できなくて
「あ!!!????」
冷たいというより、いっそ熱さを感じてメイは飛び起きた。
「起きたわね!」
メイテイが冷水をかけたのは見ての通り。
しかしながらメイは彼女のことを知らなかった。びしょ濡れになり、強引な方法で起こされたであろう自分と、快活な笑い顔でバケツを持っている彼女。目こそ瞑っているがメイは驚きを隠せなかった。
彼女が神であることはわかる。火神であることも。
(なんだこの状況は…)
「どう?眠気の方は。あ、他にここにいた人たちなら、ほとんどもう目を覚させて下に行ったわ。貴方が中々起きなかったからどうしようか考えてたのよ」
そう言う神の隣にはグツグツと煮えたぎったバケツ水が見えるので、本当に目覚めてよかったと心から思った。
(火神か。若い女だ)
「そうですか。それはどうもありがとうございます」
助けられた疑惑があるなら、とりあえずお礼の言葉を言えと師匠から教わっている。でなければメイはこんなことを言わない。
かなり偏屈なのだ。
(なんだか…ぞわぞわする)
起きた時から謎にある違和感。最初は冷水のショックで心臓が鳴っていたのかと思っていたが、そんなことはないようだ。今もその胸騒ぎは続いていた。
(お師匠を探そう。魔力を追おう)
不安をなくすために、世界一安心できる人を探しに行く。自然な流れだが、子供のような思考回路だった。
義務を終えればそそくさと立ち上がって、ふらりと大樹の方向へ赴こうとした。
向こうの方にお師匠の魔力を感じ取れるのだ。
「貴方仙人の連れよね、どこか行くの?もう神都で安全の保証はできないのだけど」
「はぁ、そうですか」
彼の信仰の対象は師匠であって、神ではない。義務を終えたら杜撰な対応をする程度にはどうでも良かった。
「は?何よその態度。礼儀がなってないわね」
当然キレる神。
「失礼しました。では」
逃げ足は早いエルフ。
すぐに飛行し、天使を避けながらレースのように飛んでいく。神都の半径は意外と広いので大樹に着くのに1分はかかるだろう。
「あ!ちょっと、死んだって知らないわよ!」
忠告をするついでに熱湯の入ったバケツが後ろから飛んできた。心配しているのかしていないのかが全くわからない。苛立ちしか伝わらない。
「殺す気ですか神風情が!!」
「信仰しない輩を守るほど暇じゃないもの!!」
「けっ!」
(こんなに距離を離したはずなのに普通に聞こえるとか、どんな馬鹿声量なんだよあの火神)
捨て台詞と唾を吐いたあと、ドリフト飛行していると何者かが横から並走しだした。
「やあ」
そう軽く手を振ったのはビフェリオだった。
(そういえば、眠る前に彼を見た)
「忠告に来たよ」
胸騒ぎ。嫌な予感がした。彼の微笑みすら鳥肌が立つような寒気を呼び寄せた。
「待て、なにか、何かあったのか?」
もちろん“お師匠に”だ。
「あったにはあった」
「詳しく話せ!」
ほぼほぼ体当たりのような形でビフェリオに突撃し、胸ぐらを掴んだ。空中での取っ組み合いが始まるかと思いきや、ビフェリオは一切の抵抗をしなかった。
「キミの魔法を貸してくれないかい」
「脈絡がないですね」
「あの仙人死にそうだよ」
と、言って大樹を指差した。
(死にそう…?)
ピンとこない。しかし彼の胸ぐらを掴むことをやめ、魔力の燃費の悪さも考えずに全速で彼が指差した方向へ向かった。
(誰がだ?)
そう考えてしまうのは受け入れ難いからだろう。どうにも他人事のような気がしてならなかった。だがその割には身体が動く。冷や汗と太鼓のように鳴る心臓が、動きたくない身体を必死に動かしていた。
着いた。
見た。
仰向けになって、血が口の周りに塗りたくられて、汗すら出てなくて、血の気が引いていて、手には何かを持っていて、そこは知らない魔法の設計図が事細かに書かれていて、確かにそれは彼女の筆致で、でも息はしていなそうで、
死体だと思った。
「お師匠…?お師匠、お師匠!返事を聞かせて下さい、お師匠!!!…うそ、うそうそ嘘だ!!!!」
メイはパッと見開き、オッドアイを露わにした。本来は朱と青の綺麗な色だが、心なしか今は黒く濁っているようだった。
「…」
ビフェリオは下を見たかと思えば、メイのことをじっと見始めた。しかしそれに気付くほどの心の余裕はメイにばない。
意味もなく魔法を使い出す程度には、余裕がない。強いてあげるとすれば、意味は憂さ晴らし、癇癪、なんとなく、だろう。
袖の中から絵本のような薄さの本を取り出した。それは紛れもなくメイの魔法書だ。
「…『水彩景色 馬鹿ばかり』」
メイは人が大嫌いだ。
エルフの住む森で生まれ育ち、嫌気がさして飛び出した。色々な場所を転々とするが、エルフという種族は少ないため、その見慣れない姿を理由にそこかしこで迫害を受けた。
偶然、そこに仙人が通りすがらなければずっと同じ扱いを受けていただろう。こんな素晴らしい運命に気付くことすらなかった。
その点で言えば、今までの迫害の一切は無駄ではなかったと言える。
「『混ざれば更に耐え難い』」
メイが魔法を手に入れて最初にしたことは、今までいた村を潰すことだった。本当は全てを潰しに行こうとも考えたが、仙人に止められた。
理由は村が消えて、空から見てもわかる大きな穴ができたから。血生臭さを残すことなく、ぽっかりと。
「『露に打たれて破けてしまえ』」
一見意味のわからない魔法。魔法好きの変態ですら忌避する魔法。しかしその論理は単純だ。
水を含んでふやけた紙に絵の具を垂らし続けると、紙は破ける。
ただそれだけなのだ。
「【水彩画伯】」
ぴちょ、と地面に波紋が広がった。どんどん広がり、混ざった部分は色濃くなり、さらに広がり滲み混ざって黒に近付いた。
それはどこの地面かといえば、
地上である。
人嫌いの彼が刃先を向けるのは、必ず人の多く住まう地上になる。それがこの魔法の唯一の発動条件だ。それ以外に条件はない。
ふより、と人形の紙が飛んできた。メイにとって見慣れたそれは仙人の作る、拡声器のような機能のあるモノだった。
『メイさん止まって!!!今すぐ魔法をつかうのを止めて!!』
そこから聞こえるのは必死になっているベルランの声だ。彼は今、大地がリアルタイムで消えているのを見ているのだろう。ベルランの魔法で札を再現し、ここまで飛ばしてきた。
彼が魔法に関しては優秀なのと、メイの魔法の発動はとても遅いからできる芸当だ。
『どれだけの大陸の面積が消えるかわからない!!お前も裁かれるぞ!!』
ベルランは声を枯らして叫ぶが、メイの耳には届かない。今は自分の師匠の二の句を聞くためだけに聴力を使っている。
実のところ仙人の彼女は大量出血の末、意識を失っているだけで、限りなくそれに近いが、死んでいるわけではない。
脈を測ればそれがわかる。
今、応急処置をすれば助かる可能性が高まる。
しかしメイの冷静さを欠いた頭と乱れる視界はそれができなかった。
震えて、おかしい情緒をどこかにぶつけることしかできなかった。
いや、そもそも彼に応急処置などできっこないのだ。大量に血を吐いているにも関わらず、彼女を仰向けにしている時点で彼に全く医療に関する知識がないことがわかる。
このままでは死ぬ。出血死ではなく窒息死でだ。
『メイ!!魔法を使うな!!』
絶叫のようなベルランの声。
「あ…」
その声掛けに反応してしまった。お師匠とは似ても似つかない声色にも関わらず、反射的に魔法を中断した。と言っても雑に、無理矢理。
昔、こっぴどく怒られたことを思い出したのだ。
「お師匠…貴方は怒りますか。私を怒りますか」
血の気のない顔を見て訊いた。
「言うことを聞かなかったことを怒りますか、神を殺したことを怒りますか、魔法を使ったことを怒りますか」
青白い貌を見ながら言った。
返事は当然にない。
『メイさん…』
一瞬の暴走だ。仕方のない癇癪だ。
しかし、反射的に止めたのがいけない。どうしてもそれだと雑になってしまう。現に世界地図は大幅に変わる。
元より人間の居ない空に刃は向かない。現在神の居るペクトは自動的に除外された。
癇癪とは近くのモノに当たること。方法が手足なこともあれば魔法なこともあるだろう。モノが人であることも大地であることもあるだろう。
つまり、ペクトを除く周囲の大地が消滅した。尤も、距離は限られているが。
点々と、濡れた紙に絵の具が滲んだときのように、ちょんちょんとなんども筆をつけてみたように。ドットはペクトに近いほど密度があり、遠いとどんどん間隔が離れていく。大小様々。
粗雑なソレは子供の絵のようだった。
絵の部分は他の大地から抜けていた。
ものの数秒でなんと滑稽な消え方をしたものだ。
そして、
「大体の仕様はわかったよ。キミの魔法、言った通り借りていくね」
ビフェリオは放心するメイから魔法書を取り上げた。
そしてビフェリオは変質した。
緑の髪はオレンジ色に、シャツはどこかの民族衣装に。それは紛れもなく火神の色彩だった。
メイを起こすために冷水を浴びせた火神の姿だった。
「私、クルエッタっていうの。それもあと5分のお話だけどね」




