3話 月光を浴びた青年
夜、その日も私はいつものように自室でベットに転がっていた。
「……なんか、寝れないな」
いつもだったら身体が疲れやすいからなのか眠りに落ちるまでそう時間は必要ない。
それなのに最近はどれだけ経っても一向に眠りにつくことが出来ないことが多かった。
「……」
ふと、窓から覗く月に目を向ける。
思い出すのはある日の青年のこと、彼は私を綺麗だと言った。
私の手を見ても軽蔑せずに落とした物を拾うのを手伝ってくれた、そして、私の大切なハンカチを持ったまま去って行ってしまった。
「ハンカチがないから、かな……」
この年でハンカチひとつなくしたせいで寝付きが悪くなったのであったならどれだけ私の精神年齢は幼いのだろうか。
リンゴーン
軽く自分を自嘲していればふと、こんな夜中に家のチャイムが鳴り響いた。
「……こんな時間に?」
驚いて時計を見れば短針は既に二を指し示している。
こんな時間に誰かが訪ねてくる、私は何故か早鐘を打つ心臓を押さえながらベットから身を起こした。
「全く……こんな時間に人様の家に来るなんて一体どんな無礼者なのかしら」
家の玄関に向かえば既に母と妹、それから屋敷に使えている人達が集まって来ていた。
「……怖い人だったらどうしよう」
憤る母にネリネはか細い声で泣きつく。
「ネリネさん、危ないから貴女は下がっていなさい」
そしてそんなネリネを母は自身の後ろへと庇うように押しやる。
「こんな時間に一体なんのご用でしょうか?」
「っ……」
召し使いの一人がドアを開け用件を訪ねる。
私は、月光を浴びてそこに立っているその人にあまりにも見覚えがあって、小さく息を飲んだ。
「夜分遅くの訪問になり申し訳ない、どうしてもこの時間しか都合が合わなくてね、私はハクトという者だ、以前誤って持ち帰ってしまった物の持ち主がこの家の者だと聞いてね、返しに来させていただいた」
ハクトと名乗る青年はあの時のハンカチを取り出して見せる。
「……そのハンカチは」
そのハンカチに母も反応を示すけど私はそれを差し置いてゆっくりと彼のほうへ歩みを進める。
「ああ、やっと見つけた、これは君の物だろう、あの時はすまなかった、少し焦ってしまいそのまま持ち帰ってしまって、大切なものなのだろう?」
そうすれば彼はシワも汚れもないそのハンカチをしっかりと私の手の上に置いて優しく握らせる。
そう、この人はあの日私の荷物を拾うのを手伝ってくれた人だ。
こんな目立つ見た目の人、やっぱり忘れることはなかった。
「……貴女が持ち込んだ問題だったのですね、ネリネの結婚式もあって明日から家の者は皆忙しくなるというのに、その上人様にもご迷惑おかけするなんてっ……」
「ご、ごめんなさい……」
返ってきたハンカチは生前父から最後に貰ったプレゼントで、もう戻っては来ないと思っていたそれが戻ってきたという事実、そしてそれをわざわざ届けてくれた彼、ハクトさんの優しさに胸がじんわりと温かくなるのを冷や水でも浴びせられるような母の声と言葉に途端に身体は体温を失っていく。
「毎回口を開けばそれですか、ずっとへらへらと顔に張り付けたみたいな笑顔、謝れば済むと思っている性根……本当にあなたはお父様にそっくりですよ!」
「っ……」
母は癇癪を起こしたように言いながら右手を振り上げる。
次の衝撃に耐えるように目を瞑ったけれど、覚悟していたそれは一向に訪れずに不思議に思って目を開けば振り上げられた手のひらはハクトさんによって掴まれていた。
「な、何をするんですか! 女性の手に勝手に触れるなんて無礼極まりない! こんな時間に訪ねてくることもそうです……!」
母はさらに憤った様子でその手を振り払う。
軽く掴まれていただけのようでその手は簡単に振り払われる。
「いや、あまりにも濁った色の者ばかりで見ていられなかった、勝手に触れたことは申し訳ない、夜分の来訪もだ、だが私は彼女に迷惑をかけられたとは思っていないからその点は責めないでやってほしい、そもそも拾っておきながら持ち帰ってしまったのは私の責だ、時間も時間だ、夜分来訪の詫びはまた後日」
ハクトさんは前に話したときのように淡々と語ると頭を下げて腰を折る。
「……ふんっ、用事が済んだのならお引き取りを、明日我がベネット家は蒼龍様を家にお迎えするのです、忙しいのですからこれ以上手間取らせないでくださるかしら?」
そう、明日はついにネリネの婚姻の日。
普段はなかなか折檻なんてされることはない。
セイガ様に少しでも無礼があれば我が一族の恥、だからこそ母はここまで気が立っていたのだろう。
ハクトさんが全く動じた様子を見せないからか少し落ち着きを取り戻した母はハクトさんを睨みながら早々に退却するように促す。
「ああ、すぐにでも退散しよう」
ハクトさんは母の言葉を聞いてすぐにでもドアが閉められるように一歩後ろへと下がる。
「本当にこれは面倒しか持ち込まないわね、明日の結婚式も何か起きてからでは遅いわ、やっぱり出席させるわけには……」
「お母様、それはお姉さまが可哀想です、出させて差し上げましょう」
「貴女がそう言うなら……」
ぶつぶつと明日のことを呟く母にネリネは泣きつくようにそう縋る。
そして母はそれを受け入れる。
とんだ茶番だとは思うけどこれはいつもの我が家の日常でしかない。
私が式の場にいればネリネの良い引き立て役になるからネリネは出席して欲しくて、それに気付かない母はネリネを優しい子だと称賛する。
いつも通りのことだ。
「……それでは」
ドアが閉められる瞬間、ふとそう呟いたハクトさんと目がかち合った気がした。
その瞳は、優しくて
「っ……」
なんでそんな目を私に向けるのか聞きたかったけど、閉まったドアに隔たれて、それを聞くことは許されなかった。




