別れを告げて
「…移動の札が、熱波と強風と魔力の乱れのせいで使えないって不便ですね」
絶妙な空気感に、自然と口調は固くなる。
もうスレンドとまともに会えないと思っていた。割と会わない気でいたし、決意もしたはずだった。
運命の悪戯は神出鬼没で困る。悪戯というには少々都合が良いかもしれないが。
ひとつの箒を2人乗りしてベルランとスレンドは、再び神都の土地を踏み締めた。杖ではなく箒な訳は、そちらの方が飛行に特化しているからだ。
“仙楼”でかっぱらってきた高性能な一品。
「しかしまぁ、やったなメイさん」
空から見えるのは、不自然に消えた大地。何人死んだだろうか。“仙楼”の方が確認をしているようだが、その確認だって範囲が広すぎてすぐにはできないだろう。
初めて見るこの景色は不気味である。だからつい、スレンドに話しかけてしまった。
「そうだ、ね〜」
自分から話を振るようなことをしてあれだが、体調の悪化が目に見えて分かるのが辛い。
喋るのは失敗だった。迂闊すぎる。相槌ひとつも癪に障る。もはや自分が何に苛立ち、どうしたいのか分からなくなってきた。
(スレンドを助けられるなら…)
ベルランが散々な心境になっても、まだ神のために奔走しているのは、それが原因だった。
ファレオが誰かと話したあと、急に言ってきたのだ。
『これから先、大樹の魔法の解析に協力してくれるなら、キミの先生の判決に神様からの口出しするぜ。もちろん、死罪を回避する方向で。悪い話じゃないだろう』
この話を受ける以外の選択肢は存在しなかった。
ペクトから、色々裏技を使いつつ“仙楼”に直行するぐらいにはテンションが上がっていた。
スレンドへび不信感と責める気持ちはあれど、命がなければ和解もできない。これを無視したら一生後悔する気がした。あまりに都合の良い話で、神側でどんな思惑があるのかは分からない。
でもこの一連の出来事を“仙楼”で整理して思った。
これは考えても仕方ない、と。
ベルランはとても利口だ。この短い間で、ふわふわしていた神という存在のイメージを、しっかりと固めることができた。
彼女らは自分達とは杓子が違う、というイメージ。
彼が産まれたときすでに、神都は空にあるモノで、見ることもない神は得体の知れない存在だった。
初めて見て、当たり前のようにに偉そうにする態度には納得したが、思っていたより非力だったり、人のように悩んでいたので内心驚いた。
それでも彼女達は“神”だった。常に先のことを考えているのだ。未来が視えてもそうでなくとも、この件の終局を見据えて行動している。
一部の神の言動から察するに、事態が全て把握できているわけではなかっただろう。それでもなんとか動いていた。
感服だ。それは自分にはできない。常に王様のような、ひとつ上の視座に居る者達の考えを推し量ろうなんて難し過ぎる。
だったら仰せのままに動いた方が良い。
それにもうこれ以上、先を考えたくはない。
思考の放棄かもしれないが、丁度いい理由がここにあるのだ。これで良いと思っている。
なお、スレンドはこの話を知らない。彼女の中では神都が安定し次第、再度死罪が確定した裁判を受けると思っているのだろう。
「大樹の、魔法って〜私の魔法が〜上書き、されてて、解読できない、って話、だよね〜。迷惑、かけ、たね〜」
「…いいよ。もうその話は。それより魔法の解除はできるんですか?」
「感覚でやる、よ〜」
向こうで事情聴取をしていた役人が言うには、スレンドは毎回魔法を使う度に解読を1からし直す必要があったらしい。今回もまさにそれをしていて、朧げな記憶と感覚を頼りに、過程を無視して答えを書き写すようなことをしていた。
…と言っていた…と聞いた。
(何にせよ心配だ)
「俺がやるのは?」
「あ〜あ〜ね」
「君にこの、魔法を、教えたく、ない〜かなぁ」
口調とは裏腹の、凛とした声がベルランの背中に当たった。
「これを、君の手段に、したく、ないな〜。ちっとも素敵じゃ、ない〜魔法。君に、合わないよ〜」
スレンドが自分の固有魔法目当てで教えを乞いにきた、ベルランに絶対教えない理由がこれだった。
自分を犠牲に、人生をもう一度コンティニュー。
使う人が使えば簡単に脳みそが無くなる。今のスレンドのように。
スレンドはベルランのことを心優しい人だと思っている。もしかしたら、彼女の姉弟子だったら、その弟子にだったら、教えたかもしれない。
2人は基本理性的だから。
特定の人でない限り、死者復活はしようと思わないだろう。でもベルランという生徒はする。これといったエピソードがあるわけではないが、彼ならやりかねない。割と巻き込まれ体質なのだ。
「…けち」
そんな、双方が気を遣っている気まずい時間を終え、大樹へ着くと2人は思わず口を押さえた。
「メイさん!?仙人様!?おい!!」
「…」
メイと仙人は大樹の魔法を解読していたようで、その魔法の陣の一部が未だ空中に露出していた。
「こっちは生き、てる…」
スレンドがすかさずメイの呼吸を確認してそう言った。仙人の息はもうすでにない。青白いとも言えない、灰のような白さの肌には鮮血が飛んでいた。
おそらく出血か…窒息して死んだのだろう。
「やろ、う」
スレンドは脂汗をかくベルランの背をぎこちなく叩いて、死体とメイを退かし陣に向き合った。
(スレンドが1番悲しいはずなのに…!)
知人の死体を見て呆然としていたベルランも、覚悟を決めて魔法と向き合うことにした。
赤黒く光る一部の文字盤は乱雑で、神秘的だ。
「君、が、解読〜。私が、は、じゃまとるだけね〜」
「俺がやるの…?」
「私、頭、もう働か、ないかな〜」
うっすらと思っていたが、やはり自分の魔法の解除以外をやるのは困難らしい。おそらく体力的にも、魔力的にも、脳みそ的にもだろう。
ベルランは予期していたが、苦い顔をして渋った。神の魔法に手出しする恐怖が無いわけではない。失敗する可能性だってある。
そもそも彼は魔法の天才だが、彼の先生はベルランよりも遥かに優秀だ。その腕には到底追い付けないと思っている。
(俺に…できるか…?)
必然性があるからといえ、優秀な先生を差し置いてメインの解読作業をするのはプレッシャーがかかる。
ベルランは手で口元を隠すように抑えている———その隙間から吊り上がった口角が見えた。
「君はできる〜。私は、君に、教えたはず、だ」
スレンドはどことなく、呆れたように声をかけた。
「…分かったよ…先生」
大きく深呼吸をして手帳とと万年筆を取り出した。
彼は世界で初めて、神の魔法を解読する魔女になる。緊張感が半端ではない。
ミスは駄目。時間のかかり過ぎも駄目。解読が得意とはいえども、心細かった。
このメモがなければ。
死体のようなメイと、息をしていない仙人の近くには、メモ書きがあった。この魔法についての所見が書かれてある。おそらく仙人が書いたものだろう。
知識人の解説ほど頼りになるものはない。
それを横に、手帳を正面に。片膝をついてペンを持った。左手で大樹の魔法の制御盤を呼び出す。
“水の記録庫”へ行っていて本当に良かった。魔力を通しての異空間への干渉の仕方が、以前よりも上手くなった。
「…先生、お願いします」
制御盤に溢れるのは、これでもかと詰まった魔法の情報。知らない言語に知らない記号。それらはグネって絡み合い、自らの本質を見せることを拒んでいるようだった。
(あぁ、これか)
鳥肌が立つほどの緻密さの中で、異物は分かりやすかった。2人はさまざまな文に跨るスレンドの魔法を確認した。
「はっずかし〜。私、大胆〜」
スレンドは反省した。この場所で魔法をかけていたらもっと綺麗にかかっていたが、生憎かけたのは大樹の根元だ。お陰で、神都を落とした大罪人になりかけてしまった。
異物は手際良く切り落とされ、制御盤は一瞬だけ明瞭になる。ほんの一瞬、システムが魔法の整理を行なった。
整列と分散を同時に行う文字と記号の中で、ベルランは鍵となる言葉を見つけてはマーキングする。
解読と理解を同時に行う、脳みそに厳しいタスク量。
だが、どうしようもなく興奮する。
この未知に。
読み取ったことを書き連ねて、形にして、間違いを発見して、正す。地道で危険だがとても楽しいことはベルランの表情から見てとれた。
後ろではスレンドがその顔を見て困ったように微笑む。
(あぁそうか!!分かったぞ!この魔法の動線、大樹の幹から土地の下まで、貫いてる。これは槍だ。ただし今もなお、槍先は地面についていない!上で、誰かがコレを持ち続けてるんだ!)
ベルランは後ろを気にするそぶりも見せず、ひたすらに目の前の問題に集中している。
(楽しい!!)
しかしそんな時間ももう終わりだ。
神の魔法の解読は終了した。
ガリガリとページを削るような筆音は止まる。
「…お疲れ、さま」
「よし、上手くできたぞ!」
この2人はこんなにサクサクと解読したが、これは一般的な基準ではない。
神から見ても、当然異常な速さだ。
だからこそ、間に合う。
でなければ、間に合わない。
手帳を千切り、折ってよく飛ぶ紙飛行機の形を作る。もちろんただ風に乗らせるわけではない。ちゃんと魔力でレールを作って飛ばすのだ。雨に負けないように補強もする。
空を飛んでいるときに、動いている人影が3つほどあったのできっとそこだろう。そこにセキラがいるのだろう。
ベルランは振りかぶって飛行機を投げた。
それは直線的に目標へ向かっていく。見えなくなってから、ほっと肩を撫で下ろした。
「俺はペクトに行かなきゃならないから、早めに行こう」
「そう、だね〜」
雨はいまだに降っているし、スレンドは自分の今置かれている状況をきちんと把握できていないはずだが、なぜか晴れやかな顔をしていた。体を濡らす大雨すらも疎ましく思っていないようだ。
「何でそんなに気分良さそうなんだ?」
素直に疑問をぶつけてみると、以前とは全く違う、幼い笑みを浮かべた。
不意にベルランの心臓は脈打つ。
「なんでだろう、ね?」
「それを今聞いてるんですけど…」
彼女が煙に巻くような聞き返しをしたのをいいことに、ベルランはそのまま背を向けて飛ぶ準備をし始めた。
「さすが、私の、魔女〜って思ってた〜」
不意に、そんなことを言われたらたまったものではない。ベルランの顔は急激に熱をはらみ出し、見るも無惨な赤色になっていた。
最大限の褒め———天才だとかなんだとか。そういうのは飽きるほど贈られてきたが、ここまで照れる褒め言葉は初めてだ。羞恥に比例してとんでもない嬉しさも込み上げる。
「語弊、語弊、ある。それは」
「私、の真似〜?」
「自虐ネタは笑えないから!!」
「あとね、ご、語弊ねぇ〜ないよ〜」
「恥ずかしいからあってくれ…」
そこで閃く思いつく。
(俺と同じぐらい照れさせれば、俺の恥ずかしさ半減!)
なんて天才的アイデア。さすが俺。
であれば最大限にカッコつけて言ってやろう。
「俺の先生!」
「はい」
「普通に返事すんのやめてもらっていいですか」
すると耳からザザざと流れてきた。環境が悪く、あまり音が聞こえていなかったが、おそらくファレオが意図的に通信を復旧させている。
つい、意図が気になり耳を澄ましてしまった。
…なんて切り替えはできない。そこまで器用じゃない。
(ナイスタイミング!!顔の熱冷えろーーー!!!)
主な目的はこの羞恥から逃げることだ。
「?」
スレンドはそんなベルランを見て首を傾げた。
『矛盾なんてした覚えがないね。願いも祈りも、神らしく叶えただけじゃないか』
『………“最初の風神”やっぱりキミは死ぬべきだ』
(ファレオ様…と“最初の風神”!?来てるのか!?)
『…ボクは生命の基準を、魔法はどうやって与えられるのかを知りたいんだ。だから創ってみるしかないだろう?』
これは仙人の念話の魔法ではない。彼女はもう息絶えている。これはファレオに言われて、メイに話しかけた時に使ったような札を渡したのだ。それよりも高性能な“仙楼”からかっぱらってきたモノの2つ目だ。
現在、音声は相互に通じている。
(ファレオ様が魔法を使ったら、魔法書貰いに来いって話だったけど…これ行って平気か?行くけどな)
どう考えても、軽々に立ち入っては行けない土地である今のペクトに行くのは躊躇われた。
しかし、魔法書は欲しい。
『あーあテステス』
「ファレオ様!?」
『これって心の声も届けてくれんだな。便利ー。聞いてたと思うけど、“最初の風神”が居る。だからペクトには来るなよ』
「魔法書は貰えない感じですか!?いやまあ良いですけど、スレンド助けてもらってるんで…」
スレンドには決して聞こえないように、声を潜めて喋っている。ちなみに本人にこのことを言っていないのもファレオの指示だ。意味は分からない。
『もちろんそんなことはない。オレに二言はそこそこあるが、できるだけ遵守する努力はするぜ』
「よし!オレどうしたら良いですか」
『なんか元気じゃね?別に良いけど。吹っ切れたんなら良かったな。…で、場所だけど“天廟の国”の墓石の前な』
「え…?」
“天廟の国”。それは分かる。ペクトに接している小国の名前。ファレオがペクトに居ることを踏まえると、恐らくその国境線の近くに居ろということだろうか。
向かうのは簡単だ。待ち合わせも範囲が狭いから楽だろう。ペクトとは少ししか接しておらず、国境線なんてどこぞの街程度の広さしかない。それで墓石の前というのだから、かなり限られる。
国境線に集団墓地とかなくて助かった。
『じゃ、さよならだ。ベルラン』
ブツん、とかなり一方的に切られた。
(…やっぱかなり切羽詰まってそうだったな)
彼にしては情報の伝達が雑だったように思える。伝えてくれただけマシだろう。
役目は終わった。
スレンドは死刑を回避した。
何より神の魔法に触れられた。
(…仙人様死んだけど。風神様が言っていたことはこのことだったんだな。てっきりスレンドかと)
「…帰って、仙人様のお葬式したら、あとはメイさんのケア…しなきゃな。この世界もどうなんだか」
気絶しているメイを背負い、仙人を袋に入れて箒に括り付けた。普段中々運ばない、ずっしりとした重さがあった。
ベルランはいろんな物を持ち歩く習性がある。手帳に非常食に非常食にロープに大きな袋。しかしこんな用途に使いたくはなかった。
「行こう。“天廟の国”に行くことになった」
「んん〜?」
箒に跨り、スレンドと共に空を飛ぶ。やはり箒は速い。ものの1分ほどで神都を抜け出した。
(…メイさんに殴って貰わなきゃな…俺、スレンドじゃなくて良かったって思ってる。流石にクズだ)
死体を見ても、吐き気がするだけで泣けないのは、さすがの自分でも自分に嫌気がさした。お世話になっていたはずなのに。
(神の都———神都。本当に無くなるのかな)
一部が神の存在をさほど意識していなくとも、それは大多数の人に影響を与える。ベルランは無主教だが、この世界の9割は風神、水神、火神、のいずれかを信仰している。宗教のシンボルが無くなった世を考えると恐ろしい。
「明日とか…この世界はどうなってんだか。あんまり変わらないのかな」
信仰対象が居なくなった時の世に生きるのは自分達なのだ。見ておくべきだろう。
まだ先の話ではなく、5分も要らない今の話なのだから。
「明日、明後日、のはなししてくれて、ありが、とう〜」
スレンドはそう言って、少し遠くに見える白銀の国を見た。
きっと、5分もしたら2度と見れなくなるのだろう。
「…私の、故郷〜そこなんだ〜。あ、産まれてあ、た、わけじゃない。縁〜あるんだ〜」
「ペクト?」
「そこ好き〜」
同時に、ふっと、視界からフェードアウトした。
———そこからベルランは———手を伸ばして———落ちようとするスレンドの手を———掴み損ねた。
風神の予言は、当たる。
「スレンド!!!」
彼らは神都に長く居過ぎた。
ベルランは碌でもない神に絡まれたし、面倒ごとに巻き込まれた。
スレンドは自分の死期とペクトへの憧れを思い出した。
焦がれてしまう、白銀の国。どうせ死刑で死ぬならばと思ったのだ。彼女は死刑が取り消しになったことを知らない。
それは風神の指示である。
スレンドは空を飛ぶ。杖も箒もないから、初心者のように呪文を唱えた。そういう一般的な魔法は腕に刻んでおいてある。おかげで忘れていてもある程度は扱えた。固有魔法と違い、それはさほどの強固な理論を必要としない。
「『浮け 飛べ 行け 鳥が如く』〜」
少し離れたペクトに向かう。後ろは見ない。ベルランが居るから。彼はなんだか叫んでいて、必死そうだった。
「あはは」
あつい体につめたい空気。がんばって飛んでいるからそれらはごちゃまぜになって、ぬるくなる。
「あはは」
スレンドの固有魔法の副作用は物忘れでも、口調の変化でもない。あくまで結果の一部がそれなだけだ。
主な作用は脳の縮小。知能の低下。
「あはは、ねぇ〜君が死んでも、私、悲しくなかったよ〜。あんまりじっかんないんだよね〜、君の名前、お、おもいだせないからかなぁ〜」
スレンドの脳は魔法を忘れ、名前を忘れ、過去の出来事をたまに再演した。ベルランとの会話も奇跡的に成り立っていただけで、彼女は彼が何を言いたいのかを理解できていない。
◾️
かれはとってもかしこい。
わたしにはもう、てんでりかいができないが。
わかることといえば、じぶんがしけいになるというだけ。それはおぼえている。わたしがせんにんになってからのたいはんは、それにおびえていたから。
わからないことだらけで、かんがえられないことだらけ。つねにあたまにはもやがかかった。
「ほこらしい、ね。さよなら———…わたしのうぃっち」
最後の最後で、彼の名前を思い出せなかったのは悔やまれる。




