羅と宮津を呼んだ
「はいこれ京助と坂田達の分」
阿部が綺麗に畳まれた色とりどりの半纏を四枚京助に手渡した
「ヒョー!! 来た来たッ!! コレ見ると祭り~! って気分になるよなぁ」
中島が一番上の半纏を手にとって広げる
「何を言う!! 俺等は年中脳内お祭り精神だろう!!」
南が中島に突っ込みながら言った
「そうだ!! お祭りファイヤー!!」
坂田が鳴子を高らかに掲げて叫んだ
「ファイヤ--------------------------------------------!!」
坂田につられたのか祭りのせいでテンションが高くなっているのか半纏を着込んだ男子が声を合わせて叫んだ
「祭りばんっざいッ!!」
「イェ-----------------------------------------------イ!!」
京助も言うとそれにまたも男子生徒が続いて叫んだ
「ヨシ!! 気合は合格!! 早速はじめるよ!!」
いつもの気合の入った女性の声が体育館に響いた
「いくぜ------------------------ぃ!!」
一人の男子生徒がが叫ぶと男子生徒全員が声をあげ一斉に走り出して踊りの開始位置に立った
【燃焼系アミノ式】の文字が書かれた段ボール箱に油性マジックで書かれた【ヨサコイ備品②】の文字を外側にして坂田がトラックの荷台にいた男子生徒に手渡す
「コレで最後だな」
男子生徒がそう言って段ボール箱を重ねた
「じゃ今日は夜に備えてコレで解散! 夜宮だからって浮かれて怪我しないように」
女性の声に各々返事を返して男子生徒が散っていく
「いや~…腹減った」
京助が伸びをして言う
「帰りになんか買ってく?まだまだ夜宮開始時間には結構あるし」
南が自転車置き場から愛車【ニボシ】に乗ってやってきた
「今日の予定~提案あるヤツ挙手」
中島が言う
「まずはとりあえず京助ン家いって…今日は本殿前で一回踊るのに7時集合だろ? それまでは…やっぱ京助ン家?」
坂田が京助を見た
「ヘイヘイ; まぁウチに来たって準備手伝わされたりする可能性が大きいぞ?」
京助がヘッと笑って言う
「なんたっていつも手伝ってる緊那羅…アレ? 緊那羅は?」
京助が姿の見えない緊那羅を探してあたりを見渡した
「あ、いたいたアソコ」
南が指差した体育館の方を見ると緊那羅が誰かに手を振って小走りでやってきた
「お疲れさん」
坂田が緊那羅に言う
「あ、うん」
緊那羅が笑顔で返事をした
「靴持ってきてやったからこっから履いて帰るべし? スリッパソコにおいて」
京助が緊那羅の靴を置いた
「ありがとだっちゃ」
緊那羅はその靴を少しよろけながら履くと爪先をトントンとして足にあわせる
「なんつーか…溶け込んだな緊那羅」
坂田が緊那羅に言った
「よかったじゃん」
京助が笑いながら言う
「前に来た時はただ京助について歩いてただけだったしな」
中島が歩き出した
「学校って…なんだか楽しいっちゃね」
緊那羅が体育館を見上げて言う
「勉強さえなきゃな」
京助が言うと3馬鹿が【まったくだ】という感じで頷ずくと正午を告げるサイレンが正月町に鳴り響いた
「ひ~る~」
そのサイレンにあわせて坂田が叫ぶ
「は~らへ~り~!!」
それに京助も続く
「…やっぱ何か買っていかね?;」
中島が自分の腹を押さえて【ちょいと】という風に手で合図する
「じゃ梅田商店に寄りますか」
京助がTシャツの袖を捲り上げて肩を出しながら言った
バサバサと白い布が青い空に靡く
「…遅いな…」
低くも高くもない声で誰かが呟いた
白く靡いていた布から黒い手がスッと伸び指で宙に何かをなぞるとまた白い布に手を隠す
宙に生まれた黒い玉が何かを探すように飛んでゆく
風に乗って聞こえてくる演歌がかすれかすれに正月町に響いていた