【第六回・弐】感情性長期
阿部の家にいるという悠助を迎えにいく京助と緊那羅
途中 緊那羅が嫌な予感を感じて走り出した
「雪止んだけど寒いねー…ラムちゃん大丈夫? 寒いの苦手なんでしょ?」
除雪車が入ったのか車道の雪が歩道の方に押しやられて人がやっと一人歩ける間隔の道を京助と阿部と緊那羅が一列になって歩いている
「あ…うん大丈夫だっちゃ」
声を掛けてきた阿部に緊那羅が笑顔を返した
「悪かったな阿部」
京助が阿部に言った
「いいのいいのアタシ一番下だから悠の気持ちもわかるし…それに…」
そう言って後ろを歩いている緊那羅を阿部はチラッと見た
「…なんでもない」
途中まで言いかけた言葉を切った阿部に首を傾げつつ京助は【しばのストアー】と書かれた看板が立っている曲がり角を曲がった
「…緊ちゃんは?」
確かに聞こえたのは緊那羅の声だったはずなのにいるのは緊那羅ではなく見たことのない人物で悠助は緊那羅の姿を探す
「緊那羅はいないよ」
クスっと笑った人物を悠助がきょとんとして見上げた
「でも緊ちゃんの声が…」
悠助が言うと
「聞こえたの? …こういう風に?」
笑った口元から発せられた声がグラデーションのように緊那羅の声に変わっていく
「…え…?」
わけがわからないという顔をして悠助が立ち尽くす
「初めまして俺は慧喜…」
そして再び元に戻っていく声
「特技は声真似」
そして今度は京助の声に変わる
「…悠」
京助の声で呼ばれて悠助がピクっと反応する
「俺はお前いらないんだ」
悠助の両手がだらんとなった
「きょう…すけ?」
頭では慧喜が言っているということはわかっているのに心では京助から言われた様な気がした悠助がそのまま慧喜を見つめる
「…俺の大事な人たちを俺から取った…」
京助の声から慧喜の声に変わった
「どう? 大好きなお兄さん京助にいらないっていわれた気分」
満面の笑みを浮かべて慧喜が悠助に近づいた
「嫌だよね? 俺も嫌なんだ」
そして慧喜はしゃがんで悠助と目線をあわせた
「俺は悠助、アンタも嫌いだけど京助も嫌いなんだ」
慧喜が焦点のあわない目をした悠助の頬を撫でた
「だから…」
顔を近づけ悠助の唇に慧喜が唇をつけた
「二人ともいらないんだよ」
しばらく口付けた後 慧喜が口の端を上げて微笑んだ
「…慧喜さんは外国人なの?」
悠助の突拍子のない質問に慧喜が目を丸くした
「外国の人ってちゅーが挨拶なんだよね?」
悠助が慧喜を見て笑う
「…違うけど…っていうか…アンタ今の状況わかってる?」
慧喜がにっこり微笑んで言った
「慧喜さんは物まねが上手い?」
「……なんなんだよ;」
首をかしげながら言った悠助の言葉に慧喜が顔を引きつらせる
「あのねぇ…俺は! アンタとアンタの兄さんが邪魔なの」
「? うん」
慧喜が一言一言を区切りながらやたら大きな声で悠助に言う
「だーかーら! いらないの! わかる?」
【だーかーら】の三言葉を言いながら慧喜が同じ回数同じリズムで指で悠助の鼻を押した
「でも僕 慧喜さん邪魔じゃないよ?」
悠助が首を傾げつつ言うと慧喜が頭に手を添えて俯いた
「…アンタ…馬鹿」
ボソッとそういうと慧喜がいきなり顔を上げた
「俺はアンタが邪魔なんだって! アンタが俺をどう思っていようがいいけど! 俺は! アンタが邪魔でいらないのッ!」
慧喜が怒鳴った
「わかる?」
再び笑顔で悠助に聞くと悠助が笑顔で首をかしげた
「……」
慧喜が溜息をついて悠助の顔から目を逸らすとこぶしを作ったまま微かに震えている悠助の両手が目に入った
「…なぁんだ…ちゃんと怖いんじゃない」
慧喜が呟き口の端をあげて笑うと立ち上がった
「怖いときは怖いと思っちゃいけないとか言われたりした?」
悠助の体がピクッと反応した
「大好きなお兄さんに? それともお母さん?」
慧喜の声が聞き覚えのある声に変わっていく
「僕は京助が大好き」
慧喜の声が悠助の声に変わった
「でも京助は僕が要らないの」
慧喜が悠助の声で悠助の耳元で囁いた
「ちが…!」
慧喜を押しのけた反動で悠助が尻餅をついた
「違わないよ? だってこんなに待っているのに京助こないじゃない?」
クスクスと笑いながら慧喜が悠助の声で言う
「来ないのはもう必要ないから」
今度は悠助の声から京助の声に変わっていく
「要らないから来ないんだよ」
「違うもん! 違うもんッ!!」
慧喜が京助の声で言った言葉をかき消そうとするかのように悠助が大声を上げる
「違わない」
今度は緊那羅の声で慧喜が言う
「いや…だぁ…っ」
悠助が耳を押さえて膝を抱えた
「…僕はもう誰にも必要とされていないんだよ」
悠助の声で慧喜が囁き悠助の頭を撫でた
「僕…」
悠助がゆっくり顔を上げながら呟いた
「…もう…いらないの?」
焦点の合わない目のまま小さく言った悠助の耳元で慧喜京助の声で囁いた
「そう…いらないの」
悠助の鼻から鼻水が少し垂れてきた
そんなに強くない風が吹くと緊那羅が足を止めた
「…悠助…?」
緊那羅が呟くとさっきより強い風が吹き電線が泣き声のように鳴った
「ラムちゃん?」
阿部が数歩戻って緊那羅に声を掛けると緊那羅がいきなり走り出した
「ちょ…おい!! 緊那羅!!;」
おそらく全力疾走しているのであろう超特急の緊那羅の後を追いかけて京助も走り出す
「な…なんなのよッ!;」
置いていかれまいと阿部も走りにくいブーツで走り出した
「嫌な…予感がするっちゃ」
呟きながら緊那羅はジャンプして平屋の屋根に乗ると再び走って次はその後ろ隣の二階建ての家の屋根へと飛び移る
いくら運動神経のいい京助でも緊那羅の真似はできないらしく緊那羅の行く方向に続いていそうな道をひた走り緊那羅について行く
「もーーッ!;」
阿部も必死で二人の後を追いかける
「寒中マラソンかい?」
途中雪かきをしていたおっさんに声をかけられたが返事を返す暇がなく片手を上げて対処した
何軒目かの家の屋根に着地して緊那羅が止まり下を見下ろすとそこには小さな足跡ともう一つの足跡が残っていた
「…悠助」
はぁと緊那羅が息を吐くとその息は白く残ってそして消えた
緊那羅が屋根から飛び降りてその足跡に近づき辺りを見渡した
「お前;アレは反則;」
追いついてきた京助が緊那羅の肩を叩いて言った
「ごめんだっちゃ;…それより…」
苦笑いで謝った緊那羅が残っていた足跡に再び目を向けた
「…悠助の足跡と…」
緊那羅がしゃがんで小さい方の足跡に手を乗せた
「何よ; アタシん家じゃない;」
息を切らせてやっと阿部がやってきた
「じゃぁこの足跡は阿部のか?」
京助が悠助の足跡ではない足跡を見て阿部の足元を見る
「え? アタシ?」
阿部も京助に釣られたのか自分の足元を見た
「違うっちゃ…阿部さんじゃない…」
明らかに残っていた足跡と阿部の足跡は異なっていた
「っていうか…変じゃない? この足跡…歩いた形跡ないよ?」
阿部が足跡を見て言うと緊那羅と京助も足跡を見る
「本当だ…ここだけ…」
京助が言う
「お母さんかなぁ…でも今日仕事のはずだし…」
阿部が二人を横切って家の戸へと歩いていく
「おい阿部あんま…」
京助が阿部に声を掛けようと顔を上げて止まった
「…京助?」
京助の言葉が途中で止まったのを不思議に思い緊那羅が京助を見ると京助はどこかを真っ直ぐ見たまま止まっていた
「……?」
首をかしげながら緊那羅が京助が見ている方向に体ごと向けた
「…阿部さん…?」
ついさっきまでそこにいた
ついさっき自分たちの横を通った阿部の姿は何処にもなかった
家まで後数歩というところで足跡は消えていた
「阿部!」
京助が戸口に走り戸を開け玄関に入ってみるが家の中に人の気配はなく玄関にも靴はない
「阿部ッ!!おいっ!」
家の中に向かって京助が阿部を呼ぶが返事はない
「…マジかよ…」
京助が呟いた
「…慧喜…」
緊那羅が思い出して言う
「なぁに?」
その瞬間 緊那羅の耳元で聞こえた悠助の声に緊那羅が一歩後ずさって振り返る
「よくわかったね俺だって」
悠助の声から慧喜自身の声に変えながら慧喜がクスクスと笑った
「阿部さんは関係ないっちゃ」
慧喜に横抱きされて気を失っているらしい阿部を見て緊那羅が慧喜を睨みながら言った
「そうだね関係はない…けど」
「あ」
京助が小さく声を上げた
慧喜が気を失ったままの阿部に口付けてそしてにっこりと笑った
「キス魔…」
ぼそっと京助が呟く
「使えそうだったから」
阿部の声で慧喜が緊那羅に言う
「…悠助はどこだっちゃ」
緊那羅の手にはいつの間にか武器笛が握られていた
「やだな…そんな怖い顔しなくてもいいでしょ?」
慧喜が阿部を地面に寝かせ緊那羅と向き合う
「悠はどこだよッ!」
京助が慧喜に大股で近づきながら言った
「京助!」
緊那羅が京助を呼び止めようと名前を呼ぶ
「うるさいなぁ…そこにいるじゃん」
慧喜クイッと顎で差した所に悠助が蹲っていた
「悠!」
電信柱にもたれかかるようにしている悠助の元に京助が駆け寄るのをみて緊那羅が安堵の息をついた
「おい! 悠!!悠! …栄野悠助君ッ!!」
京助が悠助の名前を呼びながら肩を叩いて体を揺するが悠助は返事をしない
「…悠…?」
顔を覗き込むと赤くなった目がうつろにどこかを見ている
「悠ってばッ!」
京助が悠助の目の前に手をかざし上下に動かすが悠助は返事をしない
「悠助に何したんだっちゃ!」
緊那羅が慧喜に向かって怒鳴った
「何も?」
いつの間に取り出したのか三又鈎をブンっと振って慧喜がしれっとした顔で言った
「ただ俺の特技を披露しただけだよ」
慧喜がにっこり笑って自分の喉を指差した
「こうやって」
慧喜が緊那羅にすばやく近づいて耳元で何かを囁くと緊那羅が真っ赤になった
「な…ッ!」
耳まで赤くなった緊那羅が腕で顔を隠そうとするのを見て慧喜が笑う
「面白いね」
慧喜は京助の声で何かを言ったらしくその名残が言葉に出ていた
「…何言われたんだ?;」
悠助を背中に背負った京助が緊那羅に聞いた
「…っ…;なんでもないっちゃッ!; 危ないからはなれてッ!;」
シッシッと追い払うようなジェスチャーをしながら緊那羅が言う
「本っ当…純だよね緊那羅は」
ふわっと慧喜の頭の布が風に靡いた
「からかいがいがあるというか…」
緊那羅がまだ赤い顔のまま慧喜に目を向けた
「でも…少しは汚れた方強くなれるって知ってる?」
目は笑ったまま笑っていない慧喜の口から出たどことなく悲しそうなその言葉
「言うでしょ? 綺麗なものほど壊れやすい…って」
そう言いながら慧喜が京助に背負われている悠助を見た
「簡単だったよ…すぐに壊れてくれた…ソレだけ綺麗だったんだ」
京助が悠助を見た
「心がね」
意識があるようでないような悠助は京助の背中でまだうつろな目をしたままピクリとも動かない
「一言二言言っただけで…壊れたんだから」
三又鈎を立てて慧喜が微笑んだ
「悠助…」
緊那羅が京助に背負われた悠助に近づいて悠助の髪を撫で上げる
「目…真っ赤だちゃ…」
少し腫れた悠助のまぶたをそっと撫でて緊那羅が呟いた
「帰ったら冷やさないと駄目だっちゃね…悠助」
何を話しかけても何も返事をしない悠助にそれでも緊那羅は話かけ続ける
「ごめんだっちゃ…ごめん…」
悠助の頭に自分の頭を付けて緊那羅が悠助に謝った
「無駄だよ心はもう…」
慧喜がにっこり笑いながら言うと京助が慧喜を睨んだ
「何その目…ムカつくな」
慧喜の目つきが変わった
「俺もお前のことはがっぺんムカつく」
京助が言うと慧喜が京助を睨む
「あまりにもムカつきすぎて方言なまりで言っちゃいますが」
ヘッと京助が口の端をあげた
「京助…悠助降ろして欲しいっちゃ」
緊那羅が京助に言う
「へ? あ…あぁ」
一瞬にして摩訶不思議服になった緊那羅が京助の背中から悠助を抱き上げる
「無駄だと思うけど?」
慧喜が履き捨てるように言った
「いくら宝珠をもらって力がついているとしたってまだまだ完璧な宝珠じゃないんだから」
くすくすと慧喜が笑う
「お前少しだーっとれ」
京助が慧喜に向かって言った
「…悠…悠ごめんな…」
京助がしゃがんで緊那羅の腕に抱かれている悠助に謝った
「自分の心配したら?」
慧喜が三又鈎を持ち直し京助に向ける
「緊那羅には三人いっぺんに守れるような力はまだないと思うし?」
慧喜の足元で気を失っている阿部と京助、悠助で三人
その三人を順番に見て慧喜が笑う
「さぁどうする?」
「こうします」
慧喜)の声の後半部分と誰かの声が重なった
「乾闥婆!」
阿部を抱えて乾闥婆がにっこりと (怖い)笑顔を慧喜に向ける
「相変わらず自我が強いようだな慧喜」
風が起きて迦楼羅が空から降りてきた
「…迦楼羅…乾闥婆…」
慧喜の目つきが変わった
「3対1って卑怯だと思うんだけど」
三又鈎を構えて慧喜が迦楼羅を睨む
「ワシが…」「僕がお相手します。1対1なら文句はないでしょう?」
迦楼羅の言葉を遮って乾闥婆が言った
「…乾闥婆…; ワシの見せ場…」
迦楼羅が不満そうに言うと乾闥婆がにっこりと (怖い)笑顔を迦楼羅に向けた
「迦楼羅は京助達を御願いします」
乾闥婆は阿部を京助に受け渡すと慧喜に顔を向けた
「…ご近所にご迷惑かけない程度にな?;」
阿部を受け取りながら京助が乾闥婆に言った
「一応気をつけます」
京助の言葉に笑顔を返すと乾闥婆が足を前に進めた
「…栄野弟…」
迦楼羅が緊那羅に抱かれている悠助を覗き込んだ
「……」
しばらく無言で悠助を見た後 迦楼羅が悠助の手を撫でその手を自分の額に付ける
「…もう沢山だ…」
誰にも聞こえないような小さな声で迦楼羅が呟いた
赤く腫れた目は今だ何を見ているのかわからないままの悠助を抱えたまま緊那羅が小さく歌いだした
阿部を抱えたまま京助も緊那羅に近づき悠助を覗き込む
心なしか緊那羅の周りの空気が暖かく感じられる
ゆっくりと悠助の頭を撫でながら悠助に語りかける様に緊那羅が歌う子守唄にも似た優しい歌
やっぱり何を歌っているのかわからないのだけれど何故か懐かしく何故か癒されるその歌
「ん…」
京助に抱えられていた阿部が小さく体を動かした
「阿部…?」
京助が阿部の名前を呼ぶと阿部がうっすらと目を開けた
「…きょう…すけ?」
京助を見上げて阿部が呟く
「…アタシ…」
頭の中がまだ整理できない阿部がボーっとしたまま何かを思い出そうとしている
「歌…?」
緊那羅の歌が聞こえ阿部が緊那羅を見る
「…! そうだ! アタ…!!!」
何か思い出したらしく京助にその思い出したことを言おうとして阿部が真っ赤になった
「な…降ろしてッ!;」
京助に抱えられていることに気付き阿部が怒鳴った
「ヘイヘイ;」
溜息をつきながら京助が阿部を降ろすと阿部が赤くなりながらもスカートの裾を直す
「…ありがと…重かったでしょ」
阿部がポソっと言った
「別に? ってかお前いい匂いするな~…香水とか付けてるのか? やっぱ」
京助が笑いながら言うと阿部が更に赤くなった
「お久しぶりです」
乾闥婆がにっこりと慧喜に笑顔を向けた
「こんなことをして…これは貴方の単独判断と…見られるのですが?」
乾闥婆のその言葉に慧喜がピクッと反応した
「…貴方達にとっても僕達にとっても【時】までは栄野兄弟という存在を傷つけるということはあってはならないはずなのですが?」
乾闥婆の周りの空気が変わる
「…あぁでも俺は知ったこっちゃない…あの方達の興味を惹いている、それが嫌なだけ」
慧喜が言う
「だからいらない」
そう言いながら地面を蹴り上げると慧喜が三又鈎を乾闥婆めがけて振り下ろした
「とんだ我侭ですね」
薄水色の布が宙を舞い電信柱の上に乾闥婆が着地した
「あいつ等がいなくなれば俺だけの方達に戻るんだ!」
体勢を立て直した慧喜が再び三又鈎を構え乾闥婆に向ける
「空中ビックリショー…」
乾闥婆と慧喜の戦いを見ている京助がボソッと呟いた
「なん…なの…?;」
京助の後ろでどう考えてもおかしい事続きのことを目にしていた阿部がさらに混乱しつつ呟く
「どうしてあんなに飛べるの!? どうしてあんなでっかいの持ったまま…」
阿部が【どうして】を繰り返しながら京助を揺する
「落ち着け娘」
迦楼羅が阿部に言う
「巻き込んで悪かったな阿部」
京助が苦笑いで阿部に言った
「…ねぇ教えて何が起こってるの? 京助と悠助って…この子やラムちゃんって…」
阿部が真顔で京助を見つめた
「いや、俺もよくわからんのだけど…;」
京助が頭を掻きつつ迦楼羅を横目で見た
「この子とはワシのことか?; …まぁいいだろう; …【時】だ」
迦楼羅が京助と阿部に向かって言った
「【時】…って一時二時とかのあの?」
阿部が首を傾げた
「あ~…; …とにかくだな栄野兄弟は……;」
迦楼羅が懸命に言葉を捜している
「…お前説明するのヘタだろ」
京助が突っ込んだ
「なっ…!;」
迦楼羅が図星だったらしく少し顔を赤らめた
「そういやいっつも乾闥婆がフォローしてたもんなぁ…」
口の端をあげて京助が【へッ】と笑った
「阿吽の呼吸っての? ナイスコンビネーション?」
京助が笑いながら言う
「…ワシと乾闥婆がか?」
迦楼羅が京助に聞いた
「他に誰と誰がいるっつーんだよ」
京助が返すと迦楼羅が少し俯いた後どこか悲しげにでもどこか安心した様な笑みを浮かべて乾闥婆を見て
「…そうか…」
小さく呟いた
「逃げてばっかじゃ駄目だと思うんだけど」
三又鈎をクルっと回して慧喜が乾闥婆に言った
「無駄な争いごとは嫌いなんです」
乾闥婆がにっこりと笑った
「…つまらないんだけど」
慧喜が溜息をついて言う
「なら帰ったらどうです?今ならまだ…」
「じゃぁこうやったら戦いたくなる?」
乾闥婆の言葉を遮って慧喜がゆっくり口を開いた
「沙紗…」
慧喜が声を変えて言った言葉に青い大きな目が慧喜を見たまま動かなくなる
「ぁ…」
カタカタと震えながら乾闥婆はその場に座り込んだ
「…ど? 懐かしいでしょ」
慧喜がにっこりと笑いながら乾闥婆を見下ろす
「ずっと聞きたかったんじゃない?」
慧喜は笑いながらしゃがむと乾闥婆の顎を掴んで上を向かせた
「ねぇ? …【人殺し】」
電線が風で鳴いた
電線が大きく鳴いて大きく振れ雪が舞い上がった
「1対1って言ってなかった?」
片手を押さえて慧喜が上に向かって言う
「早ぇえ…;」
阿部を背中に庇いつつ空を見上げた京助が呟いた
瞬きができたかできなかったかという感じのコンマ何秒かの時間
気付くと暗くなりかけた空に広がっていた黄金の羽根
「慧喜…貴様…いつその声を手に入れた?」
ピリピリとした空気が空一面に広がる
腕の中に震えたままの乾闥婆を抱えた迦楼羅が慧喜を睨むと慧喜がじりっと後ろに下がった
「さすがの迦楼羅も動揺したみたいだね」
慧喜が迦楼羅を見上げて言う
「でも懐かしかったでしょう? 【迦楼羅】」
慧喜がまた声を変え迦楼羅の名前を呼ぶと迦楼羅の羽根が更に大きくなり空気が震えた
「京助…」
阿部が京助の服を掴み身を寄せる
「怖いなら家ン中にいた方いいいぞ」
京助が阿部に言うと阿部は緊那羅の方を見た
今だ悠助を撫でながら歌い続けている緊那羅を見た後阿部はキュっと唇を結んだ
「怖いけどアタシもここにいる」
京助の服を強く握って阿部が言う
「…何で」
阿部の言葉に振り向いた京助が聞いた
「いいじゃない…いたいの!」
阿部が怒鳴った
「アタシだって…役に立ちたい」
聞き取れないくらいの小さな声で言った後阿部は京助を真っ直ぐ見た
「…変なヤツ」
ヘッと笑った後京助は空を見上げると南と京助を抱えて飛んだ大きさになった迦楼羅が慧喜を睨んでいた
その迦楼羅が片手を空に掲げたるとその手を乾闥婆が掴んだ
「…乾闥婆?」
驚いた迦楼羅が乾闥婆を見た
「…大丈…夫…です…すいませんでした…」
まだ震えている手で迦楼羅の腕を下に降ろして乾闥婆が笑顔を向ける
「大丈夫…僕は大丈夫ですから…もう…」
明らかに大丈夫ではないような乾闥婆を迦楼羅が黙って見る
「もう力は…」
「ワシの前で強がるなと言っただろうたわけが!」
いきなり迦楼羅に怒鳴られて乾闥婆がギョっとして迦楼羅を見る
「ワシの前で弱音を吐かず誰の前で吐くのだ! たわけッ!」
「な…」
迦楼羅が続けて怒鳴った
「貴方の前だから強がるって言ったじゃないですか!! この耳で聞きませんでした!?」
ソレに対して乾闥婆も怒鳴り返しながら迦楼羅の耳を引っ張った
「痛いではないかたわけッ!!!; 引っ張るなッ!! だから強がるなといっているだろう!!!」
またも迦楼羅怒鳴る
「強がります!」
そして乾闥婆も怒鳴る
ギャーギャーと空中で怒鳴り合いを始めた迦楼羅と乾闥婆をポカンとした顔で見上げている京助と阿部と慧喜
「…何してんだ?;」
京助が拍子抜けした様に呟いた
「少しは可愛らしく弱音を吐け! たわけッ!」
「可愛くなくて結構です! 吐きませんッたら吐きませんッ!!」
ギャーギャーと怒鳴り合いを続ける迦楼羅と乾闥婆
「…低レベル…」
阿部がボソッと言った
風鈴の音が聞こえた
足元には緑だけが妙に使い込まれたクレヨンが散乱している
そのクレヨンで落書いたのか開かれっぱなしの絵本にピカソもビックリな絵とも文字とも取れないもの
見覚えがあるその場所
「…ここ…僕の家…?」
悠助はゆっくりと歩き引き戸に手をかけた
「とーさん! 俺も抱きたい! だーきーたーいー!」
戸を開けると同時に聞こえてきた床をドタドタと踏み鳴らす音と声
「まだ京助にはむーり!首据わってからにしなさい」
続いて聞こえたのは笑い混じりの若い女性の声
「…ハルミ…ママ?」
悠助の頭をよぎったのは微笑みながら自分の頭をなで名前を呼んでくれる母ハルミの姿
「だーくーのー!」
さっきより力のこもった声がする
「じゃぁ座って抱くのよ? いい? こう…手を添えて…」
呆れた様子の母ハルミの声に悠助はゆっくりと足を進めた
そっと壁に手をつき覗くように顔を半分だけ出す
「悠助頭いい匂い~…」
縁側に面している和室から聞こえてくる声
「…僕と同じ名前?」
恐る恐る和室の中を見た悠助が見たもの
赤ちゃんを足の間に抱えるようにして座っている自分と同じくらいの少年と長い髪の女性、そして見たことがない男の姿
「悠助」
名前を呼ばれた
「…あれは…僕?」
悠助は無意識で手を男に向かって伸ばす
「ゆうすけ」
届きそうで届かないその手を懸命に伸ばす
不思議と足は動かせない
「ユウスケ」
「っ…お父さんッ」
どうしてか口に出た【お父さん】という言葉
すぐそこにいるのに届かない手
悠助の声に気付いたのか男は顔を上げた
逆光から顔は良く見えないがはっきりと聞こえた言葉
『ごめんな』
一瞬にして辺りが暗くなり誰もいなくなった
「…え…?」
突然のことに悠助はうろたえながら辺りを見渡す
トン…
少し後ろに下がった悠助の背中に何かが当たった
「…玉…?」
そこにあったのは大きな金色の玉
それに触ろうと悠助が手を伸ばそうとした時いきなりその玉が砕けた
「あ…」
目の前に広がる砕けた玉の欠片
『悠助…』
聞こえた聞き覚えのある声と聞いたことのある歌
「きん…」
「悠助!」
緊那羅の顔がぼやけて見える
「…きん…」
数回瞬きをして目をはっきりとさせた悠助は安心感からか泣きそうな緊那羅の顔を見た
「悠助…よかったっちゃぁ…」
思い切り緊那羅に抱きしめられた悠助の目に京助の背中が映る
「…京助…」
悠助が呼ぶと京助がピクっと反応した
「京助…」
もう一度京助を悠助が呼ぶ
「悠助…」
緊那羅が悠助を抱きしめていた腕を離した
「京助…」
もう一度呼ぶと京助がゆっくり振り向いた
迦楼羅の口元が笑った
「…もう大丈夫そうだな」
迦楼羅の前髪を掴んで何かを言おうとしていた乾闥婆の目が点になる
「いつものお前に戻ったな乾闥婆」
ポンと背中を軽く叩かれ乾闥婆が迦楼羅を見る
「…迦楼羅…」
小さく名前を呼ぶと迦楼羅はフッと笑って乾闥婆を屋根の上に降ろした
「…結局僕は…貴方に助けられてばっかりですね」
俯き唇を噛み締めた乾闥婆が慧喜に向かい合う
「…もういい?」
慧喜が電信柱の上に足を組んで座っていた
「ええ…お待たせしました」
乾闥婆が笑顔で言った
「悠助! 気がついたんだ!?」
阿部が嬉しそうに言った
「…京助…」
京助と顔をあわせるのが怖いのか悠助は俯いたまま京助の名前を繰り返す
「悠助」
緊那羅が悠助を呼んだ
「大丈夫だっちゃ」
どことなく疲れたような顔に優しい笑みを浮かべて緊那羅が言うと悠助は顔を上げた
「京助…僕…」
「ごめんな」
言葉を途中で遮られたのと思いもしなかった謝りの言葉に悠助がきょとんとする
「怖かったろ」
暖かくほんのり冬の外独特の香りがする手で両頬を包まれた
「ごめんな…悠」
眉を少し下げた笑顔で京助が再び謝ると悠助の顔が歪んだ
「ひっ…えっ…」
一呼吸目で鼻水が出て二呼吸目で涙が出てきた悠助は三呼吸目で京助に抱きついた
その反動で京助が地面に尻餅をつく
「早めに泣き止めよ? ケツ冷てぇから」
笑いながら京助が悠助の頭を撫でるのを見ていた緊那羅の体が傾いた
「ラムちゃん!?」
阿部が緊那羅の名前を叫ぶと同時にいつもの大きさに戻った迦楼羅が緊那羅を抱きとめた
「力の使いすぎだたわけ!」
青い顔をした緊那羅に迦楼羅が怒鳴った
「まだ宝珠に充分な蓄えがないというのに……」
緊那羅の右腕についている腕輪の宝珠はまだ透明に近い緑色だった
「…よく頑張ったな」
緊那羅の耳元で迦楼羅が囁いた
「娘! 何か羽織るものはないか?」
迦楼羅が阿部に聞く
「え…あ…ちょっと待って;」
突然指名された阿部が慌てて家に向かおうとする
「ほれよ」
その阿部に京助が自分の上着を放り投げた
「あ…」
栄野家の匂いのする京助の上着を受け取ると少し強く抱きしめた後阿部はそれを迦楼羅に渡した
「…心を直した…?」
悠助の泣き声で下を見た慧喜が信じられないという顔をする
「壊れた心を直した…まさか…」
動揺しまくりの慧喜が唇を噛んだ
「慧喜」
乾闥婆の声に慧喜がハッとして振り向く
「…何? 【人殺し】」
慧喜が再び声を変えて言葉を口にするが乾闥婆は笑顔のまま慧喜を見る
「だからなんです?」
乾闥婆が慧喜に近づく
「…っ…」
電信柱から隣の屋根に飛び移った慧喜を乾闥婆が追うように同じくと飛び移る
「…僕は確かに【人殺し】ですが…僕の名前は【乾闥婆】です」
そう強くまるで自分に言い聞かせるように言った後 乾闥婆が袖を止めてある布に手をかけた
「沙紗はもういないんです」
乾闥婆が言った
「沙紗?」
聞いたことのない【沙紗】という名前を京助が呟きながら悠助を撫でる
「……」
迦楼羅が無言のまま乾闥婆を見上げた
「なぁ沙紗って…」
京助が迦楼羅に聞くと迦楼羅が首を横に振った
「…過去の人物だ…ワシにとっても乾闥婆にとっても忘れえぬ…名前」
小さく迦楼羅が言った
「無駄な争いは避けたいと言いましたが…不服そうなので」
乾闥婆の周りをいつかの様に解いた布が飛ぶ
「軽く遊ぶことにします」
にっこりと笑った後その目が慧喜を睨んだ
「…っ…」
慧喜プレッシャーからか一歩後退した
「言っておきますがもう貴方の特技は通用しませんからね?」
怖い笑顔で乾闥婆が言う
「そう…みたいだね」
頭では敵わないとわかっていつつもプライドが許さないのか慧喜が強がって言った
「…俺は…」
慧喜が乾闥婆から目を逸らす
「俺は…」
慧喜が片腕を動かした
「っ…!! 迦楼羅!!」
「ただお二方を俺の元に戻したいだけだッ!!」
乾闥婆が叫ぶとほぼ同時に慧喜が京助と悠助目掛けて三又鈎を投げた
「京助! 避けて!」
乾闥婆の声で気付いた迦楼羅の腕には緊那羅が
尻餅をついたまま悠助を抱いている京助はすばやく動けずに
「むちゃぬかせ…ッ!;」
悠助を庇うように思い切り抱きしめた京助の前に阿部が両手を広げて立った
「ばっ…阿部!」
「アタシだって…ッ…役に立ちたいッ!」
「娘!」
「阿部さんッ!」
各々の声が混ざって冬の暗くなった空に響く
京助の視界から阿部の白いほんのり赤くなっていた足が消え目に映ったのは赤
そして【どさっ】という音が耳に届いた
沈黙に次ぐ沈黙は独特の話し方で破られた
「…ぶない危ない;」
「タカちゃん重い~;」
京助と制多迦の間に挟まれている状態の悠助が声を上げる
京助の目に映った赤は阿部を抱えて後ろに倒れた制多迦の宝珠の赤だったらしく
「…ぇ?」
制多迦に抱えられ状況がわからずきょとんとしている阿部の目の前には後もう3センチ程で阿部の体に刺さっていたであろう三又鈎がキラリと光っている
「ひッ!」
ソレを見た阿部が小さく声を上げた
「阿部! 怪我無いか!?」
後ろから聞こえた京助の声に阿部が振り向いた
「きょう…すけ…」
「…っんの馬鹿ッ!」
無事な阿部の姿を見た京助が怒鳴ると阿部の眉が下がった
「だって…ッ…アタシだって…っ」
グスっと鼻を啜る音が聞こえ顔を上げた阿部はキッと京助を見ると
「…っだ;」
制多迦を押しのけて悠助ごと京助に抱きついた
「阿部ちゃん痛い~;」
またも板ばさみになった悠助が声を上げる
「…色々怖かったんだからッ!」
阿部はそう大声で言うと堰を切ったように泣き出した
「…ょうすけ泣かしたー」
三又鈎を杖代わりにして立ち上がった制多迦が京助を指差して責める
「るっさい!;」
ソレに対して京助が怒鳴った
「…制多迦…様…」
慧喜の言葉が震えた
「慧喜」
突如背後から名前を呼ばれた慧喜がピクっと反応する
「…何してるの?」
カチャリという音がした
「…だんまり?」
段々と近づいてくるその声に慧喜が小さく震えだした
「…こ…矜羯羅様…」
振り向いた慧喜の顔は嬉しさと怖さが混ざった様に見える
「…乾闥婆」
袖を再び布で止めている乾闥婆に矜羯羅が声を掛ける
「なんです?」
乾闥婆が淡白に返事した
「悪かったね」
矜羯羅小さく言うと乾闥婆はフイっと背中を向けて屋根から下りた
「…矜羯羅様…」
慧喜が矜羯羅をまっすぐ見る
「慧喜…」
矜羯羅の目つきが変わった
「何してたの?」
蛇に睨まれた蛙の様に動けなくなった慧喜の体が小刻みに震える
「…それなりの理由でしたことなんだろうけど…」
矜羯羅の顔に笑みはなく慧喜をほぼ睨むと同じようなカンジで見つめる
「…んがら怒ってるや…」
制多迦が屋根の上の矜羯羅を見上げて言った
「きょんがらさん何で怒ってるの?」
阿部と京助の間から抜け出てきた悠助が制多迦を見上げて聞いた
「…ょうすけと悠助をいじめたから?」
制多迦が悠助の頭を撫でながら言った
「違うよ! 慧喜さんは…僕…」
悠助が慧喜を見上げた
タッと走り出した悠助は慧喜と矜羯羅がいる屋根の家の下でピョンピョンジャンプし始めた
「…うすけ?;」
制多迦が悠助を呼ぶと悠助が不満たっぷりな表情で振り向いた
「…いくらなんでもそりゃ無理だ悠;」
京助が阿部の背中をさすりながら言うと悠助が迦楼羅と制多迦をジッと見た
「…登りたいのか? 栄野弟;」
迦楼羅が聞くと頬を膨らませたまま悠助が頷いた
「…仕方がないな;」
そう言うと迦楼羅は腕の中の緊那羅に目をやった
「私は…大丈夫…だっちゃ」
よろよろと迦楼羅の腕から身を起し緊那羅が苦笑いを浮かべた
「…くが行くから」
まだ大丈夫そうではない緊那羅を見て制多迦がそう言いながら悠助をひょいと抱き上げた
「…かまってて」
制多迦がトンと地面を蹴るとそこはもう屋根の上だった
「滑るからなー! 気をつけろよ悠ー!」
下から京助が叫んだ
「きょんがらさんッ!」
名前を呼ばれた矜羯羅が振り向く
「悠助…大丈夫なの?」
驚きと心配が混ざった顔と口調で矜羯羅が悠助に聞いた
「うん…あのね…」
頷きと同時に返事をして矜羯羅の後ろにいる慧喜を見た
「…慧喜さん…」
悠助が慧喜の名前を言うと慧喜が睨む様に悠助を見た
「…謝らないからな」
吐き捨てるように言い悠助から顔を逸らした
「違うんだよ…僕も慧喜さんだから」
悠助が少し大きな声で言った
「僕も慧喜さんと同じなんだもん…同じだったんだもん…沙織ちゃんなんかいなくなればいいって思っちゃったんだ…」
悠助が慧喜を真っ直ぐ見ながら話し始めた
「だからね僕慧喜さんと同じ…でも邪魔とかいらないとか僕言われて凄く悲しくて…だからそれは言っちゃいけないんだってわかったんだ」
慧喜がゆっくりと悠助に顔を向けた
「でね…僕考えたんだよ? ちゃんと…そう言われたらそう言った人も寂しいと思うからその人も僕好きになろうって。だから…」
だんだん言いたいことが上手く表現できなくなってきたのか悠助の声が小さくなっていく
「…僕 慧喜さん好きだよ」
笑顔で悠助が言った
「…うすけ…」
制多迦が目を細めて微笑んだあと欠伸をすると矜羯羅に頭を叩かれた
「俺は…お前なんか…」
慧喜が小さく言う
「だからえ…うわっ;」
「悠助!;」
さっき京助が言った【滑るから気をつけろ】という言葉
慧喜に語りかけるので忘れていた悠助が足を滑らせた
雪下ろしの手間を省くためか昔のトタン屋根は斜めに取り付けてあり絶好調に滑る
「悠助!」
そう叫んで悠助を捕まえたのは慧喜
ソレを見て一同が安堵の息を漏らした
「あ…ありがと慧喜さん」
宙ぶらりんのまま悠助が笑顔で慧喜を見上げお礼を言った
「…っ…」
自分でもどうして悠助を助けたのわからない慧喜が悠助から顔を逸らした
「大丈夫?」
矜羯羅が横から手を出して悠助を引っ張り上げた
「…あ…うん」
屋根に引き上げられた悠助が慧喜を見る
「…慧喜さん」
悠助が慧喜を呼んだ
「…何…」
慧喜が顔を上げるとふわっと冬の外の匂いがする悠助の髪が慧喜の顔に触れた
「あ」
一同が慧喜と悠助を見て声をハモらせた
「…や…ちょ…;」
ソレを見て阿部が何故だか赤くなり京助から離れた
「…悠;」
京助は口の端をあげながら屋根の上を見ている
「…あのね僕たちはちゅーって好きな人とするんだってハルミママが言ってたんだ。慧喜さんは外国の人…? なら挨拶になっちゃうのかな…でもね僕は今のはね慧喜さんが好きだからのちゅーでね」
悠助が慧喜の手を取りながら言う
「…プッ」
矜羯羅と制多迦が同時に吹き出して後ろを向き肩を震わせて声を殺して笑い出した
「…さすがというか何というか…悠助ですね」
屋根から下りてきた乾闥婆がそういいながら迦楼羅の腕の中の緊那羅の顔色を見る
「…明日には体力も元に戻ってると思います…今日一日は安静にしててください?」
乾闥婆が緊那羅の前髪をかきあげて微笑んだ
「僕は体の傷や病気は治せますが…心は治せませんから…頑張りましたね緊那羅…ゆっくり休んでください」
乾闥婆の笑顔を見た緊那羅も笑顔を返した
「…俺アンタを殺そうとしてたんだって…知ってるの?」
慧喜が俯いて言うと悠助が慧喜の頬を両手で包んだ
「慧喜さんの大事な人達ってきょんがらさんとタカちゃんでしょ? …ごめんなさい…僕も京助や緊ちゃんやハルミママ…沙織ちゃんに取られて寂しかったから…だからごめんなさい…慧喜さんの大事な人とっちゃってごめんなさい…だからもう泣かないで?」
悠助の両手で包まれた慧喜の頬は濡れていてそれは大きな二つの目から流れたもので
「あのねあのね僕が泣いたときはね京助とか緊ちゃんとか…ずっと泣き止むまでこうしててくれるんだ…」
悠助が慧喜の頭を自分の小さな胸に抱き寄せてそれを撫で始めた
「慧喜さんが泣き止むまで僕が撫でるから…」
慧喜が頭を抱えられたまま手を動かし悠助の服を掴んだ
「僕は慧喜さんが好きだよ」
悠助の服を掴んでいる慧喜の手の力が少し強くなった
「…やっぱり…面白いよ…君達は」
矜羯羅がフッと笑って目溜まっていた笑い泣きの涙を拭った
「…うすけ…慧喜はね」
そう言いかけた制多迦の肩を矜羯羅が叩く
「…んがら…?」
制多迦が振り向くと矜羯羅がゆっくり首を横に振った
「…悠助がいるよ…これからは」
矜羯羅がそう言って悠助と慧喜を見ると制多迦も頷いて二人を見た
「…キス…か」
阿部がボソッと呟いて屋根の上を見た
「…好きな人…と」
人差し指で自分の唇をなぞりながら阿部は横目で京助を見た
「……やっだもうッ!」
しばらく何かを考えた後阿部が声を上げて雪を蹴り上げた
「…阿部?;」
京助に名前を呼ばれてハッとなって我に返った阿部に視線が集中する
「どっか痛いんか?」
「いや!ちが! キスが! じゃなくてあのね!;」
阿部が両手を【なんでもないなんでもない】と動かしながら言った
「あぁそういやお前 慧喜とキスしたんだって…覚えてるか?」
京助が思い出して笑いながら言った
「そうなんだ? ……はぁッ!?;」
阿部が声を上げると京助が吹き出し声もなく笑い出す
「うそ…」
阿部が驚きの表情で京助の胸倉をつかんでガクガクと揺する
「嘘!! マジで!? 本当に!?」
揺すられて頷いてるのかただガクガクしてるのかわからない京助は阿部の手を掴んで離そうとするが阿部のこの細い手には不釣合いな馬鹿力で揺すられ合えなく抵抗を諦めてされるがままになっている
「…決めた」
慧喜が悠助の服を更に強く握り顔を上げた
「慧喜さん?」
悠助がきょとんとして慧喜を見る
「俺悠助の子供産む」
慧喜がキッパリと言い切るとそれを聞いた一同が固まった
「…子供?」
悠助が首をかしげると慧喜が微笑みながら頷いた
「僕の?」
悠助が反対側に首をかしげながら慧喜に聞く
「そう。俺と悠助の子供、俺が産む」
慧喜が悠助の手を取って両手で包んだ
「いらないか?」
慧喜が悠助に聞くと悠助は少し考えたあと笑顔で慧喜の手を握り返した
「いる~僕 慧喜さんと僕の子供欲しい」
「待て待て待て待て;」
悠助の言葉に一同がそろって【待て待て】と突っ込んだ
「悠助…俺嬉しい」
周りの声が聞こえていないらしい慧喜がほんのり頬を染めて笑った
「だから…待ちなよ;」
矜羯羅が慧喜と悠助の手を縦割りチョップで離した
「矜羯羅様! 何…」
慧喜が矜羯羅に向かって怒鳴った
「順番飛ばし過ぎだよ慧喜…」
矜羯羅が溜息をつく
「第一悠助はまだこ…」
「てか生物学上無理じゃない! 男同士なんだからッ!!!」
矜羯羅の言葉を阿部の声がかき消した
「…男同士?」
慧喜と悠助が同時に呟いた
「男同士だと子供産めないの?」
悠助が阿部に向かって聞く
「誰と誰のこと言ってんの?」
慧喜も阿部に向かって聞く
「アンタと悠助のことよッ! ってか何でアタシがこんなこと言ってんのよッ馬鹿ッ!」
阿部が京助の胸倉をつかんだまま怒鳴る
「…知るか; ってか離せ;」
京助がボソッと言った
「娘。慧喜は女だぞ?」
迦楼羅がさらりと言う
「だからなんなのよ! 第一…は?」
阿部が素っ頓狂な声を出して迦楼羅を見た
「慧喜は女だと言っている」
再度 迦楼羅が言うと阿部が慧喜を見た
「…マジかよ;」
京助も慧喜を見上げる
「失礼なヤツだねアンタ」
いつの間にか阿部と京助の前に立っていた慧喜が阿部に言った
「…な…ら女らしく【俺】とか使わないでよ!! ややこしいじゃない!!!」
阿部が怒鳴ると慧喜が手を伸ばし阿部の胸を揉んだ
「なぁッ!?;」
「…ペチャパイ」
慧喜がフンと鼻で笑い阿部の手を自分の胸に持っていく
「俺が自分のことなんて言おうが勝手だろ? こうやってアンタより胸があるんだから立派な女なんだけど? ペチャパイ」
にっこりと慧喜が笑う
「阿部ちゃんペチャパイなの?」
制多迦に抱きかかえられて屋根から下りてきた悠助が阿部に聞く
「ペチャパイとはなんです?」
乾闥婆が京助に聞いた
「あ~…乳が小さくて膨らみが足りないこ…」
「説明すんなッ!」
京助の頭を阿部が思い切り叩く
「ほ~…」
迦楼羅が感心した様に頷き阿部の胸を見ると乾闥婆が迦楼羅の前髪を思い切り引っ張った
「だッ!;」
迦楼羅が声を上げる
「じゃあ慧喜さん僕の子供産めるの?」
悠助が慧喜を見上げて嬉しそうに聞く
「うん産める」
慧喜が悠助に抱きついた
「だから待てってんよ」
京助が悠助の服を引っ張った
「何さまだ何かあるわけ?」
慧喜が京助を睨む
「ってかさっきまで殺すだの邪魔だの言ってていいのかコレで」
京助が言うと慧喜と悠助が顔を見合わせる
「…悠助怒ってる? 俺のこと…」
慧喜が聞くと悠助は首を横に振った後笑顔を返した
「怒ってないよ? 僕 慧喜さん好きだよ?」
それを聞いた慧喜がまた悠助に抱きつく
「俺も悠助好きッ! だから子供産むッ!」
「だからソレはちょっと待てって;」
悠助に抱きついて嬉しそうに子作り宣言を繰り返す慧喜に京助が突っ込んだ
「京助! お弁当忘れてるっちゃッ!;」
ドタドタという廊下を力いっぱい走る音は年中平日変わらずの栄野家の朝
「きょ…何してるんだっちゃ? ちこ…」
玄関先で止まっている京助の背中を発見した緊那羅が弁当箱を持って話しかけようとして京助と同じように止まる
「俺も行く」
「慧喜さんは駄目だよ; 僕より大きいもん;」
「俺も行くッ!」
慧喜が少し大きい服を着て悠助の手を掴んで悠助と何やら言い争っている
「…何してんだ;」
京助が声を掛けると慧喜と悠助が京助を見た
「あ、義兄様」
慧喜に【義兄様】と呼ばれ京助が再び止まる
「あ?; 何だソレ;」
京助が慧喜に聞く
「ヒマ子義姉様が京助のことはそう呼べって言ったから」
慧喜がさらっと笑顔で言った
「旦那の兄弟は様を付けて呼ばないと駄目なんでしょ?で、ヒマ子義姉様は京助…義兄様の奥さんだから義姉様」
「はぁッ!?;」
慧喜の説明に京助が疑問系の声を出した
「慧喜さん僕もう行かなくちゃ…遅刻しちゃう;」
慧喜に掴まれている腕を軽く振って悠助が訴える
「…どうしても駄目なら行ってきますの…」
慧喜が少し顔を赤らめて目を閉じる
「…緊那羅回れ右」
京助がそう言って後ろを向くと緊那羅も同じく後ろを向いた
「…ラブラブだっちゃね;」
緊那羅が呆れたように笑う
「いってきますッ!」
ガラガラという玄関の引き戸を開ける音がして悠助が学校へ向かって家を出た
「早く帰ってきてねッ!」
慧喜が悠助に向かって叫ぶ
悠助と離れるから【空】に帰りたくないと駄々をこね通して慧喜が栄野家に居座るようになって三日目
毎朝同じような悠助と慧喜のやり取りはほぼ日常茶飯事となってきていた
「…じゃまぁ俺も行ってくるわ;」
京助が靴のつま先をトントンと床に当てて履くと緊那羅が弁当箱を手渡す
「滑って転ばないように気をつけてっちゃ」
そのやり取りを慧喜がじっと見ている
「…何だっちゃ慧喜?」
慧喜の視線に気付いた緊那羅が慧喜を見ると京助もつられたのか慧喜を見た
「アンタ等は行ってきますのちゅーとかしないの?」
「はッ!?;」
京助は弁当箱を床に落とし緊那羅は目を大きくして同時に言った
「何だか本当夫婦みたいだし? 義兄様二股?」
慧喜が二人を見ながら言う
「お前なぁ…;」
落とした弁当箱を拾いながら京助が呆れたように溜息をついた
「じゃあ緊那羅も義姉様?」
慧喜が緊那羅を見る
「…私は男だっちゃ;」
緊那羅が言うと体を起した京助が緊那羅を見た
「…いやお前もっと他に突っ込むべき箇所があるだろう;」
鞄に弁当箱を入れふと顔を上げた京助が止まった
「京助?」「義兄様?」
緊那羅と慧喜がほぼ同時に京助に声を掛け京助が見ている方向にゆっくりと体を向けた
「…あ…義姉様;」「ヒマ子さ…ん;」
そこにいたのは真冬に咲く可憐な(?)向日葵ヒマ子さん
「…誰と誰が夫婦なのですか?」
嫉妬の炎がいい具合に暖房となって玄関の温度が上昇していく (様な気がする)
「い…いってきますッ!;」
逃げるように京助が玄関を出る
「いってらっしゃいだっちゃッ!;」
後ろを振り返らずに戸を閉めた京助に緊那羅が声を掛けた