自分のために
【水彩画伯】を解読するためには“水の記録庫”の使用は必須だった。ビフェリオに相談していなかったし、目標を達成できなそうな彼への手助けの、アドリブだった。
まさか自分が死んだ後にも、こんなに意識を保てるのだとは思ってもいなかったのだ。メイテイの意識を通して外のことは全て把握していたので不自由はなかったし、何より彼女の性格が良く、住みやすかった。
私の———クルエッタの声を自身の”直感“と思い込んだ。
子供とはいえ、その程度には単純な性格でなんとも利用しやすい。ビフェリオも彼女をわざわざ起用したのは単純だからだろう。比較的御しやすい。
と、思っていた。
何を隠そうこのお嬢様、強情でお転婆で我儘である。
意識をクルエッタメインに切り替えた今も、彼女の声は聞こえていた。なんて意思が強いんだ。
“何なのよ!私の身体を返しなさいよ!”
ごぽごぽと本を飲み込んでからというもの、保管庫は一向に動きを見せない。予想以上に時間がかかりそうだ。それでもあと10秒くらいで終わりそうだが。
「いいえ、お嬢様。私が届けに行かねばなりません」
”堅っ苦しいのやめて頂戴。いつもタメ口で喋っていたでしょう“
「…私はもうすぐ、この身体から魂だけ出ていく。今まで迷惑をかけたね。…ごめん」
”ビフェリオのとこまで届けにいくの?魂だけで本って触れないんじゃないのかしら?“
「いいや、そんなことはないよ。強く想えば触れることはできる。じゃなきゃ、ポルターガイストは起こらない」
それでもかなり神経を使う作業になる。ビフェリオのところまで、かなり距離があることも加えて、クルエッタの魂は磨耗している。届ける以外のことは難しいだろう。
そんなことを思う間に、水面から魔法書が浮き上がって来た。見た目の変化も気配の変化もないが、解読が終了したということだろう。わかりやすい目印がないので少々不安だが、できていると信じるしかなかった。
「…じゃあもう、行くからね」
驚くほど緩やかにクルエッタの魂はメイテイの身体から出ていった。身体は一瞬脱力して、地面に倒れ込みそうになるが、すんでの所でメイテイが意識を取り戻す。
「ねぇ!それって誰のため?貴方って死んでるんでしょう。たまたま、私の中で生きながらえてただけなんでしょう?どうしてそこまでするの」
メイテイも馬鹿ではない。魂に関相応の知識はある。クルエッタがギリギリで成り立っていることはわかっている。知らず知らずのうちに、共に長い時間を過ごしていたのだ。今、半透明のクルエッタを見て、それは確信となった。
答えるとすれば、紛れもなく自分のため。
昔築いた友情を手放すには惜しいと、世界と友人のための彼の献身は美しいと、今だに思っているだけだ。
しかしクルエッタはもはや幽霊。ただ執念でこの世を漂う魂に、口を動かせても声を出す権限はない。
手早く魔法書を取り、ビフェリオの方へと向かっていく。
メイテイは無言で離れていくクルエッタの姿を見ていた。
「教えなさいよ…」
自分だけ、彼女のことを何もわかっていない。ただセキラから断片的なことを聞いただけ。当然、意識がクルエッタに切り替わっていた時もメイテイはその様子を見ていた。
ビフェリオもセキラも、全て知っているかのような口をきく。
「私だけ、何にも知らないの!!」
当然だ。ビフェリオが友達の輪にメイテイを引き入れた理由は、クルエッタの魂が入ってしまい、かつ、単純な性格で説明しにくい部分の誤魔化しが効きやすいから。
メイテイがビフェリオを好きになったのも、ビフェリオがメイテイを好きになったのも、不要なオマケだ。
「私だって、あの二人の友達よ!!仲間外れは嫌!」
知るためには、なんとしてでも彼女を留めておきたかった。
それには自分の固有魔法がぴったりだった。
「『泥人形を作りましょう』」
「『月日に負けて 割れないように』」
「『固めて 塗って 重くして』」
「『いつかあなたと話しましょう』」
「【泥に倒れて】!」
呪文と同時並行で2メートルはあるであろう、瓢箪が形成された。赤い縄が巻かれている。
題名が言い終わると同時に、透明な水が瓢箪の中から出てきて、クルエッタに降り注いだ。
(これは…水じゃない。酒だ)
霊体だからと無視をしていたが、なぜか身体に掛かった。濡れた。実態は無いはずなのに。
「ぁっ!」
反射で驚きの声をあげようとした。本来なら喋れないはずだが———喋れる。水に濡れたり、喋れるように中途半端に肉体を持っていた。これが魔法の効果なのだろうか。
クルエッタは思わず喉を抑えた。
メイテイの魔法は流れる時間の遅滞。その末の、状態の巻き戻し。ベルランが使用していた札の上位互換の効果である。
クルエッタは今、生と死の境を漂っていた。触覚も味覚も嗅覚も機能するが、半透明の身体を持っている。なんとも奇妙な状態だ。
それゆえに、生者には感知できない、死者には認識できない”なにか“を感じ取れる。
クルエッタは空色の瞳で蒼い大樹を眺めた。
彼女は自分にしか見えていない、渦巻く大気の魔力を、右手を掲げて確かめる。魔力には流れがあった。まるで絵画のように、一定の強さがあり、塊ごとに一定の方向性があった。
しかし、今は異質だ。
大樹付近の魔力の大半は、とある方向にしか向かっていなかった。それは台風のようで、中心点の凪ぐ部分にはセキラの魔力が見える。
大気の魔力は虹色だ。シャボン玉の色彩で、世界は常に彩られていたことを実感した。
ぐるぐると、セキラの周りで新しい色が生まれている。
なんて、
なんて、
「う、つくし…い、せかぁ、い…」
中途半端な身体のため、ちゃんとした発声はできなかったが、誰に聞かせる言葉でもない。心の底からの呟きに明瞭さは要らないだろう。
美しい人に、美しい献身、それに加えて美しい神都。
消えて欲しくなんてなかったが、生み出される美しさをこの目で見れた今であれば、その消える様もまた美しいのだと思う。
であれば、神の時代の終幕になんの問題もない。
殺される前に教えられて、よかった。
知っていてよかった。安心して死ねる。この先に美しい世界が続くことを信用できる。
そしたら、何も知らないこの子にも伝えなければならない。でなければ、終幕に納得がいかないだろう。
クルエッタは追いかけてるメイテイに向かって言った。
「びふぇ…りっ、お、は…人、間。魔力…もう、ない…すぐに…しっ、ぬ」
「…せぇ、きら。新た、な…まぁ、ほ、う。てに」
「あなっ、た、できるの…はなぁ、す、だけ」
それでメイテイが納得できるのかはわからない。しかし、終わりを前に無駄に抵抗するより、効率的に最後の時間を使えると思った。
メイテイは強情でお転婆で我儘だ。中にいたクルエッタがよく知っている。話せる時間があれば、少しの希望があれば、諦めることはしないだろう。しかしそれではいけない。悔いを残すことになる。
「嫌!そんなことないわ!」
ほら、こんなふうに。




