第2話 屋上で閉じた扉の理由
放課後の校舎は、静かだった。
チャイムの余韻が消えて、廊下の先に夕日が流れ込む。
風の音と、誰かの足音だけ。
屋上へ続く鉄の扉の前で、私は息を整えた。
胸の奥がざわざわしている。
これが「緊張」ってやつなんだろうか。
ドアの向こうに、湊がいる。
昼間の図書室で見たときより、少しだけ大人びた表情が浮かぶ。
「来たんだ」
「……来たよ」
その声に、風が混じる。
髪が揺れて、まつ毛の影が長く伸びる。
夕日が沈む前の、金色の時間。
「で、話って――クローゼットのこと?」
「うん。……たぶん、湊も、関係あると思う」
「俺?」
湊は首をかしげる。
その仕草が、昔と何も変わらなくて、胸が痛い。
私はポケットから、封筒を取り出した。
「これ。私の部屋のクローゼットの奥にあったの。
差出人は書かれてない。でも、湊の名前がある」
彼は黙って封筒を受け取った。
指先で文字をなぞる。
それから、深く息を吸って、吐いた。
「……覚えてる。この字。
たぶん、あのとき――俺が閉めた、クローゼットのことだ」
その言葉に、空気が止まった。
「やっぱり、湊……」
「三年前。文化祭の片づけのあと。
委員長、泣いてたんだよ、クローゼットの中で」
「え?」
「教室の片隅。誰もいなくなって、俺が忘れ物取りに戻ったら、
扉の隙間から、声が聞こえてさ」
――あのとき、クローゼットの中で泣いていた私を、見なかったふりをしてくれてありがとう。
便箋の文字が、頭の中でよみがえる。
「……私、泣いてたの?」
「うん。小さく。しゃくりあげてて、顔、見えなかったけど。
“誰にも見つかりたくない”って空気があったから、扉、静かに閉めた」
湊は少し笑った。
寂しそうな、でも優しい笑みだった。
「そのあと、手紙を見つけた。
机の下に落ちてたんだ。多分、誰かが書いて、出せなかったやつ。
名前はなかった。俺、勝手に読んだ」
「えっ……!」
「ごめん。でも、あれ読んで、泣いた。
“ありがとう”って書いてあった。
“気づいてくれなくて、よかった”って」
私は何も言えなかった。
風の音が、やけに遠い。
「だから俺、それを封筒に入れて、クローゼットの奥に置いた。
“見つけた人が、いつか笑えますように”って。
……まさか、三年後に、委員長が見つけるとはな」
「……なんで、そんなこと……」
「当時の俺も、好きだったんだよ。誰かを。
でも、言えなくて。
だから、自分の気持ちも一緒にしまった。
“あの扉の中には、もう過去だけ”って」
沈黙。
オレンジ色の空が、ゆっくりと群青に変わっていく。
「じゃあ、この手紙の“私”って――」
「たぶん、委員長じゃない。
でも、“俺たち”のどっちかに似てる誰か」
彼の言葉に、胸の奥がふるえた。
私が泣いていた理由も、
彼が扉を閉めた理由も、
どちらも、たぶん、同じだった。
“好き”という言葉を、しまっておくため。
湊が屋上のフェンスに寄りかかって、笑う。
その笑顔に、少し春の風が混じる。
「なあ、委員長。
卒業式の日、クローゼットの前で会おうか。
あの扉、今度は一緒に開けよう」
私は、頷いた。
声にならないけど、ちゃんと頷いた。
夕日が沈みきる。
その瞬間、クローゼットの中の止まっていた時計が、静かに動き出した気がした。
――つづく――