貴方様のために(1)
「一体どういうことですの…?」
普段は濃い霧があるはずが、綺麗さっぱり消えていた。水神の領地のとある学校の中庭で一匹と一人は立ち尽くす。
水神の長、ルキネは水の記録庫———“脳”の保管庫で絶句していた。放心寸前の精神状態だ。
壊れている。
滝が———”最初の水神“の脳の保管庫が。
あるはずの水が消え、道筋だった土だけが残っていた。
「…ドラゴンさん、何か話してくださる?」
あまりのショックに今まで黙っていたドラゴンに話を振った。
「え?あー、かしこまりました…?ごほん、私事ながら実は先日、ひ孫に子供が産まれまして、なんとワタシの親指の爪ほどの大きさなのです。それがもう愛らしくて仕方がなく———」
重低音でデレデレし始めた。
ドラゴン族は小さい生き物に愛着が湧くように水神に設計されている。ドラゴンより小さい生物はいくらでもいるが、それが身内ともなると愛情は更に深くなるのだろう。
「もういいですわ。ありがとう。それと、この状況について何か推測はありますか?」
何か話せと言ったのはルキネの方だが、やはり他人の家族など割とどうでもいい。そして口調が癪に触る。冷めた口調で遮った。
「…恐れながら申し上げますと、これは意図的に破壊されたものかと」
「続けて」
「脳の保管庫は最重要。“最初の風神”様が直々に制作したモノです。強度はまさに金剛。最初の神の方々が造られた、言ってしまえば金庫のようなものですから、劣化なんということもありえますまい」
滝の姿をしているが実際は違う。あくまでデザインがそれなだけで、流れる水を遡っても水源は存在しない。ただ土から水が生まれて、それが流れるだけだ。
完全に人工物であり、土に見えるモノも強固な魔法がかけられている。
「では、誰かに破られたと?」
「ええ、金庫ですから鍵さえあれば。たとえなくとも開錠に適した魔法なんて、世界を探せばいくらでも存在しますでしょうし」
「違いますわ」
ルキネは鋭く言い放つ。
「左様にございますか…」
心なしかドラゴンは落ち込んでいるように見えた。
(触れる代わりに壊せない。そんな代償の魔法を“最初の火神”様はかけた。年月の経過やらで魔法の効力が弱まっていたならまだしも、そうでないならこの誓約を破ることはできない)
最初の神様でなければの話だが。
「はぁーーーーーーー」
「…鱗を弄るのはおやめください」
「…こんな時にこそ、ビフェリオくんの予知が役立つのですけれど」
(彼が居ないのは何か問題に巻き込まれているのか、それともこの天使の件の首謀者なのか。誰がやったとかどうでもいいけれど、大樹の寿命とイエコト祭の時期に重なるのが嫌ね)
大樹が枯れ始めているのは目にしたが、そこまでルキネは気に留めていなかった。原因は寿命だとわかっている。
枯れたら神都は落ちると知っているし、早急に解決しなければいけないのはわかっているが、大樹に関しては人為的なものではないというのが重要だった。
「とりあえず胎は回収済みですが、これからいかがなされますか」
「戻しましょうか。脳がなければ長の権限は使えませんもの。それに———」
冷たい空気が肺に触れた。
「“最初の水神”様が目覚めていますわ。ご自分でここを壊して外に出たのでしょう」
「…」
半開きの爬虫類の目が少し見開く。
「ここを出て、長の宮を一般開放して避難所にしましょうか。解決は他の方々に任せれば勝手に解決すると見ました。ですので水神は天使の撃破をせず、時が来るまで籠城しますわ」
(脆くて通気性の高い宮でも魔法で幕を覆えば、大樹の枝が落ちても一度なら耐えられるでしょうし)
「領地間に幕を下ろすというお話でしたので、天使が溜まってしまうのでは?」
大量に集まれば、今の比ではない騒音と矢の雨が降るだろう。それに加えて印魔法の追加だってある。
「それでいいのよ。そのまま増やして圧死でも、事故死でもさせます」
幕は名前とイメージが違い、鋼鉄製。
水神、風神、火神の領地の境目と神都の外周に降ろされる。魔法でできた幕なので、展開さえしてしまえば、壁のように神都が崩れようがずっと指定された座標にそびえ立つ。
なのでどれだけ天使が増えようが、居られる範囲は変わりないので頑丈過ぎる自分達に潰されることになる。矢も射れなければ、印魔法の設置も難しくなるだろう。
ちなみに幕は“最初の風神”制作だ。耐久性には信用がある。
「ラクできるところはラクしなきゃやってらんないですわ」
ルキネはそう言って大きいあくびをした。
ドラゴンは思う。
(水神の長とはなんともこう…毎回似た方が集まるものだ)
彼の名はホース・フロウト・スレンデック。
“最初の水神”が直々に任命した、初代ペクト国皇帝だ。
ホースは遠い目をして、あるひとを思い出す。
そしてゆっくり、動き出す。
「どうかしましたの?」
頼まれてしまったのだ、自分を不老長寿にしたあのひとに。
「長様、ひとつ…お伺いしても?」
ルキネは細い眉を少しひそめて、その先を促した。
「人間をどうお思いですか」
意図の読めない質問だった。少なくとも、今する話ではないことは明白だ。
「政治的、宗教的な立場があるので言いませんわ。無駄話はよしなさい」
「私はとても嫌いです」
(あーもう!急に何を言い出すの!)
「今はイエコト祭付近よ、“最初の火神”様の怨霊を呼びたくなければ、人間に関する恨みつらみを言わないように口を閉ざしてなさい」
冷たい冷気が更に、肺を刺すような冷気を伴う。
「神の時代が終わることなど、あってはならない。そうすれば“最初の水神”様は一生、人間の奴隷なのです」
「思い上がるなよ爬虫類。黙れ」
ルキネは脅しに周囲の魔力から、魔力壁と槍を創った。初歩も初歩の技術、シンプルな魔法。それ故に術者の技量が反映される。
ルキネが創ったのは水神の長の名に相応しい、美しく鋭い槍と質素な靭い壁だった。並大抵の魔法は通さない。
だん、
頑丈な鱗を生やした腕がルキネの頭を強く打ち付けた。華奢な身体が勢いよく石材の壁にぶつかる。
「がっ!」
均整な顔が苦痛に歪む。ぼたぼたと血を吐き出した。
「ワタシはあのひとに救いが欲しいのです。神都を消されるわけにはいきません。貴方様の選択はコストが少ない。ですが、水神が戦いに参加しなくなるのでビフェリオくんにとって都合が良くなってしまう。それはいけない」
重い体を動かしてルキネの元に近づいた。
「そのまま動かないでくださいね」




