キミのために(2)
「バカ!!!」
セキラはビフェリオの話を聞き終えると、神都が消える云々の忠告を一旦無視して、頭を拳で殴った。
彼の言い分には腹が立つ。本当に最低限しか言わなかったコイツ。
でも、それは自分のせいじゃないか。
配慮されている。腹が立つ。
「がっ!」
まさか、頭にそこそこ強い衝撃を喰らうとは思っていなかったのか、引っ込んだ涙が痛みで再度顔を出した。多分頬程度だと思っていたのだろう。そのゆるふわな見通しも含めて、彼はバカだ。
「それはわたしの責任だ、勝手に奪うな!」
「あとよくわたしのため、みたいなことが言えましたね?さっきナイフ投げてたのはわたしの幻覚ですか?ん?」
「…動きを止めるには、手っ取り早いよね」
「手早さを取るんじゃない」
ビフェリオは気まずそうに視線を逸らすが、そうはさせない。顎を鷲掴みにし、強制的に目を見て話を聞かせる。
「…色々言葉は濁されましたけど…さっき言ったことは全て信じます。友達のよしみですよ」
当然、セキラは水神であり未来を自発的に見たことなどない。しかし、ビフェリオの言った両親の離婚や親権の争いは妙に納得できるものがあった。
実際父親の機嫌が少しでも悪ければ、母親の気まぐれが少しでも多かったら、容易くその結果になっていただろう。少なくとも、そうなると感じる場面は多々あった。
「…セキラの性格、結構ばらつきがあってさ、長の候補から途中で外されたり、なっていない時の方が多かったかなぁ」
独り言のようにそう言った。
更に納得だ。
『その性格だから長の候補なのよ』
めんどくさがりだが傍観者にはなりたくなく、負けん気も強い。傍観者になりたくないゆえに、人命救助をする。義務的に義務でないことをやる。
セキラの性格をルキネはそう評してくれていた。それに則るのであれば、二重人格が現れた時点で、水神の長になる資格はないのだろう。聞く限りそいつは自分の感情のままに暴れただけだ。絶対にそんな問題児は排除されるに決まっている。
されなかったら困る。
正直、精神病云々はわからないが、患者が自分の病気を正確に把握できるはずもない。誰だってそんなのにはかかっていないと思いたいはずだ。信憑性はないわけじゃない。
そしてセキラの精神は、疲れこそあるものの涙をひととおり流したところで健康になった。一層精神が不安定な人の、ましてや別の人格のことなどわからない。
名は体を表すし、性格は行動に出る。キッカケが重なれば、神都を滅ぼすことだってあるだろう。
あっちゃ困るけれども。
(少し信じすぎか?…でも、ビフェリオもやりたくてやっているわけじゃないってわかったのはよかった)
よくないのは、今神都は滅びかけてるらしいということだろう。
「…いつ魔法をかけたんです」
「神都中を回っているときかな。植物だって生きているからね、ボクの魔法の適用範囲内さ」
指先をぐるっと回して、神都内を一周したことを伝えた。
その時。
セキラの視界が歪んだ。
「!?」
世界が上下反転してしまったのかと思ったほどだ。単純に気持ち悪い。胃の中からというよりも、脳の内から出てくる吐き気がすごい。
「…!」
セキラが急にうずくまるが、ビフェリオは驚きこそすれ、特に何もしない。普通に立ち上がって、裾の土埃を落とし始めた。
急に冷徹。
さっきまでの和解のムードと涙はなんだったんだ。
(…ビフェリオが二重人格なのあながち間違えではないのでは…?)
セキラの頭に声が響く。
「い、った」
言え。言え。言え言え言え。
「———あ」
そんな強迫概念が襲う。しかし頭は混濁し、ぐるぐると回されたかのような気持ち悪さが全身を這っていた。
「あ、あぁ」
「セキラ…?」
「あ、た…とおい?」
脳裏にとある風景が浮かんだ。公園だ。見覚えがあるような、ないような。そういえば“最初の風神”の目の前で眠った時もおんなじ光景を見たはずだ。
確かそれは夢だった。
でも今は確実に見えている。風の囁きも遊具の鉄の匂いも、クルエッタだってはっきり見える。
「は、は、はっ」
彼女はビフェリオの後ろで宙に浮いていた。ただし半透明だったし、その姿はメイテイではなく、夢の中で見た姿のそのままだった。
手には絵本が一冊。
ビフェリオは、セキラが自分の奥の景色を見ている違和感に気づいて振り向いた。クルエッタは何やら口を動かして何かを伝えようとしているが、残念ながら声は出ていなかった。あれは幽霊なのだろう。
だとすれば、現世に存在する、あの絵本を持ってくるだけでも一苦労なはずだ。
「…解読が終わったのかい」
幽霊は静かに頷いた。
ビフェリオは粛々とソレを受け取った。
そういえば、
ビフェリオは神都にすでに魔法をかけ終えたと言っていた。あとは待つだけ。セキラはメイテイと違い、普通に魔法をかけて眠られせばいいだろう。もし邪魔であればそうするはずだ。
じゃあその魔法はなんだ?
「【水彩画伯】…心からの嫌悪の対象にしか、向けられないんだね。…最後までありがとう。どうか地獄で、キミはボクに仕返ししてね」
しっかりと絵本を抱きしめると、どんどん透けていくクルエッタに、手を振った。
最後、彼女はセキラを見て声を発した。金魚のような口の動きで、必死に喉の空気を押し出して、とても苦い顔で。内緒話をするように。
『あそぼ』
確かにそう言った。
そうしてやっと自覚した。あの時見た夢は昔の話だ。実際に今のセキラが体験している話だ。
そうだそうだ、そうだった!
今にして思えば、何故忘れていたのかと思うほどに定着している記憶だった。そうだ、彼女とはあの時初めて出会って、別れたのだ。
神都に公園があるから同世代と遊んでこいと、当時家で本しか読んでこなかったセキラは両親に言われた。渋々行ってみたものの誰もおらず、帰ろうかと思った時に声をかけられたのだった。
彼女は不思議なことを言っていた。
ビフェリオから、未来の話を聞いた後だったのだろうか。
公園はその後すぐに撤去されたはずだ。確か利用者がいなかったのと、人口を増加させる計画があったからだったと思う。空飛ぶ都になった以上、土地は有限だった。
謎は解けた。しかし気持ち悪さは以前、というより明らかに増している。視界の酩酊は治ったが、今すぐにでも何かを吐いてしまいたい、という感覚に支配されていた。
一体何が喉に腹にあるのかは知らないが、少なくとも綿や腐った魚がギッチリと詰まっていても、納得できるレベルの気持ち悪さ。
吐け吐け吐け吐け。
ビフェリオはそんなセキラの様子を見ながらも、もうすでに片手には扇を構えている。絵本も宙に浮かせて準備万端といったようだ。しかしそれでもなんの動きも見せないのは、警戒しているからだろうか。
言え吐け言え吐け。
激しい吐き気の中、雷鳴のような声が聞こえた。
「セキラ!しゃんとなさい!!」
影が二重三重に映る視界の中で、段々と近づいてくるオレンジ色はこちらを見据えてこう言った。
「貴方は新しい魔法を手に入れるの!」
げろ———と腹から、喉から出てきたのは、魔力を纏った言葉。
つまりは呪文だった。
「『とおいむかし、ゆうぐで、遊んだ』」
それは知らない呪文で、未知の魔法だった。
「『あの子とあそんだ』」
だが、その理論も理解しないまま、セキラは魔法を発動させようとしている。
「『あの子はいった』」
まるで誰かに補助されているかのように。
「『いってしまった』」
魔法であるからには発動手順は同じ。
最後に魔法書の題名を唱える。
「【悠久の日記】」
セキラの伸ばした手の先には、太陽のように輝く本が1冊。巨大な魔力が渦巻いて、ひとつに収束しようとしていた。
ひたすらに明るいが、目を閉じたいとは思わない。セキラもビフェリオも、メイテイも釘付けになっていた。
本能的に。能動的に。ソレから目を離せない。
たとえ失明するとしても目を離してはならない。そんな感覚。
光は形を成し、ノートのような1冊の本になる。セキラが言った通り冊子の題名は【悠久の日記】。糸で閉じられた古風なソレは、不自然なほど青く美しかった。
今まさに新たな魔法は誕生する。
ひとりひとつが一般的な固有魔法。
セキラは世界で初めて2つ目の魔法を手にした。




