恐怖して
(今のは船?)
建物の中で身を潜めるフカンの額には汗が流れる。
誰かがルキネの元へ駆けて行ったと思えば、蛍のような光を纏った帆船を召喚し、次の瞬間には消えて行った。
(今現れたのは…)
2人が消えたかと思えば、瞬きをしている間に“最初の風神”の前に“最初の水神”が現れた。
風神の方はともかく、“最初の水神”に関してはフカンは初めてその姿を見た。だが、確実にそうだとわかる。アレは“女性”だ。その概念の象徴だ。
「あぶねー」
今かいている汗は恐怖由来ではない。いや、間違ってはいないが、あちらの神様達への恐怖ではない。
離れていて助かったと思う。でなければ妻帯者といえども心惹かれていた。その姿を捉えてからというもの、心臓の音が鳴り響いている。
今感じている恐怖は3人いる妻への恐怖だ。
火神は一夫多妻も一妻多夫も3人以内なら問題ないが、4人目からは不倫だ。怖いものは怖いし、相手は水神。恋する前にフカンの脳裏に鬼の形相の3人が見えた。
(流石に…流石にな?しっかりしろ俺)
子供と年下の前では立派な大人だが、フカンは若い。もちろんビフェリオ達より上の世代だが、恋をしない世代ではない。
(いやでも綺麗な女性に惹かれるのは自然の摂理だしな…仕方ないな…)
頬を叩いていると妻ではないが、また脳裏に人が現れる。
アンドンだ。
『旦那様…その態度で奥様に顔向けできると…?』
彼女は眉間に渓谷のような深い皺を刻んで言った。もちろん、想像である。
メイテイはアンドンが自分を好いているとか言うが絶対に違う。崇拝しているとも言うが間違いなく違う。
そうでなければ、あのゴミを見るような目をこちらに向けるはずがない。それを言えば「恥ずかしいのよ」とか言うが頬を赤らめているところなんて見たことがない。それこそ知り合って1500年間ない。
(1回ぐらい見てみたいもんだけどなー)
「うお」
ビュン、と矢が飛んできた。天使の矢だ。素材は木であるはずなのに、易々と岩でできた壁に突き刺さる。しかしこの程度の不意打ちではフカンに掠ることもできない。
矢が飛んできた方向の窓から飛び出して、近くにいた天使の頭を燃やした。
(やっぱ個々の力は大したことないな)
水神の土地には戦う者はいなかった。誰も外には出ていない。しかし天使の量は少なかった。もしかすると火神の土地よりも制圧できているのかもしれない。
これがきっとドラゴンの力なのだろう。
だが、不思議なことにドラゴンは居なかった。
少量の天使を残して、地下へと繋がってしまった跡を瓦礫で塞いでこれ以上天使が来れないようにした上で去っている。
(…中途半端だな。水神の系譜ならそこら辺神経質だと思っていたが)
なぜ少しの天使を残したのか。あの数のドラゴンがいれば数分で全滅できるだろうに。
(ま、障害になるような量でもないからいいか)
話が逸れまくったが、フカンはこの場から身動きが取れなくなっていた。なぜなら、最初の神様達が争う中に飛び込みたくはないからだ。加えて水神の土地は天使が多く、迂回するにしても視界が悪い。
(でもなぁ、メイテイの場所に戻らなきゃな。…待機してるよな?心配になってきた)
恋多き男だが、その脳内には立派な父親も同居している。天候も悪くなったところで、優先順位を子供に切り替えた。
何はともあれ戻るべきだろう。
ならば迂回しなければならない。
(…あー、どっち側から行くかな。水神の宮の方を通りたいが)
フカンは長に就任して、その祝いに最初で最後だったが、長をしていたルキネに宮へ招かれた。簡単な食事会でサクサクと終わったが、「水神の土地を見てから帰った方がいいですわ」という言葉により、土地を見回ってから帰った。
その時は火神の土地の方が素晴らしいので、あまり興味を持って見れていなかったが、それでもある程度の地理はわかる。
無論、昔なので当てにならない部分はあるが、全く知らないよりマシだ。フカンは昔の記憶を呼び起こしつつ、安全で早いルートを考える。
(宮付近は整ってる…避難した水神の民がいるなら早めに他の土地に緊急避難させなきゃな)
最初の神達が争っている以上、少なくとも水神の土地に安全な場所はない。幕は降りてしまっているが、一応抜け道は存在する。
これも昔の食事会の時に教わった。
(はは、ルキネ殿は抜け目ねぇな。風神じゃないかと疑うぐらいだ。……ルキネ殿に失礼か)
ここまで必要な情報があの食事会で揃っているとなると、事前にルキネは風神の長だったファレオに何か言われていたのかもしれない。だとしたら彼女が食事会なんかをわざわざ開いたのも頷ける。
カン、と下駄を鳴らして髪を結び直した。全力で走るための準備だ。軽く足も伸ばしておく。
ルートは決まった。多分行けるだろう。あとはあのお2人に見つからないように派手なことをしなければいいだけの話。
フカンはついでに空を見た。濁った雲しか見えない。
「空の大穴、流石にもう無くなったかな」
空の黒い大穴についてはメイテイと大樹へ行く道中、さっくりふわりと話は聞いた。
何やらヤバそうな雰囲気らしい。最初は神都であった揺れの原因かと思われたが、あれは地下で爆発する印魔法が起動したものとわかった今、正体が不明になっていた。もはや雷雲で隠れているため、見ることもできない。
今まで大穴のことを忘れていたことは内緒だ。
でもそれも仕方がない。俺はあの正体を知っている。
危なそうだが、決して危害を加えるものじゃない。メイテイのこれに関しての推測は外れていた。
あれはただの眼だ。
裁きを下す第3者の眼。
ヨモツヒラサカに住まう、万物の観測者が——
———“最初の火神”がこちらを見ているだけなのだ。




