15話 初めての姉妹ケンカ
「……スミレ、さん……?」
振り払われるかもしれない、そんな覚悟もしていたがハクト様は白龍の姿のままゆっくりと、こちらを振り返る。
「ハクト様、落ち着いてください……傷も深くありませんしこれは私が自分で決めて、自分から始めたことです、ハクト様が血に染まる必要はない、せっかくこんなに白く、美しいんですから」
纏う空気こそおどろおどろしくても純白の龍であることに代わりはない。
それにハクト様は揉め事や力で解決することを是とはしない。
それを知っているのにこんな、私のことでまでその手を、牙を血に染めて欲しくなんてなかった。
「……初めてだ、そんなこと、言われたのは、この見目が美しいなんて」
驚いたような、嬉しそうな、そんな声で呟きながらどろどろと溶け出した身体は気付けばまた、人の形を成していて
「私のことを綺麗だって言ったのも、あなたが初めてでしたよ」
美しいと言われたのが初めてならば私のことを綺麗だと言ったのもまたハクト様が初めてだった、それをいつもの作った笑顔ではなく、素の自分で言葉にする。
「……誰にも邪魔はさせないから、話をつけておいで」
「……はい」
ハクト様からそんな言葉をいただいて、背中を押されたようにネリネのほうへ近付く。
「ねぇネリネ……」
「な、なによ……わたくしは謝らないわよ……」
私に名前を呼ばれたネリネはあくまでその態度を崩そうとはしないけど
「いつも、全てを押し付けてきて、ごめんね」
そもそも私が謝りたかっただけのことだからそれを無視して声に出して謝罪する
「っ……」
「私が何も出来ない分、その皺寄せがあなたにいっていること、知ってた、お父様が死んだ後、ずっとお母様を支えてきたことも、家の決まりに逆らいたいのに逆らわないで生きてきたことも全部、気付いてた」
そう、ネリネはいつだって求められる自分を演じていて、私と一緒で自分で決めるなんてことはしてこなかったと思う。
それを知っていたのに私は自分のことで手一杯で何もしてあげることが出来なかった。
「……それを、今さら言ってどうなるの?」
「……どうなるのかは分からないけど、ただ謝りたかったし、あなたのことだけがどうしても気がかりだったから私は今日ここに来ることにしたの」
ネリネに言われたように今さら昔のことを掘り返しても何も変わらないかもしれない、それでも私は家を出てからもずっとネリネのことだけが心残りで、だから会いたくもない母に会うことになると分かっていた上でこうしてこの場に来ることを決めたのだ。
「……」
「助けてあげられなくて、姉らしいことをひとつもしてあげられなくて、ごめんなさい、それなのに、羨ましいと思ってしまって、ごめんね」
私の言葉を聞いてだまりこんでしまったネリネに私はもう一度、しっかりと謝る。
「……今さら、そんなこと言って、お姉さまはいつだって……ずるいわ……」
気丈に振る舞おうとするネリネの声は、いつもより少しだけ、親しみが込められているように感じたけど、それは都合の良い思い込みかもしれない。
「うん、知ってる、自分の性格が良くないことは自分が一番よく理解してるから」
それでもこうして家というしがらみを無しにして話が出来ていること自体が私はただ嬉しかった。
「……わたくしはずっとお姉さまの立場が羨ましかった、誰からも期待もプレッシャーも向けられなくて誰からも……愛される努力をしなくていい、みんなに嫌われたお姉さまが羨ましかった……だから嫌味もたくさん言ったし使えることには使ったけど結果的には……どちらも無い物ねだり、だったのね……一度しか言わないからちゃんと聞いて、私もごめんなさい」
ネリネは少しだけ逡巡した後に一息にそれだけ言うと最後に、聞こえるか聞こえないかぐらいの声で謝罪を口にした。
ネリネの言うとおりだ。
こうしてお互いの中のわだかまりを言葉にしてみればどちらも持っていないものを欲しがっていた無い物ねだりに過ぎない。
「……なんか、初めて姉妹ケンカみたいなことしたね」
「みたいなことも何も、初めての姉妹ケンカでしょ」
「そっか……」
緊張の糸が切れた私がそんなことをぼやけばネリネが少しだけ腹立たしげにそう返してきて、こんなやり取りが出来ていることだけで嬉しくなってしまうのはおかしいだろうか。
「あー、もう色々吹っ切れた! セイガ様! どうせこれだけの騒ぎを起こしたわたくし達ですからお家からも色々お達しがあると思うんです、だから、その前に二人で勝手に旅に出ませんか? なんのしがらみもない旅をして、気に入った場所に住みましょう」
ネリネは結っていた髪を乱暴にほどきながら今までのネリネだったら絶対に言わないようなことをセイガ様に提案する。
「ネリネさん!? これだけよ騒ぎを起こしておいてそんなこと許すわけないでしょう!! セイガ様だってそんなこと――」
「これだけの騒ぎも何もオレは場所を用意しただけで何もしてないけど……それもいいですね、お供しますよ、こうなったら最後まで、龍を尻に敷ける人なんてあなたぐらいしかいないですよきっと」
勿論母がそんなネリネを非難しようとするけど今度はセイガ様がその言葉を遮って、そんなネリネの申し出を快諾してしまう。
セイガ様は龍の中でも温和で優しく、そして自己肯定感の低い珍しい人だからセイガ様がこんなことを言うのもまた、珍しかった。
「セイガ様まで……! そんなことになったらこの家はどうなるんですか!?」
「……自分の力でどうにかするしかないだろうな、自分が今までしてきた勝手にやっとツケを払う時が来た、そういうことだ、落ち着いたら、自分の行動を見返してみなさい」
独り慌てる母に答えを教えたのはハクト様だった。
「……そ、んな」
それを聞いた母は膝からその場に崩れ落ちるけど、それをかわいそうとか思うことは一切無くて、よくて哀れだなって感じた、それだけだった。
「それじゃあ帰ろうかスミレさん、私達の家に」
ハクト様はそう言って今度こそ部屋を出ようとして、一瞬止まってからこちらへ手を差し出してくれる。
「……はいっ!」
私はこの日、やっとこの家からすべてのしがらみを解放することが出来た。
もうこの家に心残りはひとつだってない。
本当の意味で私が家の呪縛から解き放たれた日だった。