約束を破って
『ベルラン・アンスリオールをオレの元に連れて来い』
『ベルランを…?』
疑問に思っただろうか。なぜ神が人の名前を呼んでいるのかを。それをスルーする仙人も違和感を感じることだろう。
答えは単純。
偽名である。
(えー俺そんな何かやったっけ?)
ただし本人は知らない。彼の周りで知っているのは両親と仙人だけだ。
(やってない。…強いて言えば地下のことか)
セキラに言われてやったものだが、破壊は破壊である。だが、過ぎたことなのであまり考えないようにしておく。
(にしても気味が悪い。風神様ってこんなんだったんだ)
神都の風神は相変わらず放心状態だった。異常事態にも関わらず、かろうじて人のような営みをしているから、より異質に感じる。
歩き、運び、寝て、天使に襲われて、瓦礫の下敷きになる。一人の隣人の死に様を数人の人は観察していた。
全ての住民に生気がない。今の姿はまるで植物のようだった。
「夢遊病とか、それに近く見えるな…」
仙人は慈善事業をよくやるので、いろんな人にいろんなことを相談される。ベルランは口を挟まず後ろからついて行くだけだが、たまに夢遊病患者が出てくるため、ある程度慣れている。
にしてもこの数は異常だ。
「あ、おーい!」
遠くから声が聞こえた。若い男性の声だ。
「こっちだぜー」
どうやら風神の領地で叫んでいる人がいるようだ。状況的に自分のことを呼んでいるのだろう。すぐに声のする方向へ移動した。
そして、ようやくその人物が目視できるようになる距離まで近づけた。我ながら中々速い到着だったと思うと、心の中で自分を褒めた。
「久しぶり。風神がこんなんですまないね、まぁこれでもこの状況に慣れてきたんだ。そっとしてやってくれ」
そう言って親しげに、なぜか少し恥ずかしげに手を振ったのは、見知らぬ風神だった。
「ベルラン。オレのこと覚えているか?最後に会ったのはキミが魔法を使い始めた頃だったから…17年ぐらい前だな。にしても地上に置いといて正解だった、元気そうじゃないか!」
———誰?
あらゆる記憶を辿るが思い当たる節がない。微塵もない。
「初対面…」
「ではないぞ。いやいや、運命にオレは今とても感謝しているところなんだ。聞いたぜ?あの仙人の魔法。いいなぁ人間は、魔法の進化が早くて。……ベルラン、聞こえてるか?」
喋る人だった。一息で言いたいことを言ったようだ。
「え!?しゃべ、あ、名前!俺、なま…なんで!?」
時間差で最初の衝撃が言葉になった。
人はこうも混乱すると言葉が出てこなくなるものか。
「そんなに驚くことかい。オレがキミを呼んだから今居るんだろ?」
「でも名前って…」
基本的に神が神以外の個人の名前を呼ぶのは、双方にとって良くないこととされている。
「アンスリオールは全員偽名だ。キミ然り。だから呼んでも問題ないぜ」
大層めんどくさそうにそう答えた。さっさと本題に入りたそうなのが見て取れたが、生憎と魔女の情報処理能力はそれほど優秀ではなかった。
「いや、名前が他にあったとしても俺はその存在を認識していないので、俺からすればベルラン・アンスリオールという名前が本名では?」
世にある魔法や呪い、まじないは自分の認識を基にする。だから相手を呪おうとしても戸籍の入手や身体測定を行う必要がない。
自分が相手を自分なりの方法で認識していたら、遠く離れた土地でも呪いをかけることはできる。もちろんそれには技量が必要だが、これが常識で全ての“術”においての大前提だ。
「ふむ、なるほど聞かないでくれ。話を長くしたくないからな」
「詳細な説明は…」
「既知ばかりではつまらないだろう。あえてオレは黙っていよう」
面倒とは言わないが、確実に面倒くさがっている。
「はい…」
(知りたいけど、引き下がるしか…)
「よし、本題だ。連れの仙人も近くでキミを待っている。さくっと聞こう。キミは今までに正ゆ———」
急いでいるのか、流れるように次の話へと移ろうとした。
が、
「黙れーーーーっ!!」
「もごっ!」
突如横方向からスライディングで、目の前の風神様の口にタオルを詰めたかまいたちが現れた。
「いや違う…!」
それはかまいたちではない。人だった。風になびくサラサラとした緑の髪は、目の前の神とよく似ていた。
「風神様…?」
初めて見た、彼以外に喋る風神だった。
「や、やぁ。ボクはビフェリオ。初めまして、だね?」
「初めまして…」
ビフェリオと名乗った彼は少し困ったような顔をして、優しい笑顔を見せた。
(人畜無害って言葉が擬人化したらこんな人かな)
とりあえずスライディングは置いておき、そう思うほどに彼の纏う雰囲気は柔らかく、ファレオとはまた違った神だった。
動物で喩えるなら犬。
犬種はきっとポメラニアンだろう。
「えーさっき帰ったじゃんか」
「うんそうだね。そうだとも!ボクも帰りたかったとも!話聞いてなかったの?」
そのあとにも聞き取れなかったが、何やら耳打ちしたようだ。
「あーわかった、わかったから足を踏むんじゃない。親愛なる息子よ、信じてくれ」
「無理かな」
ビフェリオは何かを思い出すような仕草をするとそう言った。ファレオが信用されない原因は普段の行いらしい。
(親子なんだ)
この風神の土地を見ていたら、この普通の親子が異質に思えた。
(なぜこの二人だけ動いている?)
蚊帳の外なのをいいことに、思考に耽ろうとしたその瞬間。ビフェリオに呼ばれた。
「キミ」
「あ、はい!」
「神都に長居してはいけないよ。早く地上に戻った方がいい」
「やること、あるので…」
神都の非常事態に協力すると言ってしまっているし、スレンドのことも解決してしまいたい。今のうちに事実をはっきりさせたい。
「良くないよ」
未来が視えるという風神の言葉は深くベルランの心に刺さった。そして自分が間違っていたことを自覚する。この人はポメラニアンではない。
「キミの一番近くにいる人、死んじゃうかもね」
(近く?)
仙人様?それともメイさん?
最も適当なのは———スレンドだろう。
彼女には仙人様たちと出会う前から師事していた。
「…なんで貴方にそんなこと言われなきゃならないんですか」
死の宣告は冗談に決してならない。不快だった。つい、睨むようにしてビフェリオを見てしまう。にも関わらず、神は宣告者である姿勢を崩さなかった。
「親切心だよ。キミがここに居ない方が、未来にとってはとてもいいことだからさ」
「どうしても神都の非常事態に協力したいと言ってくれるのであれば…この人引き連れて地上に行くといい」
そんな状況を、見て見ぬふりをしているファレオは呆れ顔だった。
「———あぁそうさ。そうだな。キミを呼び出したのはその件だ」
そんな呆れ顔をやめて、心底どうでも良さそうに目線を明後日の方向へ向けた。
「ボクは戻るよ。さようなら。べ…魔女くん」
風神の土地にも天使は居る。その処理にあたるのだろう。ファレオに目配せしたあとビフェリオは少し小走りでいなくなった。
「…“面倒な後始末”“結構な負債”、オレの最たるものとしては子供だな。そんな愚息のお願いを叶えてあげるなんて、オレも優しくなったな」
(言ってることが割とクズ)
「これが神様クオリティか」
理性を最大限働かせて、相手が聞き取れないぐらいの小声で言った。
「アレは罪を背負ってる。人間と神の混血っていう罪ね。その償いに“輪廻”しているんだよ。何度も、間違え探しのような微々たる変化の人生をさ」
指先で円を描いた。
(輪廻…たしか風神教の考えのひとつにそんなのあったな)
生命は死んだらまた新しく生まれ変わるというやつだ。無宗教の彼にはあまり馴染みのない概念だった。
「で、不幸にも彼は運が悪かった。微々たる変化を繰り返し、ついには罪を償う輪廻の最中に神都滅亡の夢を視てしまったんだ!ただ無意識に人生を廻る作業だったのが一変、使命が課せられた」
(バタフライエフェクトみたいな感じが起こったのか?)
小さな変化でとんでもなく大きな出来事が起こる。未来が見えない以上、自分に確認する術がないので、興味深いが深く知ろうとはしてこなかった分野の言葉だ。疑わしかったが、そのような現象は本当にあるのだろう。何せ風神が言っている。
「いろいろあって、彼は辛くなった。それであんなふわふわしてんのさ」
「…かなり心配しますね」
子供を負債と表現する倫理観のなさがあるのに心配するのが不思議でならなかった。
余計なことかと思ったが、口は動いてしまう。
「ちょっと、ほんの少しだけ、申し訳ないと思ってるんだ。混血が罪ならば、諸悪の根源オレだし」
(それはそう)
ファレオは今までにない、優しい顔を向けた。下がる眉に、細める目。彼の息子にそっくりだった。
「…せっかくだから神都まで見物しに来たんだ」
見物などと、わざわざ悪い印象を持つ物言いをしているが、声色から本当に心の底からの心配をしているのだなとわかる。
目を閉じて、元々の凛々しい顔つきになった。
「さて仙人、入ってくるといい!」
少しバタバタと音が聞こえたと思ったら、大きなたんこぶのできたメイが扉から飛び出してきた。何かしらがあったのだろうが、察する気力はない。放っておこう。
「お待たせいたしました」
続いて仙人も出てきた。こちらは無表情。何事もなかったかのように前へ出る。
「キミらはオレを連れて地上へ行こうか。どんな方法かは知らないが壁を作るんだろう」
「詳しくはスレンドと協議してからにはなりますが、多分彼女も仙術を仕込んだ札を利用するつもりでしょう。膨大な数が必要ですが、“仙楼”で掻き集めれば充分足ります」
(なるほど)
ベルランの専門は魔法だ。だがこの問題を解決するにはとんでもない量の魔力が必要になる。一体どうやって壁を作るつもりだと思ったが、仙術ならば話は別だ。
仙術は魔法のように有限のエネルギーを消費しない。その上、仙人の都である仙楼の協力が得られるのであれば、実現は容易だろう。
「ダメだな。神都以外が相手なら大丈夫だが」
しかしファレオはその案を否定した。
「どういうことでしょう」
「神都がコマのような形をしているのはわかるな?」
コマ、そう言われて何のことを言っているのかわからなかった。駒と言ったのだろうか。真っ先に思い出すのはチェスの駒だ。だが空から見たとき神都はそんな形をしていなかった。
(コマ…独楽か)
先端の尖った円柱。東洋にある“大月”のおもちゃだ。そこでやっと納得した。
「ここには地下があるんだけれども、その最終層…コマの先端には“最初の火神”様の魔法が刻まれている。それで神都はここまでの浮力があるわけだが、難点があってな」
「まさか…」
「ピンときたか。そうだよ。あの方の魔法は人間の技術を拒否する。つまり仙術が無効になる」
(いや、どんな魔法だよ!?)
“最初の火神”の人間嫌いは有名だ。だが、ここまで徹底的に拒絶するとは思わなかった。
「……無効の範囲はどれぐらいで?」
「なに、範囲は狭い。神都の表層三センチくらいだ。ベールのように纏っている」
「…それでは仙術は使えませんね」
「そこで、オレの魔法だ」
「風神様の魔法…」
思わず声を漏らした。一体どんな魔法だろうか。水神様の魔法は目の当たりにしたが、アレも素晴らしいモノだった。
(気になる…!)
「オレの固有魔法は塔を造るモノだから」




