貴方のために(1)
「っと!」
フカンは走り出した。
その速度は草原を駆ける獣のように速い。地面に足がついたのはほんの数回。もしかしたら地面を蹴って走るというより、踏み台にして飛んでいると言ったほうが適切かもしれない。その脚力は火神ならでは、男体ならではだった。
(大樹はまだ保つか?)
フカンは上を見上げた。それと同時に、巨大な水球が現れた。
あまりに突然で一瞬の出来事だったのでつい目を擦る。
「ち、鎮火した…」
(“最初の水神”様だな。ありがたいことだ)
水はすぐさま螺旋を描き、規模の小さくなった大樹の養分となっている。これなら大樹が原因で神都が落ちることはないだろう。
それでもまぁ、地面がぐらつく。地震のような揺れではない。重心を見失った失速している独楽のような不安定さ。
(転びそうだ)
といいつつ転ばないのがフカンだ。
神都がそのまま落ちてしまいそうだが、傾くだけで意外にも落ち着いていた。
(しかし…一体大樹の魔法はどうなっていたんだ?閲覧しようと思ったらすぐに拒否された。誰かが仕込んだか?)
その犯人は“最初の風神”だが、もう知る機会はないだろう。フカンはとりあえず過去のことは置いておいた。
壊れた建物は残像だけが残り、道を遮る天使は一瞥して燃やした。それを繰り返していくうちに、神秘的な宮殿が正面に出てきた。入り口だ。
(やっぱ何重にも防御魔法かかってんな)
宮の入り口は本来は開放的にドアがないが、今は光る文字と記号に阻まれていた。それらの筆跡、デザイン、効果の全てが微妙に違う。
つまり多数の人がこの魔法をかけたということだ。それだけ複雑であり、正面突破は困難だ。
(民がいるな…)
フカンの計算外はただ一つある。
(この魔法は強固だ。さすが水神といったところ)
果たしてこれは外に連れ出すべきなのだろうか?
「変に出すより、ここの方が安全な気がするな」
思わず声に出してしまったが、悩みどころだ。宮はかなり最初の神達が争っているところから離れている。下手に向こうが戦場を変えてこない限り、ここが巻き込まれることはまずないだろう。
さしあたっては天使が問題だ。認識を薄くするような魔法もかかっているようだが、フカンが問題なくわかるように気休め程度。機械である天使にいつまでも通じるかわからない。
何事にも最終的には質より量である。
もし大量に攻め込まれたらこの鉄壁の守りは通用しない。
宮のテラスのようになっている2階部分をなんとなく見ていると、人影が飛び出してきた。
あの影には見覚えがある。
「ルキネ殿!?」
「あら、…お久しぶりね」
いつもの陶器のような肌は傷だらけで、血が滲んでいた。顔も青く、どう見たって血が足りていなそうだ。
「おいおいおい、その怪我どうした!ある程度自然治癒力あるはずだろう」
「“最初の風神”様にやられましたわ。焼け石に水、治りきりません」
顔を顰めて不機嫌さを全面に出した。
自分に完璧さを求めているルキネが絶対にしないであろう表情だった。全くもって別人だ。
他のことも含め。
「…あと、…すごい違和感があってな」
「予想はできてますわ」
ルキネはどうぞ、と続きを促した。
「そんなにお前の声、低かったっけ」
今のルキネの声は、完全に爽やかな青年の声だった。以前の凜とした女性の声とは比べるまでもなく低い。
「ここまで体格ががっちりしていた記憶もないんだが…」
彼女の破れたロングドレスから見える足は筋肉質だった。フリルのついた袖から出る手首も手も男性のような角張ったものだ。気のせいかもしれないが顔も凛々しくなっている気がする。
そして何より胸がない。
これに関しては口に出さないが。
「…もしかしてだが…長辞めた?」
「ええ、辞めましたわ。わたくし結構美青年でしょう」
本人が自称する通り、これはフカンの目から見ても美青年と言えた。
「水神の長の候補者になったら男が女性に変わると聞いてはいたが…本当なんだな。なんで今まで言わなかったんだよ」
「言う必要ないですわ。わたくしが長で、実際女性だったのですからそれで問題ないでしょう」
「あー、そうか。まぁいい」
フカンはそれがルキネだと納得した。確かに同僚の性別なんて些事である。仕事ができて、意思疎通ができていれば問題ない。
「丁度いいから紹介しておきますわね。5代目はあちらの子よ、セキラって言うの」
自身が飛び出した2階を指す。そこには上半身を乗り出した少女がいる。ルキネが来ていた黒いジャケットを身につけていた。
(もしやメイテイの友達か?)
その姿には見覚えがあった。
「ちょっ!ルキネ様、その怪我で戦うとかやめてください!死にますよ!」
「あらあら、まぁ万事頼んだわよ」
「急にいい加減になりやがって!」
そう言ってセキラは中へ戻っていった。たぶん下から出てくるだろう。
「…さっきまであんなに丁寧に喋っていたのに。立場への順応が早いわね」
「で、なんで怪我人が安全な場所から離れてんだ」
顔色が悪いにも関わらず2階から飛び降りたルキネに苦言を呈す。
(はぁ、負けん気が強いことで)
訊いてはいるが大方の予想はついていた。
「フカン様、わたくしをあちらへ連れて行っていただける?」
あちら、とは最初の神様が争っている場所だろう。今にも死にそうな顔だが、闘志は燃えに燃えていた。丁寧な口調でやる気に満ち溢れている。
「以前の顔色まで体調が回復したら構わない」
しかし、どんなにやる気があろうが気に食わなかろうが怪我人を戦場に出すわけにはいかない。
「そんなに行きたいなら自力で行け。行けるならな」
道中の天使にすら今の彼女は苦戦を強いられることになるだろう。
水神とはいえ、元長とはいえ、無駄死にを許容するほど嫌悪しているわけではない。自分が“最初の火神”の補佐をしていたときに彼産まれたと考えれば、十分庇護する対象だ。
「勝機がないまま飛び込もうとしているのだと思っているのかしら?そんなわけ———」
ルキネの言葉が不自然に止まり、奥の景色を見始めたのでフカンもその方向を見た。
「来ちゃったよ…」
本当になぜ来た。確実にこの中に運の悪い奴がいる。
「ふふへあっははははっ!!!なぁレイウ、キミの民がここにいっぱい居るみたいだね!」
“最初の風神”が居た。鈴を鳴らすかのように笑い、“最初の水神”の髪を掴んで軽い足取りでこちらに向かっていた。全身がひび割れて抵抗もできないようだ。
「…」
流石のフカンも額に血管が浮き出てしまった。ありえはしないが、もしこれが自らの祖であったらと考えると恐ろしい。反射的に“最初の風神”を殺しにかかっていただろう。ルキネの忍耐力を賞賛した。
メイテイの好みに口を出す気はないし、ビフェリオのことも嫌いではないが、やはり彼の祖が、遺伝子の大元がこの存在だと考えると、考え直せと言いたくなってしまう。
(碌でもない神の系列だよ。本当に)
今、アレは水神の誇りを汚した。
そして3種間の不戦の規則に違反した。
許してはいけないことである。特に名誉の毀損はフカンの…火神にとっての地雷だ。
「…ちょうどいいわ。フカン様、前言撤回するわよね」
ルキネの怒りはその比ではない。睨むようにしてフカンを見た。
「あぁ」
「…“最初の風神”を殺す」
「承知した」
これが2人の初めての共闘となる。




